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ども、福田へたれです。
昨日、2ちゃんねるのニュース速報+ででていたニュースだったんですが、ナガスクジラが定置網にかかって、陸揚げされたそうです。 ナガスクジラは、絶滅危惧種に指定されている鯨で、もう絶対に食べられないはずの鯨なんですが、定置網にかかった場合は、死亡している場合に限り一定の手続きを経ることで、陸揚げする事が許可されるそうで、今回は700万円の値段がついたそうです。 ナガスクジラの肉は、とても旨いと評判のお肉。 いやあ、是非食べてみたかったなぁ……(特に尾の身のあたりとか)。 こんなニュースが流れると、いろんな人が騒ぎ出すんじゃないかと思います。 捕鯨に反対の国や、捕鯨に反対な人たちは「なんて残酷な!」というかもしれません。 でも、砂浜にうめたり焼却処分にするよりは、美味しくいただいた方が僕としてはいいのではないかと思ってしまいます。 さて、今回は引き続き「鯨を食べちゃいけない」といわれている理由について考えてみたいと思います。 今回は「鯨を捕るのは残酷な行為だ」という批判についてです。 そういえば、wikipediaにも「人道的捕殺問題」なんて項目がありました。 なんでも、「鯨を捕る際に、苦しい思いをさせてはいけない!」んだそうです。 とりあえず、そのあたりについて考えてみたいと思います。 正直に言うと、僕はこのあたりの話を聞いて、とても偽善的なことを感じてしまうんですね。 どんな捕り方をしても、最終的には僕らの食料になるわけですから、苦しませてしまうのはやむをえないと思うんです。 確かに畜産関係はそのあたりの距離もシステム化されているわけですから、短時間で処理できるでしょう。 しかし、それは「人道的見地」ではなく単純に「効率」だ考えた方が理に適っているではないでしょうか? 牛や豚が長い時間苦しむような処理の仕方では、後の生産にも何らかの支障が出てしまうでしょうから、一瞬に処理できるような仕組みを作り上げただけでしかないように思えます。 仮に、本当に人道的見地から、そのシステムを作り上げたとするならば、それは偽善でしかないでしょう。そう僕は思います。 「人道的捕殺」が騒がれている一方で、スポーツハンティングの需要は依然としてあります。 例えば「キャッチ・アンド・リリース」が定着しているバスフィッシングなども、これに入るのではないかと思います。 釣ったブラックバスを湖に放し、何度も釣るわけですから、ブラックバスにもかなりの傷やストレスを負わせることになるはずです。 しかし、バスフィッシングは「人道的捕殺」の問題では扱われていません。 また、時々YouTubeにアップロードされている、オーストラリアのカンガルー狩りの動画(削除されちゃってますが)をみると、「人道的捕殺」なんて全く守られてないようです(凄惨な動画なので内容は書きません。見たい人は探してください)。 こういった話はネットの中を探せば色々と出てきます。ですが、「人道的捕殺」という言葉を用いられることが多いのは、何故か捕鯨などが多いのです。 そういえば、何故か日本が行う捕鯨を、外国のサイトでは虐殺的なニュアンスで語られている事が多いように思えます。 何故、「人道的捕殺」という概念が捕鯨に用いられているのか? 何故、「人道的捕殺」という概念を無視した狩猟が存在し、無視されているのか? このあたりの二重基準的な発想は、何処から来るものかは定かではありませんが、 ただ、ここに二重基準があるということは確かなようです……。 「鯨は○○(まあ、好きな言葉を入れてください)な動物だから、大切にしなきゃダメなの」というコトを、一部の人たちが言っているだけのようです。 で、日本人が鯨やイルカを捕るとなると、女優を動員して反捕鯨プロモーションビデオを作ってインターネットで公開したりします。 また、国の偉い人が「鯨はすばらしい生き物で、それを調査といって捕る日本人はとんでもない」的なことをいって、日本語字幕をつけてネットに公開します。 でも、そういう人たちは、イルカや鯨以外の動物に関わる問題に関しては、何か行動を起こすことは多分無いでしょう。 何故なら、それは彼らに別の思惑があるからではないかと、僕は思うわけです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Dec 20, 2007 12:18:35 AM
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