『梁塵秘抄』 または ”わしふぃーるど”

林英哲

 

ryuuchan


鼓童「Mondo Head(モンド・ヘッド)」

本年もみなさまと一緒に歩んでゆく1年であるように、より一層がんばりたいと思います。

2005年が、素晴らしい1年になりますように…。


○o。彼方より聞こえたるもの-林英哲。o○





◇コンサートツアー 2004.12.11「われに羽賜べ」益子公演◇

■林 英哲(太鼓)■



■クリストファー・ハーディ(パーカッション)■新谷祥子(パーカッション)■
■土井啓輔(尺八)■英哲風雲の会(英哲自身が全国の若手太鼓打ちより選抜して結成したグループ) 上田秀一郎、木村優一(太鼓)■

和太鼓と世界各地の民族打楽器のコラボレーション!
会場の益子町民会館は指定席・立見席とも前売りの段階で完売とのことで、始まる前から期待で観客のボルテージは高まっていました。英哲さん益子町とは縁が深く四度目の公演で、子供からお年寄りまで二度目三度目という方が多かったようです。一度でも生演奏観た方は当然なり!(シャケ語録ヨリ)
和太鼓特有の体の底から響き渡るようなビートが、日本的でありながらどこか日本的でない-形にとらわれない不思議なムードを織りなしていきます。一部では世界でも類を見ない新時代のパーカッション・デュオ、ハーディ夫妻と和太鼓、尺八のセッションはジャンル内におさまりきらないあらゆるものを超越した超絶インプロヴィゼーションを繰り広げ、新谷祥子のマリンバの凄まじい演奏に場内ヒートアップ!珍しい世界各地の民族打楽器を駆使したクリエティブな音楽が変幻自在に繰り広げられ密度の高いステージが展開されました。
第二部の太鼓組曲「われに羽賜べ」は風雲の会(上田秀一郎、小泉謙一、はせみきた、服部博之)の躍動する姿がみられ観衆はますますヒートアップ!和太鼓の音に混在する繊細さとダイナミズムを巧みに使い分け、伝統とジャンルを越えた独創性の強い演奏を展開!高い精神性と多彩なイマジネーションを想起させる英哲ワールドが繰り広げられました。終演後、皆一様に「凄かった!」と嬉しそうに顔を見合わせています。私も衝撃と感動で余韻に浸ってしまい座席からしばらく立ち上がれませんでした。U^ェ^U



「国内最大級の益子焼太鼓」

益子町民会館で12月26日午後6時30からオリジナル太鼓曲「益子(ましこ)天人(てんじん)」の発表会が開かれました。町制施行50周年を記念して制作された益子焼の陶製太鼓、大小25個の初演奏で、世界的な和太鼓奏者・林英哲さんが益子町のために作ったもので林さんの特別出演で初演されました。林さんは益子町とは、同町の西明寺(坂東三十三札所の第二十番札所)の境内で、秋の彼岸などに行われている地元の権現太鼓衆の和太鼓演奏会場での交流などを通じた縁があり、陶太鼓は今年二月、益子を訪れた林さんから「土(陶太鼓)は、いい音が出ますよ」とのアドバイスを受け、制作したもの。
 なかでも陶製大太鼓は、胴の部分を益子焼で制作。直径約90センチ、約200キロで国内最大級。陶製大太鼓は、益子焼の人間国宝・島岡達三さんが総監修して太鼓愛好の陶芸家藤原郁三、松崎健さんらが制作。彫刻象眼も施された。演奏には、町の太鼓衆「天人疾風(てんじんかぜ)の会」が、つぼ太鼓(直径約45センチ)四個、手持ち太鼓(同約24センチ)20個の計25個が使用された。

「益子天人」は「土の音」、「炎(ひ)の音」、「疾風(かぜ)の音」の三部構成で演奏され勇壮な響きがこだました。「声明と六大響」という真言宗の僧侶8人の声明もありました。



『きっと我々は 血の中に 生命の何万年ぶんもの 記憶の音を 留めているのだ 太鼓は そのいちばん始めの音かもしれない』



『雨が降ってほしい 日が照ってほしい 思いを届けてほしい その原初の祈りの瞬間が 太鼓を打っている最中に 訪れる時がある』



『たぶんずっと 太鼓が何か 「わからない」ままで 生きているのだろう 生きているというのは 本当に不思議なことだ』



『太鼓が何か というのは 本当を言えば 「わからない」 どうしてここまで やってきたのか ということも「わからない」』




■林 英哲 /和太鼓■
1952年 広島県生まれ。
 『佐渡國・鬼太鼓座』『鼓童』の創設以来のトッププレーヤーとして11年間活動後、独立。1984年には初の和太鼓ソリストとしてオーケストラ作品でカーネギーホールデビュー。以来、かつての日本の伝統にはなかったテクニックと体力を要する大太鼓ソロ奏法の創造、多種多様な太鼓群を用いた独自奏法の創作など、まったく新しい様式を伴った音楽的な試みをつぎつぎと行い、パイオニアとして多彩なコンサート活動を国の内外で展開。ジャズ、ロック、各国の民族音楽との共演や、ダンス、舞踏、アート・パフォーマンスとのコラボレーションなど、ジャンルを超えた世界のアーティストとも意欲的に交流し、世界に向けて日本から発信する新しい音楽としての太鼓の創造に取り組んでいる。また、国内各地のイベント等でプロデューサーとしての仕事や、映画、演劇、CM、創作太鼓のための委嘱作品などの作曲、指導も多数。エッセイ等の執筆も多く、著書に「あしたの太鼓打ちへ」などがある。
 こうしたこれまでの多彩な演奏・創作活動が評価され、1997年には第47回芸術選奨文部大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。また2000年春より国立三重大学の客員教授を務める。
 近年では、現代音楽の分野でも前例のない和太鼓ソリストとして国際的に高い評価を得ている。特に2000年6月には、ベルリンフィルの恒例の野外コンサート「ヴァルトビューネ・サマーコンサート」で、ケント・ナガノ指揮による「飛天遊」にソリストとして参加、圧倒的な迫力で2万を越える聴衆を魅了した。
(林英哲HPより<http://www.eitetsu.net/>)



「大太鼓は1本の木をくり抜いたものです。胴の薄い、紐で締めるのが締め太鼓、胴のないのがうちわ太鼓。桶のような構造になっているのが桶胴太鼓です」



大太鼓が「ドーン、ドーン」とホールを揺るがす。オーケストラが持続低音のよう
にゆるやかな音を奏でる。幾組かの小太鼓が軽く高く響き、かと思うと太鼓の縁が
「コンコン」と鳴る。もう始まる前から私の頭の中には”音”が聴こえている.....。



「英哲はただ太鼓に向かう。ただただ撃ち続ける。名付けようもない一撃一撃の音。その響きはひととき宇宙を駆け巡りそして余韻となる。」(伊勢真一監督)



林英哲のステージでは、よく見かけるタイプの和太鼓だけでなく、桶胴太鼓、締め太鼓、団扇(うちわ)太鼓など、独特のスタイルとサイズの太鼓が用いられ空気のゆらぎまでが音色の一部であるような太鼓の響きを変幻自在で迫力に満ちた演奏の素晴らしさは世界にも類を見ない。前人未到の境地に立つ世界の太鼓奏者・林英哲。



太鼓というジャンルの枠に捕われず、独自の音楽表現で、世界に和太鼓を知らしめた第一人者。高度なテクニックと体力が必要な大太鼓ソロ奏者として多彩な活動を展開。2001年には演奏活動30周年、2002年にはソロ活動20周年を迎えている雲上の天才奏者。



林英哲の優れた職人のような独特の存在感に魅かれ、彼の”音”を追いかけてきました。洋楽一辺倒でジャーマン・プログレのクラウス・シュルツやタンジェリン・ドリームのコレクターで30年も聴き続けてきました。が、1991年に林英哲の”音”を知り、その次々に繰り出される名付けようもない一撃一撃の”音”に驚愕しました。彼の太鼓の”音”には祭り太鼓のような郷愁の”音”は微塵も感じたことはありません。ステージで鬼と化して太鼓を叩く彼の連打で会場は沸騰してゆきます。正に音浴!時には現代音楽として、時には太鼓系テクノとして....、でも太鼓の音は”いのちの音”です。たたき出されるリズムは”いのちのリズム”なんだと思います。目の前にいのちがあって、自分がそれに感応している。魂が呼応してゆく快感!これ以上の至福の時なんてなかなかないんじゃないでしょうか。



「Ken-Kon」with 山下洋輔

『大太鼓は映画「2001年宇宙の旅」のモノリスの様に屹立し、それに立ち向かう人間を待っている。立ち向かう人類の代表として林英哲がそこに立っているという気がしてくる。(山下洋輔)』



85年に「千年の寡黙」を発表し、87年には「風の宴」、93年には「海響」、同年、
松下功作曲「飛天遊」、94年「千人響海山」、95年新実徳英作曲「風神・雷神」、96年「火の道」、98年「万零」、99年「若冲の翼」、2001年「澪の蓮」とレパートリーを広げている。84年ごろから始まっていた海外公演も、レパートリーの広がりに合わせるように89年ごろから一段と増えている。
「世界中に和太鼓ファンがいますし、演奏グループも世界各地にあります。アメリカだけでも100を超えるグループがあるそうです」



おんでこ座 (後に鬼太鼓座と改称したが読みは同じ) の合宿訓練は、冬でも裸、
裸足で20キロ以上も駆け足するという厳しさだった。しかもテレビ、新聞、ラジオなど外界の情報も禁止され、給料も自由行動もない生活が続いた。その音楽活動が国内でも海外でも高く評価されていたにもかかわらず、リーダーの独裁的な態度が激しくなり、無理な運営からついに鬼太鼓座は崩壊、英哲はほかの団員とともに自ら名付け親となった「鼓童」を結成、1年間グループを指揮した後、佐渡を離れた。1982年のことであった。

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◇マラソン訓練を中心に独特の集団生活をする「佐渡國・鬼太鼓座」◇
走り、叩き、舞う。
「走る」ことと「音楽」とは一体であり、それは人生のドラマとエネルギーの反映だという鬼太鼓座独自の「走楽論」。亡き田耕(でん · たがやす)代表の構想のもとに集まった若者達により佐渡で結成。 1975年、アメリカのボストンマラソン完走後、そのまま舞台に駆け登り、三尺八寸の大太鼓を演奏するという衝撃的なデビューを飾る。
鬼太鼓座(おんでこざ)現在は静岡県富士市、富士山のふもとにて合宿生活をし、国内外にて幅広く活動中。








美人座長 高久保康子さん



-----◇鼓童◇-----

太鼓を中心とした伝統的な音楽芸能に無限の可能性を見いだし、現代への再創造を試みる集団。「鼓童」とは、人間にとって基本的なリズム、心臓の「鼓動」から音をとった名前ですが、それは大太鼓の響きが母親の胎内で聞いた最初の音、心臓の鼓動につながることからきたものです。そしてそこには、「童」のように何ものにもとらわれることなく、無心に太鼓をたたいていきたいという願いがこめられています。








「1995年ギリシャ・パルテノン神殿麓のヘロデオン野外音楽堂公演」




◇もう一人の天才!木乃下真市(木下伸市)◇

「津軽三味線というのは一種の太鼓(打楽器)でもあるし、僕自身、津軽三味線のフレーズが体に入っていることもあって、彼との共演は毎日、阿吽の呼吸の応酬バトルとなる。」(林英哲)






「千僧音曼荼羅 BUDDHIST MUSIC with 1000 shomyo Voices」

■真言宗豊山派の僧侶1000人/佐藤允彦/林英哲/一噌幸弘/中川昌三/他

日本音楽の原点とも言われる仏教音楽、声明。本作には、1993年3月に日本武道館にて行われたスーパー・サウンド・スペクタクル「千僧音曼荼羅」の模様を収録。真言宗豊山派の僧侶1000人に加え、ジャズ界からはピアニストの佐藤允彦やサックスの梅津和時、クラシック界からはフルートの中川昌三、邦楽界からは和太鼓の林英哲や能管・龍笛の一噌幸弘など豪華な顔ぶれが集結。僧達が唱和する声明と一流ミュージシャンたちの比類無きアンサンブルと荘厳な舞台の様子を、8台のカメラを駆使して収録している。



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