『梁塵秘抄』 または ”わしふぃーるど”

━【加藤登紀子】

CAT-O


◇"地球を抱きしめる女"加藤登紀子コンサート Love Songs◇



TOKIKO WORLD

時を超え、国境を越え、文化を超えて、心の歌を追いかけ、魂の響きを探し続ける”音楽旅人”。ハルピンを心の原郷とし、父のロマンを糧として、シャンソンを歌い、南米のフォルクローレを歌い、”アフリカの詩”を歌う。
(「日本語の響きで歌いたい」)



加藤登紀子さんは◇国連環境計画(UNEP)親善大使◇でもあります。



『あなたの行く朝』

いつの間にか 夜が明ける 遠くの空に
窓を開けて 朝の息吹を この胸に抱きしめて
あなたの行く朝の この風の冷たさ
私は忘れない いつまでも
もしもあなたが 見知らぬ国で 生きていくなら
その街の 風のにおいを 私に伝えておくれ
あなたのまなざしの 張りつめた想いを
私は忘れない いつまでも

 「海の色がかわり 肌の色が変わっても
 生きていく人の姿に変わりはないと あなた
 は言ったけれど
 あの晩 好きな歌を次から次へと歌いなが
 あなたが泣いていたのを 私は知っている
 生まれた街を愛し、育った家を愛し
 ちっぽけな酒場やほこりにまみれた部屋を
 愛し 兄弟たちを愛したあなたを 
 私は知っている」

いつかあなたが 見知らぬ国を 愛しはじめて
この街の 風のにおいを 忘れていく日が来ても
あなたの行く朝の 別れのあたたかさ
私は忘れない いつまでも



「あなたの行く朝」や「いく時代かがありまして」などステージで歌いながら何度泣いたかしれない歌。自意識過剰の若い日々の痛み、過ぎていく時間に押し流されて途方にくれる暮らしの中であふれ出す想い。歌にすることでその重さを見つめ、乗り越えることが出来た。ありがたいと思う。

登紀子



『ほろ酔いコンサートライヴ』インナー写真より

私の”マザーアース”加藤登紀子!
念願のお登紀さんのコンサートに行ってきました!U^ェ^U
年齢は十歳くらいお登紀さんが上ですのでお姉さんなんですが、
.....どうしても”マザーアース”と呼びたくなるのです。
さて、この日のお登紀さん、最近話題の”青薔薇色”の襞々の付いたゴージャスなドレスでご登場!う、可愛い...。一曲目は原田真二の作曲した「薔薇と月」。もう一人のお目当てムーンライダースの筋金入りのヴァイオリニスト、武川雅寛(Violin,Trumpet)の姿もしっかと確認!(私、未だ疾走するオヤジバンド、日本のグレイトフル・デッド、ムーンライダースの大ファンです。)今回、私の席は前から三列目、昨年 S.E.N.S. のコンサートの時は一番前に陣取り、愛しの勝木ゆかり嬢(ピアノ)の御尻の真下で鼻の下長くして観たのですが、ドデカイ、スピーカーの真下で、その重低音にやられ気分悪くなりました。そんなことあったので今回は3列目とりました。そしたら、ピアノはやけに力強く大胆、アクションもハデ目、両の掌が大きく蟹が二匹鍵盤んの上這いまわっているようだァ!なんと大柄な外国女性でロシアはウラジオストック出身のラーダさんという美人ピアニストさん。やっぱ一番前にしときゃ良かった。
このコンサートのテーマは”LOVE SONGS”!「Single Life」「愛する人~砂丘にて~」「つばさ」「美しい昔」.....。名曲のオンパレード!お登紀さんの声も全く衰えを知らずハートフル!お登紀さんの日本語は本当に美しい!
「あなたの行く朝」でもう涙全開!



『愛のくらし』

この両手に 花を抱えて
あの日 あなたの部屋を訪ねた
窓を開けた 陽射しの中で
あなたは 笑って迎えた
手をつなぎ頬寄せて 繰り返す 愛の暮らし
花は枯れて冬が来ても 素敵な日々は 続いていた
愛を語る 言葉よりも
吹きすぎる 風の中で
求め合う ぬくもりが
愛の変わらぬ しるし

人は幾度も 愛に出会い
終わりのない 愛を信じた
或る日気がつく 愛の終わりに
人は 幾度も泣いた
手をつなぎ頬寄せて 繰り返す 愛の暮らし
花は咲いて春が来ても 素敵な日々は 戻ってこない
愛を語る 言葉より
風に凍えた この両手に
あなたの体の ぬくもりが
今も消えずに 残る



第二部は、ショ-ルを「真智子巻き」にして登場。衣裳はシャンソンにあった黒ドレス。ピアソラの「忘却」、プレベールの「朝の食事」(お登紀さんが世界で初めて曲をつけた!)、そしてピアフの「愛の賛歌」。お紀さんの歌声は今も変わらず、しっとりと、時には力強く響き渡ってきます。
そして今日の白眉は名作!「愛のくらし」!お登紀さんの心に染みる深い声とたおやかな包容力がとても嬉しく暖かく感ぜられ、彼女の歌が少しも色褪せることが無いことに深い感動を覚えました。さらにお目当ての「百万本のバラは」は軽快なアレンジで蘇り、思わずブラボー!とても素晴らしいです!歌そのものをピュアに歌える数少ないシンガー、一曲一曲に、彼女のひたむきに生きる想いを込めた力強いヴォーカルと演奏が満ち満ちて感動を呼びます。
ホントにホントに久振りにいい涙を流してきました。U^ェ^U



名盤!『 花 筐(Hanagatami)』

「『花』は生命であり、輪廻であり、生と死をつなぐもの」
<曲目リスト>
1.青い月のバラード
2.花―Memento-Mori―
3.サボテンの心
4.花筐~Hanagatami~
5.からたち野道
6.桜坂
7.灰色の瞳(featuring村上てつや)
8.棘あるバラ
9.サルビアの花
10.球根
11.さくらんぼの実る頃
12.百万本のバラ(*ニューアレンジ)



 『百万本のバラ』
(作詞・作曲:A.Voinesenskij.R.Pauls/訳詞:加藤登紀子)

小さな家とキャンバス 他には何もない
貧しい絵かきが 女優に恋をした
大好きなあの人に バラの花をあげたい
ある日街中の バラを買いました

百万本のバラの花を
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラでうめつくして

ある朝 彼女は 真っ赤なバラの海をみて
どこかの お金持ちが ふざけたのだとおもった
ちいさな家とキャンバス 全てを売ってバラの花
買った貧しい絵かきは 窓のしたで彼女を見てた

百万本のバラの花を
あなたはあなたはあなたは見てる
窓から窓から見える広場は
真っ赤な真っ赤なバラの海

出会いはそれで終わり 女優は別の街へ
真っ赤なバラの海は はなやかな彼女の人生
貧しい絵かきは 孤独な日々を送った
けれどバラの思い出は 心にきえなかった



人間のルーツと音楽のルーツを求めて、日本哀歌、シャンソン、ロシア民謡、ファド、ラテン、ジプシー音楽、ギリシャ民謡、ピアソラ、タンゴ、レゲエ、ジャズ.....アルバム「BORN ON THE EARTH」では、なんと南アフリカにまで!お登紀さんの生き方とともに、彼女の歌の向うに見えてくるのは、一種不思議な哲学!

「~加藤登紀子の舞台に一つの思想性があることである。それは、思想性というものではないかもしれない。それは、かつてある思想によって行動を律しようとした人間の、その思想に裏切られた苦しみと、しかも、それにもかかわらず、今も存在している社会の多くの矛盾と、そこに生きている人間の生々しい愛と悲しみの表現かもしれない。(中略)加藤登紀子の歌はあるいはギリシャの歌であり、あるいは南米の歌である。歌に応じて、彼女はあるいはギリシャの女哲学者のようにも見え、南米の娼婦のようにも見えた。ということは、彼女の歌の幅が広く、世界各地のいろいろな人間の喜びや悲しみ、絶望や孤独を表現することができるようになったということであろう。」(梅原 猛)



「時代を超えて、今を伝える歌」がある。

『知床族惰』

知床の岬に はまなすの咲くころ
思い出しておくれ 俺たちのことを
飲んでさわいで 丘に登れば
遥か国後に白夜は明ける

旅の情か 酔うほどにさまよい
浜に出てみれば 月は照る波の上
今宵こそ君を 抱きしめんと
岩影に寄れば ピリカが笑う

別れの日は来た 羅臼の村にも
君は出て行く 峠を越えて
忘れちゃいやだよ 気まぐれ鳥さん
わたしを泣かすな 白いかもめ
     
「森繁久彌さんの作詞作曲。日本の歌の優しさ、まっすぐに心に入る力。この歌との出逢いが私の歌づくりの原点につながったと思います。」





<天才!長谷川きよし!>

『灰色の瞳』
(作詞:加藤登紀子 作曲:Ramos, M.U.・Veliz, T. )
枯野に咲いた小さな花のように
なんて淋しいこの夕暮れ
とどかない想いを抱いて
なんて淋しいこの夕暮れ
とどかない想いを抱いて
私の大事なこの笛のうたう唄を
あなたは聞いているのだろうか
どこかの小さな木下で
あなたは聞いているのだろか
どこかの小さな木下で
澄んだ音色で響くこの笛
あなたは聞いているのだろか
泣きくたびれた笛の音を
あなたは聞いているのだろか
泣きくたびれた笛の音を



山は夕暮れ夜の闇がしのびよる
あなたは何処にいるのだろか
風の便りも今はとだえ
あなたは何処にいるのだろか
風の便りも今はとだえ
山の坂道一人で歩いて行った
あなたは今も唄っている
彼方の空に声が聞こえ
あなたは今も唄っている
彼方の空に声が聞こえ
一人ぼっちで影を見つめる
あなたは何処にいるのだろか
風の便りも今はとだえ
あなたは何処にいるのだろか
風の便りも今はとだえ

ララララ・・・・・

お登紀さんといえば、長谷川きよしとともに、哀しく強く刹那に歌った名曲「灰色の瞳」を聴いたのが、お登紀さんを聴きはじめた最初。(最近では、椎名林檎が『唄ひ手冥利~其ノ壱~』なる自身のアルバムで、スピッツの草野マサムネと「灰色の瞳」をデュエットしている)。「灰色の瞳」はウニャ・ラモスという世界的なケーナの名手が作曲しました。(原曲はアルゼンチンサンバ)ウニャは加藤登紀子が日本語の詞をつけて歌っていることにいたく感激して、お礼に「トキコ」と言う曲を彼女にプレゼントしました。



<御大!小室等>

「いや、そうなったら、もう登紀子じゃないんだし、キミはそうやってあっちこっちに旅をしていろいろな人と巡り合って、いろいろなものに出会って、自分の思いでうたっていて、中南米音楽そのものになりきっているわけでもないし、かといってモンゴル人にぞっこんというわけでもなく、キミの気まぐれだろうけどもキミの好きなように自分の思いでうたってるところがとてもいいね...。」



大傑作!『沖縄情歌』
「どんな時代も泡盛と三線があったからのりきれたさぁ」
そう言ったおじいも顔が浮かぶ。
沖縄に歌が生きつづけてくれたことに今、私たちが救われている。
ありがたいと思わなきゃ。
30年前「日本哀歌集」で歌った「西武門哀歌」から
最近のヒット曲「あなにに」まで、
私と沖縄との出逢いのすべてを総集した「沖縄情歌」。
本当に私自身が沖縄情歌のやさしさに癒され、
体の底からの深い想いに満たされる。
沖縄から上京し、参加してくださった古謝美佐子さん、
新良幸人さんに心から感謝、感謝!
このCDに出逢えた人にレコーディングの楽しさを
そのまま楽しんでもらえたらと祈っています。
登紀子

<サイン入り3CD+DVD『青い月のバラード Sound History』>



NHKラジオ「私の本棚より」朗読;三田和代
『青い月のバラード Sound History ~語りと歌でつづる加藤登紀子の世界~』
4枚組(3CD+DVD)(ユニバーサル/UICZ-4098)定価:4800円(税込)
*DVDには、「知床旅情」「百万本のバラ」などの紅白歌合戦出演時の秘蔵映像に加え、2人の人生を象徴する名曲「青い月のバラード」を収録されています。



『青い月のバラード-獄中結婚から永訣まで-』
歌手、加藤登紀子が、学生運動のリーダーだった藤本敏夫氏との出会い、獄中結婚、そして永遠の別れまで、35年にわたる半生を綴ったベストセラー「青い月のバラード」。渾身の書き下ろし自伝!

 ●藤本敏夫●

68年反帝全学連委員長。72年から3年余り、学生運動をリードした責任を問われ、服役。72年、加藤登紀子と獄中結婚。76年、大地を守る会を始める。農事組合法人「鴨川自然王国」代表。2002年7月、没。



『加藤登紀子の男模様』
藤本敏夫への直撃インタビュー


<サイン入りVTR『LIVE IN THE SUNー花咲く頃にー』>



名作!貴重な映像!『LIVE IN THE SUNー花咲く頃にー』

東京、御茶ノ水の湯島聖堂におけるアンプラグドライヴ!
崇高なまでに美しい太陽光だけで撮影している名品!
「25才の時の『ひとり寝の子守唄』、最も新しいアルバム「花」「モンスーン」の世界へと、移り来た私の軌跡はそのまま、太陽に向って立ち昇る音楽を目指すことだったような気がします。
ほんのわずかな聴衆と四人のミュージシャンが車座になり、自分自身と向き合うような気持ちで歌いました。
時には過去の私であったり、またある時は遥か彼方の自分であったり、歌は、流れる川のように体を通り抜けていきました。」
サイン貰う時、お登紀さんも珍しいわねと驚いていた希少品です!



降旗康男監督 『居酒屋兆治』(1983)
今も聴こえるあの主題歌「時代おくれの酒場」!
兆治(高倉健)の妻、茂子を演じた加藤登紀子の名演は忘れがたい。学生運動の記憶を背負う男達に似合いすぎるほどの歌....。



『時代おくれの酒場』
この街には不似合いな
時代おくれのこの酒場に
今夜もやって来るのは 
ちょっと疲れた男たち
風の寒さをしのばせた
背広姿の男たち

酔いがまわればそれぞれに
唄の一つも飛び出して
唄を唄えば血がさわぐ
せつなさに酔いどれて
気がつけば窓のすきまに
朝の気配がしのびこむ

ああどこかに何かありそなそんな気がして
俺はこんな所にいつまでもいるんじゃないと
この街には住みあきて
俺の女もどこかへ行った
あいつ今頃どこでどうして
どんな男といるんだろ
夢のにがさも知りもせず
夢をさがしているんだろう
ああどこかに何かありそなそんな気がして
俺はこんな所にいつまでもいるんじゃないと
------------------------------------------
生きていることは愛することだと
ほんとはわかっているのに
自由なはずの誰もかれもが
がんじがらめのとらわれ人なのか
<Revolution>



<加藤登紀子バイオグラフィー>

1943年ハルビンで生まれる。 1965年東京大学在学中、第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝、歌手活動に入る。
「赤い風船」でレコード大賞新人賞、「ひとり寝の子守唄」、「知床旅情」でレコード大賞歌唱賞を受賞。
一躍70年代を代表する女性歌手として認知されるようになった。
1972年5月、同志社大学の全学連委員長で、当時獄中にいた藤本敏夫と結婚し話題となった。
80年代以降も、数多くのヒット曲を世に送り出し、年間100本近い国内コンサートのみならず、1988年、1990年のニューヨーク・
カーネギーホールをはじめ、世界各地でコンサートを行っている。1992年には、芸術文化活動における功績に対して、
フランス政府からシュバリエ勲章を受章した。
1997年から2000年にかけて、歌手活動の集大成「さよなら 私の愛した20世紀」 シリーズ10枚、2001年にはジャズ・トリオとの共演盤「My Best Album」、 2002年10月には村上てつや(ゴスペラーズ)提供のタイトル曲を含む 「花筐-Hanagatami -」をリリース。2003年には、30年にわたる沖縄愛唱歌をあらためて取り上げた最新アルバム「沖縄情歌」を発表。いずれも好評を得た。

歌手としての活動の他、女優としても評価は高く、『居酒屋兆治』(1983年)、 『木曜組曲』(2002年)に出演、宮崎駿監督の『紅の豚』(1992年)では、 声優としての魅力も発揮した。

また、地球環境問題にも積極的に取り組み、1997年、WWFジャパン評議員に就任したのに続き、2000年10月にはUNEP(国連環境計画)親善大使に選ばれた。
アジアやオセアニア各地を精力的に訪れ、自らの目で見た危機的状況をメディアや音楽を通して発信している。



一方、千葉県鴨川市の農園「鴨川自然王国」を拠点に、若い世代ととも循環型社会の実現に向けて行動している。

そのほか、執筆、陶芸、書などの分野でも意欲的に活動している。2003年には、前年に急逝した夫、藤本敏夫との歩みを綴った『青い月のバラード』(小学館)、書と詩から成る『ひとりぼっちはひとりじゃない【一書一夢】』(平凡社)を出版した。また、エリック・バテュの『大きな空の木』(フレーベル館)で初めて童話の翻訳に挑戦した。

2005年の歌手生活40周年にむけて、さらに幅広い活動を展開していく予定である。



さらに貴重なVTR『Tokiko Best Live・酔夢』
1984年12月27~30日 新宿シアターアプル”ほろ酔いコンサート”収録



加藤登紀子を母(次女)にもつシンガー・ソングライター、Yae。加藤登紀子ゆずりのワールド・ミュージックのエッセンスが自然な形で溶けこんでおり、天に向かって伸びるようなYaeの歌声は、早くも母親とは異なるアイデンティティをもってしまった評される。

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TOKIKO MY LOVE


「お登紀さんは、地球よりもちと軽い”男たち”を抱きしめてくれる”女”でもあります。」(´-`).。oO

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CAT-O



「私の母とちは、戦争で愛を引き裂かれた時代に青春をおくり、飢えて死んでいく者たちを泣きながら抱いた。そして私たちは、その瓦礫の中で母の戦う姿を見ながら育ったのだ。
四十年余りの平和の中で得たものの大きさを、私は、今の息子や娘たちのまぶしさの中に見つけたいと思う。
どんな時代にも、十代の肉体は美しい。はじめて性のよろこびを知るころ、そしてはじめて自分自身を選びとることのときめきと不安、それが無条件に謳歌出来る、それが今の日本であるはずだと私は思う。
臆病ゆえに自分から捕らわれの身になることだけはもうやめようよ。自分の生き方を自分で決める自由があるのだから、自分の不自由さを何かのせいにすることは出来ない。
画面(TV)の向うから伝わってくるさまざまな叫びを体中で受けとめて、誇り高く大切に答えながら生きたいと、そう思う。」




■加藤登紀子無礼講ドタ靴コンサート in 群馬 第6回「21世紀の森」野外音楽祭■

8月15日は『終戦記念日』
今年も8月15日を迎え終戦記念日も、もう59回を数えました。
繰り返しますが、たとえ100年経過しようが、8月15日の終戦記念日の意味、8月6日の広島の意味、8月9日の長崎の意味が失われることは無いはずです。「戦争」というものが、どういったものだったのか、私たちにどのような影響を与えたのか、戦争を知らない世代に伝え続けなければなりません。歴史を風化させないために、それぞれが、それぞれの形で意志を持って後世に伝承していかねばならないのです。
今年の私の8月15日は、敬愛する加藤登紀子さんと一緒に過ごしました。

「夫の三回忌を終えたばかりの今、この2年間の想いと、これからの未来につづく道へのしっかりとした一歩を踏みしめる思いで、歌いたいと思っています。」

◇"地球を抱きしめる女"加藤登紀子コンサート Love Songs◇
も合わせてご覧ください。



会場全景。朝からのあいにくの雨も午後からはすっかり上がり、さすが高地、涼しいくらいでした。両脇にはお登紀さん筆の楽・夢・薔・薇の大きな暖簾が掲げられ入場してすぐお登紀さんの字だとわかりました。



加藤登紀子、ショッキング・ピンクの衣装で登場!
♪百万本のバラの花を あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を真っ赤なバラでうめつくして♪

だけど、なんか足元がヘン?え?なんとドタ靴履いてる!お登紀さん、もう二曲目から会場内へ乱入!雨上がりのぬかるむ場内を一回り。皆の顔を見て回ったのでした。大空の下、自然の中で歌うのが大好きと言うお登紀さん。さあ、加藤登紀子全身全霊を込めてのコンサートが、始まりました。なんと、早くも「今日はなんでもありで、いくよ!」と無礼講宣言!ビール、ワインの差し入れも出てもう「ほろ酔いコンサート」状態!場内どっと和らぎ皆でにこやかに大拍手大歓声!
「8月には久し振りの野外ライブがあるのが楽しみ。それこそこれが私の夏休みかも。みんなも元気いっぱい夏をむかえてください。」(7/15TOKIKO NOW)



「時には昔の話を」

時には昔の話をしようか
通いなれた なじみのあの店
マロニエの並木が窓辺に見えてた
コーヒーを一杯で一日
見えない明日を むやみにさがして
誰もが希望をたくした
  ゆれていた時代の
   熱い風に吹かれて
  体中で瞬間(とき)を感じた
   そうだね



道端で眠ったこともあったね
どこにも行けない みんなで
お金はなくても なんとか生きてた
貧しさが明日を運んだ
小さな下宿屋にいく人もおしかけ
朝まで騒いで眠った
  嵐のように
   毎日が燃えていた
  息がきれるまで 走った
  そうだね

一枚残った写真をごらんよ
ひげづらの男は君だね
どこにいるのか今ではわからない
友達もいく人かいるけど
あの日のすべてが空しいものだと
それは誰にも言えない
  今でも同じように
   見果てぬ夢を描いて
  走りつづけているよね
   どこかで



2002年7月31日に死去した亡夫・藤本敏夫氏に捧げた「青い月のバラード」は南アフリカのピアニスト、テンバ(Themba Christopher Mkhize)さんが作った美しいバラードです。鴨川で藤本氏と過ごした最後の夜の空からインスピレーションを受けて作った曲で一気に書き上げた詞です。「お登紀さんには数々の名唱を聴かせてもらいましたが、やはり今日の白眉はこの歌でした。
藤本敏夫氏の魂は今ここにお登紀さんとあります。

「青い月のバラード」

夜の底に光る 青い月のように ひとり歩いていく あなたの後姿
孤独の中へ 出て行く人のために 何が出来るの?ただ見送るだけ

花は花のように 鳥は鳥のように ひとり咲きつづけ ひとり飛びつづける
未知の中へ 一瞬の運命に 身をまかせて 振りむかずに

風が花を咲かせ 月が鳥を誘う あの日同じ哀しみと 同じ夢を見て
二人愛を重ねた

花は花のように 鳥は鳥のように かわらぬ愛を求め どこまでも夢を追いかける
激しさと さまよう強さを持ち 孤独の痛みを 輝きにかえて

もしも出来るなら あなたを抱きしめたい 青い月のように

2002年七月三十一日、午前三時、男は突然闇の向うへと消えた。
「もういいだろう」
自分から酸素マスクをはずし、走りきったマラソン選手のように生を手放した。
残ったのはただゴーゴーと音をたてる海。
そして私の土の上に刻み込まれたのは
必死で生きた志の地図だ。



....息を引き取った後、彼の財布から詩を記した紙切れが出てきた。その詩を読んでいると、生と死の振り子が揺れる中で、静かに今の時間を受容しようとしている彼の思いが伝わってくる。


『いつも何度でも』作詞:覚和歌子「千と千尋の神隠し」主題歌

「呼んでいる 胸のどこか奥で いつも心躍る 夢を見たい
かなしみは 数えきれないけれど その向うできっと あなたに会える

繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど この両手は 光を抱ける

さよならの時の 静かな胸 ゼロになるからだが 耳をすませる
生きている不思議 死んでゆく不思議
花も風も街も みんな同じ
 
呼んでいる 胸のどこか奥で いつも何度でも 夢を描こう
かなしみの数を 言い尽くすより 同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも 新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓 ゼロになるからだ 充たされていけ
海の彼方には もう探さない 輝くものは いつもここに
わたしの中に 見つけられたから」








「もう、いいだろう」
すべてが終わった瞬間だった。
数値がドンドン下がる様子は、まるで飛ぶのを止めた鳥のよう。そうだ、もうこれ以上闘う必要なんてありはしない。決してへこたれることなく、こんなにも闘ってきたんだから。
私は彼を抱きしめ、必死で頬ずりをした。彼は私を抱き返した。その腕の力はとても強かった。嵐の中にいるほどの強さだった。私は彼の耳元で、想いのたけを込めて告げる。
「あなた、よく頑張ったわよ。あなた、素敵だったわよ!」
そうして、娘たちとの抱擁。病室にいる家族は、みんな、ひとりずつ、手を握り抱き合った。自ら呼吸を放棄した彼は、エンジンをとめた後のプロペラのように、静かに息を吐き続けた。安らかな息の中で、彼は宇宙の懐に還っていこうとしている。
四十分後、心臓が動きを止めた。医者が何度も強いライトを目に当てて、瞳孔が開いてるのを確かめる。
「まぶしいから止めて下さい」と思わず私は叫びそうになった。
「午後三時。ご臨終です。」
肺炎を宣告されて十九時間後。
瞼を閉ざし、唇を閉ざし、全身をタオルで拭き、新しい浴衣を着せると、彼の旅立ちの支度は整った。
...頭の中は真っ白なまま、黙々とそれを片付けている最中、葬儀屋さんが「ご遺体はどこにお運びしますか」と尋ねてきた。あまりにも現実的な問いかけに、我に返った私は、とっさに「鴨川に」と答えた。
闘い終わった彼を、あの愛し続けた鴨川の自然の中でゆっくりと休ませてあげたい、そう思ったのだ。



人の形をした彼は、葬儀を終えると白い骨になってしまった、病気と闘った人の苦しみの跡が無残に残された白い骨。小さな骨のかけらを拾いながら、私も娘たちも声をあげて泣いた。
すべてが終わり、彼が小さな骨壷に納まってしまったとき、私は心の中にすごい勢いで風が吹くのを感じていた。
戦場で相棒の死を受け止めた兵士のように、託されたものの大きさを感じていたのだ。
その人の人生、その人が存在した意味は、死んだ瞬間から始まる。ましてやり残したことがいっぱいある彼の死は、残った人間にたくさんの”始まり”を与えていった。私は、彼の残したエネルギーを受けとめて、これから走りださなければならない。彼の死は私の出発点なのだ。







「真夜中、ひとり目覚めたとき、愕然とすることがあるんです。とても不安でね。何が不安なんだろう。それは人間が生きるにあたって、もっとも必要なものからドンドン離れていってるという現実なんですね。自分の生殺与奪の権利を、知らない誰かに握られてしまっているという現実。
僕はここで、それに対してイチから自分のできることをやってみたいと思ってるんです。お米を多少作り、野菜や大豆を多少作る。そのことを少し努力したら、七割から八割自給できるめどが立つ。でも、こういう現場にいなかったら、めどが立たないでしょう。食べものとエネルギーという基本的な問題が、ここでは何とか自分で自給できるわけです。
それはとっても安心材料ですよ。この安心感は想いとして伝わります。子供たちも、こうした生活ができることを知ってくれているかもしれない。
鴨川に来なかったら、僕の人生はまったく違うものになっていたでしょう」

 ●藤本敏夫●

68年反帝全学連委員長。72年から3年余り、学生運動をリードした責任を問われ、服役。72年、加藤登紀子と獄中結婚。76年、大地を守る会を始める。農事組合法人「鴨川自然王国」代表。2002年7月、没。



月の他には何一つない空に向って、誰かが歩いて行くのが見える。それはいつも私より三歩先を歩き、決して振り返らず、そして「サヨナラ」を言わない人。どんなに愛しても、どうしても自分の孤独の中へと帰って行こうとする男。その人はどんどんと歩いて行ってしまう、ひとり遠い場所をめざすように。
人は孤独な星になって、いつか空へと還っていく。そのとき、残されたものはただ見送るしかないのだろうか。せめてそのとき、あの輝かしい月がその人を照らし続けてくれることを祈るより他はない。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇<山中千尋(やまなか ちひろ)>◇◇◇◇◇◇◇◇◇




























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