環境・平和・山・世相 コジローのあれこれ風信帖

2012/07/01(日)07:22

●東日本大震災被災地巡礼1・宮城県山元町●

 27日東京駅発の夜行バスで福島に入った。その日は全国の地域地球温暖化防止活動推進センターで作る一般社団法人地球温暖化防止全国ネットの社員総会に出席するため上京していたので、その機会を利用して足を伸ばした。この会議では、福島原発事故を受けて検討を重ね、この週末にも発表されて国民的議論に供される国の今後のエネルギー政策についての選択枝の話題もあり、これはこれで非常に重要なテーマなのだが、次の機会に回してまずはこの目で見た被災地の状況の報告だ。  本日の印象を一言で表現すれば、あまりの惨状に言葉を失うというに尽きる。  昨年3月11日からすでに1年3ヶ月。もっと早く行くべきであったのに今さらという思いがあった。また新聞記者時代であれば、取材対象を明確に絞り、事前にアポを取ってルポルタージュに仕上げる意気込みで入っただろうが、発表する媒体を持たない今の身分では、地元の方に話を聞くにも遠慮がある。密度の濃い取材は不可能だ。だが、やはり、一度は被災現場に立ちたかった。現地で見なければ、感じなければわからないことはきっとある。そう自分に言い聞かせて夜行バスに乗り込んだのだった。  以下は、現地から取り急ぎの写真レポです。  夜行バスは朝6時に福島駅に着いた。  早朝の駅は人通りも少ない。遠くの学校に通う生徒たち、時間をもてあましていて夜明かしをしたような若い男女のグループ、柔らかな東北弁で世間話をするタクシーの運転手たち、それはどこにでもある風景だが、駅の通路などに貼ってあるポスターの催しだけが、被災地であることを示していた。  福島から北へレンタカーを走らせた。今日の行動範囲は宮城県内と決めてある。そこでまず、その宮城県の南端、山元町に入った。写真は仮説の町役場。3.11の死者681人、なお18人の行方がわかっていない。  まず最初に見たのが常磐線坂本敵のホーム。遠景は巨大ながれきの山。今日は数え切れないほどのがれきの山を見たが、それは明日以降に報告したい。  ホームに記された乗車位置のマーク。背景はトイレ。一面、すっかり片付けられて家一軒残っていない広大な更地に、このトイレだけが残っていたが、もちろん内部は破壊し尽くされて使用できない。  駅前にあった小売り店の痕跡。土産物でも商っていたのだろうか、商店「跡」という表現に、これを書いたであろう商店主の悔しさとあきらめがにじみ出ている。  散乱する墓石。その向こうに立派な建物がまだ残っていたので、それが何か確かめに行って、この情景に出会った。墓石は広範囲に散乱している。  立派な建物は小学校だった。写真は講堂を兼ねた体育館。ここで歓声をあげていた子どもたちはもういない。  体育館と渡り廊下でつながった校舎、一階は教員室や給食室で教室は二階にある。その二階まで津波は押し寄せた。写真で青く見えるプレートが、津波の水位を示している。  校庭はおびただしい数量の被災車両の仮置き場になっている。  3年生の教室から海を見る。こんなに近かったのだ。 「潮騒学級」・・津波さえなければ、どんなにすてきな教育環境だったことだろう。    改めて玄関から学校を見る。このがれきがなくなるのはいつのことなのだろう。そして子どもたちは、いつ戻ってこられるのだろう。  今日はこの数倍のものを見ましたが、一度に報告できるのはこれがやっとです。夜行明けでの走行距離340kmとあまりの惨状に、体も精神も少々参りました。どれほどかかるかわかりませんが、最大限、報告していこうと思います。

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