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~ Only Human ~ 私の腎移植物語

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パニック障害

2007.06.19
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カテゴリ:パニック障害

ここ10日ばかり前に、いきなり動悸が来てしまい、パニック発作特有の状態になってしまいました。

それから、夜あまり眠れていません。

そして「人を殺したことになってて、警察に追われている夢」や、「M先生が、大学病院に行ってしまい、もう二度と私の主治医には戻って来てくれない」

そんな悪夢を見てはうなされる毎日です。

 

今もお昼寝していたら、今度は最悪パターンでした。

私が軽い交通事故に遭ってしまい、移植腎を打ってしまったみたいなんですね。

それで、私の移植腎から出血が止まらなくなっているようで、移植した病院の先生たちが「開けてみて、ダメそうなら摘出する」と言っている夢でした。

ハッとして起きたら、汗をびっしょりかいていて、頭の芯がしびれたような感じと、動悸が残っていました。

 

それと動悸の回数も確実に増えて来ています。

最近出していただいた抗不安薬「ワイパックス」を、今服用したところです。

たった1時間半のお昼寝なのに、体重は0.6kgも減っていました。

今一生懸命アクエリアスを飲んでいます。

 

なんでこんなことになってしまうのか、ちょっと思いつきません。

自分ではだるさはありますけど、気分的には今はとても安定していて、あまりツライという気持ちはないつもりなんです。

しいて言えば、疲れちゃって自分で身体を動かせないし歩けないくらいでしょうか。

 

PD再発と考えて、また心療内科なり精神科に行った方がいいのかなぁ・・・?

レキソタンがないから、つらいんですよね。

あれはたった2mgで、眠気も出ずスキッと落ちるからいいのですよねぇ。

私は以前、パニック発作の予防として「セパゾン1mg錠」「レキソタン2mg錠」「デパス0.5kg錠」を各何回かに分けて飲んでいたのです。

これらの薬がすべて「作用が強★★★★★」で、順番に効き目の時間が「長」「中」「短」となっていたこと、知って関心しました。

今はほぼ頓服で、デパスも発作が来た瞬間は0.5mgでは効かないので、朝晩のみ服用して、お昼の1回分は残しています。

やっぱり発作は怖いから、自己防衛してしまって・・・。

でも、今の病院で出していただいている「ワイパックス0.5mg錠」はパニック発作にも効くそうですので、このままデパスと一緒にもう少し続けてみようと思っています。

 

私は7/2~7/5の4日間、沖縄に行っちゃうんで、なるべく現地で楽しめるように体調は良くしときたいんです。

こういうこともストレスの原因になっているのでしょうか・・・。

 

そうそう、昨日スマスマのビストロに、ミスユニバース世界大会で1位になった「森理世」さんが来店しました。

彼女は3食きっちりか、6食をちょこちょこと食べるそうです。

そして動くことが基本とおっしゃっていました。

私とは正反対・・・、いいことお聞きしました。

 

私は6食は無理でも、1日4食を目指してみようかな?

黒豆のおかゆとか、お豆腐とか、ささっと食べられるものなら水分も取れるし、おなかにたまらないし・・・。

ちなみにお昼は10分で出来る「えいちょん手抜きつみれ汁」にしました。(笑)

あとパステルの黒ごまプリン(激ウマ笑)

 

だめですかね・・・?

こんな献立は。







最終更新日  2007.06.19 15:42:17
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2007.05.15
カテゴリ:パニック障害

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とうとうずっとやめていた抗不安薬が復活してしまいました。

まぁ、飲んでる量は少ないんですけど。

今まではデパス0.5mgを朝と寝る前の2回のみでした。

でも、今はセパゾン朝1錠 レキソタン朝夕1錠ずつ デパス朝と寝る前1錠ずつ

ずっと飲んでなかったので、薬はまだあるので心療内科には通いません。

と言うか、妹も通っている透析の病院に、パニック発作再発の原因をなんて言ったらいいか私にはわかりませんから。

これからセパゾンと、レキソタンをどこかで処方してもらわなきゃいけなくなりました。

多分すぐ発作は収まるとは思いますが、疲れがたまっていて身体がだるいです。

 

今も、だらーっと家事していたら、いきなり真っ暗になってきて、稲光いなずま(雷鳴は聞こえませんでした)が走りました。

10時にはイイ天気だったからお布団干していたのに、その事がすぐ頭に浮かばず、気づいた時は土砂降り。

ちょうど雨の方向が反対向きだったから、お布団にはちょっと水滴が付いただけでした。

でも、そうとう頭の中ぐちゃぐちゃだなぁと実感。

今急いで乾燥させてます・・・。

 

不安と言うより、鬱入ってる感じ。

病院行く以外は家の中で家事するか、夜遅く帰ってくる主人を待ってるだけ。

なんだかもうイヤになっちゃった!!!

みんな忘れて、寝ちゃいたい。

でも利尿剤飲んでるから、寝逃げすることも出来ない。

今はただ、布団にくるまって夢の中に逃げたい。

涙も出ない。

出るのはただただ、ため息。

ダレカタスケテクダサイ・・・

 

( 画像:「還りたい場所」 )







最終更新日  2007.05.15 13:45:05
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2007.05.14
カテゴリ:パニック障害

土曜日の夜、とうとうPDの発作がきてしまいました。

理由なんか本当は書きたくないくらい、今、気分が落ちています。

同じ市に住んでいる実家の母と双子の妹と、完全に縁が切れたのです。

切れることになった理由は今以てわかりません。

 

結婚した当時、私は一時、都内(葛飾区)で暮らしたことがありました。

その時は、独身用のマンションでしたので、幸せでしたが部屋が狭くて私の嫁入り道具の半分も入らず、シンクも超ミニで大きな鍋もシンク内に入らず洗えない、野菜やお肉の下ごしらえも満足にできない小さな台所でした。

今考えるとあの頃、新婚にもかかわらず、何を主人に食べさせてあげてたのか思い出せません。ひどい妻だったと思います・・・涙ぽろり

透析の病院も変わり、それまで16年間通っていた病院から、マンションから歩いて行ける足立区の病院に転院します。でもそこも私にとってはストレスをためるばかりでした。

血圧がもともと100以下の私に薬剤を使って血圧を上げる、そして130を切るとベッドの足を上げて頭を低くされる。毎回頭が痛いまま帰され、そして、親離れできていなかった私は実家に帰れない事が寂しく、誰も友達のいない街の、狭い部屋でいつも主人が帰って来てくれるのを待つだけの生活でした。

実家からは、その時は親離れ出来ていない私を思っての言葉として「もう実家の敷居はまたぐな」と言われました。

その頃、パニック発作を始めて経験し、日増しに悪化して行きました。

ストレスでホルモンがめちゃくちゃになってしまい、生理が1ヶ月止まらなくなり、婦人科で「ホルモン剤」を打ちます。

それをきっかけに「更年期」のような症状も出現、後へも先へも進めなくなってしまった私でした。

そんな時は、好きなカラオケボックスの中でも発作を起こし、何度救急車にお世話になったか知りません。もう限界になっていて、その頃が一番薬を飲んでいたと思います。

でも、透析で一気に薬物成分を抜かれるから、身体は半年で中毒。

そんな苦しい時に実家に電話をすると「そういうのも承知で一緒になったんだから、旦那さんになんとかしてもらえば」と言われたこと、今でもはっきり覚えています。

私は主人の方の人間になったんだから、あとは知らないと言った態度でした。

最初は信じたくなかった。私にもなにか怒らせることを言ったのかも知れないし。

 あれから、もう2年半が経ち、実家から車で10分の場所に住んでいます。

最近は移植のおかげもあって、パニックも起きていませんでした。

 

土曜の夜、現在あまり体調の良くない透析をやってる妹に電話をしました。

リンとカルシウムのバランスの良くない妹が、副甲状腺の手術を受けたあと具合が悪くなり入院から帰った日の夜でした。

最初は和気藹々と話していたものの、だんだんと険悪な感じになってゆき、話は昔の私が「パニック発作」を毎日のように起こしていた頃の話になり、「あの時はマジでウザかった」と言われます。

妹は透析の事を何もわからずに、自分の透析データも読めません。聞いても忘れます。

そして具合が悪いと電話で私に聞いてきます。唯一姉として頼りになっていると実感する一瞬でした。

でも、私が一番辛かった「パニック障害」の一番ひどかった頃、たまにかけた電話が「ウザかった」と「今でも(私)からの電話は出たくないし、(私)なんて結婚した日から、姉だと思っていない」と言われました。

私は電話口で号泣してしまい、母に電話を替わってもらうと、母はもっとすごく、「おまえは今幸せなんだから、いちいち電話して、妹の気持ちを逆撫でするな。」と言われました。

「それってどういう事?電話しちゃ迷惑なの?」と聞くと、「用もないのに電話してくるなよ」と言われたのです。

ショックというか訳わかんない状態になり、電話で話している時に過呼吸が起き、泣くと、「あーそういう声聞きたくない!」と受話器を置こうとします。

その後ちゃんと話合っても、母と妹の私に対する感情が変わる事はありませんでした。

 

私には主人との生活がある。

私はいつか主人の生まれ故郷の札幌に一緒に帰る身です。

だから・・・哀しいことだけど、これからは主人の腎臓を私にくれることを唯一理解してくれた主人と、あちらのお義父さんとお義母さんを、本当の父母と思って生きていこうと思いました。

哀しくて、思い出すたびに、涙が止まらなくなって、パニック発作にそっくりな状態になるけれど、少なくとも私は今幸せだから、振り返らないことに決めました。

いつか、わかってくれる日まで、心穏やかに待とうと思います。

 

最後に母が言っていました。

「肉親だからこそ、許せない。認めたくないんだと思う。」

なんとなくわかるような・・・許せないのが何なのかはまだまだわかりませんが・・・。

3人の中で、一番先に誰かがこの世を去る時、答えは出ると思いたい。

死んでまでなお相容れないほど険悪だったとは思いたくない。

私がもっと母と妹をわかってあげたかったと思うことが、結局は母と妹をこんなに苦しめるとは思いませんでした。

私はもう気をつけてあげられないけど、ぜんそくのお母さん、タバコほどほどにね。

○○ちゃん、透析がんばるんだよ。

いつでも見守っているからね。

 双子の姉より







最終更新日  2007.05.14 06:28:27
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2007.02.05
カテゴリ:パニック障害

昨日、久しぶりに眠れなくて、またまた眠剤がぶ飲みしました。

昨日はハルシオンだったので、とりあえず朝7時の薬には間に合うことができました。

最近眠剤の使い過ぎか、平気で薬の飲む時間ズレます

この間なんか、最高に遅れて、起きたら9時でした。

もう本当にヤバイです・・・雫

9時に飲む薬と一緒に飲みましたけど、反省しました・・・

自分では発作もないし、寒いところに行かない限り動悸も起きないので大丈夫だと思ってはいるのです。

せっかく安定剤に頼らなくてもよくなったのに、動悸のために「安定剤を飲んでね」って言うDr.Mに対する一種の謀反でしょうか?

 

 

透析はやらなくなって、元気になったのに

それが実感できない私

毎日縛り付けられているような圧迫感

先生、私はこんなに不安なのに

先生はいつも「大丈夫」ばかりだよね?

私の前にはいつも、人形のような先生が座っているだけ







最終更新日  2009.05.27 03:53:09
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2007.01.31
カテゴリ:パニック障害

今日は、移植後約3ヶ月ぶりに心療内科行って来ました。

ちなみに、肝心な「パニック発作」は最近ずっと来てなくて、あれほど辛かったのがウソのように落ち着いています。

実は今通っている移植のほうの病院の主治医の先生が「移植後まだ一度も心療内科に行っていないなら、一度安定剤をどうするかだけでも行ってらっしゃい」と言うからでした。

前にもたしか書いたのですが、抗不安薬(精神安定剤)は、免疫抑制剤を身体の中で肝臓が分解するときに、その分解する酵素がお互い非常に近いため、もし安定剤を分解するために働くとき、必ずとは言いませんが、抑制剤が分解される時間が遅くなったりはやくなったりするんだそうです。

したがって12時間ごとに飲む免疫抑制剤の血中濃度が一定しないということが起こるんだそうです。

免疫抑制剤は、血中濃度が高くても移植腎を攻撃するし(腎毒性)、低すぎると拒絶が起こります。

結局どちらも移植腎をダメにするようです。

だから、M先生は心配しているのでしょう。

勝手に飲まれてるのもよくないので、きちんと現状を把握したいのでしょうね。

 

とりあえず、薬が変わりました。

セパゾン1mg ×2 (朝/寝る前) ※変わらず

デパス0.5mg ×3 (朝/昼/寝る前) ※変わらず

レキソタン2mg × (朝/昼/寝る前)→ リーゼ5mg × (朝/昼/寝る前)

に変更になりました。

診察したときの私の状態や薬の変更も、心療内科のK先生から、主治医のDr.Mに直接お手紙を送ってくれるそうです。

これで少しは、Dr.Mに私のこと分かってもらえるといいです。







最終更新日  2009.05.27 03:50:36
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2007.01.16
カテゴリ:パニック障害

昨日に引き続いて、今日もDr.Mの外来です。

今日は、先生のほうから提案という形で「安定剤をまた始めたらどうか」という話がありました。

最初はちょっと引きましたが、たしかに先生でも「疲れ」や「ストレス」から、怖いと思うほどの不整脈を体験していることを知って、昨日は家に帰ってから、やっぱり精神的なものから来ているのかな・・・と思えるようになっていました。

だから、ひとまずは先生のおっしゃる通りに「安定剤」を始めてもいいかな・・・と思いました。

そして千葉大病院の耳鼻科へ紹介状を書いてもらって、今日は1時間ちょっとで終わりです。

次の外来は24H心電図の結果がわかる1/25日に外来を入れてもらい帰りました。

とりあえず病院から帰って、前から通っていた心療内科に予約を入れました。

1/31に予約が取れましたきらきら

これから、どうなるのかな・・・

安定剤は、免疫抑制剤が肝臓で分解される酵素が同じで、安定剤を飲むことで、抑制剤の血中濃度が不安定になると言って、入院中は規制されていたのです。

だからまた再開して、今度は腎臓が拒絶なんかされないでよ・・・







最終更新日  2009.05.27 03:47:16
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2007.01.14
カテゴリ:パニック障害

私はPD歴4年になります。

パニックが始まる時ってみなさんいろいろだと思いますが、私の場合は、それは突然来ました。

1週間くらい前から風邪をひいていて、家事も何もできずに寝込んでいました。やっと治って、さぁ、家事を片付けちゃおうってがんばって、やっと終わって一息ついたとき、いきなり来たんです。

最初はドクドクドクッって動悸で始まりました。

あとで先生に聞くと、その頻脈は「突発性上室性頻脈」と言うそうです。とにかく130/分はあったと思います。そのうち息が苦しくなってきて、頭の中に心臓の音がハッキリと聞こえるようになって、その時に初めて恐怖を覚えました。そして、めまいが来て、身体中がしびれるような感覚がありました。

それから、一瞬意識が飛んで、気がつくと1分くらい経っていたので、これは心臓発作だな、と思いました。すぐに主人の携帯に電話して、「救急車を呼んで」と叫んでいました。

あとで考えると、心筋梗塞や狭心症なら胸痛があるし、立って歩いて電話の前まで行けないし、叫ぶことなど絶対にできないんですが・・・でも、動転しているので、まず救急車の119番が思いつかなかったのです。

そして救急車で私が通っているクリニックの本院に行きました。(私は腎臓が悪くて、以前は人工透析をしていました。そのクリニックは透析をやっているサテライトの本院で、心療内科もあります。これをきっかけに通うことになりました。)

病院に着いて、血圧や体温、心電図、頭のCTまで撮りました。脳がちゃんと写っていました・・・って当たり前ですけど、でも結局なんにもおかしなところはないと言われ、安定剤(デパス1mg)をもらって帰ってきました。

おかしいと思いつつも、デパス頓服で治っちゃいましたので、その時はそれで納得して帰ってきたのですが、それからが地獄の日々の始まりだったのです。

それからは、1週間に1回~2回は発作が来ました。薬はとりあえず頓服で出してもらったデパスを飲んでは落ち着いて、なんとか生活していました。

その後、心療内科に通うようになり、いろんな薬を飲んでみましたが、私は尿が出なかったし、その後の透析で一気に薬の成分を抜かれるため、血中濃度が安定せず、少量の薬でも、半分、中毒のようになっていました。

また、副作用が人の2倍、3倍になって出てくるので、なかなか先生も薬を固定できずにいました。

特に私にとって忘れられない薬として、SSRIのパキシルがあります。

この薬はたった1週間でやめたんですが、飲んだその日からとにかく気分がハイになって、夜眠れないのです。

それが1週間続いた後、またデッカイ発作(一番最初の発作より大きかったと思います。ほんとこのまま死ぬかと思いました。)が来たのでパキシルはすぐ中止となりました。

それから、テグレトールもすごい薬でしたね。

口の周りが硬直して、しゃべってもドモルし、手も震えるし、怖かったです。

去年の10月に移植をしてからは尿が出るし、透析をしなくてもいいので精神的に安定してきたのか、パニックもなりをひそめてたんですが、最近また動悸がするようになってきたんです・・

移植の免疫抑制剤の副作用でしょうか・・・

もう私どうしたらいいのでしょう・・・ ハァ・・・ショック







最終更新日  2009.05.27 03:44:17
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2006.10.06
カテゴリ:パニック障害

今日は、透析のため、検査は昨日からつけている24時間血圧測定だけです。これも、透析が始まる前にはずしていいそうなのでラッキー!

まじで昨夜は1時間置きに(昼間は30分置き、夜間のみ1時間置き)シューーーッと来るので、熟睡できませんでしたよ~雫 つうか、入院して熟睡出来た夜って、入院したその晩だけでしたっけ・・・

昨日の日記にもあるのですが、腎臓にある腫瘍・・・まだ腫瘍というだけで、それが良性なのか、悪性なものなのかは今のところ、全然わからないのですね。

でも、友達の透析仲間が腎臓ガンで亡くなっているので、情報を取り寄せたら、とんでもないことがわかったんですよ・・・

 まず、抗ガン剤が効かないガンであるということ。

 基本的な治療は、腎全摘という外科的治療に、免疫療法(いわゆる免力を高める)。

 他のガンが5年再発なしで、完治と見なされるのが、腎臓ガンの場合10年と長いこと。

免疫療法なんて、今のまったく逆の治療を、それも10年再発なしで完治・・・と聞いて、その瞬間、おそらく自分を見失っていました、完全に。

たまたま、パニックのことも全て話して、信頼している主治医のDr.Mがオペが終わり次第、来て欲しいと看護師さんに伝えておいたのが、連絡ミスでDr.Mに伝わっておらず、帰られたと聞いて、もうパニックになってしまったんですよね。

携帯握りしめ泣きながら、廊下を突っ走っていたら(実家に電話をかけようとしていた)、ナースステーションで御用となってしまい、そこにいらした先生やナースにいろいろ話を聞いてもらっていたのはいいのですが、ある先生(匿名)が、「(悪性であるとしても)ある意味、今回見つかってラッキーですよ」との言葉に、ブチ切れた私は・・・・つうかそこから先はあんまり書きたくないし、覚えてもいたくないので、ご想像にお任せということで・・・・(無責任)

とりあえず、明日・あさってと連休で検査もないということで、外泊許可をもらい、家に帰ってゆっくり身体と心を休めるということになりました。

冷静に考えてみれば、まだ悪性かわかったわけでもないのに、パニックこいた私もいけないんですが、こればかりは治しようがないんですよ・・ Dr.Mがいてさえくれれば・・・

とりあえず、夜はアタラックスP(筋注)を打ってもらい、無理矢理寝ました。

が、起きたのが、夜中の1時半・・・そこから朝の6時まで、切れ切れのイヤな夢を見ながら眠っては起き、眠っては起きしているうちに朝を迎えたのでした。

長い夜でした・・・・月







最終更新日  2009.05.27 03:40:40
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