カテゴリ:漢詩 日記
民謡田原坂 (美少年像)
詩吟には、歌謡吟、民謡吟、構成吟、浪曲といろいろと組み合わせて吟じることが出来ます。「西南役陣中作」の吟の前に民謡一番を謡います。 •1、雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂。 •2、右手に血刀左手に手綱、馬上ゆたかな美少年。 •3、山にしかばね川に血流る、肥薩の天地秋寒し。 雨が激しく降り冷えの厳しい中での激戦であった。政府軍は軍服に靴履き、薩軍は和服の袴、草履履き、雨の浸み込んだ服は動きに不利であり、武器も旧式銃だったといいます。大砲も鹿児島からいくつもの峠を越え、熊本まで運ぶ事は大変で4日かかったといいますが、政府軍は電信網を巡らし早急に情報をつかみ、薩軍が熊本に着く2日前には待ち構えていたようです。田原坂と吉次峠に隊を分け、どちらも大変な激戦で、雨のように降り来る銃弾は、資料館のかち合い弾を見ても想像つきますね。攻防は17日間続いたようです。 田原坂公園の看板と美少年像(激戦地)公園では絶え間なく民謡田原坂の歌がながれていました。 前々回「兵児の謡」では熊本城を引っこ抜きましたが、今度は「西南役陣中作」の漢詩の承句「江山十里両三家」のように民家の無い処に熊本城を作って燃やしました。熊本城も踏んだり蹴ったりの災難です。薩軍が大砲で熊本城を砲火した写真を作りましたが、実際はどうしたことか、官軍の自焼説らしいとの事です。この時、櫓や、天守閣まで焼失したようです。
2、皇国(みくに)のふう(風)、ともののふは、その身を護る魂の 右は西南役の戦死者、両軍14000人の名前が刻まれてる慰霊塔 此の美少年は、薩軍の勇将村田新八の長男の初陣を謡ったものと云われてます。また、薩軍美少年束野孝之丞戦没墓碑15歳。が植木駅の近くにあります。一帯には慰霊碑が沢山あります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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