『梁塵秘抄』 または ”わしふぃーるど”

カルメン・マキLIVE


1/2のマキ...その1 アングラ人形からロック・クイーンへ!カルメン・マキ



さよならだけが 人生ならば
またくる春はなんだろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いてる野の百合何だろう




寺山修司(1935-1983)




1960年代後半から70年にかけての日本は、ベトナム反戦運動や学園紛争、そして安保闘争など、まさに熱い政治の季節の渦中にあった。このような時代背景の中で<アングラ>という言葉が流行語として生まれた。<アングラ>とはアンダーグラウンドの略で、地下運動/反体制活動/前衛運動などを意味したが、この<アングラ>というキーワードの元、多種多様な文化活動が盛んに繰り広げられた。



後の、ヒッピー文化に代表される60年代カウンター・カルチャーの象徴でもあるウッドストック・フェスティバルが開かれたのが、1969・8・15,16,17の三日間。、”愛と平和と音楽の3日間”という名目の元、出演者と観衆がひとつになって、昼夜関係なく続けられ、世界平和の祈りを音楽に託し、ともに歌い、ともに踊るという歴史的フェスティバルです。観客は30万人とも40万人とも言われ、英米からたくさんのミュージシャンがノー・ギャラで集まりました。私はこの映画の封切りを待ちに待ってて、封切り日に国鉄に乗って有楽町は日劇文化まで勇んで観に行きました。「ウッドストック」は日本に多くのロック少年、ロック少女を生み出しましたね!(^-^)ヒッピーとかフラワー・チルドレンとか...そんなムーブメントがどっと流れ込んできました。
”J”国の成立起源もこの辺にありそうです?!。



 日本のフォーク界に多大な影響を与え、日本のロックの源流ともいわれてきた幻のレーベル「URC(アングラ・レコード・クラブ)」の設立も1969年!既成のレコード会社に対してのアンチテーゼとして存在しました。また演劇では状況劇場や天井桟敷、赤テント、黒テント、早稲田小劇場などの小劇場運動があり幾多のアングラ劇団が雨後の筍のように生まれた。....私もその一員でした。そして出版でもミニコミ誌などが自由なメッセージを発信してました。またヒッピー族やフーテン族などが新宿駅東口を舞台に登場しまして、私もフーテン族でした。昔のフリーター?なんていったら殴りますよ。いま、サブカルのはずが、何時の間にかメインに格上げですか?アングラ・オヤジ、サブカル・オヤジと呼ばれてちと嬉しい気がします。



映画では1961年11月に発足した日本アート・シアター・ギルド様!が「日本映画界に、ひとつの冒険と実験が多くの期待を集めて誕生...」勅使河原宏監督「おとし穴」を皮切りに、偉大な足跡を残してくれました。
1966年(昭和41年)
「とべない沈黙」黒木和雄監督 「憂国」三島由紀夫監督
1967年(昭和42年)
「忍者武芸帳」大島渚監督 「人間蒸発」今村昌平監督
1968年(昭和43年)
ATG第1回自主製作映画「絞死刑」大島渚監督
1968年(昭和43年)
「初恋:地獄篇」羽仁進監督 「肉弾」岡本喜八監督
1969年(昭和44年)
「新宿泥棒日記」大島渚監督 「心中天網島」篠田正浩監督 「少年」大島渚監督 「薔薇の葬列」松本俊夫監督
1970年(昭和45年)
「エロス+虐殺」「えん獄エロイカ」吉田喜重監督 「無常」実相寺昭雄監督 「日本の悪霊」黒木和雄監督
1971年(昭和46年)
「書を捨てよ町へ出よう」寺山修司監督 「儀式」大島渚監督 「修羅」松本俊夫監督 「曼陀羅」実相寺昭雄監督 「告白的女優論」吉田喜重 
「あらかじめ失われた恋人たちよ」田原総一郎・清水邦夫監督
マキ出演!
.......以降は、ATGでどうぞ!



「時には母のない子のように」
(1969.02.21発売、作詞:寺山修司 作曲:田中未知 編曲:山屋清)
1969年(昭44)1月19日、全共闘系学生が封鎖する東京大学に入った約8500人の機動隊は、学生たちを排除し封鎖を解除した。重軽傷者多数、逮捕者も600人以上。「東大安田講堂事件」は、60年代末に吹き荒れた学生運動の象徴的事件として記憶されている。
「時には母のない子のように」は、安田講堂事件の約1カ月後の2月21日にリリースされた。60万枚を超えるセールスを記録し、バリケードの中で学生たちが聞く子守唄と言われた。ラジオのリクエストが殺到し、曲が流れない日はなかったほど。



『ちょうど全共闘がね、学生運動がいちばんすごい時だった。ザワザワした、良くも悪くも面白い時代だった。...その年の東大の入試がなくなったでしょ。...バリケード張って、もう学生は引き籠もっちゃって、先生はシャットアウトっていう。安田講堂が封鎖された直後のデビューだったんです。』

さてさて、そんななか、寺山修司が主宰する劇団天井桟敷から一人の歌手カルメン・マキが現われた。カルメン・マキは背中まで伸びた長い髪、破けたジーンズ、そして裸足というスタイルでデビュー曲となった「時には母のない子のように」を無表情に唄った。彼女の存在はまさに時代の鏡であり、またそのスタイルは既成の歌手へのあきらかなアンチテーゼであった。
また、「時には母のない子のように」は60年代の終わりを告げる鎮魂歌のようだった。

 

1951年 5月18日神奈川県鎌倉市生まれ。アイルランドとユダヤの血を引くアメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる。国籍はアメリカ合衆国。本名は MAKI ANNETTE LOVELACE &本名・伊藤牧。
 『天井桟敷』の芝居にショックを受け,1968年 6月,同劇団に入団.同劇団の芝居に出演中, CBS SONY のディレクター・酒井政利にスカウトされ,1969年 2月,『時には母のない子のように』でデビュー。以後個性派シンガーとして6枚のシングル・3枚のアルバムをリリース。
『気がついたら芸能界のど真ん中にいた。』
『もうこの曲歌うの飽きちゃった!』と平気で言い放った。
1970年にロックに転向,カルメン・マキ&タイムマシーンを結成するが,すぐに解散。1971年,アルバム『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』をリリース。 1972年にはカルメン・マキ& OZ を結成し,日本ロック史上に残る女性ヴォーカリストとなるが, ’77年に解散。以後, ’90 年代前半に出産と育児のため一時休止したほかは,活動を続けている。



自らアングラ人形である事をもやめたマキさんは、アメリカの伝説の女性シンガー、ジャニス・ジョプリンの音楽と出会うことでロック・シンガーの道を歩むことになりました。そして1972年に<カルメン・マキ&OZ>は結成されました。とにかく<カルメン・マキ&OZ>でのマキのハイトーンのシャウトは強烈だった。彼女のヴォーカルはそれまで<日本のロック>では聴いたことのないもので、その迫力には壮絶な美しさがあり彼女の内で確実になにかが変わっていたのが切実に感じられて感動的でさえありました。
今でも思い出します、あの「私は風」を聴いた時の驚きと胸の高鳴りを!ドラマチックで美しいメロディ、心を騒がせる歌詞世界。そして何よりも詞の世界に引き込んでくれたのは、カルメン・マキの伸びやかで力強くも情感溢れるVocalでした。OZのサウンドの魅力は春日博文のHeavyなGuitar、川上茂幸の野太く唸るBass、それにからむメロディアスなキーボードを効果的に使ったドラマチックなサウンドにもあります。もちろん、アコースティックな小品やバラードも極上です。圧倒的な存在感とカリスマ性を持ったカルメンマキの歌唱自体もそうですがスピリットにおいても、彼女を超える女性Voはそれ以降出現していない!それにOZを紹介しないで日本のロックを語れないであろう。
本当にスゴい!!今の耳で聴いても驚くことうけあいです。



『 私は風 』
作詞:Maki Annette Lovelace 作曲:春日博文

あまりに悲しいことばかりで どこか遠くへ旅にでようと
ポケットに想いでつめこみ ひとり汽車にのったの

汽車の窓の外を走り抜ける 昨日までの私の苦い人生
もう二度と戻ることのない この町ともさよならね

あぁ もう涙なんか枯れてしまった明日から身軽な私
風のように自由に生きるわ ひとりぼっちも気楽なものさ

あぁ 目を閉じて心も閉じて 開いた本も閉じてしまえ
あぁ私は風私は風 終わりのない旅を続けるの

あぁ 私を抱いて気の済むように 抱いたあとであなたとはお別れよ
どうせ私は気ままな女 気ままな風よ

胸の奥深くうす紫色の 霧が流れる 誰か教えてよ 私の行く先を

見知らぬ町の 街角に立ち



『歌と子供を比べたら、絶対に子供の方が大事だし、歌にもう未練はなかったんですよ。と言うか、そうするしかない状況になってしまったということなんですよ。自分がいくら望んでも叶わないことってあるでしょ?自分の力ではどうにもできないことって。気が付いたら、ってそういう意味なんですよね。自分が望むと望まざるとにかかわらず、選ぶと選ばざるとにかかわらず、また歌うしかなかった、ということなんですよ。自分が幸せだと感じられる人生ならば、歌う必要なんかないと思ってますから。
 大人になるって素敵なことですよね。若い頃は大人になんかなりたくなかったけど、今、自分が50を過ぎて、歳をとるのも、悪くないな、なかなかいいもんじゃないか、って思う。若い頃の自分より、今の自分の方が好きですしね。日本は、大人になるってことは、あきらめること、捨てることで、大人になるとつまらなくなるっていうような風潮があるけど、私はそうは思わないなぁ。まぁ、現実に、素敵な大人が少ない、ってこともあるんでしょうけどね。だから大人の文化がない、成熟した文化が育たない、って思うんですよ。それども、あきらめないで、自分の道を歩きつづける・・・勿論、若い時よりはスピードは落ちてくるんだけど・・・とにかく、何かひとつでも目的意識を持ち続けて、やり続けて行くってことが大事なんだし、これには相当のエネルギーが要りますよね。』



『残念なことに、OZ時代からのファンの人の中には、カルメン・マキ=ハード・ロック、シャウトしてこそカルメン・マキの真骨頂がある、と思っている人がいて、『UNISON』ではもの足りなさ、を感じてしまうらしいんですよね。私としては、あれはかなりの自信作なんですけど』
『古くからの固定ファンは別として、初めて私の歌を聴いてもらう人には、カルメン・マキという名前を知らずに聴いてほしい、そして、そこで何を、どう感じたか、これが重要だと思うんです。私とリスナーとの本当の出会いは、そこから始まるような気がするんです。つまり、あらかじめ取り入れた予備知識やレッテルが、リスナーの感性を邪魔してしまうこともあるんじゃないか、って思うんですよね』





もう、30年近くも前にこういう女性ボーカルバンドがいたってこと自体が驚きでしょう!彼女はまだまだ進化し続ける真の不世出天才シンガーであり、紛れもなく本物の歌を聞かせてくれる一人です。
『Sometimes I Feel Like A Motherless Child』




『ROOTS MUSIC DVD COLLECTION VOL.4 カルメン・マキ』
カルメン・マキの「今」をぜひご覧ください!
キャリアの集大成といえるアコースティック・ライヴがDVDで発売されました。封印されていた名曲「時には母のない子のように」も初映像化されました。
ROOTS MUSIC/商品番号: DVDK-004/価格 : 2,000(税抜)


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宇都宮BIGAPPLE

◇Carmen Maki & 隠者の森@宇都宮◇
9/19(月・休)宇都宮 BIGAPPLE
PM7:00~
カルメン・マキ&隠者の森(桜井芳樹(G)、松永孝義(B)
前売:4000当日:4500
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○最新アルバム「Another Way」○


カルメン・マキ・サイト


桜井芳樹(G)、松永孝義(B)の「隠者の森」とのアコースティックLIVE。マキさんとても良く声が出ていて感動的なLIVEを魅せてくれました!1部ではポップスを中心に楽しませてくれ、ビージーズの「ラヴサムバディ」は素晴らしかったァ!2部ではアルバム「Another Way」から、淺川マキヴァージョンの「かもめ/詩:寺山修司」を歌い意表を突かれた選曲でした。そして、二人の物故者、高田渡氏と西岡恭蔵氏との交友を偲ぶMCは感動的でした。西岡恭蔵の名曲「アフリカの月/曲:西岡恭蔵」はとても想いがこもっていて絶品でした!そして、さらに感動的な「戦争は知らない/詩:寺山修司」そして「時には母のない子のように」とロックスピリッツ溢れるハートフルなLIVEでした。



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