カテゴリ:検見川送信所関連
取り壊し危機にある検見川送信所を巡るイベント「ほぼ満月ただの月見@検見川送信所」に参加した時のことを、思い出しながら書いていたのだが、少し間が空いてしまった。記憶も薄れてきたし、個人的な感想に過ぎないとはいえ余りいい加減なことを書くと主催者の方に迷惑がかかるかもしれないし、ひとまず今回でラスト。
懇談会で印象に残ったもう一つの話は、送信所OBの方の自己紹介だった。講演会でもOBの方がお話をされて、その方とは別の方だとその時から思っていたのだけど、もしかしたら同じ方なのかもしれない。 ■アンテナ その方が送信所に勤めていた頃、閉鎖や取り壊しとは行かないまでも、トラブルはあったのだという。近隣住民とのトラブルがその一つで、土地を巡るものだったようだ。 送信所には、大きな電柱が何本も立っていたそうだ。この話はメールマガジン検見川送信所J1AA通信で連載されていた小説で知った。所員の方が書かれた自伝を元にしたものであり、物語風に脚色をされているのでかえって読みやすい。かなり大きな鉄塔で、現在のJRや京成電車からも見えたのだとか。 お粗末というか、国が買っていた土地はこのアンテナが立っているまさにその部分だけで、周囲は売りに出されたらしい。送信所としては、高圧電流の流れる鉄塔の周囲に民家というのは危険だと当然考える。 「今後、絶対にトラブルが起きるから、土地を抑えるべきだ」 「ただ土地を買い占めるだけでなく、公園などにして地元の方と共存を図るべきだ」 こういう意見が、すでに昔から出ていたそうだ。お話を聞いた限り、国の反応も、地元民の方の反応も、あまり良いものではなかったらしい。当時、どういうやり取りがあったか、知る余地はないし、OBの方も誰かを貶めるような表現は決してなさらなかった。ただ、現在の状況を見れば、所員の方が提案されたとおりにならなかった、という結果だけは分かる。 ■違和感 その方は、当日の活動に関して「違和感を感じる」と仰っていた。勝手に推測するなら、自分たちが送信所稼働中には働きかけを行い、結局閉鎖され、今頃になって住民主導で保存運動などされても、という事だと思う。分かる気がする。 関係ないのだけど、いくつか世代的な話も会の最中には出ていて「最近の若い世代は」なんて言葉が出ると、間違いなく会場で若い方から数えて数人以内に入る自分はドキリとしていた。「今の若い方は送信所のことを全く知らない」と言われて、確かに全く知らなくて仰るとおりだったけど、なんか違和感を感じた、というのは私の話なのでどうでもいい。 OBの方は、保存運動自体には反対されていない。むしろ、送信所勤務時代の事を語るときの表情は、どこか誇らしげだった。古き良き時代、なんて言葉はふさわしくない厳しい時代だったのだと思う。でも、間違いなくOBの方にとっては輝かしい人生の一部なんだろう。 保存するのは建物だけれど、その中で働いてきた人がいた、周囲に住んで送信所を見てきた人がいる、それを忘れては絶対にいけないな、と漠然と思った。 ■ 結局、自己紹介を最後にする羽目になって、当然素人なのでまともな事は全く言えず、あっさりと終わらせて日本酒を頂いたりしていた。 色々と感じたり思ったりする事はあって、結論としては参加して良かった。早くも当日から次への動きが出ているようで、私としてはただただ保存活動が成功することを祈るのみ。 中途半端だけど、とりあえずこんな感じだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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送信所OBの方は多少、誤解されていたような気がします。
建築史的側面がクローズアップされたことに違和感を覚えたようですが、僕個人としてはハード、ソフトの両面から再評価したかったんです。 そうでなければ、日本初の国際放送が行われた10月27日にあわせて、イベントをやろうとは思いませんでした。 小説も読んで下さったんですね。ありがとうございます。 何かを伝えるのは難しいなぁと思った次第です。 (2007年11月14日 23時29分46秒)
久住浩さん、先日はお世話になりました。
同時進行で小説を読んでいたので、ハードもソフトも揃っていた印象があります。僕の中では、送信所について知ること=実際の建物を見ること=何をやった所なのかしること、でした。第三者的な立場では、やはり第1回としてベストに近い情報提供だったと思っています。 実際に働いていた方は、もちろん我々には伺いしれない思い入れがあるのだと思います。活動としては続いていくと僕は思っていますし、まだ機会もたくさんあるのではないかと考えています。 ----- (2007年11月14日 23時44分13秒) |
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