『梁塵秘抄』 または ”わしふぃーるど”

2007/04/13(金)21:44

ビクトル・エリセ『マルメロの陽光』アントニオ・ロペス・ガルシア■前編■ 

ART<千年の愉楽>(58)

ビクトル・エリセ『マルメロの陽光』アントニオ・ロペス・ガルシア  (LOPEZ GARCIA, Antonio, Victor Erice) ●マルメロの陽光● EL SOL DEL MEMBRILLO 1992/139分/スペイン/フランス映画社 監督・原案・脚本:ビクトル・エリセ 原案:ビクトル・エリセ/アントニオ・ロペス=ガルシア 撮影:ハヴィエル・アグィレサローベ/アンヘル=ルイス・フェルナンデス 音楽:パスカル・ゲーニュ  出演:アントニオ・ロペス=ガルシア/マリア・ロペス/カルメン・ロペス/マリア・モレノ/エンリケ・グラン/ホセ・カルテロ <カンヌ国際映画祭審査員賞・国際映画批評家協会賞/シカゴ国際映画祭グランプリ・ゴールド・ヒューゴー賞> ●映画史上全く類例をみない、例外的な存在であるがゆえに、「マルメロの陽光」は当惑や混乱にも、探究のまなざしや、最も鋭利な視線にも、ひとしく開かれた作品である。この上なく純度の高い本映画は、今日、かってないほど再生と刷新を必要としているこの芸術、ないし表現手段に対し、新たな、おそらく思いもよらぬ地平を切り開いている。(カルロス・F・エレデロ/西ディアオリオ16紙) ●・・・自分の庭でマルメロを描く画家アントニオ・ロペスの、これはドキュメンタリーでありながら、どんなスペクタクル映画よりも豊かなファンタジーとイマジネーションと自由な呼吸が息吹いている。・・・(ダニエル・エイマン/仏・ルモンド紙) ●つつましいカメラワークで生み出した、驚くほど魅惑的で密度の濃い作品。精魂を込めたこの作品の純粋さ、そしてゆとりの大きさは、一切の媚びを感じさせないスタイルとあいまって実に貴重だ。(ジャネット・マスリン/米・ニューヨーク・タイムズ紙) ビクトル・エリセ監督の長編第三作。ビクトル・エリセ監督の長編第一作『ミツバチのささやき(1973)』から長篇二作目「エル・スール(1983)」の完成までに10年。それから10年の沈黙後、1992年にようやくエリセが放った、絵画の芸術に関する透明な考察。寡作の映画作家に相応しい静謐なエリセの至福の映像詩です。 「一本の樹に森羅万象が集約されている」アントニオ・ロペス・ガルシア マルメロの実が熟す、黄金色の陽光の秋。自分の手で植えたマルメロの木に、今年も実がたわわになり、陽光の中で輝く黄金色のマルメロの実。その陽光に光り輝く黄金色の果実をキャンバスに描きとめようとするのが画家、アントニオ・ロペス・ガルシアの見果てぬ夢。描きたい陽光(ひかり)は天候の良い朝の2時間ばかりの間、あっという間のこと。1960年ごろから毎年描いてはいるものの、なかなか完成させたことのないマルメロの樹の絵。完成したマルメロの油絵は二十代に描いたわずか2点。 主人公アントニオ・ロペス・ガルシアは実在の画家で、ベラスケスを師とあおぐリアリズムの画家。具象に徹して抽象を凌駕し、<マドリード・リアリズム>、あるいは<神秘的(魔術的)リアリズム>と呼ばれて世界の注目を浴びる潮流の中心的存在。 アントニオ・ロペス・ガルシアは彼が深く親しみを感じた同じテーマに後戻りし続ける作家である。彼の絵や像は継続して彼の生活や彼の関係者たちを表す。その関係者というのは、祖父母(これは黄色く変色した写真から)、死んでしまった妹、叔父や友人、絵描きのフランシスコ・カレテロ、妻や二人の娘などである。即ち、描く対象との直接的な感動に基づいた描写態度によって、同一作品を十年を越えて描くことが多く、非常に作品が少ない。 マルメロは柑橘系に見えるが、花梨(カリン)と同じくバラ科の落葉果樹。 言い伝えで、秋のさなかに夏の太陽がぶりかえし、あまりに強いその陽射しから子どもは隠したほうがいい、と言われる<マルメロの陽光の日(9月28日)>の翌日、29日から、撮影は始まる。撮影に入った時点で脚本はなく始まり、エリセが深く敬愛するアントニオ・ロペス・ガルシアの画業を紹介するドキュメンタリーでもなく、ストーリーもありません。ただ、マラルメの陽光を描くべく腐心するアントニオ・ロペス・ガルシアの絵を描く真摯な姿を、90年の9月から12月にかけて、ただ淡々と、実際の撮影の日付を画面に記しながら時系列で追っている作品です。 この映画の製作は途中で製作費が尽き、フィルムが手に入れられなくなり、制作の続くアントニオやマルメロの木を撮り続けるために、やむなくビデオで撮った画面が挿入されています。 マルメロの樹を前に、画家は自分の立つ場所を印し、縦糸や横糸を貼ってマルメロの実の位置を筆で正確に印していく、雨に濡れないよう、テントを貼る、マルメロに絶妙な陽が当たるわずかな時間を狙って少しづつ、少しづつ描いていきます。マルメロは日々育ってゆき、実の重さで枝が垂れ下がってくる。それに目印をつけながら、はじめに描いていた実の位置を確認して、絵筆を運ぶ。そして、絵を描くことに入魂する彼を優しく見守る愛妻でやはり画家のマリア・モレノ、娘のマリアとカルメン、親友の抽象画家エンリケとのやりとりを織りまぜながら、ロペスの崇高な表現活動を記録していく。聞こえてくるのはラジオからの音楽やニュース、犬の鳴き声、東欧からの出稼ぎ労働者の内装工事、救急車のサイレンといった「暮らしの音」が心地よく、効果的に使われる。ラストのアントニオのモノローグからエンドロールにかぶるフランス人作曲家パスカル・ゲーニュの音楽も素晴らしい。この映画のDVD、サントラCDとも廃盤で高値をよんでいる。 実はひと月で成熟に達し、熟しきると、自然の摂理のまま葉むらともども衰退の過程に入り、やがて自らの重みで地面に落ち、腐爛していく。時間の経過が画家の創作にどのように影響してゆくか、創造の秘密も垣間見ることが出来る。もっぱらカメラは対象から距離を置いた位置に三脚を据えての長回しです。画家のリアリズム絵画の手法をエリセのカメラが汲み取ってただただ時間の美しさを思い知らされる純度の高いイマジネーションに満たされ、えもすれば変化に乏しい映像構成ながら絵画と映画は穏やかで慎ましやかな親近感を増して深まっていく。はかなくつかのまの陽光に輝くマルメロの美しさをどうしても描けない画家はこう云う ”秋が来る度に、釣竿を持って、木のそばに座る。いくら手を尽くしても、魚はかからない。それでいい、要は、そこにいることなんだよ” この年1990年は、雨が例年になく多く降り、戸外で製作する画家は天候に恵まれなかった。ついにマルメロの実が地面に落ちていることを発見した画家は、残ったマルメロを自ら一個もぎ取り、キャンバスを撤去しマルメロの油彩画の制作を諦め、キャンバスを地下室に運び込む。そこには彫像や、膨大な数の未完の絵が眠っている。そして画家が地下室の蓋を閉じる時、カメラは地下室の内側から撮られている。まさに柩の蓋が閉じられる時の、死者の視点から撮られており、客観描写に徹したエリセのこの思いがけない演出効果があるシーンで、無意識下の密やかな興奮をかきたてられた。地に落ち、朽ち始めるマルメロの実を撮影するカメラ。しばらく中断していたマリの描きかけの油絵のために、黒いコートを着てベッドに横たわるアントニオ。いつしか眠りにおちたアントニオの指の間からこぼれおちるクリスタルの珠。空に浮かぶ満月。月光に青白く照らされるアントニオの寝顔・・・。ほのかな月明かりの中のマルメロの木とそれを見守るようにあるムービーカメラとライト。黒い雲が流れ去り、満月が現れる。映画は、成熟したもののたどる爛熟、頽廃、腐食といったものを画面に漂わせながらゆるやかに幻想の度合いを深めていく。単なる記録映画の域を優に超えて、絵画と映画の出会いを描いて、詩情豊かな映画的感性にみちたエリセ映画ならではの魅力あふれる名作。 ”ここはトメリョソ。私は生家の前にいる。広場のむこうに、見たことのない木立がある。遠くむこうマルメロの濃い葉むらと黄金色の実が見える。 木々の間に両親と私ー。他の人も一緒にいる。語らいの声がー談笑が聞こえてくる。私たちの足はぬかるみに埋まっている。果実は枝についたまま、刻々、しわがより、軟らかくなっている。やがて表皮にしみが広がり、動かぬ空気に醗酵した香りが漂う。私に見えているものを他の人も見てるのだろうか。マルメロの実がー光のもとで熟れて腐っていく。その光は、鮮烈なのに陰を帯び、すべてを鉱物と灰に変える光。それは夜の光でもなく・・・・黄昏の光でもない。夜明けの光でもない。” (アントニオのモノローグ) 「樹々がなくては、地上の生活は成り立ちません。恐らくそれゆえ、世界の多くの民族が、生命の象徴として樹のイメージを選んだのです。この樹の枝のひとつに、今から百年ほど前、新たな果実がみのった。その名を”映写機”といい、人類に映画という言語をもたらしました。映画は、まったく独自な仕方で現実を反映することができる、つまり、事物の映像と動きを捉えるばかりか、その持続ー時間ーをも捉え得るのです。このすばらしい言語が、今日、消滅の危機に瀕しています。もしそんな事態が起きたら、生命の樹は、その最もか弱い果実のひとつ、しかしまた、その最もおいしい果実のひとつを失うことになるのです。みんなで力を会わせて、この実を保護しなくてはなりません。皆さんのご協力に感謝します。」ビクトル・エリセ・・・1993年2月12日 東京にて ■アントニオ・ロペス・ガルシアの画集の画像を前のページ(4/12)にUPしてありますのであわせてご覧ください。

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