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昨日、誰でもピカソで草間弥生の特集、その後NHKでアメリカで評価された70歳のおじいさんの特集、
両者ともオリジナリティーの表現を追求している作家だが なんかピンとこない・・ 一緒にでていた評論家は小難しい事いっていたが、宇宙観がなんだらかんだらと・・・ わけがわかんない・・ 評論家はやさしい言葉で論じてもらいたいものである。 美術評論家はどんどん作品を難しい言葉でオブラートで包んでしまう。新しき表現をうみだそうとする作家の努力は買うが 評論家の評価が値段をつりあげていき、何千万何億という値段がつけられ、それが見る者に、ますます難解なオブラートでつつんでしまう。この悪循環がアートをますます、わけのわからんものにしているんだと思う・・何千万何億円なんて普通の人が買える訳ないじゃん。美術館が買うにしても税金の無駄じゃん。 企業が買うにしてもそんなもんより商品価格をさげてもらいたい。 本当に好きな物だったとしても、せいぜい無理しても百万までだろう。大量生産し付加価値をつけたグッズ的なものだったら売れるとおもうけど・・ 作家としてはマーケットはほしい、それも株式市場のような 個人投資家がはいっていけるようなマーケットです。 それがないと作家は生活できないし、絵も買うひといないでしょう。純粋な一般ユーザーの人気であがりさがりするマーケットがあればと思う。これが一番健全だ。 ヤマガタもラッセンもゴッホも草間もみんな同列にならんでいる マーケットがあるのがのぞましい。 ちなみに草間弥生の作品はきらいだ、みんな気持ち悪い。 みてて不快感がある。新しき表現を追い求めている努力には尊敬しますが。 だれもが表現できなかったオリジナリティ-・・・ 新しき価値観・・ それがどうなのよ・・とも・・ その先になにがあるの~・・とか・・新しき時代を感じさせられたからってどうなのよ。 新しき価値観、哲学は個人的にはテクノロジー、科学が生み出していくのじゃないかと感じています。 古典にはいってきたピカソもゴッホもなんも感じない。 どこがいいんだろ? ゴッホはまだ色彩の美しさやタッチのおもしろさがあるけど・・ 美しくないもんはきらいだからね。 それに値段と評価にごまかされちゃいけない、好きなもんは好き、 感じるもんは感じる、美しいものは美しい・・ただ それだけでいいのでは、その自分好みの作品を愛する、そこから先にあるもには作品の飽きががくるかもしれない、浮気もあるでしょう、それでいい。 自分で絵を描いてくると作品に飽きてくる、つまらないものに感じてくる、だから次の段階にすすむことを試行する。 これが死ぬまで永遠にやることになるんだなあ・・・ 1週間前に描いたものが陳腐なものに見えてくるから・・ 不思議。イラストはもっとむずかしい他人の情報伝達の意思と自分の表現のマッチングをしなきゃいけないからね。 制作の時間的制限もある。 依頼もなく好きな物を描き続けるのは自分の頭の中にあるイメージ をうまく表現することの難しさがあるけど自由でいい。 美術作家の大部分は普通のイラストレーターにはなれないでしょう。イラストレーターも作家として生きていくのも難しい。 そうそう、難しい事考えないで、ひたすら好きなもん描き続ける事で良いかなと思うこのごろです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.07.09 11:17:30
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