Parlare cafe 。・。*.起立性調節障害とともに。・。・。:

2011/01/09(日)11:28

自立と自己受容

前日記の松木さんはさらに・・『自立した人間の姿を「生命の樹」と呼びます。根がしっかりと大地に根付いている樹木は折れることがなく、厳しい環境でもしっかりと生きていくことが出来ます。人も「根がしっかりしていればどのような環境下でも『自分』という主体を大切に出来る。『自分』の存在をしっかり認めることで、互いの違いも認めることができ、 『自分』だけでなく、『他者』の主体も大切にすることができます。根に相当する部分が『自己肯定感』であり、『存在感』と『肯定感』の両方があって起こる感情です。他者とのかかわりを通じて十分な反応(resuponse)と肯定される経験が必要です。結果だけ求めるのではなく、その過程で起こっている感情や気持ちを我々がきちんと受け止め姿勢が求められます。ありのままの『私』の存在が大切にされていることを実感でき、安心感を得ることが出来る環境が必要です。「Full Value(人として最大限に自分の価値を高める姿勢)しっかりと根をはり、大地の栄養をタップリと吸収しながら厳しい風雪にも耐える太く、頑丈な幹になる。やがて、大きく広がる枝をつけ、あおあおとした葉を茂らせ更なる飛躍の為の実をつける。この木の一本一本が輝いてこそ、大きな森(=社会)となるのでしょう。【自己肯定感を育む活動~大地に根をはる人つくりをめざして~マザーアース・エデュケーションチーフ・ディレクター 松木正さんの文章より引用】~・~・~・~・~・~・起立性調節障害の昨年の勉強会でも『自己肯定感を高めること』や『思春期の子どもの心に寄り添う』内容が講義の中でもありました。起立性調節障害を病気と単にとらえるのなら、このような事が何故必要なのかということになるのだと思います。学校にいけないこと。勉強が遅れること、。友人との関わりが減ってしまうこと。日常の生活が出来にくくなること。で子ども自身が行けないというほどの体の不調に襲われているのであれば上記にある不安よりも、子ども身体をいたわる方が先ではないのか・・今のありのままを見つめるべきではないのか・・実はそんな事は100も承知なのですよね。しかし、子どものおかれている状態への不安のほうが高まってしまうのです。学校へ行かないと社会生活から排除されてしまうような感覚になってしまうから。なぜなら、子どもの居場所は学校であって学校が子どもの進路を確保しているような風に確信していたからです。私たちは、学校という社会に子どもの将来を丸投げしてしまっていたんじゃないかしら・・?学校に行っている子どもでしか、それでよいと思い込んでいたけれどもせっかくうちにいるのであれば、うちにいる生活の中で出来る事はあるはずです。それは、『肯定感』や「存在感』を与えてあげることでもあると思います。お母さんが、お父さんが、周囲の方々が。私はちょっとこう思ったりします。「私をみてね。こんな私でもいいかなあ~」「僕を見てくれ。こんな僕でもいいんかなあ~」って子ども達は、いままで、頑張って誰かに成果を褒められたくて頑張ってきた子ばかりじゃないかしら・・優しくって、従順で、頑張り屋さんで、手のかからないいい子として。ここでしっかり根を育てようではないですか~  

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