2018/01/27(土)21:35
改・織屋の村の青春/父の物語(7)
では自分の頭痛の種と言えば。
オート三輪の運転免許を取ることだった。
生まれつき手先が不器用なためか、それとも理数系に弱いせいか。ともかく何度受験しても駄目だった。
―――皆合格しているのに格好悪い!
そう自分に罵声を浴びせては鬱々とした毎日に耐えるしかなかった。
試験場から最寄のバス停まで、歩きながら幾度も思った。
―――いつまでこうして歩けばいいんだ?
それでもここでの仕事は、綿糸や布をオート三輪で運ぶことが主だった。免許なしでも運転していた。すると三日と空けずに駐在が事務所に来て、こう言うのだ。
「村の連中がうるさいから、どうしても免許を取ってくれよ」
それを聞くたびに身体が金縛りにあった様に硬直してしまう。
事務所の先輩も参考書を貸してくれる。エンジンの構造も親切に説明してくれる。だが自分の頭の中では、仕事に対する嫌気がふくれあがるばかりだった。
公務員の試験を受けて失敗したり、関西の製薬会社に手紙を書いたり、市内の楽器会社を調べたり―――
もういっそのこと織屋の監督になろうかと考える様になったのはこの頃だった。
そんなぐらぐらした不安定な気持ちの土台には、どんな安普請の家も出来はしない。逃避じゃ物事は解消しない。現実を克服しろ。お前のためには一番いいことだ。
母や兄はそう言った。
一年が何とか過ぎて、また春が来た。色々な出来事が次から次へと現れ、その都度自己嫌悪が自分を悩ませ続けた。
三月、ようやく報われる日が来た。
バスを降り、事務所へ向かう足取りが軽い。顔もほころんできて仕方がなかった。
バス亭まで見渡せる糊付工場事務所の二階から、誰かがこちらを眺めていることが判った。
「免許受かったのがすぐにわかった」
入っていくとすぐにそう言われた。
「月給を上げてやるでな」
社長も珍しく笑顔で言った。
心は長い時間をかけて難関を突破した安堵感で満たされていた。
だがその一方で、この仕事で一生を過ごすのだろうか、という考えが頭から離れなかった。
*
正月がこんなにも空しく、味気ないものだとは思わなかった。
克子が故郷に帰らないと判っているのだから、彼女を誘えばいいのに。街に出て映画を観に行き、洒落たカフェで熱いコーヒーを啜りながら、自分のつたない人生観など語ってみたい。
頭の中ではそんな構想ができている。だが身体が動かない。意気地がないのだ。
何かをしようと思うと心配が先行してしまう。勇気も金もない。男振りも良くないし、彼女を上手くリードする自信もない。
―――そんなに格好をつけなくても
そう思いつつも、せめてその位のことをしなければ彼女に相応しくない。
コンプレックスの塊なのだ。
火の気もない事務所の私室で、毛布にくるまってサン・サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」を聴いていた。
ふと、高校の頃、文通していた子のことを浮かんできた。何故今そんなことが思い出されるのだろう。
可愛くて聡明で頭のいい君の、だから一つでも上に居たい―――そんな女々しい告白が文通の発端だった。好きだった。その半面、返事をくれるのは同情なんじゃないか、という自虐的な気持ちもあった。
危ないバランスを保ちながら、それでも当時は毎日充実していた。
ところが付き合って六ヶ月ほどした或る日、つい想像してしまった。自分が彼女と並んで撮る記念写真というものを。
釣り合わない。
そう思ってしまった。将来横に立っているのが自分では彼女は幸福にはなれない、と。高校を卒業しても自分に待っているのは貧乏生活だけだ、彼女の幸福を考えるなら、拘わりは断つべきだと思った。
臆病のそしりを免れない。どんなことをしてでも自分の力で幸せにしてやる、という愛よりも、厳しい現実を直視して逃げてしまった意気地なしが。
―――言い訳なんかするな。人生を達観した爺イみたいなことをほざくな。早い話が、それだけのエネルギーがお前に無かった、ってことだけじゃないか。
―――いつでもそうだ。いつでも大きな壁の前で、ぶつかる前に挫折してしまうんだ。
―――一番最初の、どうしようもなく一生懸命だった時のことを思い出せ!
つまりは、克子の眩しさにびびっているのかもしれない。
―――彼女のことをもっと知りたかったら、身体ごとぶつかって確かめるくらいの気概を持てよ。冬篭りの熊みたいに毛布の温もりを抱きしめ、甘美な音楽の中で悲劇の主人公を気取るなよ。
―――さあ起き上がれ、自信を持って積極的にアタックしろ。何のために手足が、口が、言葉があるんだ。
窓越しに見える冬の空が、うんざりする程青かった。
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