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和歌山市の整体院 ほぐし家 なかむらへ            今すぐお電話(073)447-1055

和歌山市の整体院 ほぐし家 なかむらへ            今すぐお電話(073)447-1055

☆自己紹介

◇経歴

1970年 和歌山県日高郡美浜町で生まれ 20歳まで育ちました。

1991年 和歌山高等専門学校機械工学科卒業
  
1991年 三菱電機エンジニアリング和歌山事業所に配属

(入社した年に腰痛となり、以来10年あまり慢性腰痛を患う)

2003年1月 長女文音(あやね)誕生

2003年3月 退職

2003年4月 山城カイロプラクティック学院入学
       
     (初めて故郷和歌山を出て、大阪で家族3人で暮らし始める)

2004年6月 みなみマッサージにアルバイトとして働き始め、学校卒業後
        そのまま就職

2005年3月 山城カイロプラクティック学院卒業

2006年8月 みなみマッサージ退職

2006年9月 長男悠佑(ゆうすけ)誕生

2006年10月 整体院 ほぐし家 なかむら開院

2009年5月より 仙台・今先生に操体を師事。


◇腰痛との出合い(笑い)

 入社1年目(21歳)に現場作業中に、圧縮機(コンプレッサー、約40KG)を
 無理な体勢で提げた際、「ぎっくっ」となり、それ以来慢性的な腰痛生活
 に入ることになる。

◇腰痛治療

 まず、整形外科に行き、レントゲン、MRI撮影の結果、
 椎間板ヘルニアによる神経圧迫が原因と診断され、お医者さんから
 『完治は難しい。』と言われショックを受ける。
 自分の予備知識として、ヘルニア⇒重い症状⇒手術が必要。
 というのが頭の中にあった。

 『完治は難しい。』というのが頭から離れない状態で
 温熱療法やストレッチと言ったリハビリを受ける。
 ⇒当然、状態は改善せず。

◇治療院めぐり

 整形外科を出発点として、整体、接骨院など腕がいいという
 治療院があると聞くと、
 「今度こそ、良くなるのではないかっ!」 という期待と
 
 「今度もまただめでは。。。」というネガティブな気持ちが交錯するなか
 治療院めぐりをしていました。

◇あきらめ

 結局、どこにいても症状はよくならず、治療院探しをするのは
 止めました。
 時々、腰痛を再発していましたが、日常生活は支障がなかったので
 再発したときは、会社を休んだりしていました。
 

◇第九との出愛

 休みになってもこれと言った趣味もなくダラダラとした休日を
 過ごしていましたが、会社の近くで『第九団員募集』のポスターと
 運命的な出愛。
 合唱素人の私でも誰でもOKとの一言で、入団決定。
 入団した日から『ドイツ語との格闘』が始まった。
 『第九』はドイツ語で歌うとは入団するまで全く知らず。
 知っていたら逆に入団していなかったかも。。。
 結局、大阪に引越しするまで5年間『第九』を歌いました♪


◇大切な仲間との出愛

 その年一緒に第九に入団した新入団員のMくんはたまたま同い年で
 話が合い、ギターがとっても上手かったので、Mくんにギターを
 特訓してもらいました。
 また、同い年の先輩団員Mさんもギターが上手く、僕の名前のMをとって
 三人のMで『3M』というべたな名前のバントを結成しました。 
 そういえば、冬の夜中に野外で練習したこともありました♪
 また、第九には老若男女、下は小学校上は80歳と色んな方が入団
 されていました。団員の方とゆっくりお話することでとってもココロが
 豊かになりました。
 このころには腰痛もあまり気にならなくなっていました。


◇アカペラとの出愛

 ギターに夢中になっていたころ、『一緒にアカペラやらない?』
 と同じ会社で働いていた人に誘われ、面白そうと思ったので
 五人組のメンバーの一因になりました。
 私以外は京都のR大学のサークルのメンバーで
 兵庫、京都、大阪、和歌山と住んでいるところはばらばらで
 主に、大阪で練習していました。
 友人の結婚式の二次会や会社の夏祭り、会社の忘年会、
 アカペラコンテストの場で発表していました。
 今思うと、すごく充実していました。


◇カイロプラクティックとの出愛


 仕事にやりがいを見出せない状態で、何とかしたい思いが
 ずっとありました。 
 ふと、今の仕事のためになる資格を取ろうと思い
 資格の本を購入しました。
 その中に「カイロプラクティック」の専門学校のことが載っていました。
 読んでいるうちに、夢中になりこの道にすう進もうと決めました。
 人間が持っている『自然治癒力』を引き出して治す、と言う言葉に
 感動したことを今でも覚えています。

◇妻の妊娠、長女の出産


 「カイロプラクター」への転身を決意した時は、夫婦ふたりでした。
  転職しても夫婦で働けば何とかなるだろうと思っていました。
 ちょうどその頃、妻が結婚7年目にして子供を授かったことが分かり
 夫婦二人で大喜びしました。
 ちょっとでも安産で生まれるように、夫婦でたくさん歩きました。
 そして退職する年の1月に48時間以上かかって無事文音が生まれました。
 私も最初から最後まで立ち会うことが出来ました^^
 

◇やはり退職を選択


 長女を授かったこともあり、退職するのか会社に残るのか
 もう一度考えることにしました。
 結局は、子供で来たことを理由にしてそのまま会社に残っても
 後で後悔するだろうと思い、退職することにしました。


◇学校卒業後に即開業をココロに決め、入学


 カイロの専門学校(2年間)を卒業したらすぐ開業する気持ちで
 入学しました。
 そのため、早くからインターン(研修)をスタートしましたが
 インターン先の先生の考え方を受け入れることが出来ず、ここまま
 技術を習得してもダメではないかと考え、悩んだ挙句
 インターンを途中で止めることを決意します。
 この前に、マッサージ店でアルバイトを始めていました。
 でもこの先どうすればいいか、当然不安な気持ちが生まれました。
 

◇マッサージとの出愛


 派遣の仕事で布団工場のアルバイトをした帰り、
 アルバイトの載った本を見ている中に、就職した
 みなみマッサージのことが載ってあり、条件面もいいし
 マッサージの技術も学びたかったので、思い切って電話をし
 面接となりました。そしてうれしいことに面接のその日に
 採用が決定しました^^


◇恩師の助言


 私にマッサージを一から教えてくれた恩師は
 マッサージ歴20年の方でした。
 マッサージ店にアルバイトとして採用されたときも
 学校卒業後に開業する意思を伝えていましたが
 恩師の助言でもう少しマッサージの勉強をする方がいいと
 判断し、開業まで期限を決めずもう少しお店に残ることにしました。


◇操体法との出愛


 ある日、本屋さんで操体法の創始者橋本敬三さんの著書を読んで、
 操体法の魅力に取り付かれ、インターネットで近くで操体法を
 学べるところを探しました。
 そして今せんせと同じ頃に温古堂におられた京都のまるずみせんせの所に
 たどり着きました。
 水曜日に月2回ほど大阪から京都まで通う日々が続きます。
 
 
◇妻が長男を妊娠し、和歌山での開業を決める


 そのときのことは忘れましたが、妊娠5ヶ月の安定期を過ぎて
 から長男の妊娠に気づきました。
 と言うことで、つわりも気づかないうちに過ぎていきました。
 あったのかもしれませんが。。。
 私たち夫婦はかなりののんびり屋さんかも知れません(笑)
 出産するなら長女を出産したクリニックの先生のところで
 という妻の思いもあり、和歌山に戻って、開院する運びとなりました。


◇ココロの勉強


 整体の仕事においてココロの勉強が不可欠だと感じ、
 半年あまり、セミナーを受講したり、関連の本を読んだりして
 自分なりに実践して理解を深めました。


◇ほぐし家のこだわり

 ・自身の腰痛治療の際、ココロとカラダの関係を話してくれる
 先生がいませんでしたが、病は気からと言うようにココロ
 (気持ち)の部分が『治る』ことに大きくかかわっていることから
 お客さんにも「ココロの持ち方」と発する「言葉の大切さ」を伝えながら、
 カラダのゆがみをし、自然治癒力を引き出す施術を心がけています。

 ・そして人が生活するうえで自分の責任でしなければならないもの
 1.呼吸、2.飲食、3.運動、4.想うこと
 を気持ちよく行う操体的生活をお客さんに奨めています。

 ・また、元気なココロとカラダを取り戻し、笑顔で好きなことにチャレンジ
 する人を一人でも増やすお手伝いをしたいと考えています^^


◇好きなもの
笑顔 コーヒー 本 人 宴会 話し 野球
歌、カラオケ     


◇特技
すぐ寝れる 聞き上手
サザン・桑田さんの物まね

◇好きな芸能人
所ジョージさん

◇自分をツイてる人と感じますか? 
はい



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