2007/12/15(土)03:22
電化製品の寿命に心を痛める
最終の新幹線で大阪に帰って来た。
新大阪まで妻が迎えに来てくれた。
車の中での話題は、修理に出している車のナビのこと。
先月、車検に出した後、ナビが壊れた。
走っているところと地図の情報が全然合わない。
ディーラに持って行き修理依頼すると本体をメーカーに送って調べるという。
メーカーからの回答は、
「基盤が水に濡れて修理不可能」
妻が言うには、
「納得がいかない。ナビは、車内の機械、ナビ本体が水に濡れる事はありえない。」
ディーラの整備の人も同様の思いで、メーカーに再度問合せ中らしい。
車を購入したのが1996年だから、もう10年以上乗っている。
エンジンの調子もすこぶる良いし、室内空間が広いので買い換える気が無くて、先月車検に出したところ。
10年使用すれば、自然劣化で故障も仕方がないように思えるが、「水に濡れて」という理由は、いくらなんでもないだろう。
それと、さっき、妻が寝る前に
「レコードプレーヤーも壊れた。A面が終わっても針が上がらなかった。B面を聞こうとレコードを裏返したてスタートしても、うんともすんとも言わない。電源入れなおしたりしてみたがダメ。」
と寂しそうに言う。
このレコードプレーヤー私が大学生の時に買ったものだから20年以上も前の製品。
これは、寿命かも
愛着があるものが壊れるのは辛い
最近、身の回りの電化製品の調子が悪い。
10年と言わず、壊れていく。
何か連鎖反応のように壊れていく。
壊れたからと、直ぐに買い換えるわけにも行かない。
先立つものが。。。。。。無い。
そう、特に今年から来年にかけて、上の子供の高校受験で塾等に出費が多い。
だから、壊れた物の使用頻度と必要度を考慮すると、車のナビもレコードプレーヤーも無くても差し当たり困らない品物になる。
しかし、長く使っていると、そこにあることが当然と思ってしまうから、その場所から無くなるとポッカリと穴が開いたような感じで寂しい。
故障したことより存在がなくなることの方が悲しい。
大げさな言い方ではあるが、まるでペットが亡くなるがのごとくである。。。
出張から帰って来て、悲しい出来事ばかり報告されるのも辛い。
私に知らせる妻も、良い事の報告でないので伝える声に元気がない。
クリスマスが近づくけど、暖かい内容が全然ない。
ああ、風呂上りの体に夜の寒さが染みる。
さらに愛着のある電化製品の寿命に時の寒さを感じる。