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憂我なる<WORLD MUSIC LIFE>

2006年09月06日
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Ute Lemper
”ガルボの頬と、ディートリッヒの脚線美”
”ヨーロピアン・デカダンスの歌姫ウテ・レンパー”



信じられないほどの魅力。若き日のマルレーネ・ディートリッヒを思わせるカリスマ性。━ニューヨーク・タイムズ



LD『ウテ・レンパー/バラ色の人生』

”マレーネ・ディートリヒの再来””現代最高のブレヒト歌手”等の異名を取り、賞賛されるドイツの歌姫!
虚栄と倦怠に彩られたワイマール文化を現代的な語法で甦らせ、デカダンな音世界を確立し、華麗な舞台姿で我々を魅了する稀代のパフォーマー、ウテ・レンパー!



CD『キャバレー・ソング』
ウテ・レンパーによる、1920年代ワイマール共和国時代のキャバレー・ソングのアンソロジー。 LONDONから出ている「頽廃音楽」シリーズの一枚。



ウテ・レンパーが歌うのは、ワイマール共和国から第三帝国にかけてのベルリン─当時のヨーロッパにおける最大の快楽都市─のキャバレー・ソング(カバレット)。甘美な毒と禁断の匂いを放つ爛熟しきったとしか言いようのない、それゆえ、かけがえのないくらい魅力的な、第三帝国により抑圧され抹殺された音楽「頽廃音楽(ENTARITE MUSIK)」である。



ベルトルト・ブレヒト(Bertolt Brecht)
1898年2月10日 - 1956年8月14日)は、ドイツの劇作家、詩人、演出家。ヘーゲルの提唱した弁証法やマルクス主義の影響の元に、独自の演劇理論を生みだした。代表的な戯曲としては、クルト・ヴァイルが作曲した『三文オペラ』、『セチュアンの善人』(セチュアンは四川のドイツ語読み)、『肝っ玉おっ母と子供たち』、『ガリレオ・ガリレイの生涯』などが挙げられる。また、詩、小説、評論の分野にも多くの作品を残している。



クルト・ワイル(Kurt Weil)と彼の妻ロッテ・レーニャ(最初のワイル歌手)
1900年3月2日、デッサウ、ユダヤ人の家系に生まれる。 ー 1950年4月3日(ニューヨーク州)は、1920代年から生涯にわたって活躍しつづけたドイツの作曲家。彼は、自身のコンサート用の作品の作曲をしつつ、演劇やオペラの作曲へ同等の力を注ぎ、多くの作品を残した。1928年に戯曲家ベルトルト・ブレヒトとの共同作業によりオペレッタ『三文オペラ』の音楽を監修し、一躍有名になる。「三文オペラ」は ヴァイルの最も有名な歌、「マック・ザ・ナイフ(匕首マッキーの殺し歌)」を含んでいる(ジャズにおいてはあまりにも多くのカバーがある)。



<<ウテ・レンパー バイオグラフィー>>

1963年ドイツのミュンスター生まれ。ザルツブルグ音楽院、ウィーンのマックス・ラインハルト演劇学校でピアノ、声楽、バレエを学ぶ。83年ミュージカル『キャッツ』『ピーター・パン』に出演。86年ドイツで開催されたリサイタル『クルト・ワイルの夕べ』が大成功を収め、88年のデビュー・アルバム『ウテ・レンパー sings クルト・ワイル』がヨーロッパのみならずアメリカでもヒット(なんとビルボード1位!)、現代のワイルソング劇の為の歌手の第一人者と評される。1928年にブレヒトと組んだ《三文オペラ》や《七つの大罪》などクルト・ワイル作品やホランダー、スポリャンスキーなどドイツ・ワイマール時代のキャバレー・ソング、彼女の尊敬するマレーネ・ディートリッヒとエディット・ピアフの作品、マイケル・ナイマンの作品をリリースするとともに、さらにブロードウェイ・ミュージカル『シカゴ』のヴェルマ役などミュージカルで活躍し、世界的な評価を築いた。ダンサーとしても、1991年2月に、ベジャールの『突然の死』にゲストプリマとして招かれ、賞賛を浴びた。『キャバレー』『嘆きの天使』『シカゴ』などのミュージカルや映画にも出演し活躍する。



19才の時、アンドリュー・ロイド・ウェーバーの『キャッツ』ウィーン公演のオーディションを受け、”ボンバルリナ”あるいは”グリザベラ”の役を射止め、300回に及ぶ公演を演じ、一躍スターの座を獲得する。



CD『マイケル・ナイマン:ソングブック』





マイケル・ナイマン(Michael Nyman, 1944年3月23日 - )
一連のピーター・グリーナウェイ作品や、『ピアノ・レッスン』など、多くの映画で音楽を担当している彼は、映画音楽作曲家としての知名度が高い。しかし"イギリス実験音楽の父"と呼ばれる作曲家コーネリアス・カーデューから影響を受け、「現代音楽-ケージとその後」の著作を発表している。彼の音楽は、反復的なミニマル・ミュージックの特質を残しながらも、よりダイナミックで複雑な音楽構造をもっている。最初のアルバム「ディケイ・ミュージック」は、彼のブライアン・イーノの主宰するオブスキュア・シリーズの1枚として発表され、先鋭的なプログレファンからも注目され、クラシックや現代音楽の枠組みからも逸脱するユニークな存在として多彩なナイマン・ミュージックを繰り広げている。



DVD『Sings Kurt Weill / Michael Nyman Songbook』























最終更新日  2006年09月06日 21時42分49秒
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2006年09月05日
Ute Lemper
”ガルボの頬と、ディートリッヒの脚線美”
”ヨーロピアン・デカダンスの歌姫ウテ・レンパー”■後編■



信じられないほどの魅力。若き日のマルレーネ・ディートリッヒを思わせるカリスマ性。━ニューヨーク・タイムズ





『プロスペローの本(1991)』

監督・脚本: ピーター・グリーナウェイ 音楽: マイケル・ナイマン  原作: ウィリアム・シェイクスピア



出演: ジョン・ギールグッド/マイケル・クラーク/ミシェル・ブラン/エルランド・ヨセフソン
ウテ・レンパーは、大地の神シーリーズ役で出演。 他には、未公開『オーストリアの女(1989)』 で、悲劇の王妃マリー・アントワネットを演じている。





ピーター・グリーナウェイ(Peter Greenaway)

美術学校を卒業後、ベルイマン監督の「第七の封印」で映画に興味を抱くようになる。65年より中央情報局で記録映画の編集を手掛けるかたわら、8ミリで自主制作映画を作るようになる。小説、絵本などで活躍しつつ、80年に三時間余の長編第一作品“The Falls”を発表。82年の「英国式庭園札時事件」で一躍脚光を浴びた。その衒学趣味、独特の構図、難解なストーリーなどから一部に圧倒的な支持を得て、世界中にファンがいる。音楽は、代表作のほとんどをマイケル・ナイマンが手がけ、そのミニマリズムとあいまって、グリーナウェイの作品は他に類を見ない存在感を持つ。代表作は「ZOO」、「数に溺れて」、「コックと泥棒、その妻と愛人」、「ピーター・グリーナウェイの枕草子」などがある。



CD『映画「プロスペローの本」サウンドトラック』
監督:ピーター・グリーナウェイ 音楽:マイケル・ナイマン



『クライムズ・オブ・ザ・ハート』

ジャケ写は、ヘルムート・ニュートン



廃盤プレミアDVD『Thousand & One Lives of Ute Lemper』











DVD『Blood & Feathers: Live at the Cafe Carlyle Ws』

















最終更新日  2006年09月06日 21時46分10秒
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2006年03月05日

栄光のセルジオ・メンデス&ブラジル’66!
!U^ェ^U!




「マシュ・ケ・ナーダ」

SERGIO MENDES & BRASIL ' 66の記念すべきデビューアルバム!
洒落たボサ・ノヴァに、ソフトなロックン・ロール(ゴー・ゴー)のリズムを掛け合わせ、クールなツイン女性コーラスを加えた斬新なブラジル音楽が、アメリカのA&Mレコードから登場したのは1966年。デビューアルバム『SERGIO MENDES & BRAZIL 66』は全米6位を獲得、アルバム収録のジョルジ・ベン作曲の「マシュ・ケ・ナーダ(MAS QUE NADA)」が世界的なヒットとなり一世を風靡した。バート・バカラック作の「The Look Of Love」(全米4位)をはじめ、ビートルズのカバー「The Fool On The Hill」(全米6位)「Day Tripper」、「スカボロー・フェア」などなどカヴァー作品のジャンルを問わない確かな選曲センスと優れた編曲はセルメンならのもので、そのヒップでクールなサウンドは当時の音楽界に独創的で斬新なポピュラリティを強くアッピールした!私などは正直な話ビートルズより多く聴いていましたね!情熱的で明るく快活なラテンのリズム、名花ラニー・ホール歯切れの良いヴォーカル・・・常に新しい表現方法にチャレンジし続けるセルメンは今聴きかえしても、とても60年代後半の作品とは思えない程新鮮!
モダンポップカルチャーの天才的サウンドクリエーターとして今も君臨する!
 


SERGIO MENDES

41年ブラジル・ニテロイ生まれ。ピアニスト/作曲家/アレンジャー/バンドリーダーであり、60年代のボサ・ノヴァ・ブームの火付け役。ブラジル音楽の巨匠であり、北米ツアーをキッカケに64年後半に北米に移住。アントニオ・カルロス・ジョビンやアート・ファーマーのレコーディングに参加。“ブラジル'65”を結成し、キャピトル・レコードと契約する。翌年“ブラジル'66”とバンドを改名。A&Mレコード時代には、ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス、クリス・モンテス、サンドパイパーズなどと並び、イージー・リスニング/AOR系ポップスの代表アーティストとして大成功を収めた。メンバーは、初代の女性ボーカルにラニ・ホールとジャニス・ハンセンのツイン・ヴォーカル、リズム陣はボブ・マシューズ(ベース)、ジョアン・パルマ(ドラムス)、ホセ・ソアレス(パーカッション)。4作目でメンバー・チェンジがあり、ジャニスに変わりカレン・フィリップが、そしてドラムスに名手ドン・ウン・ロマンが加入する。ブラジル'77になると、看板シンガーだったラニ・ホールが抜け、メンデスの奥さんであるグラシーニャ・レポラーセがボーカルを取る。

 

「分岐点~コンスタント・レイン」  「ルック・アラウンド~恋のおもかげ」

ブラジル'66名義での2作目「分岐点~コンスタント・レイン」(左)。当時のサイケデリック志向を反映して、シタールとハープシコードを取り入れた「Constant Rain」でアルバムが始まる。アントニオ・カルロス・ジョビンの「Wave」「Triste」「Jazz N Samba」やジョアン・ジルベルトの「Bim Bom」などを取り上げている。ミシェル・ルグランの「Watch What Happens」、ジルベルト・ジルの「Gente 」も隠れた名曲。3作目はサンバ色の強い「ルック・アラウンド~恋のおもかげ」(右)。セルメンのアルバムには欠かせないビートルズ・カバー「With a Little Help~」、デイヴ・グルーシンにオーケストラ・アレンジを委ね、バカラックの名作「恋のおもかげ」、ジルベルト・ジル、ドリ・カイミの曲とストリングスを取り入れサウンドのヴァリエイションを広げた名盤!

 

「フール・オン・ザ・ヒル」 「クリスタル・イリュージョンズ」

4作目はサンバ色の強い「フ-ル・オン・ザ・ヒル」(左)では、ラニーホールを除きすべてのメンバーチェンジを行い新メンバーは全員ブラジル出身でブラジリアンリズムの強化を図り’66のアルバムではビルボード3位の最高位を獲得した。こういうことが出来るのもサウンドクリエーターとしての自信の表れ、音楽に深い造詣のあるアーティストであることが分かる。
5作目は「クリスタル・イリュージョンズ」(左)。有名曲は「ドック・オブ・ザベイ」のみ、デイヴ・グルーシンの巧みなオーケストラ・アレンジが素晴らしくAORの先駆け的サウンドで大人の雰囲気!



70年代に入っても勢いは衰えず、同じA&M所属のカーペンターズと人気を2分しつつ、ブラジル'77~ブラジル'88とグループ名を変えながら不動の人気を分かち合いそのボサノヴァ/ブラジル音楽をポップで洗練されたサウンドにする手法で数々のヒットを生み出した。



1994年、アルバム「ブラジレイロ」で念願のグラミー賞ワールド・ミュージック部門賞受賞!近年ではクラブDJにもそのサウンドが支持されており、日本でもモンド・グロッソの大沢伸一選曲・監修によるコンピレーション『SERGIO MENDES SONGS -Selected by Shinichi Osawa』が人気を集めるなど、幅広い層からリスペクトを受けている。



「セルジオ・メンデス ソングス selected by 大沢伸一」



「ライヴ・アット・EXPO’70[+1]」



1970年(昭和45年)4月5日、「人類の進歩と調和」をテーマに大阪でのEXPO’70万国博覧会会場における実況録音盤!ラニ・ホール、カレン・フィリップの素晴らしい歌唱力が堪能できる。セルメンのMC「おおきに」はご愛嬌!また、なぜかギターレスの為、セルジオ・メンデスのピアノが全曲にからみ前面に出て、ジャズピアニストとしてのセルジオ・メンデスのダイナミックな演奏をが楽しめる愛聴盤!



栄光のセルジオ・メンデス&ブラジル’66! ■後編■は3月4日に掲載!

【閑話休題】



岡本太郎(1911-1996)の傑作としてあまりに有名な「太陽の塔」です。大阪万国博覧会(1970)のシンボルとして会場の中心にそびえ立った高さ70メートルの異形の塔は、30年余り経った現在でも圧倒的な存在感を持ち続けていますね。太陽の塔には3つの顔があります。まず、てっぺんに輝く黄金の顔、これは「未来の太陽」。そしてお腹の部分にある顔、これは「現在の太陽」。最後は背後にある黒い顔は「過去の太陽」です。



そして地下には「地底の太陽」があったそうですが、残念なことに万博終了後、行方不明となってしまったそうです。本当だってば。昭和は遠くなりにけり・・・?







最終更新日  2006年03月05日 10時49分10秒
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2006年03月04日

栄光のセルジオ・メンデス&ブラジル’66!■後編■
!U^ェ^U!




「マシュ・ケ・ナーダ」

SERGIO MENDES & BRASIL ' 66の記念すべきデビューアルバム!
洒落たボサ・ノヴァに、ソフトなロックン・ロール(ゴー・ゴー)のリズムを掛け合わせ、クールなツイン女性コーラスを加えた斬新なブラジル音楽が、アメリカのA&Mレコードから登場したのは1966年。デビューアルバム『SERGIO MENDES & BRAZIL 66』は全米6位を獲得、アルバム収録のジョルジ・ベン作曲の「マシュ・ケ・ナーダ(MAS QUE NADA)」が世界的なヒットとなり一世を風靡した。バート・バカラック作の「The Look Of Love」(全米4位)をはじめ、ビートルズのカバー「The Fool On The Hill」(全米6位)「Day Tripper」、「スカボロー・フェア」などなどカヴァー作品のジャンルを問わない確かな選曲センスと優れた編曲はセルメンならのもので、そのヒップでクールなサウンドは当時の音楽界に独創的で斬新なポピュラリティを強くアッピールした!私などは正直な話ビートルズより多く聴いていましたね!情熱的で明るく快活なラテンのリズム、名花ラニー・ホール歯切れの良いヴォーカル・・・常に新しい表現方法にチャレンジし続けるセルメンは今聴きかえしても、とても60年代後半の作品とは思えない程新鮮!
モダンポップカルチャーの天才的サウンドクリエーターとして今も君臨する!
 


SERGIO MENDES




ラニ・ホール(LANI HALL)「Brasil Nativo」

言わずと知れたブラジル’66のメインボーカル、名花!ラニ・ホール!なんとあのA&Mレコードの創始者であるハーブ・アルパートの奥さんでもある!



永遠のボサノヴァ・アイドル、ワンダ・サー(WANDA DE SAH)



ワンダ・サーのファーストアルバム「ヴァガメンチ」

ボサノヴァの妖精と謳われたワンダ・サー、60年代のボサノヴァ時代を飾った女性歌手の中でも数少ない現役の一人。セルジオ・メンデスはブラジル’66結成以前はボサノヴァを代表する実力派シンガー、ワンダ・サーをボーカルに据えたブラジル’65というグループを率いていました。セルジオ・メンデスがこのアルバムを聴いて彼女を気に入り「ブラジル'65」に加えたそうです。

ブラジル’65
「ブラジル’65」

 






「セルジオ・メンデス タイムレス」

『タイムレス』はメンデスにとって約8年ぶりの新作。ブラジル音楽とヒップホップとの斬新な融合に成功、相変わらずのハイセンスなサウンドクリエーターぶりを発揮している。同作にはエリカ・バドゥ、ジャスティン・ティンバーレイクをはじめ、先日グラミー賞を受賞したジョン・レジェンドほかが参加している。メンデスは「サンバはブラジルのストリートの音楽……つまり、カーニバルのこと。みんなストリートで歌って踊るよね?。これ以上のアーバン(スタイル)はない。ヒップホップもそうなんだ。ウィルはこうしたことを理解していた。彼がヒップホップを持ち込んで、お互いに自然体でのケミストリーが生まれた。無理にやったことはひとつもないんだ」とLos Angeles Timesに語った。

ヴェリー・ベスト・オブ・セルジオ・メンデスとブラジル’66
「ヴェリー・ベスト・オブ・セルジオ・メンデスとブラジル’66」

イエ・メ・レ
「イエ・メ・レ」

スティルネス
「スティルネス」

ekato
RESPECT! SERGIO MENDES !



ナラ・レオン/Nara Leao(1942~1989)

ボサ・ノヴァは彼女から始まったといっても過言ではないボサノヴァのミューズ、ナラ・レオンの名唱二枚は必聴。「ボサノヴァが誕生したのはナラのマンションから」という逸話も残っているが、ナラの住んでいたマンションはリオでも有数の高級マンションで、アストラッドとジョアンが出会った場所、ホベルト・メネスカル、カルロス・リラ、ヴィニシウス・ジ・モライス、アントニオ・カルロス・ジョビンら毎晩50人前後が集まってていたそう。このマンションが後にボサノバ誕生の舞台となる、ナラ・レオンのサロンである。しかし、軍事政権の台頭下、カルロス・リラの影響を強く受けたナラ・レオンはボサノバと決別し、サンバや民謡を歌うようになった。1966年にはシコ・ブアルキの「ア・バンダ」を歌い第2回 MPB音楽祭で優勝。反軍事政権の運動であるトロピカリスモに カエターノ・ヴェローゾ、 ジルベルト・ジル等と参加する。この結果政治的圧力を受けたナラ・レオンは1968年からフランス亡命を余儀なくされる。1970年代は育児を主な理由に音楽活動は休止していたが、1977年発表の「Os Meus Amigos Sao Um Barato」を機に第一線に復帰。様々なブラジルの音楽に取り組み、ブラジル国内におけるボサノバ最注目のきっかけを与えた。ナラ・レオンはファッション・ショーの伴奏役としてセルジオ・メンデス等と日本を訪れたこともある。

「サニー・サイド・オブ・ナラ・レオン~ミュージック・フォー・サンデイ・ラヴァーズ」

「クラウディ・サイド・オブ・ナラ・レオン~ミュージック・フォー・サンデイ・ラヴァーズ」




85年にはホベルト・メネスカルやカメラータ・カリオカと共に2回目の来日を果たした。そして東京でボサノヴァのスタンダード曲集を制作した。この時、東京で録音した「フェリシダージ」(映画「黒いオルフェ」挿入歌 作曲:アントニオ・カルロス・ジョビン)のメネスカルの歯切れよいシンプルなギターと円熟して深みのあるナラのヴォーカルは心に染み入る名唱である。89年、再々来日の企画が持ち上がる。しかし持病であった脳腫瘍が悪化、願いも叶わず6 月7日永眠した。享年47歳。

「フェリシダージ(悲しみよさようなら)」(映画「黒いオルフェ」挿入歌)

悲しみに終わりなく 幸せには終わりがある。
幸せは 花びらにやどる 夜露のしずくのようなもの
静かに輝き そのあとひそかにふるえ 愛の涙のようにこぼれてしまう。

貧しい者の幸せは カーニバルの大きな幻影のようだ
ひとびとは 夢のひとときのために 1年中働き 空想の仮装をつくる
王様 海賊 あるいは花園の娘 でもすべては灰の水曜日で終わり。

悲しみに終わりなく 幸せには終わりがある。
幸せは羽毛のように 風が空に運んでゆく そんなに軽やかに飛びながら
いのちは短い 風が止まったらおしまい。

わたしの幸せは 愛しい恋人の瞳の中に住んでいる
それは夜のように 朝を待ちのぞんで 過ぎてゆく 過ぎてゆく
どうぞ小声で話しておくれ 彼女が楽しく朝とともに目覚め
愛のくちずけをくれるように



映画『黒いオルフェ』製作・監督:マルセル・カミュ
◇脚本:ジャック・ヴィオ ◇原作:ヴィニシウス・ヂ・モライス◇撮影:ジャン・ブールゴワン
◇音楽:アントニオ・カルロス・ジョビン、ルイス・ボンファ(「フェリシダージ(悲しみよさようなら)」「カーニバルの朝(黒いオルフェ)」)

◇キャスト:ブレノ・メロ、マルペッサ・ドーン、ロールデス・デ・オリヴィエラ、レア・ガルシア、アデマール・デ・シルヴァ、ワルデタール・デ・リーザ
*ギリシア神話のオルフェとユーリディスの挿話に基づき、ブラジルの詩人ヴィニシウス・デ・モライスが書き下ろした物語を映画化したもので、カーニバルで有名なリオ・デ・ジャネイロに舞台を移して展開する。一般公募のオール・ブラック・キャストで現代によみがえらせた、マルセル・カミュ監督の生涯を代表する傑作!1959年カンヌ映画祭グランプリ、1960年米アカデミー賞外国語映画賞を受賞、1960年ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞。「黒いオルフェ」の国内DVDはポルトガル語版とフランス語版と2種類でております。







最終更新日  2006年03月05日 10時51分26秒
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2005年07月30日

Everyday,Music from The Penguin Cafe Orchestra in the Sunday morning





「室内環境弦楽奏団風クールミント不思議サウンド……」



◇The Penguin Cafe Orchestra◇
ペンギン・カフェ・オーケストラ (The Penguin Cafe Orchestra)
イギリスの故サイモン・ジェフス Simon Jeffes(1949-1997)のプロジェクトで、70年代半ばにブライア・イーノの主催するオブスキュアレーベルからデビューして注目を集めました。
ヴァイオリン、オーボエ、ヴィオラ、チェロ、ウクレレ、アコーディオンなど、いろいろなアコースティック楽器の組み合わせで心休まる音楽を奏で、その音楽性は「室内環境弦楽奏団風クールミント不思議サウンド……」と称されていました。ミニマルなサロンミュージックともいえるかと思います。サイモン・ジェフスの音楽的好奇心はエレクトロニクス音楽、実験音楽、民族音楽にあったようですがインタビュー映像のなかでクラシック音楽への回帰をほのめかしていました...。サイモン・ジェフスが他界して数年経ちますが、この民族音楽を隠し味にした独特の不思議系サウンドの後継者はいつか現れるでしょうか?


秀逸なジャケット集をお楽しみください!
Drawing and painting by Emily Young



Simon Jeffes’s gravity-defying ensemble serves up a compilation of 19 tracks dating back to 1976. A great primer for beginners, this includes marvels of wit and construction like "Telephone & Rubber Band" and "Music for a Found Harmonium" (which is also heard here in a version by Celtic group Patrick Street). --Jeff Bateman





ペンギン・カフェ ペンギン・カフェ
そこは ぼくらの人生があるところ ほかには 何もないけれど
きみの乾きをいやすものは ちゃんと テーブルの上におかれている
きみに それを持ち上げる力があるならば
それは 自ら重さを和らげるだろう
そうすれば きみは
それを手にすることができる
もし きみに その力が無いのなら
ペンギン・カフェへ いらっしゃい
                    サイモン・ジェフス 1972.6









◇Simon Jeffes◇
リーダーの Simon Jeffes は1997年12月11日、脳腫瘍のため49歳の若さでこの世を去りました。





「MUSIC FOR A FOUND HARMONIUM」 Simon Jeffes




LD『帰ってきたペンギン・カフェ』
ロッタさんのご指摘どおり、バレエになってます。
ロイヤル・バレエ団 イザイア・ジャクソン指揮
コヴェント・ガーデン・ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団





ekato


I am Penguinist !
One more,a cup of coffee !


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<2003年10月26日 の楽天日記、補足改定いたしました。>









最終更新日  2005年07月30日 00時22分11秒
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2005年05月10日


<皆様ご無沙汰しております。公私とも忙しくなかなかUPできませんので、2003-11-18の古い日記のお蔵だしですがご覧ください。すみません!U^ェ^U >
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翼を休めに来ませんか 地球の時計がアクビして ゆっくりゆっくりが落ちて 海が暖かいこの島へ

~ネーネーズ「翼を休めに来ませんか」より~




~TINGARA「太陽の花」より~
アートワークは沖縄在住の版画家・名嘉睦稔さんです。


「沖縄病」というものがあるという。
 沖縄本島はもちろん、八重山の石垣島、竹富島、波照間島、西表島、黒島、小浜島、鳩間島、与那国島、…そして宮古諸島。



波に抱かれて 島の唄をうたえば ほろほろ 涙が こぼれおちる
ここは おくにか 波の音もなくて 叫んで みたけど 届かぬ想い

おーい おーい おーい おーい 波
おーい おーい おーい  おーい また
おーい おーい おーい おーい 波
こたえておくれ



波は よごれて 黒くなってもいいのさ この世が 朽ちても おわりはしない
いきているのなら 何か話しておくれよ おまえには このおれが みえないのかね

おーい おーい おーい おーい 波
おーい おーい おーい  おーい また
おーい おーい おーい おーい 波
こたえておくれ



(「 波 」~海の幸CDアルバム「RAINBOW ISLAND」より 作詞・作曲 どんと)
真のロック少女、小嶋さちほさん素晴らしい歌をありがとう!




三線(さんしん)と歌の島、沖縄。沖縄は歌にあふれた島です。琉球王朝時代から現代まで、沖縄の地で脈々と歌い継がれ愛され続けてきた「島唄」とは、沖縄の民謡を指す言葉です。「島唄」の根底に流れるやさしさ、温もり、祈り、そして魂のエネルギーは、多くの人々の心に届き、熱い想いを伝えます。沖縄の若い人は指笛を吹き、手を打ちならし、猛烈な勢いで踊って沖縄民謡を喜び、楽しんでいます。いまだに街に沖縄の唄が満ち溢れて、生き生きとうたが継承されている沖縄は、たいへん文化度の高い土地なのです。その唄声やリズムやメロディの裏に「民族の体臭」みたいなものが、しっかり匂っています。
「沖縄(うちなー)の心は情(なさき)、そして、歌は情を伝えること」
沖縄の音楽には基本的に二つの音階が使われています。ドレミソラの音階と、ドミファソシの音階です。特にドミファソシの音階は個性が強くインドネシアの音階に似ていると云われます。琉球音階は世界中を見渡してもなかなかお目にかかれない音階です。



「ネーネーズ」

1990年夏、沖縄音楽界のリーダー、知名定男(ちなさだお)のもとに沖縄ポップスブームを巻き起こした「ネーネーズ」は結成されました。
「ネーネー」とはウチナーグチ(沖縄口=沖縄の言葉)で「おねえさん」のこと。それぞれが島唄の名手であった古謝美佐子/吉田康子/宮里奈美子/比屋根幸乃の4人を知名定男がプロデュースする形で結成されました。沖縄の海と空を想像させる透明感のある四人の声が重なり、なんとも言えない音の温かみ深みをも醸し出します。インディーズ・ヒットとなったデビュー・アルバム『IKAWU』以後、数多くの沖縄ファンを開拓し、日本もアメリカもカリブも、みんな飲み込んでチャンプルーにしてしまうネーネーズ・サウンドのキャパシティのすごさは特筆すべきものです。2作目『ユンタ』(92年)よりメジャーに移籍。本拠地である沖縄県宜野湾市の民謡酒場「島唄」での地道な活動はもとより、国内外で多くのライヴをこなし、94年には初のヨーロッパ公演も実現させワールドワイドな成功まで果たしました。95年末に惜しむらくも古謝が抜け、翌年、當眞江里子が加入。そして99年11月14日、渋谷公会堂での「さよならコンサート」で惜しまれつつ解散した。そのときの模様は『オキナワ~メモリアル・ネーネーズ~』(00年)に収められています。



< 知名定男(ちなさだお)>
現代沖縄民謡界の重鎮・知名定男
 喜納昌吉、りんけんバンドの照屋林賢と並ぶ、現代沖縄大衆音楽のリーダー。1945年、知名定繁の子として生まれる。大阪時代から音楽的才能を認められ、57年、米軍統治下にあった沖縄へ密航し、登川誠仁の弟子となる。同年、レコーディング・デビュー(「スーキカンナー」)。若い頃から将来を嘱望されたが、それに飽き足らず78年の「バイバイ沖縄」に代表されるような批判精神を盛り込み、洋楽とのブレンドを計るなど新基軸を打ち出した。90年代以降、ネーネーズの実質的なリーダーとしても活躍、95年に再開された「琉球フェスティバル」でも総合プロデューサーを務めた。



名作『天架ける橋(あまかけるはし)』

<古謝美佐子(こじゃみさこ)>
「ヤマトの歌謡曲うたっても、どうしても島唄になるさあ」
「ロンドン、東京、パリ、NY、北海道、いろんなところへいくのは好き。でも住むのはやっぱり沖縄。ここがうちサー」
「沖縄(うちなー)の心は情(なさき)、そして、歌は情を伝えること」
と古謝は言う。

現役の島唄のシンガーとして、現役最高峰の一人とされる女性。豊かな声量、優しい歌声、人柄がにじみ出た表現のまろやかさ。そして、第1期ネーネーズを引っ張った張本人が彼女。小学4年生の時に早くも初レコーディングを果たしたという早熟で、親に頼んで津波恒徳と石原節子に教えを請うほどの熱心さだった。彼女の名を全国に知らしめたのは、オキナワチャンズの一人として参加した坂本龍一のセッション、そしてネーネーズでの活躍だった。95年、脱退しソロに。1954年、本島・嘉手納町生まれ。





『平和の琉歌』

この国が平和だと
誰が決めたの?
人の涙も乾かぬうちに

アメリカの傘の下
夢も見ました
民を見捨てた戦争の果てに

蒼いお月様が泣いております
忘れられないこともあります

愛を植えましょうこの国に
傷の癒えない人々へ
語り継がれてゆくために

この国が平和だと
誰が決めるの?
汚れ我が身の罪滅ぼしに

人として生きるのを
何故に拒むの?
隣り合わせの軍人さんよ

蒼いお月様が泣いております
未だ終らぬ過去があります

愛を植えましょうこの島へ
歌を忘れぬ人々へ

(作詞・作曲:桑田佳祐/沖縄詩:知名定男)





すべての武器を楽器に 
すべての基地を花園に  
戦争よりも祭りを  
そして  
すべての人の心に花を



「喜納昌吉、国連主催ミレニアム宗教精神指導者代表者会議スピーチ」

地球こそが人類の聖地である。覚醒した人々はそのことを勇気をもって宣言せねばならない。無限に広がる宇宙、そこに浮かぶ水色の美しい惑星、太陽から遠くもなく近くもなく、神の愛のダンスと歌に育まれし生命達の宴を、奇跡と呼ばずに何と呼ぼうか。宇宙の本質とは喜びであり至福に満たされたもので、決して不幸や争いや憎しみではない。また宇宙に開かれた知性は、空気や水、自然の恵みはこの地球の特性であって、それが無限ではないことも知る。故に人類は苦悩と目覚めによって知識と技術を分かち合い、この地球に益として返す本能を持ち合わせている。



『花~すべての人の心に花を~』 作詞・作曲 喜納昌吉

川は流れて どこどこ行くの
人も流れて どこどこ行くの
そんな 流れがつく頃には
花として 花として 咲かせてあげたい

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か
花を咲かそうよ

なみだ流れて どこどこ行くの
愛も流れて どこどこ行くの
そんな流れを このうちに
花として 花として 迎えてあげたい



泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か
花を咲かそうよ

花は花として 笑いもできる
人は人として 涙も流す
それが 自然の歌なのさ
こころの中 こころの中 花を咲かそうよ

泣きなさい 笑いなさい
いついつまでも いついつまでも
花を咲かそうよ

ekato


ロックグループ「ボガンボス」の元メンバー、どんとさん(本名・久富隆司=くどみ・たかし)は、脳出血のためハワイ島ヒロで死去した。37歳の早すぎる死でした。岐阜県大垣市出身のどんとさんは京大在学中にバンド活動をはじめ、85年にアルバムデビュー。87年ロックグループ「ボ・ガンボス」を結成した。その後、ロックバンド「ゼルダ」の元メンバー小嶋さちほさんと結婚。
95年の「ボ・ガンボス」解散後は「海が好きだから」と沖縄に移り住み、ソロ活動を続けていました。




真のロック少女、小嶋さちほさん素晴らしい歌をありがとう!




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最終更新日  2005年05月10日 00時48分17秒
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2005年01月23日
 

■中国伝統楽器の雄「二胡」の姜 建華(ジャン・ジェンホワ)■
<天上の哀歌~ASIAN DNA>



姜建華<ジャン・ジェンホワ Jiang Jian-hua>

上海生まれ。中国の伝統楽器、二胡の可能性を大きく広げた天才奏者。10歳の時に叔父から二胡を学び、13歳から海外活動を開始。ヨーロッパ、アフリカ、東南アジア等で演奏活動を行った。1974年北京中央音楽学院に入学し、安如砺、蘭玉菘に師事。
 1978年、小澤征爾が中国を訪問した際、姜建華の演奏する「二泉映月」に感動し、タングルウッド音楽祭に招いたことから一躍世界に知られることとなった。その後も小澤征爾の招きで、ボストン交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などと協演し、高度なテクニックと深い芸術性で高い評価を得た。
 1986年11月サントリーホール、1988年カザルスホール、1992年王子ホールの各オープニングコンサートに出演。1990年カーネギーホール100周年記念コンサートにて、上海交響楽団と協演。
 国内のオーケストラとはもとより、日本音楽集団との協演や、三味線奏者の本條秀太郎のコンサート・ツアー、沖縄音楽のりんけんバンド、林英哲、葉加瀬太郎、加古隆のコンサートへの参加、黒田征太郎とのライブ、シンセサイザーとの共演など、多彩な活動を続けている。
 NHKをはじめ、クラシック、邦楽の分野でのテレビ出演も多い。

 


心の琴線と直接共鳴する究極の音色。




監督: ベルナルド・ベルトルッチ
出演: ジョン・ローン/ジョアン・チェン/ピーター・オトゥール/坂本龍一


「二胡の音色には独特の哀調があり、それが人間の声に近い音色なので常に歌っているようです。また、西洋音楽が持つ様々な規律に縛られない自由な楽器で、五線紙に収まりきらないような人間の内面の動きをそのまま表現できることが魅力と言えるでしょうね。自身の演奏で気をつけていることは、二胡の音色は哀調を持っているとは言え、すべての音楽が“悲しい”訳ではないので、左手指のポジションやコントロールがうまくできないと泣き声のような音になることも。なので音楽性と楽器の特色のバランス感覚も大切だと思います。そうしたことに気をつけることによって普遍的な広く親しまれる楽器として使われる時代も到来すると思います。私はこれまで本條秀太郎さん、りんけんバンド、林英哲さん、葉加瀬太郎さん、加古隆さんらと共演する機会を得ました。今後もジャンル問わず、魅力あるアーティストの方と共演したいですし、近・現代曲にも挑戦したいですね」



傑作!『故郷熱情』
演奏:ジャン・ジェンホワ(二胡)、上海交響楽団、平和飯店バンド、ほか
1. 黄昏のワルツ
2. インドの歌~オペラ「サトコ」より
3. 北の国から
4. 鳥の歌
5. 恋のアランフェス
6. リベルタンゴ
7. レフト・アローン
8. 慕情
9. 大河の一滴
10. オンブラ・マイ・フ~オペラ「セルセ」より
11. ダッタン人の踊り~オペラ「イーゴリ公」より
12. アイ・リメンバー・クリフォード



【出 演】
(二胡)姜 健華(中国琵琶)楊 宝山(馬頭琴)チ・ブルグト(ピアノ)長尾博子



シルクロードアンサンブル天才二胡奏者「姜健華」さんを迎えての中国古楽器の演奏会がこの日、栃木県石橋町グリムの館多目的ホールで催されました。このコンサートは、姜さんの二胡、チ・ブルグトさんによる馬頭琴、楊宝元さんによる中国琵琶、それに長尾博子さんのピアノという編成で、中国から日本の歌、クラシックまで豊かな音色で感動のコンサートとなりました。1978年、中国訪問の際、姜建華の演奏する"二泉映月"に感動し涙した指揮者、小澤征爾氏から、高度なテクニックと深い芸術性の両面で高い評価を得ている第一人者ですね。二胡は地方都市でもとても人気があるようで3年ほど前にニ胡奏者、楊興新(ヤンシンシン)さんのチケット完売で観に行けなかったこともあり、とても残念な思いをしました。チェンミンさんのコンサートには行きましたがニューウェイヴ?過ぎて満足できませんでした。映画「ラストエンペラー」でテーマを弾いている姜建華(ジャン・ジュンホワ)さんとニ胡という楽器の存在を知って以来今日の日を心待ちにしてました。



 この日のジャンさん艶やかなオレンジのラメ入りのチャイナ服、笑顔が素晴らしく美しい。一挙に場が華やぎます。民族衣装を着た四人の入場時に皮の匂いがして、一瞬にして中国大陸の広大な原野やモンゴルの草原をイメージしました。
 中国人は世界の音楽を自国の民族楽器で演奏するのが好きで、世界中の有名な曲をニ胡や琵琶や古箏で演奏したCDも多く耳にします。こうした中国人のグローバルな感覚は、中国楽器の近代化に大いに貢献し、近代演奏法に大きな影響を与えたとされているのも頷けるところです。この日も、バイオリンでも難しい曲「チャルダッシュ」や「カルメン」を優雅な音色で堂々と演奏し、二胡がどれだけ豊かな表現力を持っているかを存分に見せつけられました。
 中国琵琶の楊宝山(ダンナ様)や馬頭琴のチ・ブルグトさんの中国人特有のなまりのある日本語での解説付のソロ演奏も楽しく、鶯の声や疾走する競馬の模写なども生で観る事が出来、中国の楽器の奥深さにしばしうっとり・・・。
たった2本の弦と弓から無限大の音色が奏でられるのは何とも不思議。ジャンさんの奏でるニ胡の憂いを含んだ豊かな音色は桁外れにイメージの喚起力が凄いです。有名な「ラストエンペラー」や「蘇州夜曲」などの演奏も聴くことができ、みんな大満足でした!日本の民謡、童謡を二胡で演奏はニ胡にはあまりに合いすぎてありがちなものでしょうが、ジャンさんの深い音色には日本人の心まで知り尽くした一人の中国人演奏家の想いが込められ日本の歌を二胡で歌い上げています。もしかしたら日本人以上に日本的かもしれない。その音色を聴いただけでたまらなく郷愁に誘われるのは、アジア民族だけがもつDNAに響くからであろうか……。



 アンコールの「地上の星」「冬のソナタ」も素晴らしく盛り上がり本日の白眉ともいえる「北の国から」では感動のあまり涙を流す方が多かったです。私も含めて....。 現在ジャンさんは高崎芸術短期大学客員教授を務めていらっしゃるそうです。また、多数の交響楽団、アーティスト達との協演、テレビ出演、CD作成等、幅広く活躍中である。






<二胡演奏:陳 敏(チェンミン)>

「彼女の中から溢れ出る歌は、単なるエキゾティズムではなく、同じ東洋人としての魂の奧深くに、一条の光を射してくれた。」-葉加瀬太郎(アルバムから)



<二胡演奏:楊 興新(ヤンシンシン)>

 「津軽三味線、尺八、あるいは書の文字のかすれなど、中国とは違ったものが日本には有る。そのくずし方にびっくりした。その物のまるまるの音、形ではなく、うまく強弱やかすれをつけ、自分の心の内の情景を表現している…」(楊興新(ヤンシンシン)さんは現在、日本で活動を続けている)。



ekato

中国伝統の楽器「京胡」の呉汝俊(ウー・ルーチン)も観てみたいです。!U^ェ^U











最終更新日  2005年01月23日 18時44分11秒
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2005年01月22日
~星めぐりのウタ(作詞・作曲 宮沢賢治)~
~えま(二胡)&慧奏(エソウ)「天(あめ)と土(つち)」のうた~


「星めぐりのうた」
作詞・作曲 宮沢賢治

あかいめだまの さそり
ひろげた 鷲のつばさ
あをいめだまの 小いぬ
ひかりの へびのとぐろ
オリオンは高くうたひ
つゆと しもとを おとす

アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち
大ぐまの あしをきたに
五つ のばしたところ
小熊の ひたいのうへは
そらのめぐりの めあて


kenji

宮沢賢治の処女作童話「双子の星」に収録


「天から舞い降りるような、或いは、海の底から湧き出てくるような“声”」と称される、類い稀なるヴォーカリストえまさんが歌う「星めぐりのうた」は、音楽やアートが我々が生きていく上において、とても重要な役割を負っている事を再認識させてくれる素晴らしい音楽です。私は、賢治の宇宙観をこれほどまでに深い祈りに満ちた音で表現された「うた」はこれまでに聴いた事はありませんでした。彼らの音楽には私達が、地球というひとつの生命体の中に抱かれて、日々生かされていると言う事を実感させてくれます。心を優しく包む「えま」の歌声はもう必聴です!
ピアノと二胡と声だけで奏でられるネオ・ネイティブな音世界は、『あめつちのうた』をキーワードに“普遍なるもの”が音のひとつひとつに息づき、「いのちの営みが感じられる音楽」としてEarth Music というコンセプトを提唱しています。
 




えま&慧奏(Ema&Esoh)
えま - 二胡、ボーカル / 慧奏 - ピアノ、民族打楽器、ヴォイス etc...伝説のユニット「風の楽団」にも参加。
無国籍な民族楽器アンサンブルを基に、「天(あめ)と土(つち)」を結ぶ独自なうたの世界を生み出している。誰もが感じる命の不思議を音楽を通して見つめ、流れに身をまかせながら、ネオ・ネイティブな音世界を巡る旅を続けている。(HPより)

<参考文献>

kenji

『賢治の音楽室』(小学館)
【CD付】作曲:宮沢賢治 編曲・指揮:林光 朗読:吉増剛造

宮沢賢治は音楽家でもあった。賢治の作詞作曲の全作品を林光が編曲、指揮。演奏は日本語によるオペラ劇団として著名な「こんにゃく座」のメンバー。朗読は吉増剛造。今明らかになる音楽家・宮沢賢治の全貌。



賢治の童話の3分の1に歌が入っている。賢治の音楽性が自然に歌わせているのである。この世に存在するもの全てと交感・共生できる、歌わずにいられないものの内側に潜む歌心を感じとれる賢治文学の豊かな音楽性とその魅力。



えま&慧奏幻の1st「あめつちのうた」




えま&慧奏のうたものとして産まれた、記念すべき第一作目『いつか、また』は1stでカリンバ、2ndでは揚琴の演奏で録音されましたが3rdではピアノヴァージョンで歌われています。なんと成長するウタなんですね!この事って凄いことですよね!
えまさん曰く.......
 「この曲は、本当に付き合いも長く、深く、あめつちのうたのテーマソングと言っても過言ではありません。 一枚アルバムを創るごとに歌詞も生まれ変わる、成長するウタとして歳月を共にしてきました。
どうやってできたウタなのか・・・それは、実際に『いつか、また』を夢の中で自分が唄っていたのを聴き、そして目が覚めて、 「今の曲、いいんじゃないかな・・・」と覚えてたものを書きおこしたのが現実に形となったのです。とても不思議なウタとの出会いです。
歌い始めたころはよくわからなかった言葉の意味が、このごろは何をイメージしているのかが、少しはわかるようになりました。何処からか誰からか、輪廻・生と死・いのちの循環を、偶然出逢った旅人にでも語るような口調で伝えられたウタ、そんな感じがするのです。

う~ん、それは一体、誰から・・・?
そのこたえは、いつか また、わかる時がくるのでしょうか。」




えま&慧奏「アメツチのウタ」
自由な感性でうたを産み出し、従来のスタイルにはまらないヴォーカリスト「えま」と、 民族打楽器・ピアノをメインに、オーバートーンや先住民族のスピリチュアルな伝統楽器・自然素材のオリジナル楽器を操る「慧奏」が、 生きとし生けるものすべてへの愛をこめてうたい奏でる。(HPより)




えま&慧奏「あめつちのうた」
えま&慧奏3枚目の「あめつちのうた」。天から舞い降りるような"声"と称されるヴォーカリストであり二胡奏者の「えま」と、ピアノをメインに民族打楽器など様々な楽器を操る「慧奏」。今回は特に“生と死”を見つめ、祈り奏でる。
「アルバムコンセプトは、タイトル通り『あめつちのうた』です。
天と地、陰と陽。相反するものに揺り動かされながら私達は存在します。今回は特に“生と死”を見つめ、サウンドデザインしました。大小様々な戦争や紛争が未だ絶えることのないこの地球上にあって、手の届かぬ痛み、悲しみの癒えん事を強く願わずにおれません。もっとやすらかな死を・・・もっとまばゆい生を・・・調和のうちにイノチがまっとうされんことを・・・。
」(HPより)




えま&慧奏「ははうた」~「星めぐりのウタ」収録盤!
えま&慧奏オリジナルの「ははうた」を含め童謡を中心とした8曲。 遠い昔の潜在する記憶にやさしく語りかけます。 心に深く・深く・深く染みこむ2人の演奏をぜひお聴き下さい。(HPより)


ekato
When You Wish Upon a Star.

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最終更新日  2005年01月23日 11時13分38秒
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2004年12月29日



ryuuchan



鼓童「Mondo Head(モンド・ヘッド)」

○o。彼方より聞こえたるもの-林英哲o○





◇コンサートツアー 2004.12.11「われに羽賜べ」益子公演◇

■林 英哲(太鼓)■



■クリストファー・ハーディ(パーカッション)■新谷祥子(パーカッション)■
■土井啓輔(尺八)■英哲風雲の会(英哲自身が全国の若手太鼓打ちより選抜して結成したグループ) 上田秀一郎、木村優一(太鼓)■

和太鼓と世界各地の民族打楽器のコラボレーション!
会場の益子町民会館は指定席・立見席とも前売りの段階で完売とのことで、始まる前から期待で観客のボルテージは高まっていました。英哲さん益子町とは縁が深く四度目の公演で、子供からお年寄りまで二度目三度目という方が多かったようです。一度でも生演奏観た方は当然なり!(シャケ語録ヨリ)
和太鼓特有の体の底から響き渡るようなビートが、日本的でありながらどこか日本的でない-形にとらわれない不思議なムードを織りなしていきます。一部では世界でも類を見ない新時代のパーカッション・デュオ、ハーディ夫妻と和太鼓、尺八のセッションはジャンル内におさまりきらないあらゆるものを超越した超絶インプロヴィゼーションを繰り広げ、新谷祥子のマリンバの凄まじい演奏に場内ヒートアップ!珍しい世界各地の民族打楽器を駆使したクリエティブな音楽が変幻自在に繰り広げられ密度の高いステージが展開されました。
第二部の太鼓組曲「われに羽賜べ」は風雲の会(上田秀一郎、小泉謙一、はせみきた、服部博之)の躍動する姿がみられ観衆はますますヒートアップ!和太鼓の音に混在する繊細さとダイナミズムを巧みに使い分け、伝統とジャンルを越えた独創性の強い演奏を展開!高い精神性と多彩なイマジネーションを想起させる英哲ワールドが繰り広げられました。終演後、皆一様に「凄かった!」と嬉しそうに顔を見合わせています。私も衝撃と感動で余韻に浸ってしまい座席からしばらく立ち上がれませんでした。U^ェ^U



「国内最大級の益子焼太鼓」

 益子町民会館で12月26日午後6時30からオリジナル太鼓曲「益子(ましこ)天人(てんじん)」の発表会が開かれました。町制施行50周年を記念して制作された益子焼の陶製太鼓、大小25個の初演奏で、世界的な和太鼓奏者・林英哲さんが益子町のために作ったもので林さんの特別出演で初演されました。林さんは益子町とは、同町の西明寺(坂東三十三札所の第二十番札所)の境内で、秋の彼岸などに行われている地元の権現太鼓衆の和太鼓演奏会場での交流などを通じた縁があり、陶太鼓は今年二月、益子を訪れた林さんから「土(陶太鼓)は、いい音が出ますよ」とのアドバイスを受け、制作したもの。
 なかでも陶製大太鼓は、胴の部分を益子焼で制作。直径約90センチ、約200キロで国内最大級。陶製大太鼓は、益子焼の人間国宝・島岡達三さんが総監修して太鼓愛好の陶芸家藤原郁三、松崎健さんらが制作。彫刻象眼も施された。演奏には、町の太鼓衆「天人疾風(てんじんかぜ)の会」が、つぼ太鼓(直径約45センチ)四個、手持ち太鼓(同約24センチ)20個の計25個が使用された。

「益子天人」は「土の音」、「炎(ひ)の音」、「疾風(かぜ)の音」の三部構成で演奏され勇壮な響きがこだました。「声明と六大響」という真言宗の僧侶8人の声明もありました。



『きっと我々は 血の中に 生命の何万年ぶんもの 記憶の音を 留めているのだ 太鼓は そのいちばん始めの音かもしれない』



『雨が降ってほしい 日が照ってほしい 思いを届けてほしい その原初の祈りの瞬間が 太鼓を打っている最中に 訪れる時がある』



『たぶんずっと 太鼓が何か 「わからない」ままで 生きていくのだろう 生きているというのは 本当に不思議なことだ』



『太鼓が何か というのは 本当を言えば 「わからない」 どうしてここまで やってきたのか ということも「わからない」』




■林 英哲 /和太鼓■
1952年 広島県生まれ。
 『佐渡國・鬼太鼓座』『鼓童』の創設以来のトッププレーヤーとして11年間活動後、独立。1984年には初の和太鼓ソリストとしてオーケストラ作品でカーネギーホールデビュー。以来、かつての日本の伝統にはなかったテクニックと体力を要する大太鼓ソロ奏法の創造、多種多様な太鼓群を用いた独自奏法の創作など、まったく新しい様式を伴った音楽的な試みをつぎつぎと行い、パイオニアとして多彩なコンサート活動を国の内外で展開。ジャズ、ロック、各国の民族音楽との共演や、ダンス、舞踏、アート・パフォーマンスとのコラボレーションなど、ジャンルを超えた世界のアーティストとも意欲的に交流し、世界に向けて日本から発信する新しい音楽としての太鼓の創造に取り組んでいる。また、国内各地のイベント等でプロデューサーとしての仕事や、映画、演劇、CM、創作太鼓のための委嘱作品などの作曲、指導も多数。エッセイ等の執筆も多く、著書に「あしたの太鼓打ちへ」などがある。
 こうしたこれまでの多彩な演奏・創作活動が評価され、1997年には第47回芸術選奨文部大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。また2000年春より国立三重大学の客員教授を務める。
 近年では、現代音楽の分野でも前例のない和太鼓ソリストとして国際的に高い評価を得ている。特に2000年6月には、ベルリンフィルの恒例の野外コンサート「ヴァルトビューネ・サマーコンサート」で、ケント・ナガノ指揮による「飛天遊」にソリストとして参加、圧倒的な迫力で2万を越える聴衆を魅了した。
(林英哲HPより<http://www.eitetsu.net/>)



「大太鼓は1本の木をくり抜いたものです。胴の薄い、紐で締めるのが締め太鼓、胴のないのがうちわ太鼓。桶のような構造になっているのが桶胴太鼓です」



大太鼓が「ドーン、ドーン」とホールを揺るがす。オーケストラが持続低音のよう
にゆるやかな音を奏でる。幾組かの小太鼓が軽く高く響き、かと思うと太鼓の縁が
「コンコン」と鳴る。もう始まる前から私の頭の中には”音”が聴こえている.....。



「英哲はただ太鼓に向かう。ただただ撃ち続ける。名付けようもない一撃一撃の音。その響きはひととき宇宙を駆け巡りそして余韻となる。」(伊勢真一監督)



林英哲のステージでは、よく見かけるタイプの和太鼓だけでなく、桶胴太鼓、締め太鼓、団扇(うちわ)太鼓など、独特のスタイルとサイズの太鼓が用いられ空気のゆらぎまでが音色の一部であるような太鼓の響きを変幻自在で迫力に満ちた演奏の素晴らしさは世界にも類を見ない。
前人未到の境地に立つ世界の太鼓奏者・林英哲。



太鼓というジャンルの枠に捕われず、独自の音楽表現で、世界に和太鼓を知らしめた第一人者。高度なテクニックと体力が必要な大太鼓ソロ奏者として多彩な活動を展開。2001年には演奏活動30周年、2002年にはソロ活動20周年を迎えている雲上の天才奏者。



林英哲の優れた職人のような独特の存在感に魅かれ、彼の”音”を追いかけてきました。洋楽一辺倒でジャーマン・プログレのクラウス・シュルツやタンジェリン・ドリームのコレクターで30年も聴き続けてきました。が、1991年に林英哲の”音”を知り、その次々に繰り出される名付けようもない一撃一撃の”音”に驚愕しました。彼の太鼓の”音”には祭り太鼓のような郷愁の”音”は微塵も感じたことはありません。ステージで鬼と化して太鼓を叩く彼の連打で会場は沸騰してゆきます。正に音浴!時には現代音楽として、時には太鼓系テクノとして....、でも太鼓の音は”いのちの音”です。たたき出されるリズムは”いのちのリズム”なんだと思います。目の前にいのちがあって、自分がそれに感応している。魂が呼応してゆく快感!これ以上の至福の時なんてなかなかないんじゃないでしょうか。



「Ken-Kon」with 山下洋輔

『大太鼓は映画「2001年宇宙の旅」のモノリスの様に屹立し、それに立ち向かう人間を待っている。立ち向かう人類の代表として林英哲がそこに立っているという気がしてくる。(山下洋輔)』






最終更新日  2005年01月01日 00時08分51秒
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2004年12月28日



鼓童「Mondo Head(モンド・ヘッド)」

○o。彼方より聞こえたるもの-林英哲o○






85年に「千年の寡黙」を発表し、87年には「風の宴」、93年には「海響」、同年、
松下功作曲「飛天遊」、94年「千人響海山」、95年新実徳英作曲「風神・雷神」、96年「火の道」、98年「万零」、99年「若冲の翼」、2001年「澪の蓮」とレパートリーを広げている。84年ごろから始まっていた海外公演も、レパートリーの広がりに合わせるように89年ごろから一段と増えている。
「世界中に和太鼓ファンがいますし、演奏グループも世界各地にあります。アメリカだけでも100を超えるグループがあるそうです」



おんでこ座 (後に鬼太鼓座と改称したが読みは同じ) の合宿訓練は、冬でも裸、
裸足で20キロ以上も駆け足するという厳しさだった。しかもテレビ、新聞、ラジオなど外界の情報も禁止され、給料も自由行動もない生活が続いた。その音楽活動が国内でも海外でも高く評価されていたにもかかわらず、リーダーの独裁的な態度が激しくなり、無理な運営からついに鬼太鼓座は崩壊、英哲はほかの団員とともに自ら名付け親となった「鼓童」を結成、1年間グループを指揮した後、佐渡を離れた。1982年のことであった。

-----◇-----

◇マラソン訓練を中心に独特の集団生活をする「佐渡國・鬼太鼓座」◇
走り、叩き、舞う。
「走る」ことと「音楽」とは一体であり、それは人生のドラマとエネルギーの反映だという鬼太鼓座独自の「走楽論」。亡き田耕(でん · たがやす)代表の構想のもとに集まった若者達により佐渡で結成。 1975年、アメリカのボストンマラソン完走後、そのまま舞台に駆け登り、三尺八寸の大太鼓を演奏するという衝撃的なデビューを飾る。
鬼太鼓座(おんでこざ)現在は静岡県富士市、富士山のふもとにて合宿生活をし、国内外にて幅広く活動中。








美人座長 高久保康子さん~お元気でしょうか?



-----◇鼓童◇-----

太鼓を中心とした伝統的な音楽芸能に無限の可能性を見いだし、現代への再創造を試みる集団。「鼓童」とは、人間にとって基本的なリズム、心臓の「鼓動」から音をとった名前ですが、それは大太鼓の響きが母親の胎内で聞いた最初の音、心臓の鼓動につながることからきたものです。そしてそこには、「童」のように何ものにもとらわれることなく、無心に太鼓をたたいていきたいという願いがこめられています。








「1995年ギリシャ・パルテノン神殿麓のヘロデオン野外音楽堂公演」




◇もう一人の天才!木乃下真市(木下伸市)◇

「津軽三味線というのは一種の太鼓(打楽器)でもあるし、僕自身、津軽三味線のフレーズが体に入っていることもあって、彼との共演は毎日、阿吽の呼吸の応酬バトルとなる。」(林英哲)






「千僧音曼荼羅 BUDDHIST MUSIC with 1000 shomyo Voices」

■真言宗豊山派の僧侶1000人/佐藤允彦/林英哲/一噌幸弘/中川昌三/他

日本音楽の原点とも言われる仏教音楽、声明。本作には、1993年3月に日本武道館にて行われたスーパー・サウンド・スペクタクル「千僧音曼荼羅」の模様を収録。真言宗豊山派の僧侶1000人に加え、ジャズ界からはピアニストの佐藤允彦やサックスの梅津和時、クラシック界からはフルートの中川昌三、邦楽界からは和太鼓の林英哲や能管・龍笛の一噌幸弘など豪華な顔ぶれが集結。僧達が唱和する声明と一流ミュージシャンたちの比類無きアンサンブルと荘厳な舞台の様子を、8台のカメラを駆使して収録している。

ekato

「私走(シワス)」









最終更新日  2004年12月29日 22時36分11秒
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