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2022.08.19
全5件 (5件中 1-5件目) 1 育児ノイローゼと戦う
テーマ:育児ノイローゼと戦う(12)
カテゴリ:育児ノイローゼと戦う
ベビーシッターさんや家事支援のおかげで、家事・育児の負担が少し軽減し、だんだん体調もよくなってきた。 育児ノイローゼからの脱却期がやってきたのだ。 しかし、夫との仲は、その時の季節と同じ、相変わらず北風ぴゅ-ぴゅ- そんな折、インフルエンザが流行した。 王子、姫の順に感染し、(予防接種は受けてたのになぁ・・・) またまた看病、通院など忙しい日々がやってきた。 しかし、この頃、少しだけ夫が変わった。 あんなに家に他人を入れるのを反対していたのに、ベビーシッターさんや家事支援のことを良く言うようになった。(頼んでてよかったね、みたいな感じ) 看病で疲れた私が子供と一緒に寝てしまっても、文句を言わなくなった。 姫が熱性痙攣で市立病院に救急搬送されたとき、電話をかけるとすぐかけつけてきた。(急に休めるか!とどなった人とは別人みたいだった) 姫のことを心配してくれていたのが、とてもうれしかった。 相変わらず、家事は全然してくれないけど、 ときどきおみやげに私の好きな大福を買ってきたり(どういう風の吹き回し? ) 二人きりで外出して喫茶店でケーキを食べながらゆっくり話しをしたり、(夫とデート!?) 家族でいろいろでかけるようになったりして、(そうめん流し , 宮崎旅行) 少しずつ、北風が秋風くらいに なってきたような気がする。 まだまだ夫への不満は多いけど・・・ 、 子供のことはかわいがってくれるし、仕事もちゃんとして家計を支えてくれているし、何より子供たちが夫のことを大好きなのだ。 だから、子供たちのために、自分のためにも、これからは何でも話し合って、自分で全部溜め込まないように前向きに生きていこうと思った。 きついときには、また人を頼ればいいのだ。 義実家との関係もぎくしゃくしていたが、私の誕生日に義母からFAXが届いたり(誕生日 )、義実家に久しぶりに帰省したり(ほたる )、運動会、父の日 、宮崎旅行などのイベントを経て、少しずつ元に戻りつつある。 心の中では、まだ夫や義実家に対するもやもや感はあるが、これはきっと一生消えないであろう。でも、この気持ちを乗り越えて、生きていこう。それが子供たちのためでもあるから・・・。 ・・・こうして、現在どん底からなんとか這い上がり 結論。 育児ノイローゼは、母親が全部一人で抱え込むことで発症する。 特に、夫婦関係の良し悪しは重要な要素である。 このとき母親に適切な手が差し伸べられれば、きっと育児ノイローゼは解消するはずなのだ。
・・・終わり。
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2006.09.01
テーマ:育児ノイローゼと戦う(12)
カテゴリ:育児ノイローゼと戦う
おたふく難聴事件,姫誕生日,正月,七草のイベントごとに私たち夫婦仲はどんどん悪化し,氷河期になっていた。
2006.08.31
テーマ:育児ノイローゼと戦う(12)
カテゴリ:育児ノイローゼと戦う
王子の七草祝いをしてくれるという義父の申し出を「拒否した」みたいな形になり、気まずくなったまま義両親は隣県の自宅へ帰っていった。 「オレはいかんぞ。親父の申し出は断ったくせに。納得できん。」
2006.08.30
テーマ:育児ノイローゼと戦う(12)
カテゴリ:育児ノイローゼと戦う
2ヶ月間鍼灸院通いをしたが、効果はなく、王子の左耳の聴力障害は残った・・・片耳聾について その3 。 思いのほか本人が何も悩んでいないように見受けられたのが、不思議でもあり、ちょっと安心したところでもあった。(でも実は気にしていたことが後日明らかとなった・・・七夕の願い ) 障害とともに生きていこう、親が気にすれば、子も気に病むのだ、と自分に言い聞かせ、2ヶ月間休んでいたスイミングも復帰させることにし、元の生活に戻ろうと一生懸命だった。 ちょうどその頃、年末のあわただしい時期に姫の誕生日が来た。 王子のときには、両家の両親と、私の祖父母、夫の姉一家を招いて家でお祝いをしたので、 姫の誕生会も同じようにしてあげないとかわいそうだと思ったし、夫も「してあげるべきだ。」みたいな言い方をしていたので、とっても疲れていたけど、何日も前から準備した。 このとき、夫はほとんど準備も片付けも手伝ってはくれなかった・・・・。 倉庫から長テーブルを出してくれたことだけ。 当日も、みんな都合をつけて7時には集まってくれたのに、夫が帰ってきたのは8時前。主催者側なのに、全然立場わかってないと思った。何もかも人任せで・・・。 それでも楽しい会で、姫もはしゃいでいたので、「やっぱりやってよかったな・・ 誕生会も終わり、実両親は帰宅し、義両親はうちに泊まることになった。 ところが、それだけでは終わらなかった・・・・ 寝る前に「そういえば、こんど王子は七草だね。」と義父がいった。 (この地方では、数え年で7つになる年の1月7日に「七草」というお祝いをする風習があるのだ。) 私もそれは知っていたので、すでに着物、袴の準備をしていた。 義父は、唯一の跡取り息子の長男(王子)の七草祝いを盛大にやろう、と言ってくれた。 とてもありがたいお話だった。 でも、そのときの私は、ウツ状態からやっと抜け出した状態で、姫の誕生祝いの準備でいっぱいいっぱい気を張っていたので疲労困憊していた。 毎年、年末から正月にかけては義実家に帰省するのが習慣となっていたが、おおみそか→正月→七草というイベントを全てこなす自信がなかった。 おおみそかまであと3日しかない。 七草祝いの計画の話題で盛り上がる中、小さな声で、夫に相談した。 「七草にどうせ帰省するなら、お正月は家でゆっくりしたいんだけど・・・・。」 すると、夫は目をつりあげて大声でいった。 「じゃ、王子だけつれてオレは正月は帰る 嫁のくせに、本家の正月に帰省しないとは何事か、というような態度であった・・・・。 それを聞きつけた義父は、 「それなら、七草には帰ってこなくていいよ。正月にみんなで帰っておいで。」 と言った。 このせいで、せっかくの義父の申し出はふいになり、気まずい雰囲気となってしまった・・・。 ・・・・・・続く。
2006.08.29
テーマ:たわごと(25362)
カテゴリ:育児ノイローゼと戦う
このブログのタイトル、「育児ノイローゼと戦う」について、そろそろ気持ちの整理もついたことだし、考察してみようと思う。
それまでにも不平不満がなかったわけではない。 でも、根っこのところではしっかりつながっていると思っていた。 それなのに・・・・・ 「保育園なんかに子供を預けるからこんなことになるんだ。」 「せめて下の子だけは母親が家で面倒をみるべきだ。」 「仕事なんかやめろ、やめろ。家のことも出来んくせに仕事なんかするな。」 「子供を病気にさせるなんて、母親失格だ。」 などという言葉は、ただでさえ授乳中で疲労していた私の心身を直撃した。母乳は出なくなり、不眠の日々が続いた。 ある夜、発作的に家を飛び出し、一晩中あてもなく車で走り回った。 「このまま海に飛び込めば、楽になるかな・・」 と思い詰めていた。 家に帰ったのは、母を捜して泣き喚いているであろう、乳飲み子が不憫だったからだ。 それから、私は殻に閉じこもった。 育児、仕事、王子の鍼灸院通い を最優先し、家事、妻業、嫁業を放棄した。 それまでやっていた夫の弁当作りをやめた。 夫か帰宅する前に寝てしまうことも多々あった。 洗濯物はたまり、家中ほこりだらけになった。 定期的な義実家への連絡も絶ち、正月にも帰省しなかった。 今考えれば、完全なウツ病だったのかもしれない・・・・。 そんな私を支えてくれたのは、無邪気でかわいい子供たちだった。実家の両親だった。保育園だった。ベビーシッターさんだった。保健婦さんだった。 夫は義両親側につき、溝はますます深くなっていった・・・・
・・・・・続く 全5件 (5件中 1-5件目) 1 総合記事ランキング
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