『梁塵秘抄』 または ”わしふぃーるど”

━【秋吉 敏子】



「ソフィスティケイテッド・レディ」
秋吉 敏子Solo  Jazz Live in L'AUTRE MAISON 西の洞



04月 25日(sun.)
Solo Jazz Live in L'AUTRE MAISON 西の洞



秋吉 敏子さんからのメッセージです。またの再演をぜひ、ぜひ.....!



この日秋吉さん電車を間違えて「西の洞」への到着が遅れ、風の冷たい中並んで待っておりましたが、無事ジーンズ姿で到着、秋吉さんの明るい人懐こい笑顔に思わず拍手でおで迎えしました。リハも短めに切り上げてくれたようで入場開始。お目当ては2Fのテーブル席で見事ゲット!3Mほどの好位置で手元もばっちり見えます。
ほぼ定時に秋吉さん登場。最初に「西の洞」では二度目の演奏との事でリラックスされていて、いろいろ喋ってくれました。黄色人種として女性としてアメリカのジャズ界を歩んできた自らの人生の歩みを描いた名曲「ロング・イエロー・ロード」が一曲目でした。50年近くも前に一人の日本人女性がアメリカに渡り....と考えると感慨もひとしおです。キース・ジャレット並に良く唸り、ストンピングも再三出て力の入ったソロ演奏には驚かされました。40年代ジャズの息吹から、秋吉さんが敬愛するミンガス的な重戦車のようなビート感、そしてアバンギャルド的なプレイと、秋吉さんの作風には彼女が体験してきたジャズ・ミュージックのエッセンスが実に自然体に表出しています。まさにJAZZの生き女神様~ァ!オスカー・ピーターソン、バド・パウエル、デューク・エリントン、ディジー・ガレスピーの名前がポンポン出てもう夢のよう。本当に、日本が世界に誇る偉大な天才ジャズ・ピアニストが目の前で演奏してるなんて凄いです。



秋吉敏子さんは「ジャズの歴史」の中に確固たる位置を占める音楽家です。
ピアニストとして出発し、ビッグバンドリーダー・作編曲家として大成した秋吉敏子さん。『国際ジャズ名誉の殿堂』入リを果たし、日本人の音楽的アイデンティティをジャズ界で認めさせたのは、彼女のすばらしい業績です。
ルー・タバキンとビッグバンドを結成して30周年になったのを記念して日本ツアーが企画され、昨年5月14日 東京・浜離宮朝日ホールで”秋吉敏子ジャズオーケストラ・フロム・ニューヨーク-スケッチ・オブ・ジャパン-”と題した公演が行われました。が、惜しむらくはオーケストラを解散されました。
しかし、しかし驚くのはその解散の理由で、もともと自分はピアニストなのだから、30年という区切りをきっかけとして改めてピアノの修行に入るのだ、ということなのだ。作曲ばかりに力を入れてきたから、ピアニストとしての腕が錆びついている!と。....GREAT!



74年発表の『孤軍』は、モダン・ジャズの金字塔として世界中で愛聴されている。





まさかサイン貰えると思いませんでした。(笑)
秋吉さん紙ジャケCDが発売されているの知らなかったようで、「あなたそれどこのレコード会社と聞かれました。」



<秋吉敏子>

1929年12月12日旧満州の遼陽生まれ。敗戦により日本に引き揚げ、47年より九州の駐留軍クラブでジャズ演奏を開始。49年に上京し51年に渡辺貞夫を加え、コージー・カルテットを結成。53年11日のJATPの来日時に、その卓越したピアノをオスカー・ピーターソンに認められ、ノーマン・グランツの手で初録音を果たしアメリカのジャズ・シーンに紹介される。56年1月バークリー音楽院に奨学生として留学。以後チャーリー・マリアーノ(サックス奏者、前夫)、チャールス・ミンガス、ルー・タバキン(サックス奏者、現夫)らと活動。73年にトシコ~タバキン・ビッグ・バンドを結成し、ピアニスト、バンド・リーダー、作編曲家として世界的評価を受けるに至っているジャズ・アーティスト。公害問題などの社会問題からヒントを得た楽曲などを数多く作曲・編曲・録音している。またジャズ評論家の油井正一氏が「日本で最も才能豊かな世界的なジャズ・ミュージシャンの1人」として高く評価していた事は有名。



『ヒロシマ そして終焉から』
秋吉敏子ジャズ・オーケストラ・フィーチャリング・ルー・タバキン

「ヒロシマ その終焉から」は、2001年8月6日、広島で初演されました。今回のLIVEではラストに『ヒロシマ そして終焉から』の第3楽章「希望」を演奏してくれました。短い曲でしたが深い感慨を覚え暫し身動きできませんでした。秋吉さんの口から「ヒロシマ」という言葉を聴いてから、ずっと父の事に思いをはせておりました。私の父は広島で被爆しました。一次被爆で広島には四日間おりましたが、幸いにも発症する事がなく、77歳まで生きる事ができました。「ヒロシマ」についての父の口は重かったですが、一度ある会報に体験談として被爆体験を載せたことがありました。(この楽天ではなく別な形で公表したいと思っております。)秋吉さんも「反戦です...。」と口ごもるように言ってくるりと後を向いてピアノに向かい、数秒気をためてから「希望」を弾き始めました。言葉は饒舌ではありませんでしたが、とても美しいメロディで秋吉さんの思いがヒシヒシと伝わってきて感動しました。秋吉さんに背中を押されたような気になりました....。過去の悲劇に涙するばかりではなく、ともかく元気になれる作品に仕上げた秋吉さんの力量の凄さを聴いていただきたいと思います。かなりの年齢なのに若いアーティストがかなわないぐらいの創造意欲に燃え、作品に一点の妥協も許さない、という彼女の芸術家としての毅然とした態度はこの上なく美しく、まさに「ソフィスティケイテッド・レディ」と呼ぶに相応しい美しさでした。



59年には、マンデイ満ちるの父チャーリー・マリアーノ(alt sax)と結婚。そして秋吉敏子さんは、やはり屈指のアルト・サックス・プレイヤー、ルー・タバキン(現在の夫)との邂逅により73年にトシコ・ルー・タバキン・ビッグ・バンドを結成。






◇館林市市内のイタリアンレストラン「西ノ洞」◇



1F ホール
2F テーブル席





3F ロフト席



大きく開けられたガラス窓からは、昼の明るい光が差し込み、木の色と調和した、ゆとりのある空間を創り出します。
ekato
Toshiko MY LOVE

偉大な芸術家を尊敬する念が私の生きて、逝くテーマです。尊敬するなら愛をくれ!って誰のセリフ?

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<菊地雅章 SOLO>
at ロートルメゾン 西の洞/館林 - 期日未定










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