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2021/05/22(土)15:50

アニマルコミュニケーションから学んだことがひとつ

うちには犬がいて もう老犬で動けるけど歩けない状態 それでもかわいくてかわいくて この子を失うことがとても怖い・・・ 以前アニマルコミュニケーションの実践を2回ほど受けたことがあります。 最近YouTubeでお話を聴いていて、「私やっぱり興味ある!」って思っています。 でね。 動物は人間の思い、捉え方と違って「死」は通過点。 使命を果たしに肉体を借りて存在しているというの。 人間もそうかもしれないですが。 犬は人間社会の中の生活の一部分を共有しているだけなのですね。 なので自然界の生き物でピュアで透明感にあふれているようです。 人間社会の決まりとか、こうだとか、ああだとか、こうあるべきとか違うとか これらはすべて人間が作った物差しで測られているのです。 私は思うんです。 「今度仕事に出ていくとこの子たちがかわいそう。」 もちろん自分も見ておきたいのですけどね。 けれど、アニマルコミュニケーションしている人の話をお聞きしていて ふと思ったんです。 犬はもっと違う視点で見てくれているのかも。 「私の肉体は弱ってきました。けれとママ、私は大丈夫です」 そう言ってもらえたような気がしたんです。 ペットを失ったとき 「この子は幸せだったでしょうか?」「してやれることが十分でなかったのでは」 と喪失感と後悔に包まれてしまう。 けれど、天国に行った愛犬は 「私の肉体は衰え機能しなくなったけど、私はここにいますよ」「死は存在としての通過点」 「また使命を果たすための時を待っている」 そんな風に考えているそうです。 相手のことがきっちりわからなくていいのかもしれません。 相手のことが心配でも相手は心配いらないと思っているかもしれません。 相手を何とかしようと思わなくても何とかしていくかもしれません。 それなのに、私たちは経験というフィルターですっかりそんなことを 見失って、こうあるべきという価値観で支配していることも起こっているかもしれません。 その影響のほうが案外・・・ アニマルコミュニケーションできるようになりたいな!

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