炬燵蜜柑倶楽部。

2005/07/22(金)20:41

はじまり(9)第三章その2

NK関係(202)

「兄貴は居るんだろ?親父さんも」 「どっちも営業系ですからね、家でなんか滅多に食事しやしません。ま、そういうウチのおかげて俺は結構放任に育ちましたけど」 「へえ」 「ケンショーさんの所は、反対されてたんですか?」 「え?」  つるりと里芋が逃げる。 「バンド」  ああ、と何とかつまみ上げながら、俺はうなづいた。 「結構あっちも、最近はバンドシーン、盛り上がってるのにわざわざ出てくるなんてすごいな」 「そんなことないさ。まだあの頃は、何も知らなかったから、バンドやるんならこっちへ出なくちゃならない、って…まあごくごく単純な理由」 「東京の人かと思ってた」 「違う違う」 「だって妹さんがどうのって言ったし」  俺はひらひらと手を振る。 「妹は地元の短大をちゃんと卒業して、こっちには就職しに来たの。俺は高校卒業するの待ってすぐに家を飛び出して」 「…へえ」 「学校ん時も、何度も親父とケンカして、お袋さんを泣かせてさ。俺長男だし。あとは妹が一人だし。妥協しても良かったけどさ、でも」 「でも?」 「あいにく、見てしまった夢を無かったことにはできなかった」 「…くっさぁ…」 「くさいよな、全く。本当。でもそういうもんだ」  確かに夢を見なかったら。だけど。  かたん、と箸を置く音が聞こえた。 「聞かなきゃ良かった」 「え?」 「何であんた、そういう奴なんですか」 「…は?」 「俺が初めてあんたのギター聞いた時、この音出す奴はこんな奴だろうな、なんて、思ってしまったのと同じじゃないですか…」  はあ、と俺はあいづちとも何とも言えない声を立てた。片手で顔半分覆う。どうもこういう言葉は、聞いていて恥ずかしい。何となく天井に視線を飛ばす。 「…お前うちのバンドの音聞いてたんだ?」 「聞いてましたよ!…だから、何だったかなあ、一昨年、高校入ったばかりのときに」 「見たの?」 「その時は、友達のつきあいだったんだけど」  カナイはこの間のとは別のライヴハウスの名を出す。 「それって、対バンが四つくらいあった奴じゃないか?」 「そう。友達の彼女がそのうちの一つのバンドの追っかけやってるからって、何かチケット回されたらしくって。何か可哀想で」 「ありがちありがち」 「そぉですよね。ちょっと前なんて俺、クラスの奴にチケット売ってましたもん。でも変なもんですよね。だって俺、それまで全然バンドなんてやろうとか思ってなかったんですよ。なのに…」 「へえ、そうなんだ」  それは意外だった。 「だから俺、真面目だって言ったでしょ?中学の時なんか、スポーツ少年で、髪なんかものすごい短かったし」 「想像できん…」 「みんなそう言いますよ」  確かに想像できなかった。目の前で、高校生特有の食欲を見せるカナイは、肩よりちょっと長い髪を無造作に後ろでくくっている。それが無性に似合っているので、それ以外の頭が考えられないのだ。 「そういうケンショーさんは、どうなんですか?昔は短かったとか」 「そりゃあまあ。**県は妙にそういうの、保守的でさ、厳しいとこだったから、もう大変」 「じゃあ」 「中学なんて、丸刈りよ丸刈り!今から考えると冗談じゃねえ、って感じするけどな。反動で高校は伸ばしだしたけどさ、肩より伸びたらもう」 「教師が『切れ』って?」 「言うどころじゃねえよ。ハサミ持ってきて切りやがる」  げ、と彼は顔を歪めた。 「ひでぇなあ」 「そ。俺の時代はひどかったの。お前今の時代で良かったね」  本当にそう思いますよ、と彼は言った。   さすがに育ち盛りの青少年はよく食べた。カナイは殆どのタッパーと、炊いたご飯をたいらげていった。俺は妙にその空になったタッパーを見て安心した。  中身が余ってしまうことは、どうしても俺に同居人の不在を思い出させてしまうのだ。 「それじゃどうもごちそうさまでした」  律儀に彼は頭を下げる。 「またいつか来てもいいですか?」 「ああ」  俺は気楽に答えた。彼と話すのは結構楽しかった。妙なものだ、と思う。七つも年下の奴とテンポが合うという感覚は。おまけに向こうは自分のファンだったと白状したようなものなのに。  アパートのある引っ込んだ通りから出る辺りまで、俺は奴を送ってやった。カナイはさっと自転車に乗ると、人も車も通りの少なくなった道をすべるように走り出した。

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