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2015年06月03日
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コノハナサクヤ姫
【よろしくお願いします。企業内、企業間の組織の中では上下関係は勿論ありますが、この関係は、需要と供給の基本的な循環の中で、エネルギーをヒエラルキのトップに集め、下位に分配するシステムになっています。その分配は、時に非常にシビアであり、生かさず殺さずという表現は、また企業努力、本人努力によって競争力を上げることを強制し、淘汰が背景にあるシステムであることは、言うまでもありませんが、自然も淘汰のシステムに支えられ、社会も自然と同じである、宇宙もそうだ、と確かに現象はそのように見えますが、それが理なのでしょうか。淘汰によって全体のバランスを維持しているという説明ももっともですが、背景には、淘汰をさせる力が働いている、支配力のようなものがあるように思えます。

ほほほ、神界の理を準え、地球の社会も自然の仕組みもある、とは言え無くも無い。
力には、その原動力となるものがある、食べなければ力は出ぬということじゃ。
そなたがいう支配するとは、その食べるということに直接繋がるものじゃ。

食べられることを良しと思う者は多くはないであろう。
ほほほ、感謝して食べよというであろう、自然の恵みとして礼をいうということよの。
自然の恵みであれば、礼を言う相手は自然じゃ。食物の動植物ではないであろう。

動植物には、支配するという感情が伝わるのじゃ。
動植物、己が持つ想いが消えていくということよの。支配とはその感覚を伴うものじゃ。
想いとは、己を己と知り、維持する力じゃ。魂とはそういうものよの。

我らの世界の支配の力とは、そのようなものじゃ。が、人とは使い方が違うものじゃ。
分配と申しておるであろう、分配とは、想いを分けるということ、己を分けるということじゃ。
人の魂の想いは我らに伝わり、その想いをまた人に戻す。
人は想いを分け、我らに届け、我らは、我らの想いを乗せ、人に届けるのじゃ。

届けること途切れることは、人の魂がやせ細っていくこととなろう。
我らに想いが伝わらぬのであれば、届けようもないのは無論のこと。
そのような者が多くなってきたのが、今の社会じゃ。

社会の淘汰は今も昔もある、無くなりはせぬ。それが想いの理じゃ。
我らの中にも、昔と比べ、今はどうじゃ、という者もおる。
少数の意見ではない、その声は年々大きくなっていおる。
魂が抜け殻のようになれば、魂は雑多な想いで、次第に満たされていくであろう。
穢れていく様は、まさにそのようなものじゃ。

正月、人の想いが一斉に我らに届く日じゃ。
雑多な想いの中で、淘汰の理に叶った想いは少ないものよの。
我らの想いが届く先は、その者が想いを別のものたちに届けようとするか否かじゃ。
淘汰をバランスの仕組みとすれば、想いは偏ることなく、行き渡ることがバランスじゃ。

数多くの種が暮らす地球じゃ、淘汰とは、多くのものたちが暮らすための仕組みじゃ。
強いものは支配力が強いというのではない、分配の勢いを常に持つものが、残るということじゃ。
集団で生まれ、数多く補食され、また過ごしておるものは、その種そのものがその力を持つものじゃ。

繁殖の力と補食の業は一対じゃ。どちらかでも弱くなれば、勢いは削がれ、やがて想いは薄くなろう。
想いが薄くなるとは、補食と同義であるということよの。代替えとして現れるのじゃ。
まだら模様は広がり、元に戻しようが無くなれば、その集団は消えていくのじゃ。
自然でも社会でも、それが理ということよの。

【ありがとうございます】





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Last updated  2015年06月03日 09時54分06秒


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