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テーマ:たわごと(26725)
カテゴリ:歴史
地下鉄サリン事件の被害に会われた方々の魂に 心よりご冥福を お祈りいたします。 3月20日が過ぎた。 この日の過ごし方は、意識しなくても黙してしまう。 実を言えば今でも、この時期は無条件に気分がものすごく悪く憂鬱になる。 そして感情部分よりもさらに奥に仕舞いこまれているものが何かを訴えかけているように感じる。 その反応を正確に追いかけていくことはできない。速過ぎて言葉で捉えきれないんだ。 ただ、当時僕に訪れていた印象は次のように刻まれている。 ・かもしれない ・たぶん~だろう ・きっと~に違いない ・だとしたら、このままうかうかしていられない。 ・でなければならない! ・なんてことだ!!! こうした印象の渦だった。この感情の遷移は劇的だった。 あの当時の僕の感情的・思考的・精神的時空間の導入部分をよく表している曲がある。 J.S.Bach:Keyboard (Piano) Concerto No.1 D minor BWV 1052 (1) これは学部時代に腐るほど聞き流しており、僕はこの曲をベースにして、感情的起伏と物事の判断をしていたように想う。 いわばベースにある、心の沈静システムでもあるわけなんだけれども、ここに<異分子>としての体験が訪れるのだ。 異分子=サリン事件 これを知る事になったのは、その二日後の強制捜査のあった日、22日 世間をにぎわせている事件に気づいてからの僕は胸騒ぎがとまらなかった… 自分のワークの場所は第十サティアンに移動していたが、僕はこの時、教団の戒律を破り、禁断の領域の情報を得た。 もし、僕がこの教団を怪しみ、出なければならなくなったとしたら…そうしたシミュレーション自体が「信」を揺らがせるものに違いなかったが、同時にこの心境は今までにも何度も訪れていただけに、僕は、そのシミュレーションに沿って、緊急事態の対応を本能で行っていたように想う。破戒の意識より緊急事態の意識が凌駕した。 ある友人サマナと共に、村井さんに教わった教団唯一の外部通信手段の移設に入り、僕は驚くべき情報を得る。 アクセスした先は当時のコミュニティサイトである、ニフティ・サーブだった。 実は、ここで手引きをしてくれた僕の友人も、今思えば有名人だ。それがネットの世界では有名すぎるほど有名になっている「☆阿修羅♪」君だったからだ。(少なくとも彼がログインしたときのアカウントが☆阿修羅♪だった事を覚えている。) (通常出家するときは全てをお布施するが、彼はアカウントだけは消去していなかった。) (この時僕は彼に対してわずかに不信に想い、なんで出家しているのにアカウントもっているんだよ…という気持ちと、だからこそこの貴重な情報を得られるのだ…良かった感謝!という二つの気持ちがあった。) (彼は僕の占星術チームの一員で、僕より出家は先だったがチームに編入されるのは一番遅かった。ちなみに在家時代から面識がある。C言語がすごく堪能だった。) スレッドには「サリン、サリン、サリン、地下鉄サリン…異臭騒ぎ」と目白押しだった。 疑われていたのは、紛れもない、今現在自分が所属している教団だった。 僕は、このスレッドの内容が通常のバッシングとは規模においても内容においても異なるものだと言うことをにわかに悟った。 悟ったからといって、僕は自分の心に訪れた、この紛れもない疑惑を「正直に」表情に出すことは許されない。 と言うのも、実はこの友人サマナ(世の中で僕だけかもしれないが、彼こそ、あの「☆阿修羅♪」君に他ならないと想っている。しかし当時有名になっていた☆阿修羅♪はネットでオウム信者である疑いをかけられた際に、断固として、徹底的にそれを否定していた。しかしあまりに教団の内部事情に精通していた。)と一緒になって見ていることだし、彼とは正直な感情の吐露があったにしても、「すごいことになってるな…」レベルの呟きしか互いにしていなかったと想う。 そこで、僕はこのプレハブ施設を出ると、すぐまた第十サティアンに戻り、そのわずかな道中に迷彩服を来た人たちを眺めやった。 どうやら、となりの第七サティアン、クシティガルパ棟、そしてジーヴァカ棟が念入りに調査されていることがわかった。 そして、その例のヴァジラパーニ師のことを思い出し、あの施設は通常のサマナにとっても極秘中の極秘施設であっただけに、僕にはどうも胸騒ぎを抑えることができなくなっていた。 ヴァジラパーニ:「私がここにきていることを、誰にも言わないでください。たとえ私の部下であっても応えなくても構いません。いいですね。」 教団に対するサリン疑惑 この情報は、自分のワーク場所に戻った際にまだ誰にもしゃべれなかった。 皆、静かに「与えられたワーク」だけこなしていた。しかし、その時僕は、東京に行ってもっと正確な情報を掴んでこなければならないな…と痛感した。強制捜査は僕はキリストのイニシエーションで使われたLSDの製造の嫌疑だと想っていたからだ。 幸い僕には、大義名分があった。僕は実は村井さんより、相手方の地震兵器の調査を命じられていたのだ。 (教団は日本を相手に事件を起したが、相手にしていたのはあくまでもアメリカ、いやフリーメーソンだった。) 今となっては亡くなって報告する術もないが、これはこれで一つのトピックになる。 (なぜなら彼の予想は当たっていたからだ。事実もはやオウムの疑いは確定的だが、同時に彼の唱える地震兵器は確かに存在し、その施設はアラスカにあり、そして、この施設の機能で天候を変えたり、人工的に地震を起すことが可能となっている事はいまや誰でも知っている。事実使われてもいる。その施設の名を『HAARP』と言う。) 確か僕は、この調査のために、彼に会いに行った。 (今思えば皮肉なものだ。教団の疑いを調査するために、その黒幕の中心ともいえる村井さん本人に僕は出向き、彼から交通費と調査費4万円を取得して、僕は東京へ向かったのだ。この時の所持金がなければ、僕はその後、TV局に出向いたりできなかったはずだ。) そして、東京に向かい、その衝撃的な噂を耳にするのだ。 ただ街を歩いているだけで、オウムの話題をみな口々にしていた。 そして、電気屋にはいり、食い入るようにTVを見つめ、ありったけの雑誌を購入し、上九一色村に戻った。 戻るなり、チームの全メンバーを呼び、僕はせつせつと訴え始めた… 「もしかしたら、僕達の今いる教団は、事件に関与しているかもしれない…」 チームのメンバー全員(今ではほとんどの人が脱会している。)に全否定されながらも、僕は自説を曲げなかった。 極めて濃厚な疑惑が残り続けていることを知っていたからだ。 同時に、僕は教団深部のサティアンの中で信者の前で表明してしまった以上、動き出さなければいけなかった。 何より、時間との勝負だった。 Eili ... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年03月25日 01時42分09秒
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