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カテゴリ:邪馬台国・卑弥呼
月刊誌「歴史人」に卑弥呼、邪馬台国、記紀が取り上げられていたので、購読してみました。
![]() この本の中で「邪馬台国の真実」として邪馬台国九州説を唱える考古学者高島忠平氏が邪馬台国が九州にあったとする根拠(九州から出ていないこと。卑弥呼が統治する女王国は女王の境界が尽きるまでの21国を含む、およそ30近い国の連合国であること)を挙げており、私もこれまでブログに書いたように、その通りだと考えています。 一方、武光誠元明治学院大学教授の監修文に奈良の纏向遺跡と箸墓古墳の科学的年代測定の結果がちょうど邪馬台国の卑弥呼の時代と重なることから、大和説が成立するならばという前提付きで、箸墓が卑弥呼の墓である可能性がきわめて高いこととなるとしており、それを前提として、同氏の評価では邪馬台国論争は現在のところ7対3くらいで大和説が優位にたっているとし、それがまもなく大和説8、九州説2くらいの力関係になるかもしれないと言っています。 しかし、私からすると邪馬台国は九州でしかありえません。 魏志倭人伝をそのまま読めば九州に間違いないことを無謀にも畿内にもっていく。 それがこともあろうに、専門家であるはずの考古学界が大和説8割とは呆れてしまいます。 当初から近畿にありきで始まっており、歪んでいるとしか思えません。 なぜ大勢が畿内なんでしょう? その一番の理由が「投馬国は水行20日、邪馬台国は水行10日陸行1月」にあるなら、2/17と24の私のブログに書いた新説に一度目を通してください。 そして一日も早く九州に目が向き、大規模な発掘開始により真実が明らかになることを願ってやみません。 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.02.08 12:14:56
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