炬燵蜜柑倶楽部。

2006/07/06(木)19:56

マイ・ブルー・ヘヴン(1)

本日のスイーツ!(339)

 ぱきゅ。 『打ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』  背中を叩く声。思わずぐい、と振り向いていた。 「…ああ、休憩時間の連中が、ヴォリュームを上げたんですな。しょうもない。下げて来るように言ってきましょう」  取引先の技術課長はふっくらとしたソファから腰を上げようとする。その姿はTVを観戦していた作業員と同じ作業服だ。  手で制する。 「や、大丈夫です。技術課長。せっかくの休憩時間を邪魔しては」 「そうですかあ。申し訳ございませんねえ」  にこやかに、技術課長は再びソファに腰を沈める。柔らかすぎる椅子に、おっと、とバランスを崩しそうになる。  いい調子で話は進んでいるのだ。その調子を狂わせたくはない。各星系を飛び回る優秀な営業部員は切に思う。 「しかしこの惑星の方々は、皆ベースボールがお好きなのですね」 「や、そうではないんですよ」  ぐい、と技術課長は身を乗り出してくる。何やらそれまでの商談より目が輝いている。内緒話のように、手を側立てる。 「実はですね…うちの惑星のチームは、弱いんですよ」 「は」 「非常に弱い。ほんっとうに、弱い。今年も最下位だったら、ナンバー3からナンバー4に降格なんですよ。はははははははは」  ほとんどやけくその様に言ってから、技術課長はため息をつく。 「は、あ…」 「さすがに今年はふんばってますが…でもおそらく駄目でしょうね」 「そ、そうですか…」  彼は言うべき言葉を見失ってしまう。  ところが急に、技術課長の両の拳が強く握りしめられ、どん、とテーブルを叩く。 「でも、だからこそ! 今日の相手から点を取ったって言うのは大きいんですよ!」 「今日の相手? ですか?」 「アルク・サンライズ! 去年のナンバー3リーグの優勝チームじゃないですか!!」 「サンライズ? えー…すみません、聞いたこと、無いですが…」 「ああ、すみません、…もしや、ひょっとして、あなたは、ベースボールにはあまり関心が無い…」 「や、そんなことはありません」  手を上げ、きっぱりと彼は否定する。 「こう見えても、シニア・ハイの頃は、スラッガーで鳴らしたものです」  ほお、と途端に技術課長の顔が明るくなった。しかしそれはすぐに訝しげななものとなる。 「…でしたら、あの新星サンライズの優勝騒ぎを知らないというのは」  や、と彼は両手を広げる。 「それが、残念なことに、私、ミリオン星系に居たんですよ」 「ミリオン星系?」 「辺境です。三年ほど…その辺りを飛び回ってまして。最近帰ってきたばかりですよ」 「ほーお…それは大変でしたなあ」 「ええまあ。それも、産出鋼を、やはりその附近の辺境惑星群へ卸す仕事でしたので、もうASLの情報なぞまるで。それに忙しかったですからね。もう帰ったら寝るだけのような日々で。がはははははは」  彼は豪快に笑った。 「そうですか…いやあすみませんねえ。や、去年、いきなり、やっぱり辺境のレーゲンボーゲン星系にある…レーゲンボーゲンは、ご存じですか?」 「一応聞いてはいますが。ウチの会社の守備範囲ではないんですがね」 「そこのアルクという惑星から、チームが一つ、去年ナンバー3リーグに入ったんですよ」 「でもレーゲンボーゲンじゃあ、まるで反対ですね。さすがにまだ行ったことは無いですが、結構政情不安な惑星じゃあ無かったですか? 確か、私がミリオンに行った頃には、交替したばかりの政権が、ずいぶんと強引なことをやっていたと聞きましたが」 「そうなんですよ」  技術課長は大きくうなづく。 「だけどそれが一昨年ですか、その交替したばかりの政権が、クーデターで潰れてしまいましてね」  ほう、と今度は彼が驚く番だった。 「またずいぶん短命な政権でしたなあ」 「びっくりしましたよ。で、新しく成立した政権が、ようやく帝都本星と仲良くなったのですよ」 「それまではそう良く無かったのですか?」 「まあ~…そう良くは無かったですね」  それは大変だったろう、と彼は思う。 「…すみません、ちょっと煙草を吸っても構わないでしょうか」 「どうぞどうぞ」  彼はポケットからシガーケースを取り出す。厚みのある、革製のその中には、数本の葉巻が入っていた。 「ほう、お珍しい」 「如何ですか?」 「いただきましょう。…しかしまあ、そのレーゲンボーゲンのチームですがね、その成果のせいか、全星域統合スポーツ連盟にようやく登録されましたよ」 「それが、あのチームですか」  言いながら、彼は背後のTV画面を再び見る。  打者の縦縞のユニフォームに、この惑星「エディット」の文字が書かれている所を見ると、守っている青いユニフォームのチームが「サンライズ」ということだろう。  ふんふん、と彼はうなづく。帰りに「Photo&Sports」か「ASL TODAY」を久しぶりに買って帰ろうか、という気分にもなる。  昔はプレイするのが好きだった。今は観るのが好きだ。  無くてもまあ、日々過ごせてはいるが、あればあったに越したことはない。 「まあだから、うちのチームなんかもう、そうそう打てるもんじゃないんですよ。けどさっきの騒ぎようからしたら…」 「なるほど…」  曖昧にうなづいて、彼はではそろそろ話の続きを、と体勢を向き直す。全ては仕事がちゃんと終わってからだ。  ところが。  こんっ。  わぁっ、とまた声が上がる。負けずにアナウンサーの声も上がる。 『おおっと何だあ! “暁の黒鮫”ノブル・ストンウェル、またも失投!』  マイクをスタンドごと掴み、放送席から立ち上がっていそうな勢いだった。  書類を揃え直していた彼の手が止まった。 「…あの投手…」 「ああ、確か先発投手で」 『どうしたストンウェルーっ!!』  アナウンサーの声は、ひどく嬉しそうだった。  がたん、と彼は思わず立ち上がっていた。

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