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7月1日、4日間の被災地巡礼を終えて、大阪に戻る夜行バスは19時40分福島駅東口発。それまでにレンタカーを返し、できればバスが出る前にブログの更新もしておきたい。とすれば、遅くとも17時には福島に戻らねば・・・ で、同日14時頃、南相馬市小高区を最後に、福島に戻ろうとしたのだが、カーナビはどう設定し直しても「警戒区域」を通過させようとする。 そこで困り果てながらウロウロしていたところ、小高区で唯一営業中・・・といったらおかしいかもだけど、開いていた交番を見つけたので、そこで道を尋ね、飯舘村を通過して福島市に至る道を教えてもらった。小高区は無人の町と化しているが、パトカーだけは幾度も見かける。交番にも制服の警官が大勢詰めていた。泥棒の警戒をしているのだ。 事前の勉強不足で、飯舘村など「計画的避難区域」は通過不能と思い込んでいたので、飯舘村の訪問はあきらめていたから、これはむしろありがたい話だった。南相馬市の大きな交差点で海岸から離れ、山に向かって入って行く。霧が濃かった。 飯舘村に入って、中心部で最初に見かける商工会議所の建物。 飯舘村の道の駅。左の壁に書かれている「飯舘牛」のアンテナショップであり、飯舘村内の産物普及の拠点ともなっているが、いまは無人の廃屋だ。 道の駅にあったポスト。「計画的避難区域」指定後、集配業務は行わないことを告知している。投函口は厳重に封鎖されていた。 飯舘村は、「までいの村造り」の理念を掲げ、都市の論理に支配されない、伝統の農と環境に根ざした地域造りをめざす全住民参加の取り組みを、粘り強く続けてきた。地方自治のリストラと言われた平成の大合併も敢然と拒否している。「までい」は標準語で言えば「丁寧に」といったニュアンスの方言だ。それは、経済効率を最高の価値として追求してきた現代資本主義の病理に対するアンチテーゼとしてのスローフードやローカリズムの主張を、飯舘村伝来の言葉に置き換えて表現したものといえるだろう。 だが、大震災に続く福島第一原発の事故と放射能は、そうした長年の苦闘と努力をあざ笑うかのように村の全域に降りかかった。写真はその「までいの村造り」の拠点施設であった公民館。正面玄関に「本日休館」の表示が貼られてから、すでに400日が経過した。 東北の春は遅い。訪れた飯舘町役場では、ツツジが満開だった。 飯舘村役場の正面玄関前の広場に置かれたお地蔵さん。頭を撫でると、飯舘町の村民歌が流れると記されている。 そのお地蔵さんの隣の石碑に村民歌の歌詞が刻まれている。 お地蔵さんと石碑の配置はこんな感じだ。そしてそのすぐそばにリアルタイムで放射線量をデジタル表示するボードがある。コジローがそこにいた間は。0.68~0.72μSv/時の間で細かく振動しながら推移していた。この線量はコジローが暮らす和歌山市周辺の約20倍に相当する。一年間この環境にずっと置かれたとすれば(実際にはあり得ない状況だが)、年間に被曝する線量は6mSv程度に達する。「直ちに健康に影響がある」レベルではないが、だからといって無視することもできない線量だ。 が、まあコジロー、いまさらこの程度の放射能を怖がる年齢ではない。小雨の中、役場の周辺を確認して回ったあと、最後に件(くだん)のお地蔵さんの頭を、試しに撫でてみた。すると、ほとんど間を置かずシンプルなピアノ伴奏が再現され、続いて子どもたちの斉唱が、コジロー以外誰ひとりいない広場に、いきなり大音声で流れるのだった。 びっくりしたが、横の石碑から歌に合わせて歌詞を読み上げているうちに、胸に強く突き上げるものがあってたまらなくなった。村民歌は、村の環境や人情の素晴らしさを歌い上げるとともに、村びとが固く手を繋ぎ、この飯舘村を興すこと、この飯舘村を富ませることを誓っている。だが、それは自らまったくあずかり知らぬ彼方の原子力発電所の過酷事故で、問答無用に中断させられてしまった。 かくして、村民がこの歌詞に込めて慈(いつく)しみ育てた村はいま、無人の荒野と化している。 和歌山に帰ってきてから調べて、この歌が収録されているビデオを二本見つけた。 こちらは、単に写真を繋いで編集したもの。音はオリジナルから録っているらしく鮮明だ。 http://www.youtube.com/watch?v=RvSclRvJHqg 一方こちらはDVDで、現場でいきなり録ったもののようだ。従って音は悪いが、コジローが村役場で聴いた臨場感がまざまざと蘇る。 http://www.youtube.com/watch?v=HmzGMuDwwPA 飯舘村は、7月18日から、その6割方が「避難指示解除準備地域」とされて、一部製造業や農業の再開が認められることになっている。それに備えて、農地の除洗が取り組まれているのだが・・・・、その効果のほどは、まだわからない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
昨秋、私も二日間福島へ入りましたが、コジローさんのような覚悟もなく、表面だけを見て薄っぺらな感傷に浸っただけのことかもしれません。でも、あの雄大な自然に囲まれた、本来ならば、豊饒な実りの季節を迎えたであろう田畑を前にして、胸が詰まりました。農業が再開される、除染が行われる・・・複雑な心境です。
(2012年07月04日 22時16分48秒)
ほのぼのさん
>昨秋、私も二日間福島へ入りましたが、コジローさんのような覚悟もなく、表面だけを見て薄っぺらな感傷に浸っただけのことかもしれません。でも、あの雄大な自然に囲まれた、本来ならば、豊饒な実りの季節を迎えたであろう田畑を前にして、胸が詰まりました。農業が再開される、除染が行われる・・・複雑な心境です。 ----- 除洗についてもいろいろ意見はありますが、コジローとしては、この問題を考えるうえで最も基本とすべきところは、原発被害者の自己決定権をどう守るかにあると考えています。 日本国憲法は個人の幸福追求権を保障しています。どこで暮らすのがその人にとって一番幸せなのか、それを選択するのは侵すことのできない個人の崇高な権利なのであって、明確に生命の危険がある場合を除けば、他がとやかく干渉できるものではありません。 もし、飯舘村の人々がそこで暮らすことを選択するなら、できるだけ安全に暮らせるよう全力で条件を整えることこそ、国や地方自治体の当然の責務だと思います。 (2012年07月05日 07時46分29秒) |