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カテゴリ:うつほ物語
その九の三 甘えまくる仲忠と石帯の件
さて、仲忠が勝手にさっさと女一宮を連れて行ってしまったことで、乳母の右近は頭を抱えた。 「ああもう仲忠さまときたら! だから申し上げたではございませんか。せっかく御髪をお洗い申し上げたのに、また滅茶苦茶になってしまうではないですか。ああもう、また明日もお洗い致しませんと」 すると女御は苦笑しながら諭す。 「静かになさい右近。まあそう言うものでは無い。仲忠どのも夜も昼も御前にいらしたのだから、随分お疲れだろうに。宮と一緒でようやくゆっくりできるというなら、そうなさったほうが良いではないか。何も御髪のことなど、また洗えばいいだけのこと」 「その御髪洗いの手間が…」 繰り言を口の中でぐずぐず言っているので。 「何もそなたが気にすることではない」 女御はそう言った。さすがに右近もそれ以上こぼすことはできなかった。 * 仲忠は結局それからずっと寝所の中に籠もりきりで、翌日の昼になるまで出てこなかった。 御膳部を持ってきて食台などの音をさせても全く聞きつけた様子も見せない。 女房達は困ってしまい、とうとう中務の君が「お食事でございます」と直接仲忠に呼びかけた。 すると仲忠はこう答えた。 「…僕今、凄く眠いからね、小さい盤に少しだけ分けてくれないか?」 仕方ない、とばかりに女房達は中の盤に分けて、また別に少し分けた菜などを出すことにする。 仲忠はそれをまず宮に食べさせて、自分はその残りを少しだけ食べて、またごろりと横になってしまった。 * その翌日もまた彼等は寝所を出ようとしない。周囲の女房達も、さすがに呆れるというものだった。 しかし。 「それでもこれでは出ない訳にはいかないでしょうね」 彼女達はそう顔を見合わせる。 「仲忠さま、尚侍さまからの御消息でございます」 「母上から?」 「どうしてまるでおたよりをくれないのですか。以前からあなたが言っていたことを、こういう時に、と考えておいたのではないですか。今日はそれにとてもいい日だと思うので、こちらにいらっしゃい」 「あ、そっか」 そういうことがあったな、と仲忠はようやく思い出したらしい。 「ああもうこんな時に」 そう言ってとりあえず「これから行くから何も申し上げない」という意味の返事だけ持たせ、出掛ける準備を始めた。 「ずいぶん急ぐのね」 女一宮はそんな仲忠の様子を見ながら、やや呆れた様に言う。 「だって母上の言葉には動いた、という噂が広がれば、また他に行くところがすぐにできたら困るじゃないか。お呼びがかかった、ってことが噂にならないうちに急がなくちゃ」 「ふーん。そういうもの?」 「そういうものなんだよ」 そう言いつつばたばたと仲忠は支度をし、実家の方へと出向いた。 しかし女一宮は首を傾げる。どっちにしたって動いたのは母の言葉くらいなものだ、という事実は変わらないのから急ぐ必要など無いと思うのだけど、と。 * 三条の屋敷では、犬宮の産衣の品々が調えてあった。女一宮への贈り物も同じく、その様子は正頼方へ持っていっても引けを取らない程だった。 たとえば洲浜。湧き水の側に鶴が立っているものなのだが、その鶴の足元に、金の毛彫りで葦手書きにした次の歌があった。 「―――今夜から鶴の子/犬宮が絶えず流れる水に幾代住むのを、老いた私達/祖父母は見ることができるだろう」 その様な贈り物の数々を尚侍は仲忠に見せる。 「これはまた、凄いですね」 「全くだ」 兼雅もそれを見て感心する。 「それにしても仲忠、ずいぶんと閉じこもっていた様だが?」 「えー」 こほん、と一つ咳払いをしてから仲忠は改めて挨拶をする。 「ここしばらくずっと参内して、夜も昼も文を読んでおりました。一昨日ようやく退出でき、そのままこちらへ伺いたいと思っていたのですが、どうも気分が悪くなりましたので、その日は一日、中の大殿に居ました。まあその名残でしょうか、昨日も今日もなかなか起き出すことができなくて。それでも母上からの御文がありましたので」 「それはそれは」 兼雅はにやりと笑う。 「伺おうとは思っていたのですよ。お見せしたいものもあったし、父上に申し上げたいこともありましたし」 「見せたいもの?」 「これです」 そう言って仲忠は帝から貰った例の石帯を兼雅に見せた。お、と父の表情が変わった。これは一体、とばかりに目を見開く。 「例の蔵から、お祖父様の文書が出てきました。そのことを帝に申し上げたら、見たい見たいと仰るので」 「成る程それで、か」 納得した様に兼雅はうなづく。 「そしてこの帯は、その講読に対し賜ったものです」 そうか、と兼雅は苦笑する。 「祐純が言っていたよ。『帝は世の中の貴いものは全て仲忠にやってしまう。皇女の中で最も可愛がっていた女一宮も、いつまでも手元に置きたいと願うような宝物も』ってね。これを見れば、確かにその言葉も間違いじゃあないことが判るな」 そう言って石帯を取り上げてまじまじと眺める。 「亡くなった前の右大臣どのの帯だと聞きました」 「らしいな」 「で、これは僕が持っているより、父上の方がいいのではないかと思って」 「私にか?」 「だって最近何かぱっとしないですよ、父上」 「…それはあんまりじゃないのかい?」 「僕はいいんですよ。お祖父様の蔵の中には、唐渡りの品の中に、良い感じの石もありましたから、それを帯に付けて細工させようと思います。その貞信公の石にも劣らない様なものがありますから」 そう言って仲忠はにっと笑う。 「…全く、何を言うのだろうなこの息子は。せっかく帝が勿体ないお心でもって下さったものを。節会などに付ければいいではないか。何も私の所へ持って来なくとも。ここには他にもいろいろあるし」 しかし仲忠はそんな父の言葉などさらりと受け流し。 「だったら、僕のところの石や、そうそう、角もあるんですよ。拵えて父上に贈りましょう。何かと宝物を持っていると危ないことが起こるところでした」 「…そういうことは軽々しく口にするものじゃないよ。それで。他に言うことがあるんじゃなかったのかい?」 石帯のことをきりにしたいと思ったのか、兼雅は次の話をうながす。 「ええ。何と言うか、実に珍しいことが起きましたので」 「何かあったのか? 宮中で」 「ご報告が遅くなって非常に申し訳ないと思っているのですが」 「…じらすな。何があったんだい」 「梨壺の君ですが」 「…ああ、ずいぶん顔も見ていない」 そんなことか、とばかりに緊張気味だった兼雅の表情が緩む。 「薄情な父上ですね」 「…お前はまあ、そういうことを言いに来たのかい」 「まあ近いですが」 「…全くお前は本当に私のことを父親と思っているのかい?」 「時々疑いますが」 「…おいおいあまり私を虐めないでくれ。ともかく話を戻そう。梨壺に何かあったのかい?」 「退出する時に、せっかくだから異母妹の顔を見ていこう、と梨壺へと出向きました。御前でおめでたいことを聞きましたので」 「おめでたいこと」 兼雅はすぐには判らない様だった。だがやがて。 「そ、それはまさか」 兼雅は身体を乗り出す。 「ええ、梨壺の君はご懐妊されております」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.01.18 13:11:29
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