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2010年09月30日
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小辺路紀行 2 

 24日、宿から大股まで送ってもらい、7時35分に伯母子峠への登高開始。川原樋川を小さな橋で渡った大股集落内の生活道路からいきなり胸を突くような急登で、出会ったお婆さんと老犬ににこやかに手を振って歩き始めたが、この急登が1時間半ばかりは容赦なく続く。道中はほぼすべて杉の人工林を縫っており変化に乏しいが、8時20分に萱小屋を過ぎ、急坂を登り切った桧峠から先は、打って変わってブナやミズナラの老成木が主役の素晴らしい天然林となる。

s-CIMG2427.jpg 萱小屋

s-CIMG2433.jpg s-CIMG2437.jpg 

   桧峠                    古い道しるべ、左に「くまのみち」とある

9時50分、伯母子岳分岐。小辺路は伯母子岳を迂回して伯母子峠に至るが、ここまで来てピークを外す手はないので少し遠回りになるが山頂を目指す。雨で深い森の中は夕暮れのように暗く、朝イチにあのお婆さんと犬に手を振ってから人っ子一人出会わない。静かなのはいいが少々不気味だ。この日は終始、リュックに付けた熊よけのカウベルと風にそよぐ葉擦れの音だけが道連れだった。その暗い森を抜けた草地が標高1344mの伯母子岳頂上で、「360度の展望」と案内にあるが一面ガスに包まれて何も見えない。

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 伯母子岳への登り 見事な天然林だが薄暗くて寒い 

s-CIMG2440.jpg 伯母子岳頂上、ガスで何も見えない

 山頂から東へ下るとすぐに伯母子峠に飛び出す。峠には立派な避難小屋とトイレがある。健脚なら高野山からその日の内にこの小屋に達し、二日目には十津川温泉に抜けることも可能だろう。伯母子峠といえば、川村たかし(あのロクでもない河村たかし名古屋市長とはもちろん別人)作になる全10巻、登場人物858人という児童文学の金字塔『新十津川物語』で、明治22年の大水害により全てを失った十津川郷の600家族 2,489人が北海道トック原野への移住の旅に出立し、二度と帰ることのない故郷を最後に振り返って涙を振り絞ったところだが、この日、その十津川郷はミルク色の霧の底に沈んだままだった。

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伯母子峠 立派な小屋とトイレがある

 s-CIMG2458.jpg s-CIMG2459.jpg s-CIMG2460.jpg

かわらび荘で作ってくれた弁当。 昔懐かしい竹皮で包んだシンプルなおにぎりが二つ。   …が、ひとつで一合飯くらいある。 とても無理! 一個は翌日の弁当に回した。

 そこから2時間ほどの下りは小辺路全行程の白眉と言うべき見事な天然林の中の快適な散歩道だ。11時半に石垣が残る上西家跡、11時20分に水ヶ元茶屋跡、13時半に待平跡と、それぞれ森の中のチェックポイントを通過しながら下り14時5分、五百瀬(いもぜ)集落の三田(びた)谷橋にゴール。そこから神納(かんの)川沿いに少し下りトンネルを抜けた右下に今夜お世話になる農家民宿「政所(まんどころ)」がある。

 s-CIMG2465.jpg 最近発見された石畳の道

s-CIMG2474.jpg この日のゴール三田谷に到着

 この「政所」は主屋、薬医門形式の表門、そして棟札の3点が奈良県指定有形文化財となっている。その棟札によれば主屋の建築は享保10年(1725年)11月。といえば、紀州家出身の徳川吉宗が八代将軍となって江戸城で頑張っていた頃で、つまり築300年近い十津川村で最も古い民家ということだ。この主家のすぐ裏の山手には祠(ほこら)があって、これが「平維盛(これもり)」の墓と伝える案内板が立てられている。

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県指定有形文化財「辻家住宅」の重厚な表門、薬医門形式というらしい

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さらに接近してみると… 老犬マグが「文化財」を守っていた

 維盛は平清盛の孫で光源氏の再来と呼ばれるほどの美男子だったが武将としての才覚はなく、木曾義仲との戦いでさんざんに打ち破られた後、源氏に追われ平家一門が都落ちしてゆく途上で離脱し高野山で出家、熊野三山を参った後に紀伊勝浦沖の山成島付近で入水した...と「平家物語」は伝えているのだが、それは頼朝の追討を逃れるために流した流言で、実はさる所へ落ち延び後世に…といった伝承が実はいくつか残されていて、この五百瀬の里もその候補地のひとつなのだ。維盛が高野山から熊野に向かったとすればそのルートはこの小辺路以外に考えられないわけだから、確かにその可能性はある。

s-CIMG2488.jpg 主屋の裏山に維盛の墓という祠が見える

 伝承によれば、維盛の子孫は代々小松姓を名乗り、桓武天皇以来の平家の宝刀「小烏丸(こがらすまる)」を伝え、その住居を「政所屋敷」と称したという。だが明治以後、小松家は急速に没落しやがて一家離散、その際に小烏丸も行方不明となって、住居はいまお住まいの辻さんの祖父が「政所」の屋号ともども受け継いだそうだ。などと書けばどんなすごいお屋敷かと思われそうだが、重厚な表門を除けばごく普通の古民家である。

s-CIMG2485.jpg 辻家住宅の全景

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部屋はこんな感じだ。もちろん細かな改修はしているが、梁や柱や戸板は300年物。間取りも変わっていない。江戸時代の山の暮らしぶりが偲ばれる。

 最初、この「有形文化財」の入り口がわからず、間違って勝手口のガラス戸を開けると、たまたまそこに立っていた辻育子さん(70ン歳)が満面の笑みで迎えてくださり、風呂や寝床だけでなく、好意に甘えて汚れ物の洗濯までお世話になってしまった。300年物の部屋で黒光りする柱を見ながらウイスキーを飲んでいたら、どうせならこっちでと声がかかって3時半には早くも夕食。自家製の野菜が中心で素朴だがとびきり美味しい。息子の成晃さんを交えて四方山話に花が咲き、まるで親戚の家に来たような気安さで一晩を過ごさせていただいた。

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最終更新日  2010年10月01日 00時14分13秒
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