2006/04/11(火)02:52
英国旅行記【ポーツマス その2】
ヴィクトリー号を出て、次に向かったのはメアリーローズ・シップホール
こちらには、ガイドのおじさんはいなかったように記憶している
おじさんの代わりに、電話の受話器のような形のプレイヤーが貸し出されていて、それを耳に当てて音声ガイドを聞きながら回った(このへんは記憶が曖昧だったりする…)
メアリーローズ号は、悪名高い(?)ヘンリー八世の旗艦として使われていたが、1545年に沈没して以来、約400年もの間、海の底で引き上げられるのを待っていた
そして1982年にソレント海峡から引き上げられたメアリーローズ号は、修復されてポーツマスに運ばれ、今は特殊な保存液のようなものに浸した状態で展示されている
当時の内装や生活の様子が再現された船内を見学できるようになっていたが、薄暗いうえにフラッシュ撮影が禁止されていたため、残念ながら写真は撮れなかった
メアリーローズ号を出ると、もう外は薄暗くなり始めていた
冬のイギリスは日没が早い
クリスマスも近かったため、HMSウォリアー1860号のマストにはツリーを模した電飾が施され、明かりが灯っていた
HMSウォリアー1860号は、イギリスが最も輝かしかったヴィクトリア朝時代の船である
船名にもあるように、1860年に建造された世界初の鉄製の船で、近代戦艦の始祖と呼ばれている
内部を見学しようと入口に向かうと、白髪のおじさんが立っていた
また(ちょっと鬱陶しい)ガイドかと思って身構えていると、彼は音声ガイドのプレイヤーとパンフレットを配っているだけだった
写真を撮ってもいいかと尋ねると、「もちろん」と答えた後で「僕を撮ってもいいよ」などと冗談を飛ばしてきた
ポーツマスはジョークが習慣になっているのだろうか
私は狼狽しつつも心の中で「あんたのことを言ったんじゃないよ!」とツッコミを入れ、日本人的愛想笑いでその場をごまかして立ち去った
いちおう撮影は許可されたものの、船内の照明があまり明るくなかったので、フラッシュを使ってもロクな写真が撮れなかった
大砲を撮ってみたが、黒い塊にしか見えないし
これなんかボケてるうえに、舵なのかどうか?イマイチよくわからない
唯一きれいに撮れていたのが、上級士官たちの食堂と思われる部屋
ちなみに下級兵士の部屋もあったが、もっと粗末なつくりで、こことは雲泥の差だった
最後に、なぜポーツマスを訪問先に選んだかということを書いておきたい
歴史の教科書に出てきた、日露戦争の講和条約である「ポーツマス条約」が結ばれた場所を見てみたかったからだ
しかし、私は大きな勘違いをしていた
ポーツマス条約が締結されたのは、アメリカのニューハンプシャー州にあるポーツマスだったのだ
私が来たのは、イギリスのハンプシャー州のポーツマス(汗)
とんだポーツマス違いである
10年以上も、ポーツマス条約はここで結ばれたと信じていたのだ
しかも私は、帰国するまで、この間違いに気づかなかった
思い起こせば、ガイドブックにはポーツマス条約のことが一行も書かれていなかったので、おかしいとは思っていた
帰国後に写真を見ていて、ふと気になって調べてみた
そして事実を知った時の衝撃というか恥ずかしさは、忘れようもない(苦笑)