ねぇ 今年の春休みは何する?


クラサク


「不二ぃ~、ちょっと相談があるんだケド」
「何?勉強?」
「ちがーう!そんなんじゃなくて!」

不二の答えに、菊丸がブンブンと首を横に振って頬を膨らませる。

春休み開始も明後日に控えた放課後、皆気分が高揚しているようで、クラスの何人かは春休みの予定を話し合っていた。
もちろん菊丸もそのつもりで不二に話し掛けていた。


「あのさぁ、もーすぐ春休みだから、遊ぶ約束したいんだ」

菊丸の言葉に不二はきょとんとした顔で「僕と?」と答えた。

「ううん」

菊丸は首を振った。
不二は「だろうね」と言って微笑んで、
「じゃあ大石と?」と続けた。

菊丸は照れくさそうに頷く。
不二の表情が少し翳った。

「英二ならいつもの調子ですればいいじゃん」
不二がやや不機嫌そうに言ったが、菊丸は気づく事無く唸っていた。
「…そうなんだけどさぁ。最近大石のヤツ、素っ気無くて…」
「じゃあ止めれば?」

不二が溜め息まじりに呟く。
それにムッとした菊丸は「何だよ!それ~。だから相談してんじゃんか!」と更に頬を膨らませる。
しかし不二は相手にしないという風に席を立ちあがると、さっさと鞄の整理をして教室を出て行ってしまった。
菊丸は驚いて後を追おうとしたが、既に不二は階段を降りた後で見失ってしまった。

「逆ギレ?」

菊丸は困ったと呟いて腕を組み、その場に立ち尽くしていた。
(最近おかしいんだよね、不二ってばさ~)
そんな問いにも答えなど見つからなく、菊丸はやれやれと首を振った。

「分かったよ、最初から相談した俺がバカだったよーっだ!」

居ない背中に向かって舌を出すと、菊丸はすぐさま帰り支度を済ませ、目的の場所へと走った。
――この時間だったらまだ教室に居る。

「帰りに言わなきゃ。春休みのこと」

まだ会ってもいないというのにドキドキする気持ちを抑えきれず、菊丸はダッシュで大石のクラスへと走った。

大石のクラスまで来た時、不安が菊丸の頭の中を過った。
――断られない…かな…。
もしかしたら、断られるかもしれない。
最近の大石の態度が、前と比べると何処か素っ気無くて。
一緒に帰っても、交わす言葉がだんだん減っていて。

そういえば、最後に一緒に部活行ったのっていつだったっけ。

「……あ~…2週間前か」

…不安。

そこまで考えて菊丸はぶんぶんと首を振った。
(マイナス思考は駄目だ、俺!プラス思考プラス思考…)
何度も唱えて、勇気を出して扉を開けた。

丁度良いことに、クラスには一人だけしか残っていなかった。
他は皆、とっくに下校したのだろう。
見覚えのある後姿に、菊丸は思わず走り寄った。

「おーいしっ!かーえろっ」


そう、多分
いつもの調子で言った
いつもの調子で抱きつこうとした

だけど

「英二…悪い。今日は用事があるんだ」


いつもと違った


「にゃ~んだ!そっか。うん、分かった」

菊丸は努めて明るい声で返事をした。
大石はどこか遠い目をしている気がした。
「あ、そうだ」
菊丸は思い出したかのようにポンと手を叩き、言った。

「一緒に帰れないから今言うけど、今年の春休み遊べる?実はすっごい良い場所見つけたんだ~v」

努めて、明るく。


…夕陽が眩しい。

逆光で大石の顔が見えないじゃん。

今どんな顔してる?

いつもと同じで笑ってる?


「……………すまん」

長い間の後、大石がぼそりと呟いたのが聞こえた。


…ヤバイなぁ、かなりきてるよ。


「あ~そっかぁ…。もう予定あるの?」
「ああ。本当にすまん」
「ううん、いいって。気にしないでイーよ」


胸が痛いなぁ。何でだろ?

「じゃあ俺、帰るね」
「ああ、またな」

大石の声が遠くに聞こえるような気がした。
菊丸は刺すような胸の痛みを堪えながら半ば逃げるようにして教室を去った。

痛い
痛い
痛いよ

何で?


『……………すまん』

大石の声が木霊する。
菊丸は靴箱へ着くなり、素早く外靴に履き替えると、後ろも振り帰らずに正門まで走る。
視界が歪む。目頭が熱い。
胸が痛い。喉が焼けるように痛い。
痛い。


「た、たかが遊ぶのを断られたぐらいでさ~。俺らしくないって」

声が掠れる。
いつもの俺らしくない。
いつもの調子じゃない。

『……………すまん』


涙が溢れた。
恥ずかしくて、慌てて拭おうとしても次から次へと雫が零れ落ちて行く。
「うわ…なんか恥ずい…」
意思に反して零れる涙に、菊丸は一生懸命止めようと頑張ったが無駄だった。
「しゃーない。どっかで顔洗ってこよ」
丁度テニス部の部室前に水道があったはずだと、菊丸は急いで走っていった。

ふと大石が居るはずの教室を見上げると、胸がズキンと鳴った気がした。

「あっれ~、オカシイな。俺ってこんな泣き虫だったかにゃ?」

わざとらしく呟いて気分を紛らわそうと水道の蛇口を捻る。
流れゆく水道の水の冷たさに、胸が締めつけられる気がした。

「お湯出ないかな~」

無理だと分かっていても笑って呟いた。

「にしても冷たすぎだよ、この水」

普段気にしない事なのに、今は気にせずにいられなかった。


「……大石…俺、なんかしたかな……嫌われたのかな…」


水に手を当て、勢い良く顔を洗った。
水飛沫が上がり、制服も濡れていくがそんなのは気にならなかった。
止まらない涙を少しでも防ぎたかった。
春とはいえ、水は冷たい。
だんだんと手の感覚がなくなっていく。
それでも、止められなくて。
痛みは治まらなくて。

「英二!」

――大石の声が聞こえた気がした。

「英二!風邪ひくよ!」

きゅっと蛇口を捻る音に、菊丸ははっとして振り返った。

さらさらの栗色の髪。中性的な雰囲気。
不二だった。

「…なんだ、不二か」
「なんだとは失礼じゃない?せっかく心配して待ってたのに」
少しむっとした顔で不二が言った。
菊丸はタオルで顔を拭きながら問うた。
「何で待ってたの?俺、てっきり怒って帰っちゃったのかと思ってた」
「…まぁ、ね。別にいいじゃん。そんなコトは」
不二はにこっと微笑んで、菊丸の制服に付いた水飛沫を丁寧にタオルで拭き取った。
「うわ、何やってんの?!恥ずかしいからやめろよ~っ!」
「そんな制服で居る方が恥ずかしいよ」
「う…」
不二の言葉に返す言葉もなく、菊丸は黙って不二を見ていた。


――大石だったら、何て言うかな。


「英二」
「えっ!?な、何?」
不二が突然呼んだので、菊丸はびっくりして不二を見た。
不二はそんな菊丸の態度にクスクスと微笑すると、菊丸に手を差し伸べて言った。


「一緒に帰ろう」


胸が痛い

焼けるように 刺すように

痛い


大石だったら、何て言うかな。


「……」
菊丸が小さく手を差し出すと、その手を掴んだ不二はびっくりして言った。
「すごく冷たいじゃん、英二!」
ぎゅっと不二が手を握ってくれた。
その手はすごく温かくて。
まるで、誰かの手みたいに優しくて。


「…っ…」
「英二……」


涙が溢れて、しょうがなかった。


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