つじあやの「come again」
神奈川テレビ「sakusaku」先週のゲストはつじあやのさんでした。つじあやの。京都出身ウククレ弾き語りのアーティストですが、カバーアルバムが出たそうです。つじあやの「COVER GIRL 2」「1」ではスガシカオの「黄金の月」もカバーしています。→○「COVER GIRL 2」でのシングルカット?はm-floの名曲「come again」。2001年の作品。当時はどこに行ってもかかっていた感がありますね。それをつじあやのさんがカバーしています。で、PVが良いんですよ。紙芝居+ペラペラマンガ的なアニメーション。ストーリー仕立てになっています。基本的に線画なのですが感情の起伏を色で表していて叙情的な表現もうまいです。主人公は女性。恋人がいたのですが、主人公を助けるために暴走トラックに轢かれて死んでしまいました。主人公はその後彼の思い出と共に生きています。夜になると夢の中で死んだ恋人と再会して思い出に浸っています。ある日主人公を好きだと言う青年が現れ、告白しました。しかし死んだ恋人のことが忘れられない主人公はそれを断ります。そのやり取りを見ていたのかわかりませんが、その夜夢に現れた恋人は主人公に別れを告げて、姿を消します。意気消沈する主人公。心ここにあらずといった体で街をさまよいます。そこへあの青年がたまたま通りかかります。物陰から主人公の様子を見ていると、そこへまた暴走したトラックが突っ込んできます。無我夢中で飛び出す青年。彼女を突き飛ばして助けることは出来ましたが、トラックは既に目の前まで迫っている・・・。しかし、そのあわやというところでトラックは止まりました。青年に駆け寄り抱きしめる主人公。そしてそのトラックを止めたのは実は死んでしまった主人公の恋人だった・・・と、文字で説明してしまうと情緒もへったくれもないベタなドラマになってしまうのですが、アニメーションの効果もあってか、結構涙腺に来るラストシーンになっています。曲ももともとはけっこうダンサブルなかなりエレクトリカルな感じだったはずですが、このつじあやのカバー版では歌声を中心にしたずいぶんと聞かせるつくりになっています。曲調に関してはクラプトン「レイラ」のオリジナル/カバーの関係性と似てる、と思いました。現在かなりの絶賛連続再生中です。しかし。何回かこのPVを見た後ふと気がついたのですが、そもそも「come again」の歌詞の内容と言うのは全然違います。ウィキの解説でも「約束を守らなかったり、自分を愛していない恋人に愛想を尽かし、新しい出会いを求めディスコで踊り尽くす」と書かれています。曲調としてもいわゆる2ステップのUKクラブミュージックらしいですし、「新しい出会いを求めて踊り明かす」ところに重点がある。そうなるとつじあやの版PVはかなり強引な解釈なんじゃないかとも思いました。曲が変わったと言っても歌詞は変わってないわけですからね。しかしこのつじあやの版「come again」とそのPVは、これはこれで一つの別の世界を作っていることも事実です。私個人的にはこっちの方が好きですし。歌詞を引くと長すぎるので止めておきますが、確かにつじあやの的な解釈が可能な部分もあると思います。つじあやの版ではむしろ昔の恋人に対する気持ちとそれを吹っ切る過程が焦点化されて劇化されている、とも言えるかも。歌詞とは一種の詩ですが、詩であるからには解釈の多様性というのも当然存在している。伝統的な技法でいえば「本歌取り」というやつですね。まあ別にそんなことはどうでもいいのですが、2001年当時最先端でポップ&クールなオシャレ感満載だった曲が、7年後にベタで泣けるPVに変化したというのはなかなか面白いなあと思って書いてみました。つじあやの版「come again」。オススメです。