『梁塵秘抄』 または ”わしふぃーるど”

━【パティ・スミス】


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ニューヨーク・アンダーグラウンド・シーンNYパンクの女王パティ・スミス!
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『イースター』
photography:robert mapplethorpe
♂ファンの為、ジャケット画像はLPよりUPいたしました。アハハハ!
ブルース・スプリングスティーンとの共作曲「ビコーズ・ザ・ナイト」を聴け!

<NYパンクの女王パティ・スミス!>
70年代半ば頃、ニューヨークのアンダーグラウンドでは一種の反社会的芸術運動のようなものが起きていてガレージ・バンドとして60年代に活動していたヴェルヴェッド・アンダーグラウンドがデビューし同時期にテレヴィジョン、トーキング・ヘッズ、ラモーンズ、ブロンディなどニューヨークのロッカー達が続々と注目されはじめ、その知的でシンプルで破壊的なサウンドとみすぼらしいファッションは、しだいにパンクと呼ばれるようになっていった。ニューヨークのパンクはどこか芸術運動のような側面も持ち合わせ、イギリスで広まったパンクとは少し趣を異にしていた。
『パンクとはジャンルではない 生き方だ!』
パティ・スミスはもともとは、ミュージシャンではなく詩人でした。しかし、ロック・バンドの演奏をバックに詩の朗読をしているうちに、いつしかバック・バンドを持つようになり、詩にメロディーがつくようになっていったのです。「パンク・ロックの女王」とセンセーショナルに受け止められ、その後女性ロック・シンガーのカリスマとして広く世界的に知られ、詩人、ペインター、写真家、作家…と彼女の創作活動は多岐に渡っている。



<フジ・ロック・フェスティヴァル 7.26.2002 LIVE映像>
コレクターズ・ビデオです。

2001年にロックの祭典、フジ・ロック・フェスティヴァルに出演した彼女は、広大な自然の中、圧倒的なまでにエモーショナルなステージを繰り広げ、そのフェスのベスト・ライヴ・アクトとの評判を勝ち取ったのである。そして続く翌2002年のフジ・ロック・フェスにも登場し、前年を更に越える感動的なパフォーマンスを見せつけたのである。パティ・スミスはこのイベントを大変高く評価し、ステージでライヴをやるのはもちろん会場の中を歩きながら一般客と気軽に挨拶することを望んだそうです。このフジ・ロックでは過去の広島の悲劇に対して自らがアメリカ人の一人として日本の聴衆に対して5回も6回も”I’m sorry.”と言って「wing」という曲を捧げた。



「今世の中は、間違った方向に進みつつある。人と人との間で起こる争いごと。そして、それによって多くの人が死ぬ。どんな理由があっても、正しい戦争などないし、あなたがた日本人の祖先が、そのことをいちばんよく知っていることのはず。
Don’y forget,Hiroshima !Don’y forget,Nagasaki !Peace !Peace !
私はアメリカ人だし、このことは決して忘れない。私の祖先が戦争したことを、忘れてはならない。私の父も、かつて軍人として戦った。だけどそれは、人を殺すための戦いではなく、平和のための戦いだった。彼はそう信じていた。」
そして、やっぱり力強いロックンロール曲の「gloria」や「people have the power」が彼女の本領だ。
「power of the people!」



9・11のテロ後も各地のコンサートで反戦のメッセージを訴え続けている。その妥協なき音楽への姿勢はまさに女王の称号にふさわしい。ロック・ミュージシャンとして知られるパティ・スミスだが、もともとはアーティストを志してアートを学んだ経験を持ち、長年ドローイングを描き続けている。


photography:robert mapplethorpe

<恋多き女ランボー>
パティ・スミスは1946年、シカゴに生まれ、詩人として、ミュージシャンとして、すぐれた作品を現在も作り続けている。愛や人生、社会問題などを力強く歌ったその作品は、高い評価を受けており、日本人のファンも多い。そんなパティの愛の軌跡を超特急でご紹介...。67年春、グラスボロー・ステイト・ティーチャーズ・カレッジ在学中の18歳の時に大学教授との間の子供を妊娠するが、生活のため里子に出し、わずか16ドルを握りしめニューヨークヘとやってくる。
アート・クラスを受講し同じ学校に通い、偶然同じ年齢(19歳)だったロバート・メイブルソープと運命的な出会いをする。二人は恋に落ち、ブルックリンの安アパートで同棲生活を始める。ロバート・メイブルソープはゲイであり、お互いに別の恋人の存在を認めあい男女の性を越えた芸術家同士の友情で固く結ばれ続けていた。1970年には劇作家のサム・シェパード(映画俳優としても有名)にパティは激しい恋をした。やがて二人は『カウボーイ・マウス』という劇を一緒に書き上げ、71年4月29日、アメリカン・プレイス・シアターで上演し女優/劇作家パティ・スミスが誕生する。しかしサム・シェパードはドラッグ中毒と不倫愛に堪えかねパティのもとを去ってしまう。トッド・ラングレンとも恋仲であったようだがもう知らない。その後詩人として本格的にポエトリー・リーディングも始めニューヨークのアンダーグラウンド・アート界では知らぬ人はいない有名人となっていた。人の恋路どうでも良いが、パティはブルーオイスターカルトのキーボード、アラン・レイニアーと同棲生活を送っていたが、レイニアーと別れたパティは、ニューヨークパンクのカリスマとして伝説となるテレビジョンのリードボーカル兼ギタリストのトム・ヴァーレインと同棲を始める。恋多き女性として名をはせたパティだが、元MC5のギタリスト、フレッド・スミスとの出会いは彼女の生活を一変させた。



パティの歌う歌詞の文学性やアート性も一部の先鋭的なロック・ファンの自尊心をくすぐったし、彼らのファッションやスタイルが魅力的だったことは間違いない。
詩や演劇などのアートの世界で活躍するロバート・メイプルソープや、アンディ・ウォーホールらとも親交のあった彼女が、後に「ニューヨーク・アンダーグランド・パンクの女王」として名を馳せることになる。


photography:robert mapplethorpe

「1969年、わたしはロバート・メイプルソープとともに、チェルシー・ホテルに移った。その時には、もう画家になる夢は捨てていた。わたしはアングラ劇場で働くことを持ちかけられた。しかしそこは、あまりにも窮屈だった。わたしは人々と接触し、もみ合うことにあこがれた。ロバートが詩を朗読することを勧めてくれたので、朗読会にも参加してみた。しかしここは、もっと窮屈だった。ボブ・ニューワースが音楽がつけられるような詩を書いたらどうかと提案してくれた。そして、サム・シェパードがそのうちのふたつを、彼の戯曲の『マッド・ドッグ・ブルース』で使うことになった。」


photography:robert mapplethorpe

<ロバート・メイプルソープ. MAPPLETHORPE, Robert 1946-1989.>

1970年代の重要な社会問題は性の解放とゲイの権利獲得です。彼はその流れを支持し、ゲイやSMを自らのアート作品で取り上げ、アートとして表現することでこれらの嗜好を持つグループをサポートしようとしたのです。二人とも成功したくて、伝説の「チェルシー・ホテル」に住み、ウォーホール一派の溜まり場ドラッグ漬けの「マクジス・カンザス・シティー」をうろうろしてたんですえ。しかし彼は1989年3月9日にエイズで死亡。皮肉なことに彼を有名にしたゲイの美意識が原因で早世してしまっ たのです。メイプルソープがゲイであることを自覚するプロセスは、ゆっくりしたものだったようです。ある意味ではアーティストになることとゲイになっていくことがぴったり重なっていたのではないか...。ふんふん...大型洋書店の写真コーナーに行けば、必ずありますね。でもね、大きくページ開けないですね。やべ~って感じ。あははは。彼の写真はすべてスタジオワークで撮られたもので、スナップショットにはおよそ興味を示さず、写真を撮ることは空間を彫刻することだという信念を端的に示している。
パティは「ロバートは私の中にあったエネルギーをいかに形にしていくかということを教えてくれた。彼は私にアーティストとしての自信を与えてくれた人」と語っている。



ウィリアム・S・バロウズをはじめ、アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックら、50年代アメリカが生んだビート・ジェネレーションの代表的作家はパティの創作的思考に甚大な影響を及ぼした。名曲「1959」ではバロウズやギンスバーグなど、詩人たちへのオマージュを捧げている。


photography:robert mapplethorpe

『ホーセス』
75年に発表されたパティ・スミスのデビューアルバム。白いシャツを着たまるで少年のようなパティ....。
アメリカのアンダーグラウンド・ロック・バンド初のビルボード・トップ50入りした記念すべきアルバム。ヴェルベッツもMC5もストウージズもニューヨーク・ドールズも成し得なかった快挙でした。パティは、自分が敬愛するランボー、ジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックスを自己探求の中心に据えロックン・ロールと個人的体験をしっかりと結びつけ自分の声を探そうとしていた。ゼムの名曲「グロリア」をカヴァーし、以来持ち歌としている。


photography:robert mapplethorpe

『Land(1975-2002)』

「パフォーマンス・ポエトリーと、即興的なフリーフォームのロックン・ロールを合成したもの」



歌われることを前提とした詩ではなく、文学的に詩としてかかれたものを、詩とは必然的に繋がりのない”ロックン・ロール”という領域に解き放つことによって、そこから誰も想像もしなかったような意味や社会的意義を引き出そうとしたのです。






「ヘンドリックスが最後の手を持っていて、ジョップリンが最後の酔っ払いの喉をしていて、モリソンが最後の詩人の魂を宿していた、というようなことは信じない。彼らが脱皮し、永遠に砕け散ったのは、私たちをジュークボックスの中に冬眠させるためではない」



『ラジオ・エチオピア』
photography:robert mapplethorpe
パティの原点のポエトリー・リーディングをまぶしたロックンロールが最高!







『ウェイヴ』パティ・スミス・グループ

このアルバムを最後にパティは突如引退して家庭におさまることとなる。夫となるフレッド・スミス(MC5のギタリスト)へのラブ・メッセージ満載のアルバム。75年のレコードデビュー後、そのエキセントリックかつアヴァンギャルドな歌とあまりにも文学的な詩世界でパンク・ロックの女ランボーとし一世を風靡するも、全盛期にミュージシャンと結婚して即引退、伝説となる。
パティが70年代に発した叫びは、内なる自分へむけられるものへ変わった。 



「わたしの心にあったのはこういうことだ─アーティストの進む道、自由を再定義する道、宇宙の再創造、新しい声の出現。 そしてそういったことを─不器用ながらも─わたしはロックのスタイルを通して表現するに至った。わたしはただの捨て駒かもしれない。でもそれでもなお、自分が感動を作り出すことができるようになったのをうれしく思う。」

Patti Smith 『パティ・スミス 完全版』より抜粋




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メイプルソープとの共棲。死。出産。夫の死。
長い苦しみと隠遁を経て、彼女は再び「ロック」に帰って来たパティ・スミス。おかえりなさい!「ストリート・パンクの女王」ちゅうより「ニューヨーク・パンクロックの母」と呼んでもいいかい?彼女の音楽に”母性”を感じる♂ファンは私も含めて絶対に多いに違いない!
パティ・スミスはパンク・ロッカーとしてのスタンスを変えることなく、未だにそのクオリティーとパワーを保ち続けているのです。50代半ばを過ぎても、彼女の反逆精神はまったく衰えることがない。いま彼女の怒りと攻撃性は、愛するニューヨークを襲い、未だ無意味な爆撃を繰り返すテロリストへ向けられ、彼女自身が愛するアメリカをダメにするずるい拝金主義者、そして偏見にみちた差別主義者へも向けられステージでの
「この一本は平和のため、この一本は恐怖に打ち勝つため」
と、ギターの弦を一本ずつ引きちぎってく「グロリア」のパフォーマンスは常に時代と対峙してメッセージを発しているパティらしくかっこよすぎる!
そして、パティ・スミスの突き上げる拳には、ニューヨークへの強い愛が感じられる。
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