カテゴリ:カテゴリ未分類
おけはざま すぐ おおたきんじょう
桶狭間を過ぐ 太田 錦城
詩文説明 荒れた原野の古い塚の前に佇むと思いは当時の信長の戦いが駆け廻る。此処で今川の軍勢は、勝利に酔って、武将たちは驕り高ぶり休んでいた。突然怪しい風と共に、曇って来たかと思う間に、忽ち昼間にも拘らず一変し暗くなり風雨となった。近づいていた信長軍、雨が止むのを期に一気に攻め込んだ、この奇襲に今川軍は仰天、天から兵が降って来たかと驚いて、ついに敗北してしまった。 から出土品が出ており、どちらにも古戦場跡の碑が建っている。 2、 信長は清州城に居て今川軍の大軍を前にして篭城か、出陣か思案にくれていたが、
1、大高城・沓掛城を落とし勝ち戦に今川軍は勝利に気を緩め油断していた 2、25000の今川軍に対し2000の信長軍であったが、この奇襲で見事勝利した。 江戸中期の儒者。名は元貞、名は公幹、号は錦城。加賀(現在の石川県)大聖寺の医家の八子。明和2年に生まれる。京都の皆川淇園、江戸の山本北山等に学んだ。更に勉励、折衷学派を大成。のち加賀藩の儒官として三百石を賜った。文政8年(1825)61才にて病没。著書「九経談」「疑問録」など。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年06月25日 00時49分30秒
コメント(0) | コメントを書く |