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カテゴリ:現世
人の精神と肉体には、ある一定の区間だけ、エネルギーが込められていて、人生とは、そのエネルギーを消費しながら、生ある区間に何らかの創造的行為が可能な自由だけが与えられている。 人によっては、しがらみも多く、はじめから障害と共にスタートする場合すらある。 還元するのは時代の器、世界になるのだろうが、今では、その世界そのもののもつ意味が実に多層的であり、還元対象も多岐にわたっている。自分の思い描いた方向に建物を建てられているとは限らない。 「選択の自由」だけは存在している… ようでいて、実はここにもトリックがあり、大局的には人は「選択」させられている。 「選択」は自由意志の産物としてではなく、生活基盤に浸透している政治的、宗教的、道徳的な力学の影響下で、大概は方向性にバイアスがかけられており、本当の意味では、この重力に似た力からの解放・反抗的な力こそが「生命エネルギー」と言えるものであり、その源泉を元にした活動による産物は、特別な香りが漂っている。 時代を形成している力の雲のようなものがある。僕はそれを感じる。 そこにみんなが囚われていて、自由な想像というものはあまりなく、大体が「囚われて」いる。 こうした囚われの中で、自分自身ですらも、自分自身のことを知らずに生き、自ら望んでいることも…何らかの要求への答えだったり、または、それに対する本能的な逃避願望だったりする。 理性なんてものは買いかぶられすぎており、実際にはあまり効率をもって実現に寄与したことはない。 世界は終焉を迎え始めている… こうした主張や観察が最近目に付く。既に何十年前から、そうしたことを捉えていた人はいるのだけれども、それは層としては、宗教的な層やニューエイジのムーブメントの中でのみだった。 最近は、特に金融危機が叫ばれている。あの311事象も、全く関連生のない純粋な自然現象ではないのだということが囁かれている。 人生を試されている。あるいは神からの試練…そういう解釈しか、将来への活力を導き出すことが難しい。 ただ、一旦イニシャライズされてしまった空間は、そこに新たな建物を建設しやすい… ここにはメリットがあるはずだろう。 そして何よりも有無を言わさないものがある。 もう、次のことを考えなければならないのだから。。。 Eili ... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年10月02日 18時49分11秒
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