旧作洗い出し
作者のオリジを知らない人にはさっぱり判らない話(笑)。前々から言ってるんだけどなかなかできないオリジの旧作洗い直し作業。単に時間が無いっーのもあるけど、旧作は旧作なりについ自分で読みふけってしまうんだよなあ。特に自動書記系のものは(笑)。自動書記系っーのは、大概無駄なとこも多いんだけど、何っか知らないけど、自分でも大好きなシーンという奴が多い。たとえば「Hell? Heaven.」のエピローグ寸前。この話、通称「へれぶん」。原稿用紙換算1000枚以上あったと思うから、まー、今の読者さんだったら「Tonight」思い出していただければいい。あーゆー長さ。まーはっきり言えばアレは、1997-1999年におけるらるくさんとじぐぞさんの関係を使ったものでして。…まー、無謀な話です。何が無謀って。そもそもが「バンド」の人々に「政治」はできん。そんなに人間関係とか世間的常識とか周囲の期待とか。「政治」できる人だったら、最初からプロデューサーとか、そういう方向になりゃせんか? だいたいロック音楽やってる人々が「政治」できるとはまず思えない。特に、ワタシのアイしたこの二つのバンドのばーい、「やむにやまれぬ感情を音に」的な部分があったし。前者は…まあ、この時期からはともかく、後者バンドはもろソレだった。故に、一般受けは果たして、というとこがあり、…実際、そうなった。―――まあそれはいい。彼等はレジスタンスにはある程度はまった。ところでワタシはこの中で某高野氏を念頭に置いた「リタリット」というキャラが大好きだった。彼が半ばぶちキレてゲロ吐きしながら収容所の兵士を射殺して行くシーンとか書いててひじょーに楽しかった。ようやく流刑星から本星に戻ってこれたところで、相棒に欲情して水際でどーのこーのするいきなりなキレ方が好きだった。はーいテンションで革命放送をする時の明るいノイローゼっぷりが好きだった。それでいて自分のことが大キライで、相棒が大好きで自分のことも受け入れてくれてるのに、信じ切れないあたりとか。もの凄く不安定な奴で。ああ今でも奴はかなり愛しいな(笑)。だが実際革命だの戦闘だの「そうゆう」経験満載の人々じゃあないし、作者もそうゆう背景における行動パタンなんて全く知らないから、必然的に、話はご都合主義になる。それに彼等はそもそも、某バンドの音楽、映像、インタビウ、声、ラジオトーク、過去等がインプットされてできた「キャラ」な訳だ。人間っーのは、生まれと育ちで出来上がる。その「育ち」の部分が全然違う人間に当てはめて使う、というのは、よっぽど上手くやらないと、話そのものをぶちこわしかねない。ワタシの場合、その「ぶち壊した」のは、出来事ディテイルだ。例えば「すぺーすじゃっく」したシーンがある。友人にしてみりゃ「ありえねー」。某h氏が「総統」になってく顛末、その新年演説とその時に起こった民衆蜂起みたいの「…何か経過がきもちわるい」。当時は結構「んなこと無い」と思った。が、今考えてみれば、まあフツーのひとには当然。それこそ「ありえねー」ディテイルの積み重ねだから、ご都合主義にしても、よほどそのキャラ達が好きになれなくてはあかんだろうと思う。かと言って、じゃあ「あり得る」ディテイルの積み重ねをすればどうなるか、と言えば、話自体が、「決めていた」ものにはならない可能性がでかい。と言うか、前提が間違っている場合が大なのだ。そういう意味では、この「へれぶん」は変な話だ。特に、「関係を書きたい」ということになると。ただこれを「リタリットの話」として詳細を飛ばして読むと、やっぱり結構つじつまが合っているからおかしい(笑)。今読んでも、彼のシーンだけは非常に楽しく読める(笑)。ということは、あれをあくまで彼の話として、下手に書くと自爆するディテイルを省略して感情の話にだけにして1/3くらいにしたらどーなるか、とか。そういうのが「洗い出し」なんだけどさ。いや、やっぱり小雨降るキャンパスで足を滑らせながら「嘘だろ」と戻ってきた相棒を「死んでないよな」と過去のトラウマ混じりに心配して、それで最後はちゃんとハッピーになるあのシーンは、やっぱり好きなのよ(笑)。わはははははは。とまあ、知ってるひとには判らない話でした。