韓流A-mmy's Room

2007/11/25(日)13:54

朱蒙の時代の歴史をちょっと調べてみました。

(韓)その他(14)

Wikipediaで朱蒙のことを調べてみました! ▽以下の記述はすべてWikipediaから引用しました▽  東明聖王(高句麗初代国王、朱蒙、解慕漱の子、金蛙王の庶子)   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%98%8E%E8%81%96%E7%8E%8B  金蛙王(朱蒙の父、解夫婁王の子)   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%9B%99%E7%8E%8B  瑠璃明王(高句麗2代国王、朱蒙の子)   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%A0%E7%92%83%E6%98%8E%E7%8E%8B  温祚王(百済初代国王、朱蒙の子、優台と召西奴の子)   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A9%E7%A5%9A%E7%8E%8B  広開土王(好太王、高句麗19代国王、談徳)   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E9%96%8B%E5%9C%9F%E7%8E%8B 高句麗の初代国王=東明聖王=朱蒙  朱蒙は河伯(ハベク、水神)の娘である柳花(ユファ)を、天帝の子を自称する  解慕漱(ヘモス)が孕ませて出来た子と言う。  扶余の金蛙王が柳花を屋敷の中に閉じ込めていると、日の光が柳花を照らし、  やがて大きな卵を産んだ(古代朝鮮では卵は神聖なものとされており、この話は  朱蒙を神格化するためのものであると考えられる)。それを気味悪がった金蛙王は、  あらゆるところに捨てようとしたが、鳥が卵を抱いて守った。終いには自らで  壊そうとしたが硬くて壊せなかった。数日後卵が割れ、生まれた男の子が朱蒙である。 なんか、神話って感じです・・・ 金蛙王の出生も・・・  解夫婁王は老いて子が無く嗣子を求めていた。ある日鯤淵(こんえん、地名)の池で、  王の乗っていた馬が岩を見て立ち止まり涙を流した。王は不思議に思い、その岩を  動かしてみると金色の蛙の姿をした子供がいた。王は天が私に嗣子を与えてくれたと  思い、名を金蛙と名付け太子とした。 伝説上の人物って感じです・・・ 朱蒙の後を継いだのは類利。(朱蒙とイェソヤの間の子)  王子の類利(るいり、ユリ、後の瑠璃明王)がその母(礼氏)とともに扶余から  逃れてきた。朱蒙はこのことを喜び、類利を太子として後に王位を受け継がせた。  ⇒即位までのいきさつは瑠璃明王のページをご覧ください。 三国史記では、  沸流と温祚は朱蒙が卒本に来てからできた子で、朱蒙がかつて扶余にいたときの子  (後の高句麗の第2代瑠璃明王)が朱蒙のもとに来て太子となったため、この太子に  受け容れられないことを恐れて南方に逃れた。そして温祚が百済の始祖となった。 とあるが、百済建国神話には別伝があり、ドラマはこちらに近いようです。  百済の始祖は沸流王。父は北扶余王解扶婁(ヘブル)の庶孫である優台(ウデ)、  母は卒本扶余のヨンチボルの娘である召西奴(ソソヌ)。  召西奴は優台のもとに嫁いで沸流・温祚の二人をなした。優台が死んでからは卒本で  独り暮らしをしていたが、朱蒙が高句麗国を建てたのち、召西奴を引き寄せて王妃と  した。朱蒙は王妃を愛で、沸流ら二人を我が子のように待遇した。  ⇒詳しくは温祚王のページをご覧ください。 で、高句麗の第19代の王広開土王が『太王四神記』でペ・ヨンジュンの演じるタムドクのこと。 朱蒙の子孫なんですね~ (1) (2) (3) (4) (5) (1)「太王四神記」オリジナル・サウンドトラックVol.1 (2)太王四神記 ナビゲートDVD (3)太王四神記公式予習book (4)「太王四神記」プレビューDVD 金盤 (5)太王四神記公式メイキングbook(vol.2)    ☆ブログランキングに参加しています☆ よかったらクリックしていってください ⇒ 

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