6930797 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ホンダT360公道復帰

・・説明その・2

いらすと2


このページは日記からT360関連の読み物だけを抜粋したので、前後のつながりは良くない。長くなるので、一部だけ載せた。

軽車輌の規定が出来たのは昭和24年,小型普通大型の下にさらに低い基準(150cc、2.8m×1m)を作り国民に早く車を持たせるのが狙い。この法律は戦後欧米の映画、特にアメリカ映画のマイカーの映像に愕然とした官僚が何が何でも国民にマイカーを、との思いから。途中から、この規定では車は出来ないとの事で360cc、3m×1.3mに変わる。
T360は358cc 2990×1285ミリで、スバル360から5年後です。
しかし戦後の日本ではマイカーなどは幻想、夢の又夢でした。実現したのはこの法律が出来て9年後、画期的な車「スバル360」が出来てから、スバル360はNHKのプロジェクトXなどで紹介された、見てない方は本屋にプロジェクトXの本とコミックがある。
もちろん、この間いろんな実験的に製作された車はある。生産台数は多くても50台どまり、この辺は各種本が出てますので読んで下さい、この時代は面白いです。
T360の設計者中村良夫もこの時代には自分で自動車製作に動いていたが、結局ホンダに入社、これが絶対正解。
なんせ、戦後自動車メーカーを成功させたのは、世界で本田宗一郎ただ一人、他のメーカーは戦前から有る元々大企業。(フェラーリも戦前)

T360が我が国初のDOHC(ツインカムエンジン)ですが、世界初か?これは疑問で判断が難しい?
自動車の歴史100年で主要な発明は前半に集中している。
4WD-1903年、インジェクションー1903年、ターボー1930年、そしてDOHCは1912年と なんと90年前に出来ている。当時のレースで勝つ為にはひたすら排気量を上げ15リッター15000ccのエンジンが普通でしたが、1912年フランスGPでプジョーL-76型がDOHCエンジン7000ccで優勝、半分の排気量で勝ったのでレースでは以後DOHCは当たり前になりました。
市販車タイプでは1923年デビューのフランスのサムソン号となる、しかし当時のチェーンは信頼性が無いのか歯車の組み合わせで時計並みの複雑さ。 (立風書房 自動車はじめて物語 折口透著)
さて、レース用、超高級車は別として大衆向けとなるとT360が一番では? T360の2年後に発売されたポルシェ911はSOHCでした。

ある時期から藤沢武夫が本田宗一郎をホンダの看板にすべく動く。
ゴーストライターを使って立志伝中の英雄として書く。彼の本はだれでも一度は読んだ事がある。ほとんどは本当の話でしょうが、別の角度から見た本田宗一郎の本も見てみたい。批判的な事を多少書いているのは、ヤッパシ中村良夫、これは空冷対水冷の因縁の対決が尾を引いてるのか・・・

実は、この話を思ったのは、雑誌通販生活(秋号180円)にゴーストライター中原一浩の対談があり、彼は運転免許が無いのに50冊以上の車の本をかいてるらし。
売れてる本らしいので、私も何冊か読んだ可能性大、車に興味も無く免許も無い作家がもっともらしく書いていると思うと金を出して買う気なし、車のインプレも書いてるらしい。もっとも、本人が書くと自慢話タラタラなのでゴーストライターに頼むのかも?

IMF14条国(為替が制限出来る)
この話はいろんな本に書いてある。当時、先進国では日本だけが特例扱いで自由貿易国ではなかったが外圧の中、外車に対抗するには、当時8社の自動車メーカーをこれ以上増やさない方針を通産省が出した・・・
ホンダ、ダイハツ、スズキは車を生産出来ないかもしれないので、ホンダは既成事実を作る為、急遽、1種類しか無いスポーツカー用エンジンをトラックに載せて出したのがT360なんです。が・表向きですが、ホンダのディラーはバイク屋さん、客筋から行ってもトラックなら売れそうとの判断では?

本田宗一郎の伝記では特振法を潰した武勇伝が中心になる、「軽自動車誕生の記録」には、この経緯が詳しく書いてある。乗用車は自由化の目玉なので、何とかしないと国産乗用車の生産は危機に瀕する。一旦は廃案になったが何時復活するか分からない法律なので、本田宗一郎は4輪車の生産を急いだ。
この法案は銀行団が猛反対してたので通過の見込みは元々なかったのに、本田宗一郎が猛然と噛み付いたのは、法案ではなく、審議委員の構成が気に入らなかったのでは?

面白い話としては、特振法(自動車会社の制限)はホンダなど自動車を、まだ生産してないメーカーに不利なのだが、高級車を作っていたプリンスは逆に大衆車を作れなかった。
通産省は自動車自由化の前にメーカーを普通自動車メーカー(トヨタ日産)ロールス、キャデラックのような高級車専門(プリンス)と軽車輌専門(スバルなど)の3種類に統合したかった。
トヨタ、日産、ホンダは政府の方針を無視して生産する。

プリンスはド真面目すぎた、と書いてある。
プリンスのお公家さんのような社風と正反対なのがホンダ、草莽のホンダには勝てない。

このT360を始めて見た時オーナーに「ブリティッシュ・グリーン」ですね!
と聞いたら 「この色はゼロ戦の色です」 ハァ~?

当時F1グランプリはスポンサーのロゴではなく、ナショナルカラーとして各国の色が決められていた。イギリスは緑、ドイツは銀色、イタリアは当然赤、フランスはフレンチブルー。これは1964年T360発売の1年後の話なので補足を。
世界最初の本格的モーターレースは1895年のパリ~ボルドー往復なのでホンダがFIに挑戦した1964年より69年前である。

ナショナルカラーが最初に制定されたのは1900年ゴードン・ベネット・トロフィーレースからです、参加国は4ヶ国、フランス青、ベルギー黄色、アメリカ赤、ドイツは白色です。赤はイタリア、ドイツは銀色のイメージが強いのですが、それはもっと後の話になり、詳しくは「モータースポーツミセラニー」高斎正著、朝日ソノラマが一番良く分かります。お勧めの1冊です。

フランスの青はパナールが良く使っていたから、ドイツの白は1934年のレースで規定重量を1Kgオーバーしたのですが極限まで軽量化されたレース車は減量できないので急遽全ての塗装を剥がし、何とか規定にパスしてレースに優勝。
速い車(優勝車)はカッコ良いので以後ドイツ車は金属剥き出しのシルバーになって行きます。

本田宗一郎はFIAに日本(ホンダの)ナショナルカラーとして金色(ジパング)を申請する、金色は南アフリカが登録済みなので中村良夫がアイボリーに日の丸で急遽登録、決まったのは初参戦のドイツグランプリ直前だった。シトロエンに製作依頼した大型輸送車はナショナルカラー不明なので当然フレンチブルー、それに大きなウイングマークと日の丸を書いてヨーロッパを転戦した。

ドイツでは東洋から来たF1カーが注目の的になり特に監督の中村良夫はヨーロッパではゼロ戦の設計者と紹介されてたので俄然注目を浴びる、ゼロ戦はヨーロッパでも有名でした。
中村良夫はゼロ戦のエンジン「栄」の設計にチョコット参加しただけだが、営業上否定しなかった。

ナショナルカラーとして緑が空いていたら、本田宗一郎は迷わずこのゼロ戦色を登録したのでは?
金色の場合は金箔張りの予定なので秀吉か宗一郎か・・・

ホンダT360のエンジンはメッサーシュミット戦闘機(飛燕)エンジンDB600系を参考に作られた、と思う。設計者中村良夫はこのエンジンの事しか書いてないので。DB600エンジンとT360エンジンの共通性としてクランクベアリング(転がり軸受け)はフランスのパナールから、最初に使ったのはアルファロメオみたいなので、中村の言う「技術の再構築」でパクリではない。
ちなみにベンツDB600エンジン・デザインはロールスロイスから・

この手の本では鈴木孝著「エンジンのロマン」「ディーゼルエンジンの挑戦」「20世紀のエンジン」などに詳しく書いてある。専門書ではなく一般書なので面白く読めるのでゼヒ購入を。
ただしホンダに関する事項はほとんど無い、DB600エンジンに関してホンダF-1エンジンには戦時中あれほど苦労したベアリングの問題は一度も無かったと書いてある。中村の本にもそのように書いてあった。

T360のフロント・サスペンションはマクファーソン・ストラットと本には書いて有るが、どう見てもダブル・ウイッシュボーンだと思う。両者とも良く似ているので正式にはどっちか不明、素人が見る限りではダブル・ウイッシュボーン。
ウイッシュボーンとは英語の鶏の骨の名前から来ている。Aアームとか呼ばれU字型、複雑なので当時の高級車、スポーツカーにしか使用されていなかったのに軽トラに使用した。

驚く事に、初期から中期までウイッシュボーンは組み立て式となっており微調整可能なレーシングタイプだった。当然コストは高くなる・・・当時ホンダにはダブル・ウイッシュボーンを作る技術も工作機械も無かったので組み立て式になったのが本当では?作って走らせてから最適状態に調整した。

私のT360は組み立て式では無いので、何とかなるかも?もし組み立て式ならプロ、しかもレーシング専門のプロにしか調整できないと思う。
たかが軽トラ、全てにおいて厄介に出来ている。本田宗一郎の発想と行動力には敬服するが販売店は苦労の連続だったようだ。

当時の軽四輪はスバル360などのようにコストと生産性を考え可能な限り簡素に作ったのに、ホンダは全く逆、可能な限り複雑にコストは全く無視して作っていた。

日本モータースポーツの源流、聖地は鈴鹿サーキットである。
T360の発売の翌年完成、前年に一部完成したコースでT360とS360の発表があり、Sは販売されなかったのでT360は鈴鹿を走った第1号車である。
鈴鹿に始めていったのは30年前、ほんとに田舎でした。
一番強い記憶は1987年の第1回日本グランプリ、始めて見たF1は度肝を抜いた。
フェラーリ、ピケ(マンセルは事故で見れなかった)など本物が目の前にいる。中村良夫が書いていた世界最高峰のレースを見れた。中村良夫が始めてF1に参戦したのが戦後19年目、日本はまだまだ貧しかった。
日本でのF1は1976、7年に富士スピードウェーでも有ったが、これは完全に失敗。中村は一見学者だったがFOCAバーニーエクレストン会長とホテルの同じ部屋に泊まっていて恥ずかしかったと書いている。

1990年中村はエクレストン会長に鈴鹿の欠点を言ってくれと頼んでも、完璧、世界最高の運営と言った。
この時、私は中村のいた貴賓室の反対側のメインスタンドにいた、まさか鈴木の3位と日の丸が見れるとは・・・

当時の超一流レーシングドライバー スターリング・モスは発売されたばかりの 
S500のエンジンを見て「まるでF1エンジンのミニチュアのようだ」と書いてる。

T360のエンジンはメッサーシュミット戦闘機を参考に設計されたが、このエンジン(DB601)はベンツ製です。日本では「飛燕」イタリアでは「G55チェンタウロ」としてライセンス生産されるが最後まで難し過ぎて、まともに生産できなかった。
スターリング・モスは1955年にミッレ・ミリアのレースでDB601エンジンを素にした「300SLR]で優勝し、現在もこの記録は破られていません。このカーナンバー722は日本でもっとも有名なレーシングカーです。(ミッレミリアは1957年に中断)
つまり 私の乗っている「ホンダT360」はスターリング・モスの乗っていた「ベンツ300SLR」と親戚なんです・・・ほんとかな~?
(私自身、ミッレミリアに参加し722号車に3度抜かれ、速さを実感した)

何とかT360と関連付けようとスターリング・モスまで引っ張りだしました。
で、次は石原裕次郎。伝説の俳優と伝説の軽トラとの関係ですが、
無理やりですが・あるんです。

裕次郎の愛車ベンツ300SLは昨日書いた300SLRの市販車バージョンで1400台(2800台と書いてある本もある)が億万長者用に販売されました。
(300SLRはW196の後継車で300SLとは違いますが)
裕次郎の愛車は小樽?の記念館にあるらしい。
SLは特徴的なガルウイング・ドアで有名ですが、問題はエンジンです。ニードルベアリング組み立て式クランクはT360と同じです、これは素がDB601エンジンだから。
さらに機械式インジェクションで物凄く複雑。300SLは3千cc、T360の8倍の排気量なので可能ですが、中村良夫は対抗して4連キャブにします。さらに300SLはシングルカムなのに
T360はツインカムにオールアルミエンジン この部分は勝ってます。

裕次郎の300SLとT360のエンジンは良い勝負してますが
お値段は天と地ほどの開きがある・・・
(11月7日の日記ベトロモンターニャにも書いた)


T360を見てクラシックカーですね、と言われると困る。古い車(旧車)ならうなずけますが。
クラッシクカーの基準は国内と海外(欧米)とは違います、本にも書いて有るが簡単に。
われわれがクラシックカーと呼んでいる車は欧米ではさらに3段階に分けられている。
最も古い車はヴェテランカー(1919年まで)次にヴィンテージカー(1920~1929年)最後が1939年までに生産された車をポスト・ヴィンテージカーと一般的には言うらしい。ヴィンテージ(ブドウの収穫量)1920年代ブドウの豊作が続き又 車も多数出回ったから。(アメリカは別なので日記に)

そうなると国産車でクラシックカーと呼べる物はほとんどない。そうすると各地で開かれているクラシックカーイベントは「ちょっと古い車たち」としか呼べなくなるので、日本では一般的に1973年の排ガス規制以前の車をクラシックカーと呼んでいるようです?根拠はありませんが。
将来的には車の法律が変わった1968年までさかのぼるのでは、なぜかと言うと、未再生旧車が毎日のように発見され、レストアされていくと、基準は更に古くなっていくから。今の新車を50年乗っても旧車にはならない?いまだとネオ・ノスタルジックカーと呼ばれるジャンルに入る。(バイクだと毎年参加基準が1年づつ古くなるイベントもあった)
1968年でもすでにカローラ、サニー、スプリンター、スカイライン2000GTが入っている。
国産車でクラシックカーだとスバル360、ブルーバード1000、初代クラウンなどと私は思っているのでT360にクラシックカーは似合わない。
ヤッパシ商業車(軽トラ)だし「懐かしい車」とか古い車ですね~ といわれる方が納得出来ます。
海外ではクラシック・カーとは別にエポック・カー(歴史的にユニークな車)と言うジャンルも有るので、これにはゼヒ入れてください・・・

量がが多いので、以下続く・



Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.