来週9日の天気予報は・・・晴れ、
梅雨時なのに奇跡的な晴れか、気温28℃。
9日の「野々市の市」には津田駒門田発動機を回す。
野々市には津田駒の工場があるので、里帰り。
石油発動機製造会社は600以上あったらしいが、
現在も残ってる会社は少ない。
門田鉄工所(東京・目黒)の技術で石川県で
製作された発動機が
津田駒カドタ、KM1~4、KS1~4の種類ある。
石油発動機は全国で生産されてたが東京製は珍しい。
東京と、さらに珍しい北陸製があるのがグッド。
今年の会津坂下には戦前のカドタ8馬力登場。
カドタは10馬力まであるが8馬力しか現存してない。
熊本から。
webで門田鉄工所を調べてもない?歴史など不明。
門田鉄工所は明治創業だが、いつ生産中止したのか分からない。
金沢市・津田駒本社、石油発動機の里帰り。
松任工場、石川県内各地に工場がある、
昔、どこの工場で発動機を制作してたのか不明。
津田駒の紹介は何度か、以前のブログでゆめおーれ勝山の発動機。
津田駒は繊維の総合機械メーカーなので平ベルトにも「ツダコマ」のロゴ。
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ツダコマカドタ (津田駒工業)石川県金沢市
昭和14年に創業された津田駒工業は戦前、戦後の激動の時代を生き抜いて
今や総合繊維機械最大手の地位にある。
総売上高はメーカー最大手の豊田自動繊維製作所の五分の一程度であるが
繊維機械の売上高比較ではトップを維持している。
古くは明治時代の初期に金沢の津田米次郎が羽二重用織機を発明し、
盛んに製造していた。
津田米次郎の徒弟で津田式織機工場に勤めていた津田駒次郎は
明治42年に金沢の大西文次郎から90台の注文を受けたのを機に独立し、
金沢に工場を開いた。
当初は製鉄部門は埼玉県の川口市で鋳物を吹いてもらい木部をこちらで作り、
鉄部と木部を組み立てていたが明治44年には鉄製部門も金沢で製造を開始した。
大正6年には正式に津田製作所として成立したが
高級な鋳物は品質上の理由から川口市の業者に依頼していたという、
昭和29年頃より織機部門にも陰りが見え始め
東京の門田鉄工所が製作していた石油発動機の製造権をゆずり受け
発売は今まで通り東京のカドタ産業(株)が受け持った。
型式はKM1~KM4とKS1~KS4があったが昭和31年には製造中止となり、
織機部門も再び活気づき今日の金沢市における大手の会社になっている。
木村信之(故)発動機集より 。
木村信之さんは以前のブログに詳しく。
野々市ではこれを回します。