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カテゴリ:韓国で暮らす
【社説】藤塚父子の二代にわたる秋史遺物返還
秋史・金正喜(キム・ジョンヒ/朝鮮時代後期の学者)の未公開手紙およそ20点を含めた遺物およそ2700点が、日本から帰って来た。 日帝時代に秋史の研究者として名をはせた京城大学の藤塚隣教授の息子である藤塚明直さんは、この膨大な遺物を果川市に寄贈しながら研究費200万円まで出したという。 父の藤塚も1944年、秋史の傑作『歳寒図』(国宝180号)を対価をもらわず、書道家の孫在馨(ソン・ジェヒョン)さんに返したことがあり、二代に渡る善行が輝く。 90歳を越えた息子の藤塚さんは、「秋史関連の資料は、当然韓国で保存されるべき」と淡々と話した。彼は、「百済の王仁(ワン・イン)博士が『論語』を伝えたように、今回の寄贈が、文化交流を再現できるきっかけになることを希望する」とも話した。考えれば考えるほど深みのある言葉だ。 父の藤塚さんは、1926年京城大学の教授として赴任した後、秋史に魅かれて仁寺洞や北京の古書店をあさり、秋史に関連した資料を集めた。 1936年、「朝鮮朝での清朝文化の移入と金阮堂」をテーマで、東京大学で博士の学位論文まで発表するほど秋史の研究に取り組んだ。孫在馨さんが藤塚教授から『歳寒図』を返してもらった経緯もおとぎ話のようだ。 日帝末期、藤塚教授が帰国すると孫さんは東京に渡って100日間、毎日お見舞いするように歳寒図を渡してほしいと丁寧に要請し、孫さんの丹念さに感動した藤塚教授は、歳寒図を返した。 3.1運動当時、民族代表33人のうち一人であり、当時の書道と金石学の権威だった呉世昌(オ・セチャン)が、「戦火を冒して死地に入って国宝を返してもらった」と感激したほど、この事件は韓国の文化財返還の歴史に印象的なエピソードとして伝えられる。 海外に散在している韓国の文化財は、その所在が把握されたものだけで、7万4434点に及び、そのうち46%が日本にある。時事週刊誌「タイム」は2002年、日本が19世紀末から解放(独立)までの間に、少なくとも10万点の文化財を収集し、略奪したと報じた。 日本が返還した文化財は、1965年の韓日協定の際の1300点など、わずか3500点に過ぎない。そのため藤塚父子の文化財返還は、より輝かしいものがある。冷や冷やする韓日関係にあっても、両国の交流が保たれているのは、藤塚父子のような善意の日本人がいるためだ。 『朝鮮日報』日本語サイト、2月4日
最終更新日
2006.02.04 19:18:00
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