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カテゴリ:韓国で見た映画・ドラマ・読書
仁川の仁荷大にいらっしゃる先生をIさんと訪ねた。
先生は中公新書『金素雲『朝鮮詩集』の世界-祖国喪失者の詩心』の著者で、萩原朔太郎の詩を韓国語に翻訳していらっしゃる。 近代詩の分野を専門とする韓日比較文学者である。 午前11時から学食での昼食を挟んで午後2時まで、とても楽しい時間を過ごすことが出来た。 研究室に膨大な蔵書が秩序だって並ぶ。 韓国文学の訳書も多い。 金素雲は韓国詩や童謡、民謡などの優れた翻訳家(韓国語→日本語)であった。 その翻訳は、戦前の日本の詩の形式にあわせて翻訳されているので、単なる翻訳ではなく、一種の作詩であり、創造的な営みであると感じさせられる。 どれだけ日本の詩を読み、詩的表現に熟達していったか、その陰の勉強に思いをはせたい。 この偉大な翻訳家は韓国の文学界(特に学界)では、「親日」的な作家ということで、認められていないそうだ。 戦中に、韓国の詩など韓国文化を日本語で紹介し、同時代の日本の詩人たちとも親しく付き合った。 侵略国の日本(人)に近かったということは、その人のイメージを悪くする。 金素雲の場合は異なるが、日本でも敗戦後、文化人の戦争協力を糾弾された。 戦争中に戦争を賛美したり、戦争への言論を盛り上げた論調を作り出した人たちは槍玉に上がった。 ある時代状況の中で、どんな表現をするのかーこれについては、また考えてみたい。 金素雲は決して日本の戦争に協力したわけではなかっただろうし、今の時代にそのような翻訳をしていたら、別にかつてのようには非難を浴びることはなかっただろう。 戦時中(日帝時代)の韓国文学は同時代の日本文学との関係が指摘できるのだが、韓国の学界ではそれをなかなか認められないそうだ。 この時代に日本から韓国が文化的な恩恵を受けたという論調は、生理的にも政治的にも受け入れられないのだろう。 そうしないと、へたをすると「日本は植民地時代に韓国に恩恵をもたらした」という一部の日本の政治家の意見に近づくし、植民地時代の日本の立場を正当化する論調を補強することにもなりかねないからだろう。 少し話がずれてしまった。 私はこれから本格的に韓国文学や文化、歴史の世界の扉を開こうとしている。 そこから広がる新しい出会いに、恐れとともに期待も大きい。 いつかは、韓国文学の翻訳に挑戦し、韓国文化を日本に紹介する仕事もしたい。 そして、近代韓日翻訳家の先駆者・金素雲からも、学んでいきたいと思っている。 以下は、最近日本に紹介された韓国詩についての記事 ************************ 詩人金鐘さん、日本の文芸誌に5作品収録 日本の月刊誌『韓半島』 2006年春合併号に光州の詩人、金鐘(キム・ジョン)さん(57)の「海」「歌」「呼応」「私の遥かな遠くの仕草」「暇な日」の5編が収録され、注目を集めている。 文学評論家の蔡洙永(チェ・スヨン)韓国批評家協会名誉会長は「包容と施恵の葛藤」と題した評論で「彼の詩は現実と宿命との間を行き来し、作品に内包する苦渋と悔恨の感覚がモチーフとなっている」と評価した。 1976年に詩「バラ園」が中央日報新春文芸に選ばれて文壇にデビューした金鐘さんは「はるか遠くある思慕」を始め8冊の詩集を発表し、同地域の代表的な詩人とされる。現在、国際ペンクラブ光州委員長と西欧文化院院長を務め、東新大国文科で教壇に立っている。また画家としても光州やソウルなどで展示会を開いている。 チョン・ウンギ記者 朝鮮日報・日本語版サイトより転載 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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