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2011年02月13日
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美貌の魂!魂は時に絶叫する!友川カズキ(かずき)■後編■



撮影・鈴木真貴氏

「友川かずきのうたが胸にしみいるとしたら、君は幸せだと思え。涙があふれたら、君は選ばれた人間だと思え。君にもまだ無償の愛に感応する心が残っていたのだ。無償の愛がまだ人の世に存在すること、それこそが友川が身をもってあがない、あかしてくれたことなのだ。
 友川よ、久しく会わないが、元気か。
美貌にかげりはないか。酒量は落ちないか。私は君がよき友人たちに恵まれていることを知っている。その数は世の中の人の数よりは少ないが、一人の男が持つ水準をこえることはるかであることを知っている。」(大島渚)



「東北の詩人たちは限りなく世の中に拗ねてみせるが、また時にかぎりなく甘えてみせる。友川にはその両方がない。友川はテレ笑いをするということがない。そのことが世の中をとまどわせる。友川のあの大きな目でみつめられ問いかけられたとき人びとがとまどうように世の中はとまどう。
そうだ、あれは目というべきものではない。目玉なのである。誰しもがとまどう。ルドンの目玉にとまどうように。」(大島渚)



- 篠原勝之 紅テント ポスター -

篠原勝之(しのはらかつゆき)は、北海道胆振管内室蘭市出身の芸術家。溶接オブジェを得意としていて、自称「鉄のゲージツ家」と名乗る。愛称は「クマさん」。タレントとしても活動。









<画:友川かずき>

また、趣味で描いていた絵が美術評論家に認められ、1985年の個展を皮切りに、全国各地で精力的に個展を開き、中上健次・立松和平・石和鷹・藤沢周ら多くの芸術家たちから惜しみない賛辞を浴びた。
「友川かずきの絵画は見者の特権である愉楽と悲惨のなかに見る者を突き落とす。」 (中上健次/作家)
「東北の血筋ならばや清澄の水、かずきよイーハトーブの宇宙想いき」 (福島泰樹/歌人)









三上寛・友川かずき『御縁』(PSFV-2/ビデオ)
1994年5月7日 日本青年館大ホール
ボーカル&アコースティック・ギター:友川かずき
ボーカル&エレキギター:三上寛
ベース:吉沢元治
ピアノ:明田川荘之
サックス:梅津和時
パーカッション:石塚俊明
ピアノ&アコーディオン:永畑雅人



ワン・アンド・オンリーな2人のライヴ・ビデオ。フリージャズの吉沢元治や頭脳警察の石塚俊明を向こうに回してのインプロ・バトルを繰り広げつつ歌い叫ぶ肉弾戦。流行を超えた、アシッドフォークな70分が収められている。したがってバックは、日本のアシッド・ミュージシャンであるジャズメンが務めるよりない。
・「サーカス」…作詩:中原中也/作曲:友川かずき 収録
・「私の花」…作詩:永山則夫/作曲:友川かずき 収録



<競輪に耽溺する友川かずきの著作>



『競輪生活-バンクの風に吹かれて』



『友川かずきの競輪ぶっちぎり勝負』



秋田生まれのシンガーソングライター友川かずきが作詞作曲した「海のそばで殺された夢」は、ちあきと出逢ってしまった友川に創る必然があった。友川と出逢ったてしまったちあきなおみにはこの歌を選択し、唄う必然があった。そして私には聞く必然があった。それだけである。
 これほど心凍らせる唄を私は知らない。
 この「海のそばで殺された夢」は賛否両論を巻き起こした「夜へ急ぐ人」のシングルB面として昭和52年9月発売された。歴史的CD-BOX「ちあきなおみ・これくしょん ねえあんた」(2000年6月発売)でCD化されるまで、永く中古レコードのプレミア盤として在った。

「海のそばで殺された夢」

月夜の晩に 夢を見たよ
海のそばで 殺された夢
その時 僕は 泣いていたよ
みじかく 青い あの春を
黒い波にもまれ もまれて
やがて きれいな 海の底へ
やさしくゆれて むかえておくれ
海の藻よ 僕を 殺してくれた人
とても穏やかな 顔立ちの人
その時 僕は 叫んでやった
しがらむ すべてに 「ありがとう」と
生まれて このかた
こんなに 素直になれた僕は
初めてだろうな
よかったな よかったな
やさしくなれて 生きてるうちに



 ちあきは、深夜TVで唄う友川を偶然見て、友川に楽曲の依頼をしたという。中島みゆきの書き下ろし「ルージュ」に続くシングル発売であり、ちあきの脱歌謡曲としての方向性を求める真摯な姿勢がうかがえる。人間のナマの声を発することができるアーティスト達の饗宴が見られる。



撮影/山木明子氏

 幻の傑作「夜を急ぐ人」について、奥崎和仁氏は解説で
 「ちあきが初めてこの楽曲を披露した時、担当のテレビディレクターも驚愕し、唖然としたという。
ちあき自身が発案したというそのパフォーマンスは、それまでのちあきにはあまり見られなかった感情をあらわにしての歌唱や、髪を振り乱し、全身や顔の表情、手の先まですべてを使い表現する、あまりにも斬新なものだった。曲の中に眠る、主人公の叫び、焦燥感、孤独などをちあき自身がすべて請け負い、自分の内面からすべて吐き出してしまうような、新たなちあきがステージの上にたっていたのだ。しかし、その表現方法にはディレクターも観客も度肝を抜かれてしまったらしい。」と述べている。
 この「夜を急ぐ人」は紅白歌合戦で披露されるのだが、その度肝を抜くパフォーマンスは白組司会者に「なんとも気持ちの悪い歌ですね」とコメントされたが、ちあきは舞台袖でしてやったりとばかりに舌を出した。・・・かどうかは知らない。
 一方、この「夜を急ぐ人」「海のそばで殺された夢」の楽曲提供に関して友川は
 「いつだったか、新宿で、ちあきなおみのライブを聞き、彼女が唄ったジャニスジョプリンの歌、その声の凄まじさに、私はずっと鳥肌がたっていた。あとにもさきにも、そのような経験はなく、ジャニスも私は好きで高校時代からよく聴いていたが、本家にさえ、それは感じたことがなかったのである。どこにも、何ににも、それはまるで例えようのない、声、と言うより他はないのだが、その在りかに少しでも身を近づけようものなら、たちどころに首が吹き飛んでしまう、という、聴く側にもある種の覚悟が要る、声、であった。」と語り、さらに「意志と狂気のある声、その持ち主は、きっと歌手になるずっと前から歌手で、待たれて待たれて、歌に辿り着いたに違いない。」と述べている。



撮影/山木明子氏

 ちあきは友川の詩曲の採用について『日本の女の狂乱を感じてもらえるとうれしい』と語っているという。またこの頃ある雑誌で『乙女にも娼婦にも変身できる女性、三枚目もやれる歌手として今日まで来た。器用貧乏的な感じで歌ってきたのね。だから逆にちあきなおみには何かがなかった』と語っている。まさに表現者としての自信に満ちた韜晦である。
それにしても、『紅とんぼ』で表現される演劇的空間の構成力・表現力の巧みさには舌を巻く。中島みゆきの「夜会」の1年前に「LADY DAY」という一人舞台があるという。ビリー・ホリデーの最後のステージを再現したものという。想像しただけでも身震いする思いである。



ekato

いまだ切れば血の出る情念フォークを歌いつづけている友川かずき。初期の友川の世界は同じ東北の青森県五所川原出身の三上寛のそれに似たものであった。これは、これこそ「怨歌」である。関西や九州に生まれた地方人と違って、東京にコンプレックスを持っている東北人が歌う逆上したかのような「怨歌」は多くの人間にダサイ暗いとバカにされその滑稽さを嗤われ、頭狂人の地方人に対する優越感を増幅させたが、井戸の底に石を落としても落としても水音が聞こえてこぬ現代、聴こえて来るのは頭狂人のエゴを嗤らう彼らの哄笑か?
....?!


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最終更新日  2011年02月13日 22時37分44秒
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美貌の魂!魂は時に絶叫する!友川カズキ(かずき)



撮影・鈴木真貴氏

「友川かずきのうたが胸にしみいるとしたら、君は幸せだと思え。涙があふれたら、君は選ばれた人間だと思え。君にもまだ無償の愛に感応する心が残っていたのだ。無償の愛がまだ人の世に存在すること、それこそが友川が身をもってあがない、あかしてくれたことなのだ。
 友川よ、久しく会わないが、元気か。
美貌にかげりはないか。酒量は落ちないか。私は君がよき友人たちに恵まれていることを知っている。その数は世の中の人の数よりは少ないが、一人の男が持つ水準をこえることはるかであることを知っている。」(大島渚)



「東北の詩人たちは限りなく世の中に拗ねてみせるが、また時にかぎりなく甘えてみせる。友川にはその両方がない。友川はテレ笑いをするということがない。そのことが世の中をとまどわせる。友川のあの大きな目でみつめられ問いかけられたとき人びとがとまどうように世の中はとまどう。
そうだ、あれは目というべきものではない。目玉なのである。誰しもがとまどう。ルドンの目玉にとまどうように。」(大島渚)

~大島渚監督は友川かずきに映画『戦場のメリークリスマス』への出演を依頼したのですが、あまりにもひどい訛りでボツになったということです。結局その役はご存知のように坂本龍一が努めました。



『やっと一枚目(1975)』

「 青 春 」作詞・作曲:友川かずき

パチンコ店の パチンコ店の前を
ギターをぶらさげて 明日と一緒に歩いているのは
あれは俺じゃないか
何というしけた格好して 何という情無い顔をして
意気地なし! 意気地なし! おいもっと頑張れよ

ツルハシを ツルハシをもって
トラックの荷台で 牛乳呑んでいるのは
あれは俺じゃないか
何という青白い顔をして 何という陰気な顔をして
意気地なし! 意気地なし! おいもっと頑張れよ

苦しいのは みんな苦しいんだぜ
淋しいのは みんな淋しいんだぜ
悲しいのは みんな悲しいんだぜ
おいもっと頑張れよ

川崎の 川崎の四畳半で
包丁を朝から 包丁を朝から研いでいるのは
あれは俺じゃないか
疲れたからって 夢を輪切りにして
口惜しいからって 自分を細切れにして
ああそれでも ゴキブリ一匹殺せないじゃないか
殺せるなら殺してみろ! 殺せるなら殺してみろ!

愛ひとつ 淋しさひとつ 空ひとつ 苦しさひとつ
悲しさひとつ 雪ダルマひとつ 人生ひとつ 夢ひとつ
笹舟ひとつ 勇気ひとつ 八郎潟ひとつ 涙ひとつ 故郷ひとつ
おじっちゃ ひとつ 東京ひとつ 
青春ひとつ



☆友川かずきプロフィール☆
友川かずきは、フォークシンガーであり、詩人であり、画家であり、競輪解説者兼パチスロ評論家であり、日本のオリジナル・パンカーの最重要人物、また単なる酔っ払いでもある。普段の友川かずき氏は、端正な顔立ちで寺山修司以来の東北訛りが色濃く残りトツトツとしゃべる物静かな人物であるが、ひとたび歌いはじめると、人格がまるごと変わってしまう。酒を飲んでいるためだ。酒を飲まなければ人前で歌えない。友川氏のライブでは、たちまちにしてウィスキー一本が空いてしまう。泥臭さい秋田訛りまるだしでギターをかき鳴らしうたう絶叫はまさに咆哮に近い。それは、すごい迫力で、歌うというよりポエトリー・シャウティングする、「吠える詩人」とでもいうべきもの。やがて歌声はヴィブラードしてゆき、その唱法には彼の情念が渦巻き強烈かつ独特で、その与えるインパクトは他に類がない。絶叫なのに表情は少しも変わらず淡々としていて、友川の美貌には遜色がない。友川の叙情的かつ激情的な唱法は音楽的指向はあまり感じさせないが、圧倒的な<声>の存在感、カ強く鋭角的なギターのカッティング、そして文学性の高い歌詩は、誰にも真似ようのない世界であった。ニューミュージック全盛の時代にはあまりにも衝撃的だった。彼の音楽は正に友川以外の何ものでもない、正にワン&オンリーの世界だ。



中原中也『骨』

ホラホラ、これが僕の骨だ、 
生きてゐた時の苦労にみちた 
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ、                 
ヌックと出た、骨の尖。 
 
それは光沢もない、 
ただいたづらにしらじらと、 
雨を吸収する、 
風に吹かれる、 
幾分空を反映する。
  
生きてゐた時に、 
これが食堂の雑踏の中に、 
坐つてゐたこともある、 
みつばのおしたしを食つたこともある、 
と思へばなんとも可笑《をか》しい。
  
ホラホラ、これが僕の骨―― 
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。 
霊魂はあとに残つて、 
また骨の処にやつて来て、 
見てゐるのかしら? 

ふるさと
故郷の小川のへりに、 
半ばは枯れた草に立つて、 
見てゐるのは、――僕?
恰度立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。

       詩集『在りし日の歌』より

本名及位典司(のぞきてんじ)。昭和25年(1950年)2月16日、秋田県山本郡八竜村(現在は八竜町)に農業及位清の次男として生まれる。目立ちたがりやの少年で、仲間の注目を集めるために、毛虫を呑んだり自分の小便を舐めたりしたという。中学校時代は歌手・舟木一夫にあこがれる野球少年。勉強嫌いで文学にも無縁だったが、ある日、図書館で中原中也詩集の「骨」を目にして衝撃を受け、自分でも詩作を始める。どことなく太宰の面影を感じさせる彼は文学的指向が強く、中原中也の詩に曲をつけたアルバムも発表している。能代工業高 校建築科に進学。教科書は開かず、文学書の乱読とバスケットの練習に明け暮れた。太宰治と小林秀雄に激しくひかれた。
彼の詩は時に文学的で、時に自虐的だ。



中原中也『サーカス』

幾時代かがありまして
茶色い戦争がありました

幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
今夜此処でのひと盛り
今夜此処でのひと盛り

サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(さか)さに手を垂れて
汚れた木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外(やがい)は真ッ暗 暗(くら)の暗(くら)
夜は劫々(こうこう)と更けまする
落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

『俺の裡で鳴り止まない詩-中原中也作品集』(1978年)
作詩:中原中也 作曲:友川かずき 編曲:J.A.シーザー

<曲目> サーカス/臨終/湖上/歸郷/桑名の驛/夏の日の歌/汚れちつまった悲しみに /春の日の夕暮/六月の雨/坊や

戦後日本の代表的な作家であり中也と交流があったことでも知られる大岡昇平を「凄い歌手」と驚嘆させたという。



高校卒業後、日本橋の婦人服卸問屋に就職したが、六ヶ月で退社。秋田訛りがひどく気になり、トイレに隠れて「いらしゃいませ」「ありがとうございました」を練習した。自意識過剰の男が接客に向くはずもなかった。その後、友川かずきと名前を偽って練馬の飯場にもぐり込む。及位という本名を笑われるつらさからだ。現在の芸名、ペンネームは、この時初めて使われた。以後、新聞配達、労務者、旋盤工、喫茶店のボーイ、クラブ歌手と、転々とする。



上京後、職を転々とするかたわら、URCレコードでのアルバイトを通し、あがた森魚と知り合い、中津川フォーク・ジャンボリーに参加。その後、故郷に一度帰るも再び上京、そこで恩人・宇崎竜童と出会う。彼の尽力によりシングル「上京の状況」や「生きてるって言ってみろ/人生劇場裏通り」をリリース、これを機に頭脳警察や寺山修二とも親交を深めた。



二十歳のころ、行きつけの赤提灯で岡林信康の歌を聴いた。「山谷ブルース」「チューリップのアップリケ」「手紙」.....何かがグサリと胸に突き刺さって涙が出て止まらなかった。友人からギターを譲り受け、それまで作詞した詩作に曲をつけ、歌うようになった。
1974年3月「上京の状況」でデビュー。続いて「生きているって言ってみろ」を出すが、ニューミュージック全盛の時代、全く、といっていいほど売れなかった。



DVD『ピストル-渋谷アピア・ライヴ 2003』
1. ピストル
2. サーカス
3. 桑名の驛
4. あやかしの月
5. エリセの目
6. 似合った青春
7. 訳のわからん気持
8. メダカざんまい
9. この世を踊れ
10. ジャン・ジュネに訊け
11. シシャモ
12. サトル
13. 夏の日の歌
14. 死にぞこないの唄
15. ワルツ
16. また来ん春
17. デラシネ(新曲)
(ボーナストラック)
18. 生きて死ぬという(新曲)



友川カズキ(vo, g)、石塚俊明(ds, perc)、永畑雅人(p,mandlin, accordion)



3枚目『千羽鶴を口に咬えた日々(1977)』

<飾絵:クマさんこと篠原勝之>

『生きてるって言ってみろ』作詞・作曲:友川かずき 編曲:J・A
・シーザー
ビッショリ汚れた手拭いを
腰に結わえてトボトボと
死人でもあるまいによ

自分の家の前で立ち止まり
覚悟を決めてドアを押す
地獄でもあるまいによ

   生きてるって言ってみろ!
   生きてるって言ってみろ!
   生きてるって言ってみろ!

淋しさ優しさ苦しさは
この世のせつないメロドラマ
屠殺場でもあるまいに

ヒッピーフーテン乞食の子
なげきの喜びいじくって
廃人でもあるまいに

   生きてるって言ってみろ!
   生きてるって言ってみろ!
   生きてるって言ってみろ!

夢と現実ぶらさげて
涙と孤独を相棒に
コケシでもあるまいに
長髪マンネリいさぎ良さ
根っこの太さはどこへやら
墓石でもあるまいに

   生きてるって言ってみろ!
   生きてるって言ってみろ!
   生きてるって言ってみろ!



オープニングテーマ/生きてるって言ってみろ/殺されたくないなら殺せ
記憶 /どうした /なまはげ /俺のふるさとは犬の中にもある /八竜町の少年達
乱れどんぱん節 /家出少年 /死にぞこないの唄



<編曲:J.A.シーザー >

JA(ジュリアス・アーネスト)・シーザー(本名:寺原孝明)
1948年宮崎県に生まれ。 ’69年に寺山修司と出会い、彼の主謀する劇団”天井桟敷”に入団。シーザーの音楽は、独学ながら当時のサイケデリックやプログレの要素含んだ中で、複雑なリズムや転調の多用、和楽器を取り入れてエスニックな要素までも引き出し、すでに独自の音楽を完成、寺山修司の世界を音楽面で構築した。’83年、寺山修司の死によって、天井桟敷は解散。劇団”万有引力”を立ち上げる。

■後編に続く■






最終更新日  2012年03月20日 14時12分32秒
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2011年01月16日
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ドミニク・サンダの『初恋(ファースト・ラブ)』DVD発売!
ロシアの文豪・ツルゲーネフの「初恋」を“魔性の女”と言われる女優、ドミニク・サンダ主演で映画化。夏を過ごす避暑地で、美しい年上の女性に恋をした少年・アレクサンダー。しかし、アレクサンダーの想いとは裏腹に彼女は彼の心を弄ぶ。



ロベール・ブレッソン 監督作品 『やさしい女 (Une Femme Douce 1969/仏)』



「まなざしは 口にされない言葉である」



質屋に嫁いできた若い女性の不可解な行動を描いた、ドストエフスキーの短編小説の映画化作品。彼女は、夫の熱愛を受け入れながらも、理由もなく自殺してしまう……。
映画をシネマと呼ぶことをブレッソンは否定する。発生の通りにシネマトグラフと呼ぶことに固執し続ける。映画が芝居であることをもブレッソンは拒否する。『抵抗』以来、プロの俳優は基本的には使わない人で、映画に出たことのない新人しか起用しない。そしてそこから密度の濃い崇高な映像の傑作をうみだしてきた孤高の映画作家。ブレッソン初のカラー作品。ドミニク・サンダの映画デビュー作でもある。



「やさしい女」の冒頭、キャメラが最初に映し出すのはドアの把手のクローズアップ。ドアの音、靴音、黒い服を着た太った女中の手が把手を掴む後姿、第二のショットはベランダで大きな音をたてて倒れるテーブル。そして第三のショットは空をひらひらと舞う白い布(ストール)。そして次のショットは、路面に横たわる無惨な女の死体。頭部から赤い血が路面に流れ出ている。冒頭からキャメラは部屋からベランダのテーブルに飛び乗り手すりを越えて飛び降りた女の気配のみを忠実に追っていたことがここで初めて判る。一分のすきもない導入部に震える。
女の死体が部屋に運び込まれている。窓から投身自殺してしまった妻の屍体を前に過去二年間の二人の夫婦生活をふりかえり、妻の不可解な自殺の原因をつきとめようとする夫.....。その回想がこの映画の全て。
一体何が起きたのか?、ブレッソンはすべてを見せず我々の想像力に訴えかける。
その演出に一切の虚飾を廃し、ただ在るがまま事象を積み重ねることに終始し、既成概念の「映画」造りを一切拒否したかのように見える。



『やさしい女 (Une Femme Douce 1969/仏)』

監督 ロベール・ブレッソン
脚本 ロベール・ブレッソン
原作 フョードル・ドストエフスキー
撮影 ギスラン・クロケ
出演 ドミニク・サンダ / ギイ・フライジャン

仏本国でさえも未DVD化。掲載のUSA版VIDEOも廃巻です。しかしながらなんという酷いジャケ!これではまるでアクション映画?!外国の映画ソフトのパッケージ写真のセンスの無さには呆れます。



映画の中で彼女が夫を見るまなざしについて、あなたは彼女のすべての感情の前兆となっていると言われるのですが・・・・・、

「そうですね、あれは空白でしかありません。映像のフラットさが調和して、演技者の動きを用いないで、というのはそれはしばしば邪魔でしかなから、映像自体の内的な関係によって私が私自身を表現できるのです。私にとって映像とはサインにすぎません。たえずひとつの映像の意味が、それに続くもうひとつの映像の意味を変えていく。私は断絶を追及しているのでなく、映画というものの本質である同時性を追求しているのです。ひとつの映像が、他の映像につながったときに価値が得られるものであれば、それはフラットでなければならないのです。」



「まなざしは 口にされない言葉である」



「ブレッソンがつくりだす空間というのは、とても奇妙です。ずいぶん不思議なことをさせられました。たとえば、相手役と話をするとき、彼の目でなく左耳の、それもとても厳密に指示された個所を見るようにと言われたことです。それは私にはとても奇妙な体験でした。けれども、そのうちに少しずつ、ブレッソンが私の表面上のあらゆる反応をできるかぎりとり去って、私の内部からにじみでてくるものをみつけたいのだということがわかってきたのです。」

ヒロイン、ドミニク・サンダは当時16才のファッション・モデルで、非・女優(ノンアクトレス)志向のブレッソンの目にとまり出演した。ドミニク・サンダにとっても、今でも自分の出演した一番好きな映画としてこの「やさしい女」をあげている。「やさしい女」と同じくドストエフスキー原作の「白夜」の主演女優イザベル・ヴェンガルテンはドミニクサンダと同じモデル出身で二人はとても良く似ている。



■ROBERT BRESSON ロベール・ブレッソン■

映画史に屹立する孤高の映画作家ロベール・ブレッソン。音とイメージが作り出す芸術・シネマトグラフ。その後継者として、生涯13本の長編作品を残したロベール・ブレッソン。映画の文法を破棄し映画を解体していながらも、その独特の手とまなざしと物の映画は、文学でも演劇でも絵画でもない「裸の映画」とでもいうような純粋なまでの映画世界に到達していた。



『スリ(1959年)Pickpocket』

1907年9月25日、フランスのブロモン・ラ・モト生まれ。美術学校で絵画を学び画家を目指していたが、20代後半より映画に携わり、シナリオなどを手がけるようになる。1934年には中篇映画「Les Affaires publiques」を発表。
その後、第二次世界大戦に従軍し、1940年から一年半ほどドイツ軍の捕虜となり、収容所生活を送る。
その時に知り合った司教の依頼で、1943年に修道院を舞台にした初の長編映画「罪の天使たち」を発表。フランス・シネマ大賞を獲得し注目される。1945年には「ブローニュの森の貴婦人たち」を撮った。
1949年にはジャン・コクトーらとともに、後の“カイエ・デュ・シネマ”の母体とも言うべき組織“オブジェクティフ49”を創設。真実の映画を追究する自らの作風を“シネマトグラフ”と名付けた。その演出に一切の虚飾を廃し、ただ在るがまま事象を積み重ねることに終始し、既成概念の「映画」造りを一切拒否したかのように見える。しかし、ブレッソンに於いては外的な事柄よりも内的な部分、つまり語られる部分より語られない空白の部分が重要なのである。



『バルタザールどこへ行く(1966年)Au hasard Barthazar』

1950年には「田舎司祭の日記」を発表。ヴェネチア映画祭で監督賞を受賞する。
以後、カンヌ映画祭で監督賞を受賞した「抵抗」、「スリ」、「ジャンヌ・ダルク裁判」、「バルタザールどこへ行く」でその演出スタイルを確立し、遺作となった「ラルジャン」(トルストイ原作)など、傑作を遺した。
一切の抑揚や叙情性を排し、フォルムを重視することで映画本来の魅力を引き出す独特のスタイルは、ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちから絶大な支持を得ていたという。”ブレッソニアン”!映画作家ロベール・ブレッソンの信奉者、影響を受けた人をフランスではこう呼ぶという。



1999年12月18日ウール・エ・ロワール県の自宅で老衰の為亡くなった。享年92歳。



◇ロベール・ブレッソン監督作品リスト◇

公共問題(1934年)Les Affairs pubilique
罪の天使たち(1943年)Les Anges du peche
ブーローニュの森の貴婦人たち(1945年)Les Dames du bois de Boulogne
田舎司祭の日記(1951年)Journal d'un cure de campagne
抵抗-死刑囚の日記より(1956年)Un condamne a mort s'est echappe
スリ(1959年)Pickpocket
ジャンヌ・ダルク裁判(1962年)Proces de Jeanne d'arc
バルタザールどこへ行く(1966年)Au hasard Barthazar
少女ムシェット(1967年)Mouchette
やさしい女(1969年)Une femme douce
白夜(1971年)Quatre nuits d'un reveur
湖のランスロ(1974年)Lancelot du Lac
たぶん悪魔が(1977年)Le Daiable probablement
ラルジャン(1983年)L'argent



「映画は撮影された演劇ではないのだ」ロベール・ブレッソン

俳優はなし。(俳優指導はなし).
役割はなし。(役割の研究はなし).
演出はなし。
だが生活のなかでとらえたモデルの使用はある。
見えること(俳優)のかわりに在ること(モデル).
~ブレッソンの著作『シネマトグラフ覚書』(筑摩書房)から。



映画をシネマと呼ぶことをブレッソンは否定する。発生の通りにシネマトグラフと呼ぶことに固執し続ける。映画が芝居であることをもブレッソンは拒否する。『抵抗』以来、プロの俳優は基本的には使わない人で、映画に出たことのない新人しか起用しない。そしてそこから密度の濃い崇高な映像の傑作をうみだしてきた孤高の映画作家。



「私は物の映画と魂の映画をつくるつもりです。ですからひとは本質的に手とまなざしを見るでしょう。私は物のクロウス・アップとまなざしのクロウス・アップのあいだに、不変の平衡をもとめます。私はできるだけ現実につきまとい、なにもあたらしくそれにくわえないつもりです。しかし生活の現実と映画の現実のあいだには、一致したズレがあるでしょう。・・・私は「田舎司祭の日記」の方向にむかって仕事をしています。だがもっと大きな純粋さに、もっと大きな皮剥ぎに到達したいと思います。こんどは一人の職業俳優も使いません。そのほうが私はずっと自由です。」(1956年トリュフォーのインタビュー)



◇ブレッソンの著作『シネマトグラフ覚書』(筑摩書房)から。◇

取るに足らぬ(意味を欠いた)映像の数々に専心すること。
雑音が音楽と化さねばならぬ。
感情が事件を導くべきだ。その逆ではなく。
観念に似た形式(フォルム)。それを真の観念とみなすこと。
互い同士の内的な結合をあらかじめ見越している映像たち。
運動するものの光景は人を幸福にする―馬、運動選手、鳥。
或る芸術が人を強くうつのは、その純粋なフォルムにおいてである。
魚を得るために池を干上がらせること。
そのゆるやかさと静けさが映画館内のゆるやかさや静けさと混同されてしまうような映画は駄目な映画である。

「芸術映画」という内容空疎な観念。芸術映画というのは、芸術をもっとも欠いている代物のことだ。
何一つ変更を加えず、かつすべてが違ったものとなるように。



*後編は前のページ8/20付け日記に続いております






最終更新日  2011年01月27日 02時10分08秒
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2011年01月01日
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「二十四の瞳」「浮雲」など数々の名作に主演し、戦後を代表する女優の高峰秀子(たかみね・ひでこ、本名・松山秀子=まつやま・ひでこ)さんが、12月28日午前5時28分、肺がんのため亡くなった。

 86歳だった。近親者で密葬を行った。喪主は夫で映画監督の松山善三(まつやま・ぜんぞう)氏。

 北海道函館市生まれ。戦前から子役として活躍し、山本嘉次郎監督の「綴方(つづりかた)教室」などに出演。戦後は、1950年代から60年代にかけて、木下恵介、成瀬巳喜男両監督の作品に相次いで主演。「カルメン故郷に帰る」「喜びも悲しみも幾歳月」「流れる」などで、名女優の地位を確立した。79年の「衝動殺人息子よ」まで、数多くの映画に出演。映画以外でも多才ぶりを発揮し、76年の「わたしの渡世日記」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。



2005/05/30 に発表した『 ALL ABOUT MY 高峰秀子第一夜!』の再録です。第二夜は未完でした。残念でした。

ALL ABOUT MY 高峰秀子、第一夜 。o○
松山善三監督作品『名もなく貧しく美しく』『六條ゆきやま紬』



◇大女優 高峰秀子◇
日本映画史上最高の演技派女優・高峰秀子は1924年3月27日、函館市に生まれた。母の死によって叔母の養女になり上京。1929(昭和4)年、5歳のとき松竹蒲田・川田芳子主演『母』の子役に応募。60人のなかから選び出されてデビュー 。以来、400本以上(!)の作品に出演。名子役の名をほしいままにする。名子役は大成しない、というジンクスを覆し、子役、少女役、成人役と、トップスターであり続けたのは、世界でも例をみない。戦後は木下恵介の『女の園』『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾歳月』成瀬己喜男の『あらくれ』『放浪記』『浮雲』など、両名匠の作品に次々に主演。彼女を起用した監督も凄い。木下恵介、松山善三、成瀬巳喜男、小津安二郎、五所平之助、豊田四郎、稲垣浩、野村芳太郎ら時代を代表する名監督の作品に主演を果たし、演じた役も様々で、初々しい新任先生、ノイローゼの女学生、未亡人、聾唖の母、 はては頭の弱いストリッパーまで、演技の幅は実に多彩。卓越した表現力でその役すべてに存在感を与え、多くの傑作に名を残している。不世出の大女優 高峰秀子の軌跡を辿ると、二十世紀最大の大衆文化であった日本映画の黄金期がみえてきます。



ALL ABOUT MY 高峰秀子(MOTHER)



『名もなく貧しく美しく』(1961)毎日映画コンクール女優主演賞受賞

■監督/脚本 松山善三 撮影 玉井正夫 音楽 林光

■出演 小林桂樹 高峰秀子 原泉 草笛光子 沼田曜一 藤原釜足 加山雄三



聾学校の同窓会の催しで出会った秋子と道夫は、交際を経て結婚することとなる。聾唖者同士の結婚で、果たして健全な子供が生まれるか、という不安をよそにやがて生まれる子供は元気な赤ん坊で、二人の静かな生活には灯がともった様に明るくなっていく。しかし、耳が聴こえないがためにその子は命を落とすことになり、二人の生活は再び闇の中に迷い込む。しばらくして生まれた第二子を一郎と名付け、彼はすくすくと成長していく。健常者ではない両親を一郎は成長するにつれ疎んじるようになるのだが・・・。



戦後、手話通訳もない、何の情報もない時代に差別や偏見の中で生きる聾唖者の夫婦が、終戦前後から戦後の混乱期と苦難の時代に、貧しいながらも、お互いを支えつつ強い夫婦愛で生き抜いた感動の物語。有楽町の街頭で出会った、靴磨きの聾唖者夫婦。彼らの愛情に充ちた姿に強くうたれて筆をとった松山善三が、丹精こめた脚本で、自ら演出した第一回監督作品。松山善三が、恩師の木下恵介のために書き下ろした脚本だったらしいが、木下と意見が合わずに、みずから監督をして作った名作!夫婦二人の会話はすべて手話で、観客にはスーパーを付けるという画期的、文学的手法をとった。(妻・秋子は聾だが、秋子が聾ゆえにうまく発音(発声)できなくたどたどしい日本語を話す。また、この映画では、字幕の台詞を観客が読む時間と合わせる為ゆっくり手話をしています。)高峰、小林が稀有の名演で向きあう手話場面には、電車の轟音、電車車両の窓といった映像を配した演出が素晴らしく、手話を、最も衝撃的に世間の人々にアッピールした作品でもある。



二人の手話による演技、林光の音楽が二人の心を通い合うようで素晴らしく美しく、涙を抑えることができない作品です。決して「泣かせ」が先にありき、なのではなく、小林桂樹、高峰秀子演ずるろう夫婦の必死な生き方が、それだけで強く胸を打つ。この作品以降、読唇術から手話への切り替えが進んだそうで、小林さんが街で肩を叩かれて振り向くと、「あなたを映画で見ました」と手話で話しかけてくる聾唖の方が沢山いたそうです。冒頭と最後に登場する影絵による手話がストレートにテーマを訴えかけてくる。タイトルは昨今の韓流純愛ドラマみたいだが、ちょいと役者の桁が百万桁は違うのココロ!今観ても決して色褪せない、むしろ今観ることにこそ、大きな価値のある映画です。
この先も時を経るほど、この作品の価値は重みを増すにちがいない! この映画を愛してやまない!



この映画にはラストシーンの全く異なる、正反対の2つのバージョンがあって、秋子の死に終わるヴァージョンはアメリカでは養子とにこやかに抱き合うというシーンに改変させられている。



松山さんはハンディキャップを持っている人の映画を多く撮ってきたが、その原点は病に苦しんだ母の姿だという。サリドマイド児を描いた「典子は、今」、ポリオをテーマとした「われ一粒の麦なれど」、老人介護を描いた「一本の手」などの作品もある。





■「一本の鉛筆」(松山善三:詩/佐藤勝:曲)■

あなたに聞いてもらいたい あなたに読んでもらいたい
あなたに歌ってもらいたい あなたに信じてもらいたい
一本の鉛筆があれば 私はあなたへの愛をかく
一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと書く

あなたに夢をおくりたい あなたに愛をおくりたい
あなたに春をおくりたい あなたに世界をおくいたい
一枚のザラ紙があれば 私は子供が欲しいとかく
一枚のザラ紙があれば あなたをかえしてと私は書く

一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば 人間のいのちと私は書く



◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇

知られざる傑作!『六條ゆきやま紬』1965年(S40)/東京映画/白黒/106分



■製作:佐藤一郎、椎野英之/監督・脚本:松山善三/美術:小島基司/音楽:佐藤勝/撮影・岡崎宏三
■出演:高峰秀子、小林桂樹、毛利菊枝、フランキー堺、神山繁



黒い海が荒れ狂う日本海の貧しい漁村。砂塵に吹きつけられ、よろめくように一軒の家に入ったいねは、“ハハキトク"の電報を握りしめていた。出て来た母は「いね、あげな家には帰るな!」と激しくいねをひきとめた。



夫・松山善三監督作品『六條ゆきやま紬』
一般的には林芙美子の同名小説を映画化した成瀬巳喜男の「浮雲」が、、高峰秀子の代表作であり、世界の映画史に燦然と輝く名作中の名作と言われていますが、その「浮雲」の完成度には及ばないものの、高峰秀子の演技力に目を見張るこの作品は、高峰秀子の存在感と美しさが圧倒的に作品を支配している隠れた名品です。



六條家は、ゆきやま紬に二百年の伝統をもち、六條天皇の血を引く一族で、平家の落人からゆきやま紬の織り方を受けつぎ、今まで来た由緒ある格式を誇る家柄であった。昭和に入り六條家の当主であった九代目久右衛門は、周囲の反対を押し切って、土地の温泉芸者いねと結婚したのだった。だが久右衛門は、戦後の化繊時代に追われ、不況のどん底で自殺をとげた。



「綺麗なだけではない雪の表現。白のトーンを四段階に分けた」という岡崎宏三キャメラマン人生の1本。シネスコでロングの構図で岡崎宏三は見事に雪深い土地の閉塞した空気を表した。白と黒のディテールとコントラストに徹底してこだわった岡崎はこの作品と「波影」で数々の撮影賞に輝いた。



当初から結婚に反対されて嫁となったいねは、夫の死後、姑の美乃をはじめとする親類一族の中傷を一身に集めたが、いねは夫の遺志をついで“ゆきやま紬"一すじに奔走した。いねの片腕として、陰にひなたに、いねをかばう治郎は、亡夫が拾い育てた孤児であったがその治郎に対しても、周囲の目はいねと結びつけずにはいなかった。だが中傷の中で、固く結ばれた二人の努力は、無形文化財ゆきやま紬を作りあげた。いねはこれを機に六條家を去る決心を固めた。治郎を秘かに慕う職場の娘乃理子は、いねと治郎の噂に悩んだ末、雪の中で、自らの命を断った。六條家の二百年忌法要の日、いねは、六條家の宴席に自分の場所がないことを知り、心がふさいだ。



そのいねに追いうちをかけるように、姑美乃から、唄を強要されたいねは涙ながらに“おけさ"を歌う。このシーンの高嶺秀子の演技はとてつもなく素晴らしい。姑からの手酷い仕打ちに耐え続けた女がラスト近くの法事で自分で酌をして、まわりから嘲笑と共に求められたにもかかわらず、爆発した思いで「おけさ」を歌う様はちと震えた。高峰秀子、会心の名演と観た!毛利菊枝の凄まじい姑も凄いぞ!
治郎といねの二人は屋敷を出た。だが、治郎は、このままいねとゆくと、噂に敗けたことになると言いながら、雪のホームに飛び降りた。いねを乗せた汽車が、雪の平野に消えていった。



名著!『わたしの渡世日記 上・下』(文春文庫・日本エッセイスト・クラブ賞受賞)
「人間嫌い」「骨の髄までニヒリスト」

ekato

映画と対話するために.....。!U^ェ^U








最終更新日  2011年01月27日 02時12分40秒
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2010年11月10日
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浅香薫子クリスマ・イブ ディナーショー
Pf 人見由以

日時
12月24日(金)
17:30開場/18:00~19:00ディナータイム(イタリアンビュッフェ)/19:00開演

場所
レストラン イル・カンタジロー(宇都宮市上戸祭町3007-22〈日光街道から宮環に入り、宇都宮北道路入口を過ぎてすぐ。カワチ薬品前)

料金
大人7000円/子供(小学生以下)5000円

お問い合わせ
イル・カンタジロー 電話028-622-1144

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最終更新日  2010年12月23日 00時06分47秒
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2010年10月19日
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アンジェイ・ワイダ DVD-BOX (『世代』『地下水道』『灰とダイヤモンド』の3作品を収録!)!発売予定日は2010年12月22日です。
2005年8月25・26日に発表したものの再録です。

アンジェイ・ワイダ 監督作品 『灰とダイヤモンド(1958年 ポーランド)』
松明のごとくわれの身より火花の飛び散るとき
われ知らずや、わが身を焦がしつつ自由の身となれるを
もてるものは失わるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、嵐のごとく深淵におちゆく混迷のみなるを
  
永遠の勝利の暁に、灰の底深く
  
  燦然たるダイヤモンドの残らんことを
チプリアン・カミユ・ノルヴィッド「舞台裏にて」
マチェクとクリスチーナが雨宿りのために飛び込んだ教会の墓碑名に刻まれていた弔詩。
2
虫ケラのように弾丸を浴び、真っ白なシーツに血が滲んで、自分の血の臭いを嗅ぐ・・・ラスト、路傍の巨大なゴミ捨て場の中で、喘ぎながら息絶えるマチェク。ゴミ捨て場で胎児のように身体をまるめての壮絶な悶死……。その克明に描かれるマチェクの空しい死に様は、崇高な悲劇のようであり、観る者を絶句させずにはおかないほどの鮮烈な記憶を残した。光と影のコントラストが鮮やかで、フレームのすみずみまで配慮のいきとどいたモノクロームのスタンダード画面美しく映える。祖国ポーランドへの愛国心に燃えて生きた若者たちの魂に捧げられた金字塔的傑作!

<Andrzej Wajda>
「私が何故この二本の映画(『地下水道』『灰とダイヤモンド』)を作り、何故これらの作品が私の最初の映画でなければならなかったのか……という質問を、私自身にも発しているのですよ。(中略)私はワルシャワ蜂起に参加しませんでした。戦後、私はクラクフの美術学校に入学しましたが、そこでの人々は、戦争体験はなく、美術に熱中していました。
一方で、私と同じ世代のある人々は、戦争という状況を生き、戦争という悪を見、恐怖の中で苦しみました。私は何も体験していません。そこで私は、何とかして償いをしようと決心しました。私は、私のかたわらを通り過ぎて行った戦争という歴史的事件の体験を、他の人々と共有出来ないことで深く恥じ入っていたのです。私は映画で戦争を追体験することにより、私の個人史の中での空白のページを埋めようと考えました」(アンジェイ・ワイダ)

「彼(マチェク)は、例えそれが苦渋に満ちた決断であろうとも、武器を捨てるよりは殺人を選ぶのだ。自分自身を、そして人目につかぬよう隠し持たれた必殺必中のピストルだけを頼りにした世代に典型的な振る舞いだ。私は彼らのような不撓不屈の若者達を愛する。彼らを理解する。私のささやかな映画は、彼らの世代(私もそこに属する)が生きた複雑で困難な世界を、観客の前に開示しようとするものである」(アンジェイ・ワイダ、1958年)

1926年3月6日、ポーランド北東部のスワルキに生まれたワイダ氏は、13歳でドイツ軍の祖国侵略にあい、16歳のころから反ナチズム抵抗運動に参加した。
解放後はクラフクの美術アカデミーで絵画を学び、ウッジの国立映画大学で演出を学んだ。ワイダ監督をはじめ、アンジェイ・ムンク、ロマン・ポランスキーら、
世界的な映画作家を次々と輩出してきた。1954年卒業後、『世代』、『地下水道』、『灰とダイヤモンド』の抵抗3部作とよばれる連作で、戦中戦後の祖国同胞の悲惨な体験に題材をとり、戦うこと、生きることが人間をどのように動かしてゆくかを鮮烈な映像に刻み、世界的な反響をよんだ。これらをリアリズム系列とよぶならば、ワイダ氏はまたロマンティシズムの系列とよぶべき作品があって、『夜の終わりに』、『白樺の林』、『ヴィルコの娘たち』などで青春の傷みや安らぎをうたった。さらにまた、『灰』、『天国の門』、『約束の土地』、『ダントン』等では、時代をさかのぼって人間の欲望と挫折を描いた。以後は文学の映画化や虚空の世界を描くようになるが、81年の戒厳令で映画人協会会長の座を追われ、祖国での映画製作ができなくなり、フランスやドイツの協力で作品を撮りつつ、86年の「愛の記録」でポーランド映画界に復活した。一方、59年から始めた舞台演出も、映画監督と同等の比重を占めている。日本でも、88年にドストエフスキーの『白痴』を舞台化した「ナスターシャ」を坂東玉三郎主演で、90年秋にはクラクフ・スターリー劇場の「ハムレット」が上演されている。
87年に京都稲盛財団の第3回京都賞を受賞したワイダ監督は、ポーランドの若者たちに芸術的な刺激を与えたいと賞金4500万円を全額基金にして、クラクフに眠る約一万点の日本美術品の展示場をつくることを提案。その熱い思いに打たれて、日本でも募金に13万人以上が参加し、94年11月、クラクフ日本美術技術センターが完成した。京都賞の他にも世界の多くの賞を受けている。95年日本政府より勲三等旭日中綬章、96年、高松宮殿下記念世界文化賞。98年には、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞(名誉賞)を受賞。2000年のアメリカ・アカデミー賞特別名誉賞の受賞は記憶に新しい。

【フィルモグラフィー】
1954年 「世代」
1957年 「地下水道」(カンヌ国際映画祭審査員特別賞)
1958年 「灰とダイヤモンド」(ヴェネチア国際映画祭国際批評家連盟賞)
1959年 「ロトナ」
1961年 「夜の終りに」「サムソン」
1962年 「シベリアのマクベス夫人」「二十歳の恋」
1965年 「灰」
1967年 「天国への門」
1968年 「部品の寄せ集め」
1969年 「すべて売り物」「蝿取り紙」
1970年 「戦いのあとの風景」「白樺の林」(モスクワ国際映画祭金メダル賞)
1972年 「ピラトと他の人たち」
1973年 「婚礼」
1975年 「約束の土地」(モスクワ国際映画祭金賞)
1976年 「境なす影」
1977年 「大理石の男」(カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞)
1978年 「麻酔なし」
1979年 「ヴィルコの娘たち」
1980年 「ザ・コンダクター」
1981年 「鉄の男」(カンヌ国際映画祭パルム・ドール)
1982年 「ダントン」(ルイ・デリュク賞、セザール賞監督賞)
1983年 「ドイツの恋」
1986年 「愛の記録」
1987年 「悪霊」
1990年 「コルチャック先生」
1992年 「鷲の指輪」
1994年 「ナスターシャ」
1995年 「聖週間」(ベルリン国際映画祭銀熊賞)
1996年 「ミス・ノーボディ」
1999年 「パン・タデウシュ物語」

<Zbigniew Cybulski> 1927/11/03 - 1967/01/08
マチェクを演じたチブルスキーは、1967年、四十歳の若さで早逝。ワルシャワ行きの列車に飛び乗ろうとして、ホームとの間にはさまれた末の轢死であった。
■  愛する(1964)
■  二十歳の恋(1962)
■  夜の終りに(1961)
■  夜行列車(1959)
■  灰とダイヤモンド(1957)
■  世代(1954)
後編であります。
ekato

映画に愛されるために.....。!U^ェ^U

 






最終更新日  2010年10月19日 21時56分56秒
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アンジェイ・ワイダ DVD-BOX (『世代』『地下水道』『灰とダイヤモンド』の3作品を収録!)!発売予定日は2010年12月22日です。
2005年8月25・26日に発表したものの再録です。


アンジェイ・ワイダ 監督作品 『灰とダイヤモンド(1958年 ポーランド)』

松明のごとくわれの身より火花の飛び散るとき
われ知らずや、わが身を焦がしつつ自由の身となれるを
もてるものは失わるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、嵐のごとく深淵におちゆく混迷のみなるを
  
永遠の勝利の暁に、灰の底深く
  
  燦然たるダイヤモンドの残らんことを

チプリアン・カミユ・ノルヴィッド「舞台裏にて」

マチェクとクリスチーナが雨宿りのために飛び込んだ教会の墓碑名に刻まれていた弔詩。

2

虫ケラのように弾丸を浴び、真っ白なシーツに血が滲んで、自分の血の臭いを嗅ぐ・・・ラスト、路傍の巨大なゴミ捨て場の中で、喘ぎながら息絶えるマチェク。ゴミ捨て場で胎児のように身体をまるめての壮絶な悶死……。その克明に描かれるマチェクの空しい死に様は、崇高な悲劇のようであり、観る者を絶句させずにはおかないほどの鮮烈な記憶を残した。フレームのすみずみまで配慮のいきとどいたモノクロームのスタンダード画面が美しく映え、光と影のコントラストが実に鮮やか!祖国ポーランドへの愛国心に燃えて生きた若者たちの魂に捧げられた金字塔的傑作!
「灰とダイヤモンド」のテーマ曲、オギンスキの「ポロネーズ」の物哀しい旋律が私の頭を駆け巡る。



アンジェイ・ワイダ 監督作品 『灰とダイヤモンド(1958年 ポーランド)』

監督・脚本:アンジェイ・ワイダ
原作・脚本:イエジー・アンジェイエフスキ
出演:ズビグニェフ・チブルスキ、エヴァ・クジジェフスカ

イエジー・アンジェイエフスキーの同名小説を彼自身とアンジェイ・ワイダが共同で脚色し映画化。二十八歳で監督デビューし、三十歳で映画史上に残る名作「灰とダイヤモンド」をものした。青年の孤独な生と死を通して、戦後ポーランドが辿った過酷な運命を描いた、アンジェイ・ワイダによる戦争3部作の一作。ベネチア映画祭国際批評家連盟賞受賞。1950~70年代にかけ、その社会性と芸術性の高さで欧州映画の中でも異彩を放っていたポーランド映画の傑作群の中でももっとも忘れがたい作品。フランスのヌーヴェルヴァーグ勢同様、世界の映画界に強烈な新風を吹き込んだポーランド映画。アンジェイ・ワイダ、イエジー・カワレロヴィッチ、アンジェイ・ムンク、ロマン・ポランスキーらが著名だが、その中でも、祖国ポーランドにとどまり、徹底してポーランド社会にこだわった作品を産み出し続けた監督が、アンジェイ・ワイダである。
アンジェイ・ワイダ 監督はこの映画を彼が青春時代を過ごした「戦争時代を後世に語り継ぐ事」であり、「生き残ったものが死者に対して送るレクイェムであり、責務でもある。」とも語っている。



主人公のマチェクを演じたズビグニェフ・チブルスキー!
その黒い眼鏡に細いズボンは一世を風靡し「東欧のジェームス・ディーン」と呼ばれた!

舞台は、1945年。終戦直後の焦土と化したポーランドのとある町。ナチス・ドイツが撤退した直後のポーランド。まだソ連系共産党の支配を受けていない混沌とした時期である。大戦中は対ナチスレジスタンス運動をしていた主人公マチェク(ズビグニェフ・チブルスキー)は、ワルシャワ蜂起で多くの仲間を失っていた。マチェクは、祖国の自主独立を目指し、ソ連傀儡政府に抵抗する組織の活動員として、政府側の要人シチュカの暗殺という任務を遂行しようとしていた。その一日の午後から次の朝までの時間....一気に語られる悲劇的な愛と暴力の物語。



第2次世界大戦末期、右派主導のワルシャワ武装蜂起は失敗に終わった。その挫折感からサングラスをはずさないマチェックは戦後、反共テロの殺し屋に身を持ち崩していた。



ところがマチェックは、かつての同志でソ連系共産党地区委員長(労働者党書記)シチュウカの暗殺を実行するが、誤って別の男2人を殺してしまう。マチェックの属する地下組織はさらにシチュウカの暗殺指令を発する。



党書記が泊まるホテルの隣室を借り、機会を窺うマチェクは、ホテルのウェイトレスのクリスティナ(エバ・クジジェフスカ)と恋におち、あわただしく、思いもかけない情事をもつ。マチェクははじめて、生まれ変わり、暗殺指令を放棄しようとまで思う愛を発見する。



 「生き方を変えたい。今から普通に生きたい。今わかったことが昨日わかっていたら..... 人殺しはもういやだ。生きたいんだ。」



マチェクは、クリスティナと夜の町を彷徨います。地下墓地の入り口で雨宿りをする。クリスチーナが木版に彫られた詩を読みあげます。

「先が読めないわ」

「‐永遠の勝利のあかつきに 灰の底深く さんさんたる ダイヤモンドの残らんことを‐」

 マチェックは、続きを暗誦する。

「きれいね。灰の底深く、ダイヤモンドの残らんことを。……私たちは何?」

「君か? ダイヤモンドさ」



地下墓地の奥には天井から逆さづりになった十字架が、わずかに揺れてる。十字架の向こう側には、十字架といっしょに逆さづりになったキリストの頭や手が垣間見える。

逆さ吊りのキリストを前にして、マチェクは言います。

「あのね。変えてみたいものがある。生き方を変えたい。うまく言えないけど」

「いいわ。大体わかる」

しかしマチェクには時間がなかった。明朝までに、共産党幹部を暗殺しなければならなかったのだ。



<映画の背景となったワルシャワ蜂起>

ワルシャワ蜂起とは、第二次世界大戦中ナチス・ドイツ占領下のワルシャワで起こった武装蜂起である。
1944年、ソビエト軍によるバグラチオン作戦の成功によりナチス・ドイツは
敗走を重ねた。解放地域がワルシャワ付近に及びそれに呼応するような形で8月1日、ワルシャワで武装蜂起が行われた。しかしながらソビエト軍はその進軍を止め、イギリスの度重なる要請にも関わらず蜂起を援助する姿勢を見せず、イギリスによる支援も妨害した。その妨害が除かれた時はすでに手遅れな状態であり、ドイツ軍による懲罰的攻撃によりワルシャワは徹底した破壊にさらされ、レジスタンス・市民約22万人が虐殺され、10月3日鎮圧された。死亡者数の推定は18万人から25万人の間であると推定され、鎮圧後約70万人の住民は町から追放された。
生き残った少数のレジスタンスは地下水道に逃げ込み、ソ連軍進駐後は裏切ったソ連を攻撃目標とするようになり、共産政府樹立後も、要人暗殺未遂などしばらく混乱が続いた。
ワルシャワ蜂起を題材とした作品は、アンジェイ・ワイダ監督の三部作『世代』『地下水道』『灰とダイヤモンド』をはじめ、ロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』(2002年、フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス映画)などが知られる。

■後編は、8月25日の日記に続きます。






最終更新日  2010年10月19日 21時47分24秒
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『フォロー・ミー FOLLOW ME』DVDついに発売!発売予定日は2010年11月26日です。
2005年2月12・13日に発表したものの再録です。

■隠れた名作「カイロの紫のバラ」!映画の妖精!ミア・ファロー■

 


「アリス (ALICE 1990)」





■「カイロの紫のバラ (THE PURPLE ROSE OF CAIRO 1985) 」■
監督/脚本■ ウディ・アレン
出演■ミア・ファロー/ジェフ・ダニエルズ/ダニー・アイエロ



 古き良き30年代、熱心に映画館に通いつめるることで孤独を癒していたウエイトレス、セシリア(ミア・ファロー)に、ある日スクリーンの中から映画の主人公が語りかけてきた。銀幕を飛び出し、現実世界へ降り立ったその主人公は、ウェイトレスを連れて劇場を後にする。



30年代のニュージャージーを舞台に映画に生きがいを求める人妻の姿を夢と現実を織りまぜて描き、映画ファンの夢をかなえてくれたウッディ・アレン!自身の出演なしに脚本・監督したファンタステイックなラブ・ロマンスの傑作!



30年代半ば、大恐慌の波がまだ鎮まらない不況のニュージャージー。夫のモンク(ダニー・アイエロ)は失業中で、かわって妻のセシリア(ミア・ファロー)が、レストランのウェイトレスをやって生活を支えていた。



彼女の夫は仕事もなく、酒を飲んでは暴力をふるうばかりで、満たされない。自らもウエイトレスの仕事では、お客さんの注文を間違える、うっかり皿を割ってしまう……、ウェイトレスの仕事も満足にできないドジな女、ヘマばかりしていつも怒られてばかり...。



ぶらぶらと遊び歩いてはセシリアからチップを奪い取ってゆくモンクには何の期待もない毎日だが、彼女には、心の支えとなる楽しみがあった。それは、映画を見ることで、好きな映画は何回もくり返して見ていた。夫に一緒に観に行こうと誘っても断られ、一人映画館へと足を運ぶシシリア。上映中の映画は『カイロの紫のバラ』。



日常生活ではさえない主婦が、映画館の暗闇のなかに逃避して、夢を見る...。
映画には、夢のような恋物語が......憧れの俳優と手に手を取っての逃避行...この映画はそんな映画ファンの心理をよく表現してるなあと思いました。.....これって映画のやさしさ?



 
セシリアは、もう、「カイロの紫のバラ」という映画に夢中になっており、登場人物の一人である冒険家トムに一目惚れ!何と今日は5回目だった。そのことに気付いた映画の主役のトム・バクスター(ジェフ・ダニエルス)は、なんと映画のスクリーンから抜け出し、客席のセシリアに語りかけたからさあ大変!



 
「この映画が好きなんだね。前にも2度来てただろう。」
 しかし、そのため「カイロの紫のバラ」はドラマ進行が止まってしまい、失神する観客。 「戻れ!」と叫ぶスクリーン上の共演者はウロウロ、セリフも関係なしに、勝手に言い争いを始めて大混乱になってしまいます。
 スクリーンから抜け出してきたトムに「映画は?」と訪ねるセシリア、「もうやめた。2千回も同じ芝居やってらんないよ」とトム。 二人は劇場を抜け出し外に行ってしまいます。
 トムが出現した、この場末の劇場は、映画館から主演俳優が暴走し始めちゃうという奇想天外なことになったということで一躍、名所となってしまいます。この、登場人物がスクリーンから飛び出すという発想が面白い。これは、「キートンの探偵学」が元ネタになっていますね。




 
当のトムは、セシリアの純な心にうたれ、恋をしてしまう。そこへ、トム・バクスターを演じた役者ギル・シェバード(ジェフ・ダニエルス)も現われて、自分のスキャンダルになるからトムにスクリーンの中に戻るよう説得しようと、セシリアの前に現れたものの、彼もセシリアに恋してしまい話はややこしくなる。スクリーンから出てきたトム・バクスターと、彼を演じたギル・シェファードの両方から求愛されて、有頂点の時を過ごすセシリア。



ギル「お前は本物の人間じゃないんだぞ。ぼくが創ったんじゃないか、早くスクリーンに戻れよ」
トム「いやだ、ぼくは現にここにいる。セシリアと一緒でなきゃどこにも行かないぞ」

...セシリアは現実に存在する俳優のギルを選んだのです.....。主演俳優はやはり自分の居場所、スクリーンに帰り、「夢」は終わります。ギルはセシリアにいっしょに旅立とうと誘う。



 
ギルといっしょに旅立とうと決意したセシリアは家に帰り、ののしるモンクに別れを告げてギルとの約束の場所に向かった。しかしギルはひとり飛び発った後で、残されたセシリアは、まっすぐ家に帰る気になれず、またとぼとぼと劇場に行った。
 すでに「カイロの紫のバラ」は終わって「トップ・ハット」に変わってしまっていた。しかし、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの「チーク・トゥ・チーク」のダンス場面、ジンジャーの羽根の衣装、アステアの洗練、2人の夢のようなダンス。踊りを見るうちに、いつしか、またセシリアの瞳に輝きが甦えるのだった。ああ、映画っていいなあ!名場面です!U^ェ^U



 
映画そのものへのオマージュ、映画への愛を感じる作品。映画を観ている時間ぐらい、観客は<虚>の世界である映画に同化していたいもの。映画と現実は違う、そんなことは百も承知の上。すべての映画ファンの夢を映像という形で見せ、夢の続きへといざなってくれるウディ・アレン。ミア・ファローを愛し、彼女を主演に据えた作品を撮るようになって、かつてみられた神経症的ないらつきが消え、かわってやさしさと穏やかさが見られるようになりました。その映画に対する溢れんばかりの愛情に最敬礼です。映画を楽しむことの原点に立ち返らせてくれる映画です。
 心から映画を愛する世界中のすべての人への、ウディ・アレンからのささやかな、それでいて極上のプレゼント。 「世界中がアイ・ラヴ・ユー」!



■「ローズマリーの赤ちゃん」(1968・米)■は2/5の日記でご覧下さい。
監督:脚本:ロマン・ポランスキー 原作:アイラ・レビン 
出演:ミア・ファロー/ジョン・カサベテス/モーリス・エバンス/ルース・ゴードン



ekato

映画と対話するために.....。!U^ェ^U



 
ウディ・アレンは1992年、ミアが前夫で指揮者・作曲家のアンドレ・プレビン氏と結婚している時に養女に迎えたスーン=イ・プレビンと関係をもったことが発覚し、夫婦関係は完全に破局した。ミアが偶然、アレンの自宅でスーン=イのポラロイドのヌード写真(足を大きく広げたヌード写真など)を発見したのだ。
 ミアがスーン=イに「いつからの関係か?」と問い詰めると、「高校3年から」と
答えたという。激怒したミアは彼女に襲いかかり、彼女の顔を殴った。そして、ミアは我が子と永遠の別れをすることになった。親権争いの裁判でアレンは息子の訪問権だけ。ウディとミアの間には養子を含めて3人の子供がいたが、ミアは1992年、アレンが当時5歳の養女ディラン(現在の名前はマローン)に性的虐待を加えたとして訴え、2人の激しい親権争いが始まった。ミアのアレンに対する攻撃は容赦なかった。結局、裁判でアレンは自分の血のつながったただ1人の息子シーマス君(当時の名前はサッチェル)に裁判所命令による監督の下でしか会うことができなくなった。
彼は一貫して養女に対する性的虐待を否定したが、彼に対する汚名と不名誉は消すことのできないものとなった。

 アレンはスーン=イと1997年に結婚し、養女を迎えているそうな。
■映画の妖精!ミア・ファロー(Mia Farrow)■後編は前のページに!■






最終更新日  2010年10月19日 21時29分13秒
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『フォロー・ミー FOLLOW ME』DVDついに発売!発売予定日は2010年11月26日です。
2005年2月12・13日に発表したものの再録です。

■隠れた名作「フォロー・ミー」!映画の妖精!ミア・ファロー■


 


「アリス (ALICE 1990)」



Donovan,Mia Farrow,George Harrison,Paul McCartney and John Lennon
with Maharishi Yogi.

キャロル・リードの名作「フォロー・ミー」に主演したミア・ファロー。役柄はカリフォルニアでヒッピーの群れに身を投じたこともある娘が、英国の上流階級に属し地位も財産も申し分ない一流会計士チャールズ(マイケル・ジェイスント)と結婚したが、元々自由人のベリンダには、夫の仕事一辺倒の生活には息のつまる毎日だった。馴れない社交や、上流人の生活をのがれて、人間らしいささやかな愛と自由を求めて、浜辺で夕陽を眺めたり、サファリ公園でイルカを見ていたり、イーストエンドのパブで踊ったりしていた.....。
掲載写真はミア・ファローが、ドノヴァンやビートルズの面々と一緒にマハリシヨギのアカデミーへ行った時のものです。ドノヴァンのCDのブックレットから転載させていただきました。写真のミアファローの本当に嬉しそうな顔ったらないですね。






■『フォロー・ミー (1972)』■
監督: キャロル・リード 脚本: ピーター・シェイファー 音楽: ジョン・バリー
出演: ミア・ファロー/トポル/マイケル・ジェイストン/マーガレット・ローリングス



 
「第三の男」を監督した名匠キャロル・リードが作った心暖まる佳作にしてじわじわの傑作!脚本は、「アマデウス」「エクウス」のピーター・シェイファー。ピーター・シェーファーが書いた1幕物の芝居の台本を彼自身が脚本化した。なんといまだ未DVD化!



 
 知識豊富な仕事人間で一流会計士のチャールズ(マイケル・ジェイスント)は、妻のベリンダの不可解な行動に疑問を抱いていた。浮気しているのではないか、という疑いにつきまとわれていたからだ。チャールズは私立探偵のクリストフォルー(トポル)に妻の調査を依頼する。
 ベリンダは夫チャールズと住む世界の違うことに違和感を感じて、小さな失意を積み重ねていたのでした。ベリンダは日毎に無口になり、毎日朝早くからひとりでどこかに出かけ、夜遅くまで帰ってこなくなったのでした。ベリンダはただ単に、日常の倦怠を散歩によって紛らわせていただけだった。



 ジョンバリーの切なく美しい音楽をバックに、妖精のようにロンドンの名所旧跡を自由に歩き回るベリンダの後を追いかけまわす不審な人物、真っ白なコートを着た私立探偵クリストフォルー(トポル)が尾行する。忘れ得ぬ名キャラ、名演!トポロが扮する探偵がいつも食べていたマコロンというお菓子はたまごボーロのようなものらしい。





 
ベリンダは、探偵の尾行に気づいて以来、最初のうちは彼を気味悪がっていたが、次第に彼のやさしさと愛情にあふれたまなざしに心ふれあうものを感じるようになり、次第に探偵自身に好意を抱いていく……。語ることのない、みつめあうだけの追跡。無邪気な追いかけゴッコの共犯者として日々を重ねるごとに彼ら二人の間に次第に生まれていく心の絆。この件が、素晴らしく、トポルの人懐っこい笑顔と、やさしい眼差しに出会うと、思わず心がなごんでいつになくウキウキしてきます。U^ェ^U



 
10日後探偵クリストフォルーはチャールズに報告をした。彼女にやましいところがない、だが“恋人"がいるかもしれない、と。その報告を受けたチャールズは、ベリンダを怒鳴った。彼女は“家庭には愛が必要なのにこの家にはしきたりだけしかない。"と悲しそうにつぶやき自分の潔白を語った。“ただ、見知らぬ男が、いつも私をつけてきて、いつか心のふれあいを感じるようになったのは事実だが"と。
 ささいな疑惑から夫婦間の危機が生じる様を描く。最後に夫が取った行動とは...。さりげなく、爽やかな幕切れが、非常にここちよい後味を残す。ロマンティックなラブ・ストーリー。



 
ミア・ファローは、決して美人ではないと思うのですが、チャーミングですよね。どこかしら不思議な雰囲気がある個性派女優で、ある種、ファンタスティックな女優でもあります。ニューシネマの台頭と共に、「風変わり」と表現される女優たちが続々と登場し、その中でミア・ファローはセンセーショナルな話題をまいた「ローズマリーの赤ちゃん」(68)で、スターらしからぬ不安定な顔つき体つきで登場し、一躍有名になりました。「ジョンとメリー」「フォロー・ミー」ウディ・アレンの名作群「カイロの紫のバラ」「ハンナとその姉妹」「ラジオ・デイズ」「セプテンバー」「私の中のもうひとりの私」「アリス」と..あげたら切りがないくらいです。ウディ・アレンと公私にわたるパートナーとなり数々の名作を撮るが、養子への性的虐待、養育権をめぐってトラブル、裁判となり、別離。残念哉!醜悪な修羅場を繰り広げ、裁判はミアの勝訴となる。この顛末は最後尾に掲載しますがTVの芸能ゴシップお好きな方にだけお薦め...夢見る夢子ちゃんは、読まない方が良いかも~です。

 


非売品ORIGINAL SOUND TRACK『FOLLOW ME』
なんと!ジョン・バリー・ファン・クラブ謹製のお宝CD!(private use only)
A rare John Barry score, issued in Japan, this soundtrack was taken from the film of Peter Shaffer's stage play starring Mia Farrow and Topol. The music is an interesting blend of easy listening strings and vocals and a harder groovy edge not present in much of Barry's work. The haunting theme is reprised throughout the score.





  ■映画の妖精!ミア・ファロー(Mia Farrow)■

 
1945年2月9日、アメリカ・ロサンゼルス生まれ。父は映画監督のジョン・ヴィリアース・ファロー、母は女優モーリン・オサリヴァン。9歳の時、小児麻痺で病床につくが克服、18歳の時、舞台“The Importance of Being Earnest”で女優デビュー。1964年テレビドラマ・シリーズ『ペイトン・プレイス物語』に出演、注目を集める。同年『バタシの鬼軍曹』で映画デビュー、1968年『ローズマリーの赤ちゃん』が世界的にヒット、 ハリウッドを代表する人気女優となる。
 将来は尼僧になりたいと心を固めながら、やむない事情で女優として働きはじめる。そこで出会うフランク・シナトラ、音楽家アンドレ・プレヴィンとの恋。やがて訪れる破局、混乱。逃げるようにしてインドへ旅立ち、ビートルズとの出会い、映画界への復帰、戦争孤児・障害児の養子、ふたたびの恋、そして……。ウディ・アレンとの十年間は、ロマンスから長い悪夢に変わり、養子に性的虐待するウディ・アレンとの裁判沙汰、醜悪な修羅場、ダリ、ビートルズとの交遊……など、映画よりも劇的な半生……。




1959年「大海戦史」「バタシの鬼軍曹」
1968年「殺しのダンディー」「ローズマリーの赤ちゃん」
     「秘密の儀式」
1969年「ジョンとメリー」
1971年「見えない恐怖」
1972年「フォロー・ミー」「ジャン・ポール・ベルモンドの交換結婚」
1974年「華麗なるギャツビー」
1976年「ジュリア/幽霊と遊ぶ女」
1978年「アバランチ/白銀の恐怖」「ウエディング」
     「ナイル殺人事件」
1979年「ハリケーン」
1982年「サマーナイト」
1983年「カメレオンマン」
1984年「ブロードウェイのダニー・ローズ」「スーパーガール」
1985年「カイロの紫のバラ」
1986年「ハンナとその姉妹」
1987年「ラジオ・デイズ」「セプテンバー」
1988年「私の中のもうひとりの私」
1989年「ウディ・アレンの重罪と刑罰」「ニューヨーク・ストーリーズ」
1990年「アリス」
1992年「ウディ・アレンの影と霧」「夫たち、妻たち」
1995年「マイアミ・ラプソディー」
1998年「エクスタシーをさがして」
2001年「ジ・イノベーダー 革新者」
2002年「くたばれ!ハリウッド」


■2/12の続編■
■隠れた名作「カイロの紫のバラ」!映画の妖精!ミア・ファロー■
も続けてご覧下さい!






最終更新日  2010年10月19日 21時25分41秒
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2010年08月14日
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映画『美代子阿佐ヶ谷気分』公開

70年代にカルト的な人気を博した「月刊漫画ガロ」などで活躍した漫画家、安部慎一による同名劇画の映画化。後に安部の妻となる美代子と同居生活を送りながら彼女をモデルに発表した作品がヒットするものの、創作に対する焦燥感や絶望感から次第に精神が不安定になっていく作者・安部慎一の姿を描く。安部に扮する水橋研二の繊細な演技が光る。続きを読む

監督:つぼた義史
出演:水橋研二・町田マリー・本多章一・松浦祐也・佐野史郎・林静一・あんじ

■2003年10月9日分を再掲載いたしました。■
美代子阿佐ヶ谷気分 - goo 映画


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惚れられ惚れて早一年経って 若さと馬鹿さ空転りするさ
ヒールが七糎のブーツをはいて
ぼくを踏み潰して出て行った朝よ

塀の上で 塀の上で
ぼくは雨に流れてみてただけさ

(「塀の上で」作詞・作曲 鈴木慶一 はちみつぱい「センチメンタル通り」より)

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-「美代子阿佐ケ谷気分」-
2000.7.3 初版 ワイズ出版


 私は三十二歳の頃に分裂病を発病し、以来、十七年間まともな考え方が出来にくくなった。...この十七年間のブランクは、私にとって苦しみの連続だった。妻美代子も三人の子供もよく私を許してくれていると思う。...私と美代子が出会ったのは、高校時代である、もはや、分裂病歴の方が長いほどになった。しかしまだ別れずに居る。美代子は相当に深い愛の持ち主だと思う。...私はいつ死ぬか判らないが、漫画も小説も油絵も死ぬまで画く事になるかも知れない。
(「愛を失って--あとがきにかえて」 安部慎一)

阿佐ケ谷で育まれた彼らの愛は幾多の作品にちりばめられ安息をみた。彼らが彼らの人生において最も若く美しい時を迎えている男女であった事の証としてこの傑作「美代子阿佐ケ谷気分」が生みおとされた。彼の妻である美代子さんをモデルにしたマンガは私小説ならぬ”私マンガ”と呼ばれその作風は当時であってさえ異彩を放ち70年代の空気感を悲しいまでに表現していた。


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-「悲しみの世代」-
2001.5.30 初版 限定サイン本 No.0300/1000 まんだらけ

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◇著者略歴◇
1950年、福岡県田川市に生まれる。1952年、畠中美代子田川市に生まれる。
1967年、田川高等学校新聞部に入部してきた畠中美代子と出会い交際を始める。
1968年、家出、上京。永島慎二のもとを訪ねる。
1970年、一級下の美代子の卒業を待ち、上京。杉並区阿佐ヶ谷北の富士荘二階に住むようになる。
美代子を主人公にマンガを描くことを思い立つ。
「やさしい人」が「ガロ」に入選。
1971年、『美代阿佐ケ谷気分』「ガロ」3月号に発表。
1973年、故郷の福岡で畠中美代子と結婚。秋、創作に行き詰まってマンガを描けなくなり、福岡県伊崎へ転居。
1982年、妄想型精神分裂病を発病。
........................................................

1993年、『美代子田川気分』「ガロ」8月号に発表。
「美代子阿佐ケ谷気分」...に対するオマージュか...二人が生まれ育ち、出会ったこの田川で二人の愛は小康を得たのか....。

1996年、「ガロ」初代編集長、長井勝一 没。
200年、旧友の現・まんだらけ社長古川益三がインタビューの為自宅を訪問。20余年ぶりに再会。

精神を病んで田舎に引きこもった天才作家、安部慎一は美代子との愛の為に今も尚、病魔と闘い続けている。


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-「日の興奮」-
2001.5.30初版 ワイズ出版

-「天国」-
2001.5.1 初版 ワイズ出版

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-「迫真の美を求めて 安部慎一混沌作品集 」-
2001.12.25 初版 限定 No.0412/1000 青林工藝社

-「僕はサラ金の星」-
2003.4.25 初版特装版 2500部 青林工藝社

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-「愛連の家族/聖書 安部慎一未刊行作品集」-
2001.10.25初版 青林堂

ekato
愛がなくちゃね!







最終更新日  2010年08月15日 00時22分46秒
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