『梁塵秘抄』 または ”わしふぃーるど”

広島




■「広島原爆記念日」~さとうきび畑(作詞:寺島尚彦/作曲:寺島尚彦)■




私の父はは59年前の昭和20年8月6日8時15分、広島で被爆しました。爆心から2Km以内の建物の中での被爆でした。2Km以内以内の被爆で発症もせず助かった人は稀です。
よくぞ生き延びたと思います



今日8月6日の広島原爆記念日の日、私は毎年、父の鎮魂のために一つの優れた歌を聴きます。
それは、寺島尚彦作詞・作曲の『さとうきび畑』です。
「淡々と,感情をおさえて」。楽譜に書いてある言葉です。
この歌は、本当は第二次大戦下、日本で唯一住民を巻き込んだ沖縄の地上戦の悲惨さ、むごたらしさを伝えた唄で―森山良子さん始め、世代、ジャンルを超えたたくさんの歌手に歌われ、多くの人に愛されている名曲です。作ったのは洗足学園大学元教授の寺島尚彦さんです。初演は一九六七年。六九年、森山良子がレコーディングし、さらに七五年にNHK「みんなの歌」でちあきなおみが歌い(後に、森山良子バージョンも)広く知られるようになりました。下記に歌詞を掲載させていただきました。



『さとうきび畑』 (作詞:寺島尚彦/作曲:寺島尚彦)

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
むかし 海の向こうから いくさが やってきた
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
あの日 鉄の雨にうたれ 父は 死んでいった
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
そして 私の生れた日に いくさの 終わりがきた
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
風の音に とぎれて消える 母の 子守の歌
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
知らないはずの 父の手に だかれた夢を 見た
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
父の声を 探しながら たどる 畑の道
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
お父さんと 呼んでみたい お父さん どこにいるの
このまま 緑の波に おぼれてしまいそう
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ けれど さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 忘れられない 悲しみが
ざわわ ざわわ ざわわ 波のように 押し寄せる
風よ 悲しみの歌を 海に返してほしい
夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ この悲しみは 消えない




森山良子さん「涙そうそう」の次に「さとうきび畑」を歌います。MCを下記に掲載させていただきます。

.....そして、もう一曲は「さとうきび畑」
え~、この曲と出会ったのは、もう33年と少しになります
私が、二十歳そこそこの頃でした
その頃、私はもう音楽を歌っていれば楽しくて楽しくてしょうがないといった若者でしたから
この「さとうきび畑」を作者の寺島尚彦先生からいただいた時
余りに大きな歌で、そして深くて長い歌で、自分の中では消化しきれなくて、ほんとに難しくて壁にぶち当たっていました
でも、あの、この曲を何回も何回も私に歌うチャンスをくれたのはお客様です
コンンサートの度ごとに「さとうきび畑」が聴きたい、ざわわ..が聴きたいといい続けてくださったおかげで何回も何回も歌いながら、少しづつ少しづつ自分の体の中に、この歌を浸透させていった...そんな気がします

皆さんと一緒に平和の心、愛する心、人の命の大切さ、いっぱいのあったかい心を感じながら歌いたいと思います。




60年近くが経った今でもこの日を原爆記念日としてその惨禍を将来に渡って忘れることがないよう、毎年その広島で平和記念式典が開かれています。
しかし最近、この平和記念式典の民放局での扱いがどんどん小さくなってきていると思いませんか?



「ちちをかえせ ははをかえせ  としよりをかえせ こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる  にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり  くずれぬへいわを へいわをかえせ」


峠 三吉<1917(大正6)年~1953(昭和28)年>
本名は三吉(みつよし)。大阪府生まれの昭和時代の(原爆)詩人。
1917(大正6)年2月19日生まれ。幼時に広島へ移り1935(昭和10)年に広島商業学校卒業。在学中より詩や短歌、俳句などの詩作を始め、卒業後、肺結核に罹る。25歳のときキリスト教の洗礼を受ける。
1945(昭和20)年、28歳の時に爆心地から3キロはなれた広島・翠町の自宅で被爆。直接の損傷はガラス破片による負傷であったが、親戚や知人を探して原爆投下直後の広島市内を歩き回ったため原爆症に罹り、9月まで入院した。
その後、原爆症にくるしみながら広島青年文化連盟などの文化活動を指導する等、広島で文化運動のリーダーとなり、新日本文学会に参加、1950(昭和25)年に「われらの詩の会」を結成。
翌1950年11月、国立広島療養所でアメリカのトルーマン大統領が、朝鮮戦争において、再び原爆の使用を示唆する発言を聞いて抗議をこめて、翌年の1月から3月にかけて療養所の一室で『原爆詩集』25編の内18編を書きあげた(有名な「ちちをかえせ‥‥」は、この詩集の”序”として書かれたものである)。同詩集は、同年ベルリンの世界青年学生平和祭に日本の代表作品の一つとして送られ、世界的な反響を呼んだ。



『黒い雨』
原作 井伏鱒二 脚本 今村昌平/石堂淑郎
撮影 川又昂 音楽 武満徹 美術 稲垣尚夫
出演 北村和夫/田中好子/市原悦子/沢たまき
三木のり平/小沢昭一/小林昭二

このDVDには、井伏鱒二の原作とは違う結末が収録されています。19分に及ぶ「矢須子の四国巡り」(未公開カラー)です。時は昭和40年に飛び、重い放射能障害にもかかわらず余命をつないでいる矢須子がお遍路に出るといふ内容で、襤褸布さながらに遍路を続ける矢須子の姿は今村昌平と石堂淑郎ならではの強烈で重厚な表現であり、原爆の惨禍の記憶を新たにするものである。
私は、父の鎮魂の為にも、私の息子と娘にこの映画を見せるつもりです。



<井伏鱒二『黒い雨』>
~松岡正剛『千夜千冊』第338夜より転載させていただきました。

   「舞台は広島。時間は原爆が落ちてから5年近くたったころ。鯉の養殖を仕事としている閑間重松(しずま・しげまつ)が原爆症の予後を養いながら、自分がひきとった姪の矢須子の結婚を心配している。『黒い雨』はこういう状況の中に「ピカドンのときの出来事」をさかのぼらせて、それを川の流れの上にポンと笹舟をおいたようにおいた作品である。
  矢須子が縁遠いのは原爆症の噂のためなので、重松は見合い話がきたとき、相手を納得させるために診断書を添えた。それがかえってやぶへびになり、仲人から原爆投下時の矢須子の足取りを教えてほしいと依頼されてしまう。そこでやむなく矢須子の日記を見せようと決断し、加えて自分の被爆日記も見せる気になっていく。そこで妻のシゲ子の助けをかりて清書をはじめた。物語はこの清書の書き進みとともに進んでいく。
 こうしてあの8月6日の人間たちの動向が、少しずつあきらかになっていく。矢須子はそのとき疎開荷物を運んでいて、直接の被爆を受けていないこともはっきりした。が、彼女はその帰路に泥のはねのような黒い雨を浴びていて、それがしばらく消えてはいない。そういうことがわかってきたころ、矢須子の縁談は一方的にこわれる。そのうえ矢須子に原爆症があらわれてきた。
  重松はもはや誰に憚ることなく“記録”を完成させようと心に決める。知人の細川病院の院長にも助力をたのんだ。細川は義弟の被爆日誌を送ってきてくれた。そこには壮絶な記録が綴られていた。重松は落胆する矢須子にその日誌を見せ、矢須子を鼓舞するが、実は自分がしている清書は自分のためだっことに気がついていく。
  作品の終わり近く、重松は川を見る。その流れの中をウナギが行列をつくっている。この地方ではビリコとかタタンバリとよばれている幼生である。そこからは水の匂いがたちのぼっていた。それは原爆の前も後も変わらぬ光景であり、匂いだった。重松は一人つぶやく。「今、もし、向こうの山に虹が出たら奇蹟が起る。白い虹でなく、五彩の虹が出たら」。

  原爆文学とか被爆文学という言葉はつまらない。だいたい戦争文学という言葉もつまらない。ぼくはこういう言葉を一度もつかわないで死にたいとおもうのだが、それはともかく、これまで原爆を描いてきた作品では原民喜の『夏の花』や太田洋子の『屍の街』などが話題になってきた。
  そういう作品にくらべて『黒い雨』はかなり変わっている。どこかで石牟礼道子さんが『黒い雨』の感想をのべるにあたって「魔界から此岸にふっと抜けるような蘇生」といったことを書いていたように憶うのだが、まさにそんな風情もある。その一方、被爆者の内側までをも蝕んだ殺人光線の描写も克明にある。打ちひしがれた気分になるかというと、そういうものがない。明るいわけでもなく、暗いのでもない。匂いといえば、たしかに水の匂いがするが、その匂いが動いている。そこは太宰治が見ていた井伏鱒二ではない井伏鱒二が生きているのである。

松岡正剛『千夜千冊』第338夜 <井伏鱒二『黒い雨』>全文はこちら。




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