歴史1~5章

エコチャンバラの歴史


   歴史、というほどの積み重ねはまだありませんが、
  これまでの出来事をかいつまんでご説明します。



   第1章 エコチャンバラ誕生

                  高木 亨


 エコチャンバラを創始したのは私です。創始に当たってのエピソードをまずご紹介します。
 2001年(平成13年)、私は釧路の愛国幸恵町内会のコミュニティクラブの活動として「環境お庭番エコニンジャー」という忍者教室を開いていました。その活動の中で、地域コミュニティと児童館との共催イベントを開催することになり、愛国児童センターでイベントを企画しました。
 このイベントで、子ども達が元気いっぱいに動ける遊びはないかと考え、最初は格闘技でも教えるかと思いました。私はアマチュア格闘技選手で、空手の指導歴も期間だけはずいぶんと長い武道家(の末席)でもあったのです。地元では「釧路格闘技トーナメント」なるものを開催したりと、格闘技の振興のための活動もしていました。

 が、待てよ。ここでいきなり子どもたち(小学校低学年)に無理矢理格闘技なんてのは、かえって拒否反応が強いのではないか。肉弾相打つ世界というのは、好きでしょうがなくてやっているご本人にはおもしろいかもしれないけれど、好きでもない人が体験して楽しむ、というシロモノでは決してありません。まして相手は子ども、好き嫌いははっきりしている。逆効果になったら困るぞと判断。
 ならば、格闘技の間合いで闘えて、かつ、肉体接触がないものはないか。そう考えていたときに、ふっと思い浮かんだのは、チャンバラごっこでした。本気で相手をたたけるチャンバラごっこができたらおもしろかろう。と、思ったのでした。

 幸い、格闘技の大会を開いているくらいなので。ボクシング用のヘッドギアや空手用の強化プラスティック格子面のヘッドギアなどの防具は多少、用意できます。それらの中では、空手用のほうが顔をカバーしているのでいいだろうと思いました。が、ここではたと困ったのは、武器のほうです。市販されているおもちゃの武器は、もろいか危険かのどちらか。新聞紙を丸めてたたき合う、という古典的な方法もありますが、どうも気乗りしません。だいたい、新聞紙丸めた剣だと、格子面の隙間から入って顔を打ってしまいます。

 そこではたと思い出したのは、数年前に釧路でやった「環境戦隊エコレンジャー」という手製キャラクターショーでした。私が、自分のルートで空手の黒帯を集めてキャラクターショーチームを作って期間限定で公演したのですが、いや迫力ありました。なにせ黒帯ですから。跳び蹴りが軽く人の肩を飛び越えそうな勢い。
 そのお話の中で、悪の組織ダンストロンの怪人オゾンクラッシャーを登場させたのですが、彼が使う武器が、長い棒の両端にペットボトルをつけたもの。環境テーマのショーだったので、しゃれで作った武器だったのですが……
「おお、あれだ!」
 ペットボトルならば、当たっても痛くなくて、なおかつ格子面で食い止められる。ペットボトルを武器にしよう。
 という見こみだけで、チャンバラごっこをやることにしました。名前は、「アタックチャンバラ」としました。チャンバラごっこにアタック、という意味だったのです。

 恐るべきことに、できるはずだ、と思いこんだので、直前まで準備はほとんどしてませんでした。普通、前もって道具を作って強度を試したり、とかするものですが。このときは、イベントの他の段取りが忙しくて、チャンバラごっこまでは準備できませんでした。
 いよいよ当日、2001年12月15日、午後から愛国児童センターでイベントをやります。その午前、やっと飲み終えたペットボトル1.5リットル2本に、木の軸を入れてみて、ボトルの剣になるかと試してみました。これでだめなら、ウレタン製のヌンチャクがあるから、それを切って使おうと、結構いい加減に考えていました。

 軸の径は、案の定全然合わない。細めの棒を用意していたのです。そこで用意していたビニールテープでがんじがらめに軸を巻いて、無理矢理ペットボトルの内径に合わせ、に固定しました。このとき、まだボトルの底は切り落としていませんでした。原始的エコ剣の誕生です。
 さて、いよいよイベント。メニューはちゃんばらだけではありません。最初にマット運動やお絵かきなども教えていて、チャンバラごっこは最後のメニューでした。
「よーし。誕生日が奇数の人と、偶数の人に分かれろ」
 集まったのは30人ほどの子どもたち。
「きすうってなに?」
「1、3、5、7、9、11月のこと。ちなみに素数は1、3、5、7、11」
 素数月なんてことはあまり言いません。
「3本勝負。相手の体のどこを叩いてもいい。背が低い者から勝ち抜き戦をやる。ただし、2人勝ち抜いたら交代。早く相手全員を倒したチームの勝ち」
 という簡単なルールで、最初のエコチャンバラをやりました。
 防具は空手用の格子面、パーフェクトヘッドガードというタイプです。手には原始的エコ剣。

 やってみると、結構おもしろい。剣道をやっている子はそれなりに構えが決まっていて、背の高い相手を圧倒したりしました。
 中で一人、手首を打たれた泣いた子がいました。剣の先(ボトルの底)が思い切り当たったからです。ちなみに泣かせたのは私の長男でした。(以来、最低限、エコ武器に使うペットボトルは底を切り落とすようにしました)
 ひととおり熱戦が終わり、まだ時間があったので、
「えーと。もう一回やろうかな。やりたい人は?」
 と言ったとたん、
「はい!」「はい!」「はい!」「はい!」……
 さながら往年の青春学園ドラマのように、子ども達がわああっと私めがけて押し寄せてきました。目の輝きが尋常ではありません。こんなに子供らに喜ばれたのは、絵本の読み聞かせ会にスタッフで参加し、ネズミの着ぐるみに入ってスキップしたとき以来でした。
「なんだ? おまえら、ふだんチャンバラごっこ、やってないのか?」
 思わず尋ねた私に、
「やったこと、ない」
 全員、口をそろえてそう答えてくれました。
「な、なに。チャンバラごっこを、やったことがない?」
 愕然としました。もう一回勝ち抜き戦をやりましたが、終わっても子ども達はまだまだやりたい様子。このとき私は確信したのでした。

 これは、子ども達に絶対、うける!
 
 エコチャンバラの誕生の瞬間でした。


   第2章 まちづくりとエコチャンバラ

 さて、「子ども達とチャンバラごっこは大変相性がいい」という当たり前のことと、「しかし今の子ども達はチャンバラごっこをやっていない」という意外なことに気づいた私は、「現代版チャンバラごっこを子ども達にプレゼントする」活動をやってみようかと思いました。自分自身が子どもの頃にいいだけチャンバラごっこをやっていたので、せめてそのエッセンスは次代に継がねばと思ったのです。

 そのためには、ただのチャンバラごっこではいけない。わかりやすく共感されやすいメッセージがなければならない。なおかつまちの名物になればまちづくりにもつながるだろう。ネーミングもアタックチャンバラ、ではどうも頼りない。

 そこで、ペットボトルの廃品利用に徹底的にこだわることにより「エコロジー」(環境保全)に一役買うことを目指しました。また、その結果当然ながら、材料費があまりかからないことから「エコノミー」(経済性)も達成される。エコがふたつ並ぶと、昔の恐怖マンガみたいなので、ひとつにしておいて、「エコチャンバラ」はどうだろう、と考えました。
 武器も、剣だけでなく、ヌンチャクやトンファー(いずれも古流空手の武器)、そのほかいろいろ工夫できそうです。

 さて、この時点で唯一のエコチャンバラ用武器開発者であった私は、小学生時分、工作の授業では、5段階評価の3しかとったことがありませんでした。不器用の国から不器用を広めにきたようなという古典落語的形容がぴったりするほどの不器用人間なのです。そんな私が作れる範囲内にエコチャンバラ武器製作のレベルはとどまるので、自動的に、エコチャンバラの武器は「誰でも作れる」ということになります。誰でも作れるけれども工程がたくさんあれば、それは面倒なので誰も作りたくない。その結果どうなるか。技術力は低いけれど隙間的な仕事をこなす団体の仕事として成立するのではないか。つまり、障がい者の作業所です。

 うまくすると、エコチャンバラが広まれば、その武器に対するニーズも生まれ、障がい者の新たな仕事興しにつながるのではないか。そんな小経済システムが生まれるたらいいな。スポーツと子どもの遊び文化と福祉との相互協力的な発展サイクルです。
 私は以前、福祉関係の仕事もしていたので、ここいらへんの発想は至極当然のように浮かびました。とかく自己満足に陥りやすい格闘技文化も、これで社会還元できるのではないか、とも思いました。

 が、一方で、この構想はそう簡単に実現化できるものではないこともわかっていました。ドミノ理論はどこかひとつがこければ全部こけるものだからです。まずなにより、エコチャンバラがまだ世には何一つ知られていないことが問題。
 そこでまず私がやったのは、エコチャンバラを地域に知らしめることでした。しかし、新しいスポーツができました、というだけではメッセージ性はあまりありません。新しいスポーツや新しい遊び……作ろうと思えばそういうものはいくらでもできます。実際、私は別の機会で様々な競技や遊びを発案してイベント化してきました。(例:指相撲の公式競技化、とか、モンスターシュート(怪獣に玉をぶつける)とか……)

 よーく自省してみました。果たして本当にエコチャンバラは子ども達に必要か。己ひとりで思いこんでいるだけではないのか。自分が評価しているほど他人は評価しないものだぞ……
 こう考えました。チャンバラごっこがなぜ廃れたか。剣などの代用品自体が危険なことが多く、親が禁止する。テレビで武器を使ったヒーローは武士ではなく、戦隊ものキャラクターにとって代わられている。一方では、遊びで痛い思いをしていないので、互いに「手加減」を知らないまま大きくなり、結果として大きな傷害事件につながる。他人の痛みを知る教育機会としてもエコチャンバラは意味があるのではないか。使う道具は徹底的に安全性を追求するということを前提として。それに様々な武器の形があり、自分たちでも工夫できる余地があるならば、戦隊ものごっこもエコチャンバラに含めてできるのではないか。そのためには、いずれマット運動や空手の動きも必要になろうが、幸い私はそのどちらも指導経験がある……

 いろいろ検討した結果、エコチャンバラが大化けすれば、子ども達にとって大事な活動機会になり、エコチャンバラを通してまちが元気になると、判断しました。そして、ここが最も大事ですが、仮に失敗しても、私ひとりが恥をかけば済む。
 そこで、マスコミ各社にエコチャンバラ誕生の話をニュースにしてくれるよう頼みました。ただエコチャンバラ誕生、だけではたいしたネタにもならないので、エコチャンバラの大会を開催することを計画して、それと抱き合わせで記事にしてもらいました。ここいらへんは、数々のイベントに首をつっこんできた者の勘です。

 視点としては、
 1エコロジー、
 2失われつつある子供文化であるチャンバラごっこの復活、
 3痛みを理解する教育としての意義、
 4いい歳した大人たちがなに本気でチャンバラごっことはという意外性
 
 ……これらがミックスして、報道機関には以来好意的に取り上げてもらっています。(このときに企画したイベントについては次章で説明します)

 さて、新聞にも報道された、エコチャンバライベントもとりあえずやった。さらに次の手は、エコチャンバラの道具を子ども達に与える、という活動が必要になります。名前は新聞に出ても、実際にそれがどんなものなのか、道具を見ないとわからない。道具さえあれば、遊び方は自然にわかるだろう、と、このときは考えていました。

 そこで市内に20ある児童館にすべてエコ武器をプレゼントすることを考えました。そのために補助金を申請し、それといくばくかの自腹を加えて原資とし、エコチャンバラ用具製作を知的障がい者作業所に発注することにしました。紆余曲折の末、エコ剣やエコヌンチャクなどを作業所に作ってもらいました。また、意外と手間がかかる「軸」は、釧路刑務所に発注しました。市販の棒を切ってつくるのと単価を同じに設定しましたが、相当に質の良い木を使っていただいています。たぶん、軸だけを見れば一生ものでしょう。

 こうして、事実上のエコチャンバラ元年である2002年は、無事にエコチャンバライベント、エコ道具の施設発注、エコ武器の児童施設へのプレゼント、という活動を達成しました。
 2003年には、さらに「エコチャンバラ全国公募」を実施。全国の都道府県の教育委員会に6000枚以上のチラシを配り、インターネットや新聞で募集をかけました。結果としては47点の応募で、公募事業としては今ひとつでした。が、エコチャンバラという名前だけはとりあえず全国には発信しました。


   第3章 天才・加来公一

 ちょうど2002年の4月に、浪花町十六番倉庫というNPOが運営する文化施設で、十六番倉庫聖誕祭があり、なにかイベントやってくれと話が私のところにきました。私は格闘技以外にもお笑いや実況アナウンスをやったりと、地元のイベントシーンではちょいちょい顔を出していましたので、こういうリクエストがたまに舞い込んでくるのです。

 もちろんこのときは渡りに船、エコチャンバラプレイベントを行うことを、すぐさま私は決断しました。プレ、というのは、6月に行う予定の釧路格闘技フェスタにおいて、エコチャンバラトーナメントを開催することにしていたからです。そちらの参加者を事前募集する意味からも、プレイベントは必要だと思いました。

 このプレイベントに釧路のエコチャンバラを語るときに忘れてはいけない、ひとりの天才が参加することになりました。
 その名は、加来公一さんです。
 元々、釧路格闘技トーナメントに参加したくて、わざわざ私のところに手紙を寄せてきたのですが、その文面からうかがえるブルース・リーへのこだわりにぴんとくるものがあり、エコチャンバラプレイベントのことを知らせました。エコヌンチャクを開発していたからです。すると、参加するとの返事。

 加来さんは36歳で釧路公立大学に主席入学した男で、過去には医大を含む複数の大学に通っていました。が、自分の道をつかみきれずに東南アジアを10年以上渡り歩き、武術修行(本人談)してきたのでした。

 エコチャンバラにおける加来さんの戦績はめざましく、プレイベントにおいて一刀流及び二刀流のルールで各々優勝を果たしたのです。
 が、参加者が8名の大会だったので、だいそれた結果というわけでもありません。むしろ大事なのは、ここから加来さんのめざましい活躍が始まったということです。

 加来さんはすっかりエコチャンバラに惚れ込み、「俺の生涯の目標はエコチャンバラの普及にある」と、創始者の私でさえ思ってもいないことを宣言し、それに没頭し始めたのでした。(ただし学業は優秀な成績を維持しとります)
 加来さんは釧路公立大学にエコチャンバラ同好会を作り、半年後にはクラブに昇格させました。その間、市内のすべての児童館を回り、実際にエコチャンバラの指導をするほか、港まつり他、市内の各種イベントに積極的に乗り込み、エコチャンバラの体験コーナーを開き始めたのでした。

 実は、私の当初プランでは、このふたつは入っていませんでした。児童館を回るのは、職業人には無理ですし、イベントでのコーナーは、足場(アスファルトとかコンクリート……転んだら危険)の関係で、慎重な判断が必要だと思っていたからです。
 が、結果として、エコチャンバラで転んで怪我をする者はまだ出ていません。

 いまでは釧路市で、加来さんを知らない小学生はいないとまで言われるようになり、様々なイベントからも次々とリクエストがくるようになっています。ここいらへんの行動力が天才的です。不思議と、加来さんが立って声を出すと、子供らが寄ってきます。あれはまさしく才能ですね。

 また、『タモリの笑っていいとも』に数年前に出演を果たした「くしろゆびずもう」の関係者(私の身内です)からエコチャンバラのことを聞いたフジテレビスタッフより、エコチャンバラの出演の打診が2004年1月に舞い込みました。私自身が忙しかったのと、テレビのバラエティーものならば、ビジュアル系(?)の加来さんのほうがあっているだろうと思い、話を振りました。
 この読みは見事的中。この番組にはオーディションがあったのです。オーディションで加来さんはヌンチャクを振り回し、合格。ついにエコチャンバラが笑っていいともで紹介されました。2004年2月のことです。ま、このとき加来さん、黙って出てしまい、私を含め、関係者のほとんどはそのときの番組を見ていないのですが、見た人が自分のホームページに感想を書いているのがあり、それによれば、扱いはキワモノ的だったようです。まだまだ、「変な遊びをいい歳した大人がやってる」くらいにしか理解されていなかったようです。

 その後、ソニーマーケティングの学生ボランティア助成の話をキャッチし、加来さんにふったところ、応募の上、見事獲得。加来さんは発表会で堂々、エコチャンバラをご披露してこられました。助成金は加来さんの判断で、市内を走る路線バスへの広告になりました。「燃えよ!エコチャンバラ」という緑色のステッカーがバスに貼られています。ある意味、釧路名物です。
「まだまだエコチャンバラという名前は浸透していないので、名前を出したかったのです」
 と、加来さん談。


   第4章 神懸かり・三浦将宏と、知将・小坂正雄

 エコチャンバラの活動を始めてまもなく、旧知の友人から協力の申し出がありました。彼の名前は三浦将宏。帯広の福祉施設に勤務しています。

 もともと三浦さんは釧路に住んでいたときに、私が主催した「ゴジラの会」のメンバーでした。私の影響か、帯広に転勤してからは空手を始め、ついにエコチャンバラまでやろうというのです。ちなみに、前述した、環境戦隊エコレンジャーに登場するオゾンクラッシャーは彼のはまり役でした。

 三浦さんの十勝(帯広を含む地域)におけるエコチャンバラの広め方は神懸かり的でした。
 2003年10月には福祉フェスタにおいてエコチャンバラ帯広初登場。このときは私と私の家族が救援部隊として参加しました。そのときにいろいろな小学校や福祉団体の目にとまり、その後各方面からエコチャンバラの実技や工作を教えてくれというリクエストが三浦さんにどんどん舞い込むことになりました。釧路で2年がかりでもってきた状況を、半年ほどであっさり抜いてしまったのです。

 これは、釧路と帯広の市民性の違いかも知れません。「おもしろそうだ」となったら、とりあえずやってみよう、という積極性は帯広のほうが強いようです。
 さらに三浦さんが所属するBBS(ビッグブラザーアンドシスターズ)でもエコチャンバラを積極的に活用。現時点では、帯広のほうが釧路より活発に活動しているのではないかと思えます。

 また、横浜には小坂正雄さんがいます。転勤で釧路にいたとき、「くしろゆびずもう」の活動に参加していました。これは指相撲の公式競技化を図る活動で、福祉ジャンルを中心に広がり、全国的にも波及し、キッズ・ウエッブ・ジャパンという、外務省関係のホームページにも日本の遊びとして英文で紹介されました。発案者は私ですが、「生みっぱなしの生みの親」と揶揄されています。

 ゆびずもうの活動と、エコチャンバラがしばしば同じ場所で活動することが多かったので、小坂さん、横浜でもやり始めたそうです。小坂さんのすごいところは、工作3の私の荒っぽいエコ道具を、見事なまでの造形に改良できるところです。エコ兜なんか、見事。

 北海道に比べ、圧倒的な人口密集地帯の横浜での今後の動きが楽しみです。


   第5章 護身武術エコチャンバラ

 第2章で前述したエコチャンバラ全国公募の記事が出てしばらくして、釧路の道新文化センターより打診がありました。エコチャンバラを道新文化センターの講座としてできないか、というものです。

 何を教えればいいのか。これは大きな問題であり、エコチャンバラそのものの本質に迫ることでした。エコチャンバラとは何か。スタートの理念から言えば、「ちゃんばらごっこの復活」です。では、「ちゃんばらごっこ」とはなにか。それは、殺陣(たて)です。

 さて、果たして殺陣が講座になるだろうか。
 
 繰り返しになりますが、いまの子ども達にとっての殺陣は、刀の動きばかりではありません。ブルース・リー以来のカンフーブームの影響を受け、殺陣には蹴り技が必需品になりました。さらに仮面ライダー以降のヒーローものの殺陣の影響で、マット運動的な要素も無視できません。
 だから、本格的に殺陣を講座にしようとすれば、武器術、空手、マット運動の3つ、理想を言えばジャズダンス系の動きを含めた4つの要素を含めねばなりません。ただ、講座の目的が殺陣では、まず、受講者がこないのではないか、と思いました。

 また、単に遊ぶだけならば、受講料を払ってまで参加するひとは僅少だろうとも思いました。

 フィットネスとしてはどうか。エコチャンバラは遊びというイメージが強いので、苦戦を強いられそうです。

 実技ではなく、エコチャンバラ武器の工作教室ならばどうか。道新文化センタースタッフと相談の上、これは当面見合わせることにしました。ものづくりの講座としては、毎回自由に自分の作りたい武器を作れないといけないからです。同時に何人もの創作を指導するのは現時点では無理です。

 競技スポーツとしてのエコチャンバラという視点も、まだまだ愛好者が少ない、と言うよりはほとんどいない現状では難しい。イベントでは人気種目ですが、それは一過性のもので、エコチャンバラを競技として深めるには、術技の体系を深めなければなりません。そのためにはちゃんとした教える機会=講座やクラブが必要で、これでは循環参照になってしまいます。

 そこで、実用性に注目した結果、講座の目的を護身術とすればいいのではないかと思いました。そもそも素手の護身術には限界があります。女性や子どもがいくら護身術を学んでも、実際には使えません。使えると勘違いさせるだけ罪深いくらいのものです。護身術は身近な品をとっさに活用する武器術でなければ意味がないのです。(筋肉もりもりのフルコンタクト系空手マンの私でも、うしろから羽交い締めにされたら、対抗手段はありません)
 実は、武道や格闘技界の中の「隙間産業」が護身術なのです。そしてエコチャンバラの「実用性」を考えた場合、護身術としての使い方が最も相性がいいのです。

 そこで、当面は護身術としてのエコチャンバラを体系の軸として教え、その軸の回りに、華麗な技や動きを体育的要素として加え、無理なく、本来の主目的であるチャンバラごっこ(=殺陣)の世界に誘導するという体系を考えました。

 エコチャンバラ講座の基本的なメニューは
 1 ストレッチ(ダンスの予備トレーニングの応用)
 2 空手の基本(素手の護身技術はそのまま、武器をもてばエコチャンバラの身体操作につながります)
 3 エコチャンバラの基本(空手の稽古方法を応用し、約束組手、一部自由組手などをやります。又、護身術の観点から、ここでは書けないようなえげつない技を一手づつやります)
 4 エコチャンバラの試合(護身技術でやる場合もあります)
 5 殺陣(ヒーローアクションと命名しています。自由に殺陣を組み立てて動きを楽しみます)
 6 マット運動(出来ない人は受け身から。子どもたちは後転跳び(バック転)までの様々な技)
 7 遊び(弓矢を使って剣の人をねらい、剣で矢を打ち落とすというゲームです)
 8 ストレッチ
 となっています。

 道新文化センターの講座に取り入れていただいたことの最も大きなメリットは、当初目標だった、エコチャンバラと福祉との連動システムが細々とながら動き始めたことです。つまり、道新文化センターの受講料の一部はエコチャンバラ協会に与えられ、これを原資として、毎年、一定の発注を施設にかけられるということです。ただ、受講生がまだまだ少ないので、発注量は著しく少ないのが現状ですが、これは、徐々に改善していこうと思っています。


(つづく)


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