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カテゴリ:憂我なる<J-POP&FOLK>
■優しさを砕け、闇に光れ、心の絃が切れるまで・・・・■ ━━歌の源流を求めて...”飛びます”山崎ハコ━━ 「世界は寒い......か?」 「ヨコハマ」 山崎ハコ作詞・作曲 雨にぬれただるま船 いつまでたっても動かない 誰かが河に石なげた 淋しい目をしてポチャリ 何もかもビショぬれで とてもきれいだ 雨ふれ 雨ふれ 私のヨコハマ 雨の中を泣きながら ここまで来たことあったね 動かぬ船に話しかけ しゃべらぬお前に叱られた あの日からこの町に居ようと 決めたよ 雨ふれ 雨ふれ 私のヨコハマ 今は誰も追わないよ 誰にも追われず生きたい ドブ河低く飛ぶかもめ 雨宿りここにおいで この町が好きだから 離れはしないよ 雨ふれ 雨ふれ 私のヨコハマ この町が好きだから 離れはしないよ 雨ふれ 雨ふれ 私のヨコハマ 『“山崎ハコ”が誕生して23年。 昨年末から状況は一変し、もう歌っていけないんじゃないかと思う時もありましたが、応援してくれる人達の間で、元気を取り戻し一つの答えも出しました。 「歌は自由。心は無限。山崎ハコ、心ある限り歌っていくでしょう。」 不器用ですが生きて行きます。歌いながら。だから強くなれる。 真の自由と、楽しみと、愛なんか求めながら、あなたと遠くに近くに共に生きていければと思います。 1998年、一生忘れられない夏。 みんなありがとう! Hako』 所属事務所とのあれこれを克服し、自分の足で立ち、自分の声で歌い、自分の力で生きていく--本当の意味で出発点になるライブ会場で、ハコは上記の文章を手書きで記したちらしを配った。 ハコさんは、シングル盤なしでアルバムだけで歌っている歌手であり、アルパムでヒットしても、これといったヒット曲っていうものを作らなかった。それは、彼女は非常に体が弱く、歌のヒット曲の世界でテレビ出たり、そういう部分では多分もたないだろうという判断でもあった。しかし、残念ながらやっぱりヒット曲を持たない歌手ということで、アルバムとしてはゴールドディスクを何枚かとったものの、80年入ってからのハコさんはその後、結局暗いというイメージで逆にレコードの売り上げも伸びなくなっていた。それでも『地獄/「心だけ愛して」「きょうだい心中」』『青春の門/「織江の唄」』『愛の新世界/「今夜は踊ろう」(作詞・作曲/荒木一郎)、「私が生まれた日」』『皆月/「早く抱いて」(作詞・作曲/下田逸郎)』などの映画の挿入歌の印象的な楽曲が話題を呼び注目された。事務所閉鎖などによる不遇な時代を得て、フリーで活動を始め”生きた歌”を歌える数少ない歌手として現在にいたっています。 意欲作!「メンフィスまで」(1992) 五木寛之プロデュース『旅の終りに』「こころの花/織江の唄」収録 絵/竹久夢二「青春譜」 「私は日本人の歌う歌謡、日本語で書かれ、日本人の心に触れるメロディーを、なにより愛している。明治以後の日本の歴史は、いつか必ず高く評価され、第二の梁塵秘抄が編まれる日が来るはずだ。 今、歌謡曲の世界に、希望を持とう、元気を出そうと、と、ひそかなエールを込め、このプロデュースシリーズで問いかけたい。(五木寛之)」 「山崎ハコという歌手は、歌の意味や思いを大切にする人なので、アレンジは飾りすぎず、歌の強さを和らげたりと、苦心しました。この2曲も言葉が胸に伝わり、”生きている歌”が出来たと思っています。」 (ハコちゃんの旦那様:安田裕美) 「――どうして一枚目よりいいものが作れないんだといわれつづけてきました。そのたびに悩んできましたが、いまはこう思うことにしているのです。一枚目が二枚目や三枚目よりいいのは当然なのだ。なぜなら、あの一枚目には、自分の二十年間が詰まっているのだから。二枚目や三枚目には、それからの一年か二年しか入っていないのだから。そう思うと少し楽になってきました・・・・。」 多くの”心情三派”をも嗤せ泣かせた”女三羽烏”山崎ハコ、森田童子、浅川マキ! 浅川で、童子ようもなくハコな男より 前妻に捧ぐ! ひゅうううううう~ やっぱり世界は「寒い!」ぜ! <森田童子> 1975年(昭和50年)11月21日(金)デビュー・シングル「さよならぼくのともだち」とファーストアルバム「グッド・バイ」をポリドールよりリリースしこれまた衝撃のデビュー! 1983年12月25日(日)<前進座劇場「狼少年」追加公演>新宿ロフトで8年間の活動を終了した森田童子。CAT-Oさんは1977年の豊島公会堂「童子像」コンサートに前妻さんと行きました!近日大公開?たった8年間という短い間に鮮烈なる印象を残した森田童子。 山崎ハコには少女性を残した透明な視点と絶望の淵に立たされたような孤独感がある。この小さな華奢な体から紡ぎだされる言葉の確かさと、彼女の息づかいの暖かさを...聴いてみてください。そこには歌うことの源流があるはずです。 (´-`).。oO 。 ◇CAT-O◇更新中! ◇楽天フリマ◇出品中! 心情三派【しんじょうさんぱ】 心情的に三派全学連を支持すると表明した作家達のこと。野間宏、堀田善衛、野坂昭如ら六十一人の文化人や作家が、1969年、東大全共闘支持の声名を発表した。心情三派の言葉は、野坂昭如の造語。 『皆月』 監督=望月六郎 原作=花村萬月(吉川英治文学新人賞「皆月」講談社・刊) 脚本=荒井晴彦 音楽=山埼ハコ「早く抱いて」 出演=奥田 瑛二、北村 一輝、吉本多香美、荻野目慶子 『愛の新世界』 監督=高橋伴明 原作=島本慶、荒木経惟 脚本=剣山象 撮影=拓野直樹 音楽=山埼ハコ「今夜は踊ろう」 美術=望月正照 編集=菊池純一 出演=鈴木砂羽、片岡礼子、萩原流行、武田真治 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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山崎ハコさんがハコかぶって電波少年に出てたのには反っくり返って驚きました
(2004年12月04日 13時33分28秒)
うさ0203さん
>山崎ハコさんがハコかぶって電波少年に出てたのには反っくり返って驚きました ----- 一時ハコって名前でも歌っていましたけど、やっぱり歌い続けて欲しいです。またここ宇都宮にきて貰いたいです! (2004年12月05日 00時04分23秒)
うさ0203さん
>山崎ハコさんがハコかぶって電波少年に出てたのには反っくり返って驚きました ----- 一時ハコって名前でも歌っていましたけど、やっぱり歌い続けて欲しいです。またここ宇都宮にきて貰いたいです! (2004年12月05日 00時38分45秒) |
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