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みんなが幸せになるために・・・・

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育児ノイローゼと戦う

2006.09.03
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ベビーシッターさんや家事支援のおかげで、家事・育児の負担が少し軽減し、だんだん体調もよくなってきた。

それと同時に、子供たちのこともまた、心からかわいいと思えるようになった。

育児ノイローゼからの脱却期がやってきたのだ

しかし、夫との仲は、その時の季節と同じ、相変わらず北風ぴゅ-ぴゅ-どくろ状態であった。

そんな折、インフルエンザが流行した。

王子、姫の順に感染し、(予防接種は受けてたのになぁ・・・)

またまた看病、通院など忙しい日々がやってきた。

しかし、この頃、少しだけ夫が変わった。

あんなに家に他人を入れるのを反対していたのに、ベビーシッターさんや家事支援のことを良く言うようになった。(頼んでてよかったね、みたいな感じ)

看病で疲れた私が子供と一緒に寝てしまっても、文句を言わなくなった。

姫が熱性痙攣で市立病院に救急搬送されたとき、電話をかけるとすぐかけつけてきた。(急に休めるか!とどなった人とは別人みたいだった)

姫のことを心配してくれていたのが、とてもうれしかった。

相変わらず、家事は全然してくれないけど、わからん

ときどきおみやげに私の好きな大福を買ってきたり(どういう風の吹き回し?

二人きりで外出して喫茶店でケーキを食べながらゆっくり話しをしたり、(夫とデート!?)

家族でいろいろでかけるようになったりして、(そうめん流し  , 宮崎旅行

少しずつ、北風秋風くらいに なってきたような気がする。

まだまだ夫への不満は多いけど・・・

子供のことはかわいがってくれるし、仕事もちゃんとして家計を支えてくれているし、何より子供たちが夫のことを大好きなのだ。

だから、子供たちのために、自分のためにも、これからは何でも話し合って、自分で全部溜め込まないように前向きに生きていこうと思った。

きついときには、また人を頼ればいいのだ。

義実家との関係もぎくしゃくしていたが、私の誕生日に義母からFAXが届いたり(誕生日 )、義実家に久しぶりに帰省したり(ほたる )、運動会、父の日 宮崎旅行などのイベントを経て、少しずつ元に戻りつつある。

心の中では、まだ夫や義実家に対するもやもや感はあるが、これはきっと一生消えないであろう。でも、この気持ちを乗り越えて、生きていこう。それが子供たちのためでもあるから・・・。

・・・こうして、現在どん底からなんとか這い上がり卒業式、楽しいこと、オモロイことを探し、前向きに生きる母と化したのであった・・・・。

結論

育児ノイローゼは、母親が全部一人で抱え込むことで発症する。

特に、夫婦関係の良し悪しは重要な要素である。

このとき母親に適切な手が差し伸べられれば、きっと育児ノイローゼは解消するはずなのだ。

 

・・・終わり。

 

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最終更新日  2006.09.03 14:49:40
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2006.09.01

おたふく難聴事件,姫誕生日,正月,七草のイベントごとに私たち夫婦仲はどんどん悪化し,氷河期になっていた。

七草のときに私が爆発したのをきっかけに、夫は小言をあまりいわなくなった。
(というか、お互い無口になって、会話がなくなっていた。)

私は体調がなかなかよくならず、家事どころか育児までもつらく感じるようになってきた。

育児ノイローゼの発症だった・・・・

朝起きて、「王子はトイレをさせ,姫はオムツを変えて、着替えさせる。ご飯を作って、食べさせて、歯磨きさせて・・・」などと考えていると、何故か逆に、体が動かなくなり、子供の世話も満足に出来ない状態となった。夫が帰宅しない日には、子供を風呂に入れない日もあった。食事も、朝はパン、夕方は惣菜なんてことも多々あった。

今まで、あんなにかわいいと思って育ててきたのに、育児がつらくなっていた。


王子がおたふく難聴になったとき、しばらく通院をしなければならなかったので、職場に事情を話して出勤を週1回にしてもらい、あとは在宅ワークだったから、仕事の方はそんなに支障はなかった。
つらく苦しいとき


でも、「下の子だけでも、母親が家で育てるべきだ。」

という夫の強行な意見により、11月に姫は保育園を辞めていた。

在宅ワークといえども、育児をしながら、というのはとても困難。

実母もたまには面倒をみてくれたが、まだ働いているので自由がきかないしあまり無理もいえない。

それで、ちょっとお金は高いけど、ベビーシッターさんを頼むことにしたのだった。(支払いはもちろん、私のお給料から・・・。)

このベビーシッターさんには、本当にお世話になった。

私の体調の悪いときには、子供の食事作り、洗濯(たたむまで)、買い物もしてくれた。

このとき、私は思った。

「人に頼ってもいいんだ・・・。」

今まで夫には頼れず、実家も自営業なので気を遣い、義実家には尚更気を遣い、全部自分で抱え込んでいた。だから、不満や疲れがどっとたまっていたのだ・・・と。

掃除も、2週間に一度、グリーンコープの家事支援の方に来てもらうことにした。これは、フルタイムで働いている友人に紹介してもらった。1時間1200円と高いけど、とても助かった。(もちろん、支払いは私の給料から・・。)

こうして、家事、育児を休んでいると、気持ちにも余裕が出てきた。

そして、また、だんだん「子供がかわいい。愛おしい」と心から思えるようになってきたのだった・・・・・

・・・・・続く。(次回最終回)







最終更新日  2006.09.01 08:13:13
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2006.08.31

王子の七草祝いをしてくれるという義父の申し出を「拒否した」みたいな形になり、気まずくなったまま義両親は隣県の自宅へ帰っていった。

罪悪感に見舞われた私は、折からの疲れとストレスのため、高熱を出し寝込んでしまった・・・。

そのとき、夫はいたわりの言葉をかけてくれることも、家事や育児を手伝ってくれることもなかった・・・。

大晦日になっても体調はよくならず、(おそらく、「行きたくない」という気持ちが生み出した心身症みたいなものだったのかも・・・。)
結局、夫は王子だけ連れて義実家へ帰省した。

実母がおせちとベビーフードを持ってきてくれたので、姫と二人、なんとか生き延びることができた。

正月も明け、私の体調も次第によくなり、夫と王子も義実家から帰ってきた。

気まずい雰囲気の中、王子の七草祝いは家族だけでもやってあげよう、ということになった。

しかし、七草粥をもらう7軒が確保できなかった。(7軒の家を回ってお粥を頂き、それを食べるとずっと健康でいられるという、七草の風習である。)

同じ市内に住む実母、弟宅、実叔母宅の3軒には頼むことができたが、義実家ときまずくなっている今、そちら関係に頼むのは気がひけた。しかも、義実家は隣の県にあるので結構遠いのだ。義姉にも頼んでみたが、「その日は仕事がある」と断られていた。

困って実母に相談したら、実家近辺の知り合いに頼んでくれて、なんとか7軒確保できた。

しかし、これがまた夫には気に入らなかったムカッ

義父の申し出を断っておきながら、私の実家主導で七草を祝うのが、納得できなかったのだ。
その気持ちは理解できたが、自分で7軒を確保しようと行動するわけでもなく、すべて私任せにしていたので、気に入らなくても同行はすると思っていた。

そして七草当日、いよいよ出かけるという時になって突然、夫が言った。

オレはいかんぞ。親父の申し出は断ったくせに。納得できん。」

その言葉に、たまりにたまっていた怒りが爆発した。ムカッムカッムカッ爆弾いなずま

あんたはいつもあっち(義実家)寄りで、私の体調とか気持ちよりも、義実家の面子のほうが大切なんだよね。せっかく祝ってくれるというのを断ってしまって悪いと思ってるけど、それって全部私のせいなの?体調が悪いから、正月は家でゆっくりしたい、って言っただけじゃない。姫の誕生会だって、全部わたしが準備したんだよ。七草の準備も、7軒の手配も、全部私がしたんだよ。あんたは何もかも人任せにして、文句ばっかりいうじゃない。もうイヤだ。もう七草祝いはやめたぁぁぁ~~~!!

子供の前でそう言ってしまったのだ。

すると夫は言った。

・・・王子の七草祝いをしてあげて。」

みると、王子は泣きそうな顔をしてこちらをみている。

確かに、王子には罪はない。それに、7軒の家では七草粥を用意して待ってくれているのだ。

少し頭の冷えた私は、王子に「ごめんね。今から神社に行こうね。」といい、夫に無視をくれたまま家を出たのだった。

こうして、七草の7軒回りと神社参りは、結局、私一人ですることになった。

「旦那さんはどうしたの?」の問いに「急な仕事で・・」などと苦しい言い訳をし、(子供の一大イベントに仕事をいれる親なんか、どこにいるのよ、と思いながら)なんとか7軒回った。
病み上がりでとてもきつかったけど、寒い神社で御祓いもしてもらった。


・・・・・・このとき撮った、王子の着物姿の写真は、今でもリビングの壁に貼ってある。

子供の大切なお祝いをすっぽかした、アホな夫にあてつけるために・
・・・。

そしてこの後、私はまたしても高熱を出し、またまた寝込んでしまったのであった・・・・。


・・・・・・続く







最終更新日  2006.08.31 12:51:17
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2006.08.30

2ヶ月間鍼灸院通いをしたが、効果はなく、王子の左耳の聴力障害は残った・・・片耳聾について その3

思いのほか本人が何も悩んでいないように見受けられたのが、不思議でもあり、ちょっと安心したところでもあった。(でも実は気にしていたことが後日明らかとなった・・・七夕の願い )

障害とともに生きていこう、親が気にすれば、子も気に病むのだ、と自分に言い聞かせ、2ヶ月間休んでいたスイミングも復帰させることにし、元の生活に戻ろうと一生懸命だった。

ちょうどその頃、年末のあわただしい時期に姫の誕生日が来た。

王子のときには、両家の両親と、私の祖父母、夫の姉一家を招いて家でお祝いをしたので、

姫の誕生会も同じようにしてあげないとかわいそうだと思ったし、夫も「してあげるべきだ。」みたいな言い方をしていたので、とっても疲れていたけど、何日も前から準備した。

このとき、夫はほとんど準備も片付けも手伝ってはくれなかった・・・・。

倉庫から長テーブルを出してくれたことだけ。

当日も、みんな都合をつけて7時には集まってくれたのに、夫が帰ってきたのは8時前。主催者側なのに、全然立場わかってないと思った。何もかも人任せで・・・。

それでも楽しい会で、姫もはしゃいでいたので、「やっぱりやってよかったな・・黄ハート」と思った。

誕生会も終わり、実両親は帰宅し、義両親はうちに泊まることになった。

ところが、それだけでは終わらなかった・・・・

寝る前に「そういえば、こんど王子は七草だね。」と義父がいった。

(この地方では、数え年で7つになる年の1月7日に「七草」というお祝いをする風習があるのだ。)

私もそれは知っていたので、すでに着物、袴の準備をしていた。

義父は、唯一の跡取り息子の長男(王子)の七草祝いを盛大にやろう、と言ってくれた。

とてもありがたいお話だった。

でも、そのときの私は、ウツ状態からやっと抜け出した状態で、姫の誕生祝いの準備でいっぱいいっぱい気を張っていたので疲労困憊していた。

毎年、年末から正月にかけては義実家に帰省するのが習慣となっていたが、おおみそか→正月→七草というイベントを全てこなす自信がなかった。

おおみそかまであと3日しかない。

七草祝いの計画の話題で盛り上がる中、小さな声で、夫に相談した。

七草にどうせ帰省するなら、お正月は家でゆっくりしたいんだけど・・・・。」

すると、夫は目をつりあげて大声でいった。

じゃ、王子だけつれてオレは正月は帰るムカッ

嫁のくせに、本家の正月に帰省しないとは何事か、というような態度であった・・・・。

それを聞きつけた義父は、

「それなら、七草には帰ってこなくていいよ。正月にみんなで帰っておいで。」

と言った。

このせいで、せっかくの義父の申し出はふいになり、気まずい雰囲気となってしまった・・・。

・・・・・・続く。

 

 

 

 

 

 

 







最終更新日  2006.08.30 13:43:12
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2006.08.29
テーマ:たわごと(24123)

このブログのタイトル、「育児ノイローゼと戦う」について、そろそろ気持ちの整理もついたことだし、考察してみようと思う。

王子のおたふく難聴事件以来、私の夫に対する気持ちが激変した。

片耳聾について その1

それまでにも不平不満がなかったわけではない。

でも、根っこのところではしっかりつながっていると思っていた。

それなのに・・・・・

「保育園なんかに子供を預けるからこんなことになるんだ。」
「せめて下の子だけは母親が家で面倒をみるべきだ。」
「仕事なんかやめろ、やめろ。家のことも出来んくせに仕事なんかするな。」
「子供を病気にさせるなんて、母親失格だ。」

などという言葉は、ただでさえ授乳中で疲労していた私の心身を直撃した。母乳は出なくなり、不眠の日々が続いた。

ある夜、発作的に家を飛び出し、一晩中あてもなく車で走り回った。

このまま海に飛び込めば、楽になるかな・・

と思い詰めていた。

家に帰ったのは、母を捜して泣き喚いているであろう、乳飲み子が不憫だったからだ。

それから、私は殻に閉じこもった

育児、仕事、王子の鍼灸院通い を最優先し、家事、妻業、嫁業を放棄した。

それまでやっていた夫の弁当作りをやめた。

夫か帰宅する前に寝てしまうことも多々あった。

洗濯物はたまり、家中ほこりだらけになった。

定期的な義実家への連絡も絶ち、正月にも帰省しなかった。

今考えれば、完全なウツ病だったのかもしれない・・・・。

そんな私を支えてくれたのは、無邪気でかわいい子供たちだった。実家の両親だった。保育園だった。ベビーシッターさんだった。保健婦さんだった。

夫は義両親側につき、溝はますます深くなっていった・・・・

 

・・・・・続く







最終更新日  2006.08.29 14:45:46
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