改・織屋の村の青春/父の物語(8)
正月の夜は大概湖南織物の工場のほうで過ごした。 玄関に近い八畳間、テレビがある部屋には電気炬燵が置かれていた。上にはみかんやスルメや様々な菓子、時には男用にとウイスキーや日本酒の小瓶もあった。 娘達と一緒に炬燵に入り、寝そべったり、座椅子にもたれたりして、歌謡ショーに見入っていた。 彼女達にはそれぞれご贔屓の歌手がいて、何故か互いにその贔屓の悪口を言い合って楽しんでいるのだ。 ところがちょっとしたはずみに、際どく保っていたバランスが崩れると、途端に騒々しくなる。怒るやら泣くやらなだめるやら、無関心を装うやら。「こんなん毎日のことだから」 そう工場の奥さんは、自分の手のひらの上で起きている程度のこととばかりに、大らかに笑ってみせる。 女の世界というのはそういうものなのか。ともかく男女の仲に敏感らしい。誰と誰が怪しいだの、あの女とあそこの監督が暗がりで変なことをしていただの、次から次へと移り変わる噂話が飛び交う。そんな中では自分なぞ「**ちゃんて可愛いね」と言っただけで、丸顔でかわいらしい子の彼氏と決め付けられてしまった。「でも言い出しっぺは、お喋り紀子よ」 そう言ったのは宮子だった。北遠から来ているらしい女だ。もう五年あまりここで働いているという。仕事もよく回すし、性格も悪くないと工場主が言っていたのを聞いたことがある。 彼女目当てで自分はここに来ているような部分もあった。何と言っても、来たら迎えてくれて、何でもしてくれる。 元々はさほど関心も無かったのだが、監督が「何だかお前に気があるみたいだぞ」と言うのを耳にしてから、ちょっとからかってみたいと思うようになった。 そう、残暑厳しい初秋のある日、彼女と工場の入口でばったり出会ったことがある。汗ばんだシャツに透けて、くっきりと輪郭のわかる乳房を人差し指でぐっと一突きしたことがあった。 彼女は無防備に立ち止まり、「助平」と小声で言って微笑み、小走りに騒音激しい工場の中に消えていった。その時、工場主の言うことが嘘ではないと気付いた。 正月のこの夜も、宮子は近くでテレビのクイズ番組を見ていた。青みがかったグレーのワンピースを身に着けた彼女は、髪も今風に綺麗に盛り上がった様な形にしていた。誰に似てるかな、と女優の顔を思い浮かべてみたが、今ひとつあてはまるものがなかった。 そう思いつつ、自分の中ではこんなことをつぶやく奴がいる。 ―――勝手に好かれても責任は無いぞ。惹かれてる部分なんて何もないんだ。女友達の領分からはみ出すことは無いんだ。深入りはしたくないんだ。 そうは思いつつ、彼女がここに居ると便利だな、都合がいいな、と思う自分がいた。 彼女と並んで炬燵に入っているうちに、布団の中で手を握っていた。 汗ばんだその手を強く握ると、同じ力で握り返された。 寝そべって、彼女の手を自分の股間の膨らみにあてがわせた。 彼女はしっかりと掴みながらも平静を装っていた。何事もないように、周囲の娘達に話しかけ、時たまこちらと視線を合わせると、その都度強く握り締めてきた。 彼女がこちらのすることを何でも許すので、少しばかり気味が悪かった。何だか目的の無い沼の中にどんどん足を踏み込んでしまう様だった。そしてまた、それが自分の意思以外のところで異様に発展する様を思うと、一層気味が悪かった。 克子にはどうしてこういう行動ができないのだろう、と思う。本当に好きになった女は大事だから、いきなりそうした欲望をぶつける訳にはいかないという気持ちがあった。嫌われたくない、という打算があることも否定できない。また、もっとお互いの想いを昇華させなければ、とも思う。 無論こちらも男だから、頭の中では様々な場面に克子を重ね合わせることもある。だけど彼女の眩しい美しさの前では、自分の思いの総てや目論見も平伏してしまう。 彼女が宮子のようであったら、と思うこともある。 単純かもしれないが、許すことは愛の根底を為すもののような気がしていた。克子の言うことなら、自分は何でも許せると思っていた。 一方、宮子を見ていると、もう一人の自分を見ているようで心が重かった。所詮自分とて、克子の前では今の宮子と変わりが無いのだ。 こうして今、ここに宮子が居ることで、どれだけ自分の気持ちが乱されることか。 足と足が触れ合い、女の体温がこちらの身体に染み渡ってくる。炬燵布団の中であることを幸いに、次第に大胆になっていく自分がわかる。 自分の手は彼女のそれから足へと移った。すべすべしていて柔く、上にたどっていく程熱を帯びていた。 テレビは純愛ドラマに変わり、他に居た四人の娘達はそれを食い入るように見ていた。 宮子は表情を変えない。そして自分の鼓動は何処か別人のもののように感じられた。 手を彼女の足の付け根まで伸ばした。自分の表情はいつもと違ってるだろうか? そんな、いつもは考えないことを思った。 下着の中に指を忍ばせ、湿った部分を愛撫した。彼女の唾を飲み込む様が解った。微かに顔をこわばらせ、声にならない声をあげた。誰も気付いていない様子が、こちらを更に大胆にさせる。 宮子は何か言いたげにこちらを見たが、やはり声にはしなかった。 何故こうしているのがこんなに満足なのか、というのは自分自身にとっては愚問だった。これが最も自然だし、他の方法なんて考えられなかった。本能だから仕方がなかった。最も人間的で、原始的で、動物的で、もうそんな小理屈はどうでもよかった。 心臓が機関車のように激しく鼓動を打っている。快感が波のようにうねり、その振り幅が頂点に達した時、それまで自分の中で張り詰めていた何かがぶつんと切れた。 もう走り出して止まらない。身体の中からとめどなく出てきた。熱く満たされ、身体中で鐘が鳴っているかのようだった。 僅かな時間の中を快い嵐が通り過ぎた。何百メートルも走ったような疲労とけだるさが全身を包んだ。深いため息と、不自然なあくびの後に、涙が出てきた。 テレピドラマは目の前を通り過ぎていくだけで、頭の中にまでは届かなかった。ただもう空っぽになった頭のまま、ぼんやりとしていた。 彼女はこちらが手を離すと、すぐに立ち上がり、部屋の障子戸を開けた。「何処へ行くの」 娘の一人が宮子に言った。「うん、ちょっとトイレ」 その声でこちらも平静になれた。 鉛を噛んだような嫌悪感が、じわじわと自分を責め始めた。 ―――最低だ、俺は。欲望の赴くままに。これじゃただの野良犬と同じじゃないか。宮子が好きだからしたんじゃない。何とも思ってない。 そんなことを繰り返し自分自身に呟いていた。下着に漏れた液体が粘々して気持ちが悪かった。 そのうち、宮子が部屋に戻ってきた。こちらを見ると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。―――そう見えた。 その時何だか、自分がこの女に犯されたような、妙な錯覚と敗北感に襲われた。昭和歌謡史 カバーソング・コレクション<昭和3年〜昭和30年>【懐メロ CD】【演歌 歌謡曲】