環境・平和・山・世相 コジローのあれこれ風信帖

2008/03/22(土)00:08

●国民に省エネ強権措置提案する経産省の厚顔●

環境(172)

 このブログのひとつ前の記事でとりあげた、経済産業省発表のエネルギー需給長期見通し、その後、新聞報道でもその全貌が徐々に明らかになってきた。で、それを受けての感想だが、この前のブログで書いた「国民への恫喝」という印象、ますます強い。  経産省はこれを、2020年の温室効果ガス削減の中期目標をつくる際の「たたき台」だとしている。だからこれから、繰り返し、思い切り遠慮なく叩かせてもらおうと思うが、そうした議論を始める前に、まず数字の違い(意図的なごまかし?)について指摘しておく必要がある。経産省はこの見通しで「20年度に11%減」とし、マスコミもこれに追従して報道しているがこれはおかしい。  経産省は・11%減とする計算の基準数値を2005年の排出量に求めているが、05年が基準なんて話は初めて聞いた。周知のように、世界は1990年の排出量を基準点として削減目標を打ち出している。経産省&経団連は一貫して90年基準は不公平だと不満タラタラだった。その言い分の是非についてはまた機会があれば書きたいが、ともあれ、自分が不満だからといって勝手に基準年を変更したら、世界と比較ができなくなる。グローバルスタンダードの唱道者にしては、えらい御都合主義ではないか。  ちなみに、2005年の排出量は90年比で約7%強の増。だから05年比での11%減は90年比では差し引き4%減に相当するので、コジローは前の記事でそう書いた。これは地球温暖化を巡る議論ではごく普通の態度で、経産省のいいなりになってる大新聞を含むマスコミの方がどうかしているのだが、それはさておき、今回の経産省見解はすなわち、京都議定書目標の90年比6%削減すら(森林吸収や排出権取引を除いた純粋減では)2020年になっても達成できないというあからさまな敗北宣言、でなければすねた子が駄々をこねるにも似た京都議定書敵視宣言である。  さて、全貌が明らかになってきて、あらためてはっきりしたことだが、やはりというべきか、予想したとおり家庭と企業の削減を対等に並列して評価している。で、採用する対策の基本は家庭にかなりのコスト負担と犠牲を要求していることで、結論は言いも言ったり、この目標を達成するには「家電などで耐用年数が来る前に、強制的に買い換えるなど、国民への強権的措置が必要」だと!! これを恫喝といわずして何と評せばいいのか。  あのな…なのである。国民が知らないと思ってバカにしてはいけない。日本の温室効果ガス排出源のうち、家庭部門が占めるのはわずか13%に過ぎない(自家用車を加えても20%程度)。そんな部門をいくら絞ったってタカが知れている。仮に日本中から家庭が消えてなくなったとしてさえ、たかだか1割強しか削減はできないのだ。もうおわかりだろう、経産省&経団連の試算が90年比4%しか減らせない最大の原因は、削減を求める対象を「意図して」間違えているからだ。  全体の8割を占める企業&運輸部門で本格的削減に手をつけなければ、温室効果ガスの劇的な削減など実現できるはずはない。で、今回経産省がこの分野で挙げた対策だが…、オフィスの照明を省エネ型にしましょう、空調や給湯器も買い換えるなら省エネ型にしましょう、建て替えるときは断熱性の高い建物にしましょう…だって。ふ~ん、「強権的措置」で取り締まられる国民に比べたら何と微温的な… ついでながら、原発推進だけはちゃっかり潜り込ませていることも付け加えておく。  経産省が「強権的措置」なる表現で国民に想像させようとしているのは、たぶん昔の特攻警察とか憲兵みたいのが国民に省エネを強制する図だ。省エネ報国婦人会なんてのも作って、「贅沢は敵だ!」「欲しがりません冷めるまで!」なんて街頭で叫ばせるんだろうな。これ、もちろんファシズムである。 「あ?、そういうのはおいやなの?」「だったら温暖化対策なんて金輪際言わないことね」 ・・・こんなヤツらにいつまでも身勝手なご託を並べさせ、サボタージュを許していたら地球は破滅する。  経産省&経団連がいつまでもこんな態度でいるなら、政治を変えて、それこそ彼らがお好きな強権的措置を発動し、無理矢理にでも温室効果ガス削減に取り組ませるしかない。あらためて訴えたい、投票所に足を運ぶのも温暖化対策のうちなのだ。 ←ランキングに参加してます、ワンクリックご協力を

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