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テーマ:愛しき人へ(908)
カテゴリ:思索
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ご存じのように豊田君は,徹底的に沈黙を貫いていました。 「語る資格がない」被害者の方々や遺族の方々の無念の気持ちを察し, 自らを断罪し,そして沈黙を貫いたのだと思います。 とうか さんの言葉 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ まさにそのとおりだと思います。 そして、豊田くんの沈黙には、僕は溺死しそうでした。 . . 94年10月頃だったと思います。 僕は彼のそばにいました。 . 数ヶ月ほどの短い期間ですが豊田くんの運転手のワークに任命されており、彼との接点は他の信者よりも多いのです。 それでいて重要なことを何一つ知りえない僕の境遇と彼の境遇には、同じ時、同じ場所にいながら大きな違いがありました。 . 在家時代の柔らかな面持ちの彼を知るだけに、出家後の頑なな表情に、余裕は一切見られませんでした。 物静かで優しげで控えめで少し恥ずかしがりやな雰囲気のする方でした . その変貌が不思議でならず、いつも気になって仕方のない方でした。 彼が暗くなってしまったのか、それとも教団が過酷なのか、あるいは、何かを気に病む事柄が存在するのか… . その後、天と地ほどもかけ離れてしまう運命の采配に、僕は文字通り、雷に打たれたような感じでした。 . . . 豊田くんと僕は当時、車中で以下のような濃密なやりとりをしています。 . . 私 「で、ヴァジラパーニ師長は、この現象…これをどう見ているんですか?」 豊田「この現象って?」 私 「今の教団のこうしたヴァジラヤーナ的な雰囲気のことです…」 私 「多分に無謀なもので、危険な香りを感じずにはおれないです、実際のところ」 豊田「…」(考え込む) 豊田「○○さん、ちょっとよろしいですか…」(考え込む) 豊田「…これは、グルにあるときに言われた事があるのですが…」 豊田「私もその点に関しては、尋ねた事があります」 豊田「私の拙い頭では、理解に及びません、と」 豊田「正直に申しました」 私 「そしたら、なんです…」 豊田「…救済には、多くの犠牲が伴うと」 私 「…救済には、多くの犠牲が伴う…?」 豊田「衆生済度というものは、非常に難しく険しいものなのだ…とも」 私 「でも、仮に魂を引き上げるためだったとしても、ポアというのは、どうなんですか、ヴァジラヤーナ教学の…」 豊田「一般には理解できない領域の話です…」 私 「じゃあ、仮にですよ、師長はヴァジラヤーナを実践できるんですか?」 豊田「…」(考え込む) 豊田「…先程も申しましたが、時代はいいですか、カーリ・ユガに突入しているという認識はいいですか?」 私 「はい、それは…そのように聞いていますし、私だってこの世界はカーリ・ユガなんだろうな…と想います」 私 「それは、そう感じますけれども…」 豊田「…」 豊田「たった一人の聖者が滅ぼされようとしている時、その命は多くの衆生に勝るのだ…と」 私 「…?」 私 「一人に対して、大多数…と、そういう意味ですか?」 豊田「…これは、私自身今でさえ、捉えきれない教えですが、これは…真理なのだと」 豊田「…それだけ、汚れきってしまっているのだと。今の世は…」 私 「でも、そんな話は聞いたことないです。説法で…?」 豊田「…これは秘儀とされています。集められた一部の者達にしか説かれていない教えです。探せばどこかに出てくるものかも知れませんが、○○さんは直接聞いたことがないものなので、当然知りえない事でしょうが…」 私 「でも、そうした秘儀の一部であるはずのヴァジラヤーナが、教学もままならない、成就もしていない一般サマナにまで先日説かれたていうことですよね?あの配布されたヴァジラヤーナ決意…」 私 「こんなの…実践できる人いるんですか。。。正直」 豊田「…」 豊田「私もその深遠な部分は、落とし込めてはいません、正直言って、ただし、私はボーディサットヴァの称号を受けてしまっているので、努力するしかないのです…」 豊田「…私を含め幹部クラスの信者でも、この教えに関して深く理解に及んでいるものはいないです…」 . . 教団にいる時も、彼は一際寡黙な人でした。 たくさんの部下がいるというのに、雑談もなく、いつも孤独にしていたように思います。 誰か親しい信者友達はいないのだろうか… 僕自身も孤独でならなかったけれども、彼はなお一層孤独でした。 . 科学的な作業における指示をするときだけ口を開き、それ以外は無駄な言葉を発したところをみたことがありません。 . 在家の頃は、気さくな笑顔や独り言もたまにある人でしたが、表情が硬く、何か近寄りがたいオーラまで身に纏っていました。 . それは、一部の幹部に与えられたワークがそうさせていたのだということを、後に知りました。 . . 教祖「君たちには、これから、ほうられた子羊となってもらう…」 . 聞いた話によれば、この時、あの寡黙で無表情で感情をほとんど出さない性格だと言われる豊田くんが 教祖との質疑応答でかなり濃密で食い込んだ話をしたそうで、涙をながしながら、教祖と話していたそうです。 . それ以来、彼の顔に笑顔はなくなったようです。 . . 詳しい内容はわかりません。。。厚いベールに包まれています。 しかし、僕は恐ろしいやりとりがあったことを、悪魔が彼を呑み込んでしまった瞬間があったことを感じるのです。 . . この事件前の重苦しい沈黙の後、 衝撃的な事件が起こり 更にいっそう深い深い沈黙の中に彼は沈むのです . 最初の数年は何度も公判に通い彼の表情を食い入るように見つめましたが、 深く重く沈黙が刻まれており、まるで彫刻をみるような錯覚をおこしそうでした。 . 数多くの実行犯が嗚咽する中、その嗚咽すらもぐっと呑み込んで沈黙する姿が、彼の姿でした。 . . 僕は、彼の涙を赦してあげるべきだったのではないかと想っているのです。 . . . Eili ...
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サリン事件当時13歳だった私も、母となった今、豊田さんや広瀬さん、事件を起こしてしまった当時の若者に対し、様々な思いを抱きます。彼らが塀の中にいた年月が23年とあまりに長く、死刑執行のニュースを聞かなければ、日々のあれこれに紛れ忘れてかけていた事件でした。広瀬さんは、同じ大学で学んだ先輩ということもあり一際感慨深く、死刑執行後、彼らのことやオウムのことを書いた本、ネット記事、ブログ、いろいろと読み漁りました。
私が中学生の当時は狂信的で破滅主義な恐ろしい人たちと思っていたのですが、全く違ったのですね。 社会や、多くの人たちに貢献するに十分な素質と能力を持っていながら、人生の師を間違ったばかりに、懺悔と贖罪の日々を送ることになってしまった彼らが可哀想でなりません。死刑執行によって、一連の事件の被害者の方々の痛み、苦悩が安らぐとは思いませんが、批判も覚悟で思うのです。 あの時、自分の心を信じ、麻原から逃げてしまえばよかったのに、サリンなんて撒かずに交番に駈け込めば良かったのに、と。 何故、誰よりも優秀で優しい貴方が、人生の中で最もキラキラした20〜50代を拘置所の中で暮らさなければならなかったの?と。 親御さんにとっても、本当に自慢のご子息だったでしょうに。 息子の好物を、温かいままお腹いっぱい食べさせてあげたい、今息子はどうしてるだろうか、痛いところはないか、眠れているだろうか、いつも想っていたはずです。 私は無宗教に近く、年間の宗教的行事といえば盆と正月(うまくいけば彼岸も)の御墓参りしか無いのですが、もし神様がいるならば、十分に悔い改めた彼らをむやみに地獄に放り込むことはしないはずです。 どうか安らかに。そしてまた生を受けたならば、愛に溢れた平安な日々を送ることが出来ますように。 (2018年09月06日 21時22分30秒)
けいこさんへ
コメントありがとうございます。 そして、温かい言葉を頂きまして感謝いたします。 >彼らが塀の中にいた年月が23年とあまりに長く… はい、長かったです。そして彼に関しては、その心のうちを一時でいい無様でもいいので叫んでほしかったのです。 彼が意見したのはたった一回、公判で教祖が承認出廷した際に、 「どのようなおつもりで、あなたは私達弟子たちに何をさせたかったのですか」 というような内容の一言のみだったのです。 その言葉も…通常私達が日常生活で経験する裏切りに対してしてしまうような抑揚の隠せない反応ではなく、 静かな…あまりにも自分自身の感情を抑えたそれでおり、 固唾をのんで聞き入っている傍聴席の方々の中にもおられるであろう被害者の方々への配慮を忘れない 制御された問いかけでした。 でもこれが彼の示していた、精一杯の怒りであり、 彼が自分に赦した最後の感情表現だったのです。 眉間にできるかすかなシワが、押し殺し制御している感情が確かに存在することを物語るのですが、 それのみでした。 記事に書きましたように、事件の数ヶ月前、僕と彼の間で交わされた会話は、できることならシーンとして 詳細を余すことなく再現しておきたいほどのものですが、 あの時の短いやり取りの中に、巨大な沈黙の意味が隠されており、 僕はあの時初めて、彼の境遇というものを知ったのです。 他の信者の方々とも違い、寡黙さにおいて際立つ彼がいったいどのような気持ちで、どのような思いで 教祖の指示を受けていたのかを、いや、受け止めざるを得なかったのか… それをしっかりと受け止めてあげなければならないのだと感じています。 その裁判も、広瀬さん、杉本さんと合同で裁かれており、他の受刑者による裁判とは異なった形でした。 どうして、これだけの裁判を、彼らだけは、各個人のものとして行わせて頂けないのだろう。 各々一人ずつスポットをあてた形にして、せめて語らせてあげたいと密かに思いながら、彼らは出廷し、自分たちに課せられた最後の責務を全うしているようでした。 広瀬さんは、もともと「優しすぎる」ほどの方でしたので、その表情は今にも崩れ落ちそうな顔面蒼白状態であり、言葉を持っていませんでした。 広瀬さんの沈黙 それは、言葉にならない悲哀でした。 杉本さんの沈黙 それは、この二人の「後輩の信者」の境遇に対する絶句でした。 いずれにしましても、とても言葉にならないものがあり、でもせめてそれを言葉に落としてあげないといけないのです。 Eili ... (2018年09月07日 08時30分04秒)
赤い電気の竜_Eiliさんへ
彼らのことを忘れかけていた、また、伝聞にしか彼らを知らない私のコメントに、大変丁寧にお返事をくださり、感謝致します。 豊田さん、広瀬さん、大変に思慮深く優しい方だったのですね。優れた人がいなくなってしまって、悲しく、残念でなりません。と同時に、彼らをオウムに引き入れた人たちが恨めしく、彼らの純粋な信仰心を汚したオウムが憎らしくてなりません。 本来ならば、私のようなものは彼らを語る筋合いはないのかと思います。しかし、サリン事件当時の彼らの年齢をゆうに追越し、親になった今、死刑執行のニュースをきっかけにいろいろなことが、それこそ嵐のように考えさせられてしまうのです。 かと言って私が出来ることはといえば、彼らが逝ってしまった今、彼らの冥福と、ご遺族に平穏な日々が来るように、祈ることしか出来ません。また、私の大切な人達が、かつてのオウムのような集団に飲み込まれないように、守ってやれるだけの知恵を付けることしか出来ません。 Eiliさんのご本は今書店に頼んで取り寄せて頂いている最中です。大切にしっかりと読みたいと思っています。 昔の画像ですが、Eiliさんが脱会後、当時の上九一色村にあった教団施設に乗り込んで、知り合いの出家信者の方と話す画像を拝見しました。外に警備隊がいたとは言え、一人対多数の中に飛び込んで、オウムはまやかしだと真っ向から批判するのは勇気がいったことでしょう。お歳の頃は、私と同じくらいか、もう少しお若かったはず…。脱会に関してもそうですが、よくご無事に戻ってきてくださいましたね…。 Eiliさんのブログ、これからもしっかり拝読したいと思います。 また、可能であれば…ですが、本日頂いたお返事はコメントの返信として記載するにはあまりに勿体のないお話です。編集し直して、私のことは消して頂いて結構ですので、ブログの読者の皆様に分かりやすいようにページを設けて頂けたら幸いです。 長くなりましたが、厳しい残暑です。どうぞお体には気をつけて、お時間のある時にはまたお話を聞かせてくださいね。ありがとうございました。 (2018年09月07日 21時53分35秒)
豊田さんの記事、興味深く読みました。
豊田さんは他の方達と違って手記や本などは全く残していませんでしたよね?その理由は、このブログなどを読んで、だいたい分かりましたが。。。 正直、獄中で何を考えていたか知りたかったです。 今後、豊田さんが在家信者だった頃の話や出家信者だった頃の話を書いてもらえると嬉しいです。 (2018年09月08日 02時39分17秒)
れーなさんへ
今朝、彼の夢とともに起きました。 物言わぬ彼のことを捉えることは未だ難しいです。 ですが、その沈黙の片鱗が徐々にわかりかけてきました。 Eili ... (2018年09月08日 09時49分37秒) |
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