炬燵蜜柑倶楽部。

2005/08/16(火)21:58

わるつ(8)第二章その3

NK関係(202)

「…ありゃあ。ナナさん、ナサキさん一体今日は何やってんの」 「ああ、彼、今日は総合司会なのよ」  ハートマークが語尾に点きそうなほどのご機嫌な調子で彼女はややカウンターから乗り出した。  ナサキさんというのは、BELL-FIRSTのギタリストだ。たしか上手い人で、結構ライヴの時には砂を噛みしめたような顔で弾いているという印象が強いのだが。 「何なのその総合司会って」  マキノは彼女に訊ねる。ほら、と彼女はステージの上手を指した。ナサキさんは何やら喋っていたと思うと、とことことそのまま上手へと向かい、べらん、とその白いものをめくった。どうやらそれは…学芸会や演芸大会の時に使う題めくりらしい…文字もちゃんと墨と筆を使って書かれている… 「…何か芸風変わったんじゃないの?ベルファスト」 「そんなことないわよ。元々ああいう馬鹿なこともやってたんだから。でしょ?マキちゃん」 「んー、そうかもね」  曖昧な返事。奴はオレンジジュースを口にする。 「ナナーっ!俺にも何かくれっ」 「あ、ノセさん」 「おおっ、ね…マキちゃんじゃあないかっ。相変わらず可愛いねえ」  ベルファのヴォーカリストはそう言ってマキノの頭を撫でる。 「はいジンジャーエール」 「おいビールは駄目?」 「ここで呑みすぎると、打ち上げの酒がまずくなるのよ?ところで、この子出さない?」 「ん?いーよ。何かコピーできる曲あった…ああ、あれができたな」 「うん。マキちゃんどお?」 「…まあ俺は…そう言うなら、別にいいけど…」 「OK、じゃあちょっとあんた、連れてって手順教えてやってよ」  そう言って彼女はマキノをノセさんの方へ押し出した。大丈夫かなあ、なんてぶつぶつ言っている奴の声が、騒がしい店内の中でも何となく聞こえてくる。 「…馴染みだったんだ」  奴の姿が見えなくなってから、俺はカウンタースタッフで、ノセさんの恋人である彼女に訊ねた。ノセさんと同じ歳と聞いているから、俺より充分年上だ。さすがに俺を子供扱いするが、相応の色気とさわやかさが同居していて、話をしていて悪い気はしない。 「あの子?」  そう、と俺は答えた。彼女はまあね、と答えた。 「みんなあの子が好きだったわよ。可愛くて」 「へえ…あ!」  急に俺の頭の中で、つながったものがあった。  …見覚えがあるはずだ。 「どうしたの?オズ君」 「あのさ、もしかして、あの頃、時々あんた等、マスコットみたいにガキ連れてなかった?」 「あの頃?」 「まだベースがトモさんだった頃」  しっ、と彼女は人差し指を唇に当てた。 「その話はあまりしないでね」 「…あ、すみません」 「うん…そう。あの頃連れていたその君の言うマスコットちゃんが、あの子だったの。だからあまり口にしないでね」  だとしたらつじつまが合う。奴のベースに見覚えのあった理由も。  ステージでは妙なセッションが延々続いていた。  セッション大会というより、本当に「学芸会」のようだった。果たして本当にロックバンドのセッション大会なのか?と思いたくなる。  まあ「それぞれのルーツ」バンドのコピーくらいなら良かろう。だがいきなりアコースティックギター持ち出してフォーク大会になったり、帽子から花を出してみせる奴もいるあたりは… 「それでは次は『泣かずの七面鳥』です」  中で一回自分のセッションバンドのために着替えたのに、またどういう訳か羽織袴に戻っているナサキさんが謎なセッション・ネームを紹介した。  幕が開くと、彼は羽織をノセさんに手渡し、自分はギターを取った。そして下手には、小柄なベーシストが居た。それが誰だか判った観客の少女の中には、きゃあ、と黄色い声を立てるのもいた。  ステージには、三人。ベースだけ違う、インストのベルファ、という感じだ。ドラムのハリーさんが速いカウントをとる。途端、音が溢れかえった。  きゃあ、という声が再び客の中から上がった。だが今度はどうやら古参のファンらしい。なかなか年齢は上のようだし、後ろの方で見ている。俺は思わず聞き耳を立てる。 「…うっそぉ…笑い雨だよぉ…」 「聴けるとは思わなかったよぉ…来て良かったぁ…」  笑い雨?そういう曲なのだろうか。  タイトルとどう関係があるのか判らないが、それは無茶苦茶な曲だった。プレイヤーにとってはマゾヒステイックなまでにテクニックを要求するタイプだ。スピードといい、変拍子といい、つけ焼刃ではできない。ギターもドラムもベースも。特にベースにとっては。  だ現がマキノは実によく弾いていた。こんなことまでできるんだ、とメンバーのはずの俺の方がびっくりしていた。 「やっぱり上手くなったわねえ…」  ナナさんはカウンターに頬杖をついてそう口にした。俺は思わず問い返す。 「え?」 「あの子、あの曲ずいぶん早くマスターしたものね」 「あの曲って、ずっとやってなかったんですか?最近のベースの人は…」 「ん、だから、それはね、禁句」  しっ、と彼女は指を口に当てた。あ、と俺は思い当たった。つまりは、あの人の曲なのか。そして奴はそれを実に上手く弾きこなす。 「…やーん…もう」 「泣くなよぉ…」 「だってあんな、トモさんしか弾けないようなものだと思ってたのにぃ」 「そーだよねぇ…でもあの子、すげぇ上手いよね」  少女とはもう言えないお姉さん達のため息。  …終わった時、奴は肩で息をしていた。    *     「俺あの曲聴いたの初めて。笑い雨って女の子達が言ってたけど?」 「あ、そぉ?…『LAUGHIN' RAIN』だよ。笑い雨じゃなくて、笑う雨。昔のベルファはよくやってたよ。…恰好いいでしょ」  俺はうなづいた。まあそれは事実だ。 「でも最近インストってやってないだろ?」 「インストってのは、腕が良くないと恰好よくないんだよ」 「言うなあ」  そう言って俺はマキノの頭を軽くはたいた。 「教えてくれた人が良かったからね」  軽く言う。だけどそれが誰か、ということを問えるような感じではない。俺はその話は打ち切った方が無難だと思った。  最寄りの駅で、方向が反対なことに気付いた。じゃあね、と奴は手を軽く振る。  先に出た列車がホームから離れてから、俺は元来た道を引き返した。打ち上げをしているだろう、BELL-FIRSTの居るはずの店へ。

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