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2007年11月06日
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暮秋の名宴!木村俊介ライブ ~音象~@幾何楽堂
★2007-11-4 (日)★
●木村俊介〈笛・能管・津軽三〉/池上眞吾〈箏〉/西田ひろみ〈Vn〉/池田安友子〈Pc・Mrb・カホン〉




●木村俊介●
和楽器奏者(笛・三味線・能管・他)として活動する一方、作曲・編曲を行う。自作曲によるコンサート活動では、心象風景や心の動きをモチーフとした断章的音楽で独自の世界を展開している。 また、日本各地の神楽や祭礼を取材して歩き、その中の旋法・リズムなどを取り入れた新しい音楽を創造している。



’02 第2回ADD 三味線コンテスト・グランプリ受賞(弘前)
’05 作品集CD「音象」をリリース。
’06 アメリカ・カナダ・韓国・イギリス・ネパールなどで演奏。
「和の音・コンサートツアー」(オーストラリア3都市)
「Nepal Japan Friendship Eve」(カトマンズ)等世界を股にかける。

’06~’07 坂東玉三郎演出・出演、鼓童「アマテラス」(京都南座・歌舞伎座他)に楽曲・詞を提供。



2005年10月にオリジナルソロアルバム「音象(いんしょう)─木村俊介作品集」をリリース。

懐かしいぬくもりを感じさせる木村俊介の音世界!誰もが持っている心象風景を邦楽器によるオリジナル作品で奏でる木村俊介の1stアルバム。数多くのライブ経験とさまざまなアーチストの共演から生まれた100曲を越す作品から厳選した10曲を収録。
●木村俊介〈笛・能管・津軽三〉/池上眞吾〈箏〉/帯名久仁子〈胡・17〉/西田ひろみ〈Vn〉/那須律子〈Mrb・カホン〉/渡辺亮〈Pc〉

●収録曲●
埋み火/灼けたアスファルトの道を/ゆらぎ/あわひ/新撰組/遠い雷/海へ/眩夜行路/糸/夜想〈以上木村俊介〉



木村俊介(笛・津軽三味線)



<第一部 15:00 START>

【ゲスト】
池上眞吾(箏)
西田ひろみ(バイオリン)
池田安友子(パーカッション)



<第二部 16:00 START>
早午後4時を回ると急激に冷え込み、刻々と暮れなずんでいく幾何楽堂。
空気が冷たく澄んでクリアな空間に笛・三味線・箏の奏でる和の音色と旋律に西洋のヴァイオリンと多彩なパーカッションが生み出す様々なリズムが自由自在に絡み合う。





「季節の変わり目の風の香に、夕暮れ時の子ども達の声に、祭りの宵の色彩の渦に、言葉にならない想いが胸を満たす瞬間があります。音を通してそんな瞬間が創りだせたら、遠い記憶や心象風景を描いていただけたら、という想いで曲を創ってみました・・・」



池田安友子(パーカッション)




大阪芸術大学演奏学科打楽器専攻卒業。奥村隆雄氏、細田真平氏の両氏に師事。クラシック音楽や打楽器アンサンブルや現代音楽に傾倒しつつオーケストラや吹奏楽のエキストラをぼちぼちやってた頃、たまたまジェンベと出会い、その音色の深さとエネルギーの強さに衝撃を受ける。早速心斎橋にある楽器屋「タムタムカンパニー」の横沢道治氏にジェンベ・コンガの手ほどきを受ける。現在、フリーパーカッショニストとして、ライブ活動のほか、邦楽楽器やスティールパン、中国琵琶との共演やレコーディング参加、小・中・高校のクラブ指導や、音楽鑑賞会など、ジャンルを問わず関西を中心に活動中。ストックホルムジャズフェスティバルや、ロチェスタージャズフェスティバルなど、海外公演も多数参加。



<参加バンド・ユニット・サポートバンド>
Diez Puntos・port of call・三田村管打団?・
Beat JACK・Westerners・bug four・真依子・
あかね葉・絲管打座・cause and effect・
Chick・Ajara・キヨタツトム・土居康宏・
丸山茂樹・うたたね・みんなげんき・
バイラコンディオス・TAC・サキタハヂメ・
Luz fonte・Arco-Iris・李浩麗・新井深絵
…  etc.





池上眞吾(箏)



筝、十七絃、三絃奏者/作曲家

幼少より両親のもとで筝の手ほどきを受け、斎藤牧子、内田克子に師事。89年東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業。93年NHK邦楽オーディション合格。アジア音楽会、宮城箏カンパニー・ハワイ公演(91年)、文化庁使節団トルコ遠征参加(94年)、東京インターアーツ・ハノーバー・ベルリン公演(96年)、同シドニー公演(97年)、日中友好"琴"コンサート(2000年)など、世界各国でのコンサート活動を行う。95年から女子美術大学筝曲部講師をつとめる。CD作品として「三絃茶屋」(94年バンブーレコード)、「OCTET」(95年・同)、「五臓六腑」(98年・同)など。テレビ・ラジオ出演も行う。真樹の会主宰。現在、和楽器を使った様々なライブ活動、作曲・編曲、また執筆活動や各地での講演、コンクール審査員なども積極的に行っている。オリジナル曲は公刊譜化され、数多く演奏されている。







西田ひろみ&冷水ひとみの微分音ポップグループ「シジジーズ」




上野学園大学器楽学科にて、西洋のヴァイオリン奏法と音楽を修める。1995年-1998年、エジプト留学。ヌビアのウード奏者ハムザ・エルディンにウード奏法、エジプトのヴァイオリン奏者アブド・ダギールにエジプト楽派のヴァイオリン奏法と音楽理論を師事。85年に冷水ひとみと微分音ポップグループ「シジジーズ」を結成、CD"43DPO" (90年CAFE disc), "SUMO" (95年・同)等を録音。ハムザ・エルディンCD「ムワシャー」(95年JVC)、モダンチョキチョキズ2nd CD、ムハンマド・ムニールCD「アル・アローン」等に参加。96年からエジブトのSharkiatメンバー、97年からアブド・ダギール・アンサンブル、及びムハンマド・ムニール・アンサンブルのメンバーとしてカイロを本拠地に活動。現在は東京で活動中。好きな食べ物 辛いもの、酒。料理が好き、塩に関心がある。自然療法を好む。







11月3日(土)~7日(水) 襤褸(古布)の収集と作品展
OPEN 10:00am~6:00pm<11月4日(日)は、木村俊介ライブのため休み>

30点を超える襤褸(古布)のコレクション。博物館でも見られない代物。更に約80点の作品。襤褸(らんる)の杉浦和子さんが、9月初旬に日光にやってきた。今回は打ち合わせ。わずか1分で終了。予想通り 杉浦さんの明るさとパワーは半端じゃない。いやそれ以上かもしれない。
作品の創り方とものの考え方、これだけ似ている人は今まで会ったことがない。杉浦さんは日本中で活躍の場を広げ、杉浦さんにしか扱えない生地が集まってくる。全てを引き寄せる力。これも自然の法則。
これらを幾何楽堂に飾る。あまりにも豪快すぎる!





二部はなんと皆さんお色直しで登場!衣装は幾何楽堂で開催中の襤褸(らんる)の杉浦和子さんの作品です。なんと驚いた事に、木村俊介さんの衣装を杉浦和子さんが提供していた。木村さんの話をしたときの杉浦さんの驚いた顔。そんな奇跡のようなことがあってよいものなのか。また繋がってしまった。これだけ忙しいお二人が会うことすら大変なのに・・・。全く違う方向から入り、同じ時期に幾何楽堂で発表する。恐るべし幾何楽堂!















最後は特別ゲストの柚山明子(ゆやまあきこ)さんのわらべ唄。



【柚山明子(ゆやまあきこ)さんの紹介】
国分寺市日吉町在住。音大を卒業後、ピアノや声楽を教える。
幼児期の音楽指導に『わらべうた』を取り入れて、22年間にわたり子ども達やお母さんたちに伝承しています。懐かしくて心地よい、やわらかな歌声が心に響きます。





木村俊介さんの端正な風貌に優しいお人柄、凛として音楽に向き合う姿はとても美しく、彼の紡ぎだす音の心象風景=音象(いんしょう)は、独自の世界を展開しています。正に品格を感じさせる暮秋の名演・名宴でありました。






最終更新日  2007年11月08日 09時59分43秒
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2007年06月10日
 
○o。女ディランと呼ばれた女!中山ラビ■前編■ 。o○



「ディランの歌とか、ビート派の詩とか、私のまったく知らない世界をぱっと見せてくれたの。すごくカルチャーショックだった。何かよく分からないまま、恋に突っ込んでいった」(中山ラビ 特集【OnGen Music Lounge】より)



「人は少しづつ変わる」(中山ラビ)

人は少しづつ変わる これはたしかでしょう
私を育てた季節が 変わるよに
春には芽がふいて 夏にはこんもりみどり濃く
秋は枯葉舞い 冬は化石のよう
そして あなたの心も変わったね
石のように冷たいのです

人は少しづつ変わる これはたしかでしょう
ふたりが建てた家が 変わるよに
きしむタタミの裏表 にぎやかな茶の間
つぎはぎの窓ガラス 雨漏りのトタン屋根
そして あなたの心も変わったね
訪れる人も とだえたのです

人は少しづつ変わる これはたしかでしょう
月にうつす川が 変わるよに
道ばたに水がわき 岩をまわって流れ
よどみは泡立ち ひでりの川原
そして あなたの心も変わったね



「ボブ・ディランは高校の先生が授業で聞かせてくれた。衝撃だった。今まで聞いたことのない歌で、自分のことをちゃんと歌っている人だと思った。ビートルズの来日公演とかも見に行ってるんですけど、そんなにのめりこまなかった。この後、岡林信康を聞いて、ディラン以上の衝撃を受けるんです。なんせ日本語で歌ってるし」(中山ラビ 特集【OnGen Music Lounge】より)



1969年8月、最後のフォーク・キャンプ・コンサートが円山公園音楽堂(京都市東山区)で開かれた。このコンサートに東京から駆けつけ、初参加したのが、女性シンガーソングライターの草分け的存在とされる中山ラビ。日本語に訳されたボブ・ディランの歌などを披露した。東京の高校卒業後中山容氏を追って京都に移り住み、関西のフォークソングコンサートの常連として活躍、岡林信康、加川良等と京都でフォークを歌っていた。ディランのものを中山容の詞でよくうたい、硬派の女性シンガーソングライターとして注目される。中山と言う名前は中山容さんからのもの。



<BLOWIN'IN THE WIND /風に吹かれて>

どれだけ道をあるいたら
一人前の男としてみとめられるのか?
いくつの海をとびこえたら 白いハトは
砂でやすらぐことができるのか?
何回弾丸の雨がふったなら
武器は永遠に禁止されるのか?
そのこたえは、友よ、風に舞っている
こたえは風に舞っている

何度見上げたら
青い空が見えるのか?
いくつの耳をつけたら偽善者は
民衆の叫びがきこえるのか?
何人が死んだら わかるのか
あまりにも多く死にすぎたと?
そのこたえは、友よ、風に舞っている
こたえは風に舞っている

幾年月 山は存在しつづけるのか
海に洗い流されてしまう前に?
幾年月 ある種のひとびとは存在しつづけるのか
自由をゆるされるまでに?
何度ひとは顔をそむけ
見ないふりをしつづけるのか?
そのこたえは、友よ、風に舞っている

こたえは風に舞っている




これはボブ・ディランが1963年に発表したセカンドアルバム「フリーホイーリン」で、21歳のディランが当時の恋人スージー・ロトロと冬のグリニッジビレッジ西4丁目を歩く姿を撮影した写真です。

  

『ボブ・ディラン全詩集/1974年版』・『ボブ・ディラン全詩302篇/1993年版』片桐ユズル・中山容 訳

<中山 容>
1931~1997 翻訳家、詩人。所謂「関西フォーク」と呼ばれた、民衆の歌としてのフォークムーブメントの意志を熱心に説き、日本におけるフォークソング運動の陰の立役者のひとりだった。晶文社からオルタナティブなフィクション、ノンフィクションを多数、翻訳し、(『よい戦争』『仕事!』『ホーボー アメリカの放浪者たち』『就職しないで生きるには』)また、片桐ユズルと二人で、ボブ・ディランの全作品の訳詞集を完成させ、中山ラビをはじめとするフォークシンガーたちに提供したことで知られる。米国の「ビート詩人(Beatnik)」達による自作詩朗読運動の影響を受け、有名な「ビート詩人」達の詩を翻訳したり、また日本で朗読会を企画したりしていた。自身も詩を書く詩人でもあった。

  

1972年、ポリドールよりアルバム「私ってこんな」(細野晴臣・林立夫・岡林信康という豪華なアーティストが参加)にてデビュー以来、「ラビ ひらひら」(1974年)、「ラビ 女です」(1975年)など、名盤と呼ばれる作品を次々にリリース。 “トランザム”をバック に全国25本のコンサートツァーをこなすなど、発表する作品はもちろん、意欲的なライブ活動においても熱狂的なファンに支持される。永遠性、普遍性を持った数々の作品は当時の音楽シーンにおいて高い評価を受けた。
以降、加藤和彦をプロデューサーに迎えた「MUZAN」(1982年キティ)「SUKI」(1983年キティ)「甘い薬を口にふくんで」(1983年キティ<イタリア・ローマ録音>)など注目作品を発表すると同時に、桃井かおり、梅沢富美男、増田けい子、桂木良子などのアーティストにも楽曲を提供し話題となる。



ラビをビッグネームに、、、と、加藤和彦のプロデュースのもと、今迄のイメージを大きく変えるためスタイリスト、メイキャップアーティストをたて女流カメラマンによるジャケット撮影を行ったり、朝倉摂演出のPARCO劇場でのコンサートや、イタリア録音など大掛かりなプロジェクトが実現されたが、結果がついてこなかった。ラビも後戻り出来なかったのだろうか、歌う事をやめた。1987年11枚目のアルバムとなた「BALANCIN'」(CBSソニー)を発表直後、活動を停止、長期に渡る活動休止期間に入る。



「挫折したのよ。何の未練もなく、きっちりやめた。やり切ってはないけど、激動の時代、せいいっぱい生きたもの。それが、10年くらいたって、自分が歌うきっかけになった中山容さんが亡くなって、追悼会で1曲歌わざるをえない状況になって、周りから‘昔よりいいじゃない’って言われて・・・。自分でも、アラ、いいじゃないって(笑)。また時代が変わったなって、歌って感じたの。80年代って、私みたいな歌って、逆に現実感がなかったのよ。 挫折があっての今、頭に身体がついたって気がする。今、やっと自 分の歌になったんだって思う」(中山ラビ 特集【OnGen Music Lounge】より)



そして97年、彼女に絶大な影響を与えて来た詩人中山容の死去。その追悼コンサートに姿を現わした。

女ディランと呼ばれた女!中山ラビ■後編■は前のページ(6/9)にあります。






最終更新日  2007年06月10日 11時06分00秒
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2007年06月09日
 
○o。女ディランと呼ばれた女!中山ラビ■後編■ 。o○



「ディランの歌とか、ビート派の詩とか、私のまったく知らない世界をぱっと見せてくれたの。すごくカルチャーショックだった。何かよく分からないまま、恋に突っ込んでいった」(中山ラビ 特集【OnGen Music Lounge】より)



2001年5月、14年ぶりのアルバム「RABI」発売。全曲既発表曲。
ライブ音源11曲に2曲のスタジオ録音を加えたアルバム。バックにはラビ組を従えパティ・スミスを彷彿させるパワーがビシビシ伝わってくる!



『夢のドライブ』

ワンピースの森をくぐり コートの谷をとびこえて
片手にコーラ 片手にタバコ
高島屋の外に出ると 熱いメタンガスが押し寄せ
ああ 風邪をこじらせた

人からうしろ指さされ 仕事から追い出され
いつまでも売れ残りになってはと
人並みのやり方で愛らしく
チャンスさえあればしゃしゃり出る
そんな自分には どうしてもがまんできなかった

ふらふら うろつきはぐれ パン屋の前にさしかかると
スポーツシャツの若者が スポーツカーから音を出して
ドライブにさそった
二人の仲間と サングラスがよく似合ってた



琵琶湖のロックコンサート 比叡山のビアガーデン
涼しいところで汗流そうと 日焼けした手で
あたしをたぐり寄せ 一気に街を離れ ハイウェイ
買い物かごを置きっぱなしで

疲れるまで踊りまわり 眠りこけるまで飲み続け
いつしか山に城が建ち 湖水に浮かんだヨットは進み
赤い林檎も腐り 
時はまばたく過ぎていく

サイレンが鳴り続け ベッドから転げ落ちると
ベッドからころげおちると 水たまりにしわだらけの顔が
高島屋で別れた 母の面影
暗い空を見あげて こと絶え 山火事は血のように赤かった



ころがるように坂をおり 焼け焦げの帽子をぬぐと
カラスが 飛び去っていく 真新しい塔婆の間をぬって

やがて 静かな ぬくもりに包まれ
享年19身元不明行き倒れ

制服のエレベーターガールが くりこむ善男善女に 最敬礼
まばたきもせず 大量殺戮
スカートにまつわる その風は
最新型エアコンから流される あの文明のため息


今でも聴くたびにこの歌の斬新さに感心する、時代を代表した名歌!今でもその歌詞が唇をついて出るサイケデリックな歌詞とアレンジが秀逸な傑作!!!




1997年7月、25周年記念の「七夕コンサート」に86年以来の出演。
1999年3月、中山ラビBANDとして西荻窪BIN SPARKでのスズキコージ展のライブにゲスト出演以後、精力的にライブ活動を展開する。
2001年5月、14年ぶりのアルバム「ラビ」発売。全曲既発表曲。
ライブ音源11曲に2曲のスタジオ録音を加えたアルバム。バックにはラビ組というバンドを結成し、かつてのオリジナル曲が再び輝いている。
2002年9月、ライブアルバム「ラビing」を発表。
現在も「ラビ組」によるパワフルなライブパフォーマンスの他、ギターの弾き語りライブなど、東京のみならず各地で精力的にライブ活動をこなしている。



1977年よりオーナーとして経営している国分寺の喫茶店「ほんやら洞」は、おいしいカレー、コーヒーが人気で、夜は音楽が流れ、お酒も楽しめるカフェとして、全国各地から訪ねて来るお客さんもいるほどの有名店である。



『国分寺ほんやら洞』
185-0021 東京都国分寺市南町2-18-3 B09  TEL:0423-23-4400
JR国分寺駅南口を出て左手(線路沿い、新宿方面)約3分の左手。



パティ・スミス『ラジオ・エチオピア』
photography:robert mapplethorpe


今のラビさんには、凄まじい“ロック”のエネルギーが漲っていて、日本のパティ・スミスと呼びたいくらい力強い!ラビさんにはパティ・スミス同様、年齢を重ねて進化していく歌い手の凄さを感じます。パワフルで凄みを感じさせる歌唱力には昔から定評があり、スレンダーで、金髪に、短パン・キャミソールで、ギター一本を抱えて歌うルックスも生き様も魅力的な女性シンガーソングライターだ。

森田童子

山崎ハコ

浅川マキ

カルメン・マキ

友川かずき

憂歌団

加藤登紀子

ネーネーズ



中山ラビ with CoverS.SP at BIGAPPLE 2007.05.20
<宇都宮城本丸 フォークゲリラ 其の壱>

石川竜太郎(Key/Pf)・渡辺真理(ビブランドネオン・Pf)・矢野顕(G)・小野舞(Bass)・おのまん(Dr)

*ビブランドネオンという楽器は、アコーディオンを息で演奏するという、大変めずらしい楽器でイタリアの楽器で限定品で日本に3台しかなく、もう手に入らないかもしれないらしい。






































最終更新日  2007年06月10日 11時21分49秒
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2006年03月25日
 
○o。Listen to My Voice!いいうたいろいろ...沢 知恵 。o○



名盤!LIVE CD『わたしが一番きれいだったとき』cosmos records/CMCA 2019/2005年 2,940円(税込み)

ライヴを観たら、その説得力に間違いなく圧倒され、その瞬間にファンになってしまうヴォーカリストが沢知恵だ。彼女が数々のライヴで歌ってきた曲を収録し、それはカヴァー集ともなっているが、自作曲の歌としか思えない深い響きを持った歌となっている。 2002年から2004年のライブの中から選りすぐりのテイクを収録。「詩と詞の間をさまよいながら」うたってきた沢 知恵、感動の軌跡。やさしく、ときにつよく語りかける唯一無比のピアノ弾き語りワールド。


1.人生の贈り物―他に望むものはない― (ヤン・ヒウン:詞/さだまさし:訳/曲)
2.わたしが一番きれいだったとき (茨木のり子:詩/沢 知恵:曲)
3.スウィート・メモリーズ (松本 隆:詞/大村雅朗:曲)
4.ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー(パティ・S・ヒル:詞/ミルドレッド・J・ヒル:曲)
5.ひこうき雲(荒井由実:詞/曲)*35歳で自らの命を断った友人、故・鷺沢萌に捧げた曲。
6.ラヴ・アローン(ホンジャ・サラン)(ト・ジョンホァン:詩/沢 知恵:訳/イ・コニョン:曲)
7.コスモスのうた「詩の歌」より (まどみちお:詩/三善 晃:曲)
8.黒いカバン(赤いチャリンコ)(岡本おさみ:詞/泉谷しげる:曲(沢 知恵:かえうた))
9.自分の感受性くらい (茨木のり子:詩/中川五郎:曲)
10.おなじ (沢 知恵:詞/曲)
11.さとうきび畑 (寺島尚彦:詞/曲)




沢知恵は、歌うように語り、語るように歌う.....。

第一曲目「人生の贈り物 ~他に望むものはない~」は、ハングル語のアカペラで歌い始め、日本語と繋がる感動の名作!ピアノと歌が、体の中にドーンと入ってくる。沢さんの歌は、日本語にせよ韓国語にせよ英語にせよ「言葉」がクリアでとても美しい。歌という表現方法が持つ力と真摯に向き合ってきた彼女の力強く、とてもしなやかなVOICE。心癒され、現れる<本物のうた> !彼女のVOICEの美しさに戦慄する!ここには、何よりも心の底から響く歌がある。ジャンルぶっちぎり、唯一無比の沢知恵ピアノ弾き語りワールド!本場アメリカでゴスペルを歌って育った本物のクリスチャン・シンガー(注)、沢知恵が歌う待望のアルバム。
(注)ご当人曰く、私はいわゆるゴスペル・シンガーではありません。歌手がたまたまクリスチャンなだけです。本当は何をうたってたって、神様への賛美なんですけどね。

 

「人生の贈り物 ~他に望むものはない~」

季節の花がこれほど美しいことに
歳を取るまで少しも気づかなかった
美しく老いてゆくことがどれ程に
難しいかということさえ気づかなかった
 もしももう一度だけ若さをくれると言われても
 おそらく私はそっと断わるだろう
 若き日のときめきや迷いをもう一度
 繰り返すなんてそれはもう望むものではない

  それが人生の秘密
  それが人生の贈り物



季節の花や人の命の短さに
歳を取るまで少しも気づかなかった
人は憎み諍いそして傷ついて
いつか許し合う日が来るのだろう
そして言葉も要らない友になって行くのだろう
迷った分だけ深く慈しみ

並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる
友が居れば 他になにも望むものはない
他になにも望むものはない
他になにも望むものはない

 それが人生の秘密
 それが人生の贈り物

(作詞:ヤン・ヒウン、訳詞、作曲:さだまさし )

2003年8月6日、今や夏の恒例イベントとなったさだまさしの「夏・長崎から」コンサートで、韓国最大のフォークシンガーであり、韓国フォーク界を牽引する代表的女性歌手「楊 姫銀(ヤン・ヒウン)」とさだまさしが競演した。この時披露された歌は、楊 姫銀の作詞、さだまさし作曲による新曲で、年老いた主人公が、ゆるやかに過ぎてゆく日々を淡々と、しかし喜びをこめて歌った曲であり、NHK-BSで放送されるやいなや、全国で大反響を呼び、そのCD化を望む声が各地から殺到した。



「自分の感受性くらい」

ぱさぱさに渇いてゆく心を
人のせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか



苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ



~茨木のり子「自分の感受性くらい」花神社



2枚組LIVE盤CD『一期一会』

  1971年神奈川県で日本人の父と韓国人の母の間に生まれる。父、沢正彦は戦後日本人として韓国に初めて宣教師として行った日本基督教団の牧師。母金纓は『それでも私は旅に出る』(岩波書店)という著作もある女傑?!牧師だった両親と共に韓国、米国、日本と移り住み、クラッシック、ゴスペル、ジャズなど様々な音楽と触れる。本場アメリカでゴスペルを歌って育った本物のクリスチャン・シンガーです。



CD『BLACK COMPLEX』

3歳のころからピアノをはじめた沢知恵は、'73年からソウル、'77年からアメリカに移住経験を持ち、特にアメリカでゴスペルやジャズに触れた体験が、現在に至るまでの彼女の音楽のあり方に影響をあたえている。'91年東京藝術大学音楽学部楽理科在学中に歌手デビュー。



ジョージ・デューク、プロデュース1st!『Tomoe Sings』

96年より韓国でもライブ活動を始め、98年には韓国で初めて日本人による日本語の歌を公式に歌う事を許可されたシンガーで、日本語でうたい話題になる。
彼女の母方の祖父が『朝鮮詩集』『朝鮮童謡選』『朝鮮民謡選』(いずれも岩波文庫)などで日本にもなじみのあった金素雲という、戦前戦後に日韓にまたがって活躍された偉大な文学者であるという「血」も彼女に力を与えているのでしょう。名曲「こころ」は、金東鳴(キム・トンミョン)作詞、金素雲訳詩のものです。



「それに歌を歌っていく上で、いろいろな意味で自分を知らなければならない。女性であること、日本人であること、韓国人であること……。いろいろな私の側面の中で、避けられない部分の一つがコリア的なもので、一度そこを通過しなければなかったということもあると思います。」

彼女のソウルでの初ライブは、韓国政府が日本の大衆文化を開放する前の1996年の秋だった。当然ながらいくつか制限があった。まず、あくまで祖父を追慕する文学行事の一環として行うこと、そして「日本語はダメ」ということだった。が、なにしろ彼女は韓国政府の正式の許可を得て、ソウルの若者たちの街である「デハクロ(大学路)」で歌った。韓国のマスコミも「日本人歌手の母の国でのデビュー」として大きく報じた。これはまさに祖父が「筆」を持って努めた相互理解の架け橋を、「歌」をもって実現しようとするものだった。



第40回日本レコード大賞アジア音楽賞受賞。 2001年より毎年香川県ハンセン病療養所大島青松園で無料コンサートを続けている。現在までに15枚のアルバムを発表し、確実な音楽性と説得力のある歌声で、ジャンル、世代、国をこえて幅広いファンに支持され聴き手を魅了しつづけている。



『First Live in Seoul』

「普通、アルバムを作って、ツアーに出ますよね。でも、私の場合は逆で、ライヴで曲を発表して聴衆と一体になって、理屈じゃなく“この曲はイケル”って感じる時があるんですよ。そう思った曲が貯まったらアルバムにするんです。だから、作品ではなく、記録なんです。前のアルバムから今のアルバムまでの間をどう生きたか、どう歌ってきたかの。」

沢さんのコンサートはアカペラの「アメイジング・グレイス」で始まります。彼女は英語・韓国語・日本語で歌います。沢さんのコンサートはお客さんの反応や状況に合わせて選曲。一度として同じ選曲のコンサートはしたことがない。まさに一期一会。その場限りのハーモニを求めて歌い続けています。ライブの途中でも、曲目を変更するので同じライブは2つとないというこだわりです。まさにLIVEシンガー沢知恵音楽の真髄がここにあります!



「いろいろな音楽の在り方があっていいと思うけれど、私は大体こんなふうにやっていくのだなぁというのが見えてきました。日々の生活の中で出会ったり、その中から生まれてくるものを<うた>としてライヴで発表し、理屈をこえて「いける」と思ったもの、大袈裟に言えば、100年は超えると思えるものだけを記録=レコードとして残しているつもりです」



Listen to My Voice!いいうたいろいろ...沢 知恵■後編■は前のページ3/24にあります。続いてご覧ください。






最終更新日  2006年03月25日 14時37分30秒
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2006年03月24日
 
○o。Listen to My Voice!いいうたいろいろ...沢 知恵 。o○
■後編■




名盤!LIVE CD『わたしが一番きれいだったとき』cosmos records/CMCA 2019/2005年 2,940円(税込み)

ライヴを観たら、その説得力に間違いなく圧倒され、その瞬間にファンになってしまうヴォーカリストが沢知恵だ。彼女が数々のライヴで歌ってきた曲を収録し、それはカヴァー集ともなっているが、自作曲の歌としか思えない深い響きを持った歌となっている。 2002年から2004年のライブの中から選りすぐりのテイクを収録。「詩と詞の間をさまよいながら」うたってきた沢 知恵、感動の軌跡。やさしく、ときにつよく語りかける唯一無比のピアノ弾き語りワールド。



「名前は忘れ去られても歌だけは残る。100年後、200年後に残る歌だけを歌いたい。」

彼女自身が好きな、歌いたい歌だけを集めた好評名曲シリーズ「いいうたいろいろ」5作!まだまだ続く!どんどん続く!「カバーはコピーではない。自分のものにするため破壊する」という彼女の哲学が生きる。どの曲にも沢さんの音楽に対する愛があふれていて、本当にすばらしいアルバムたちです。まずは、それぞれのCDの収録曲をご覧ください。あなたも歌いたくなる大好きな歌がきっとあります!

いいうたいろいろ いいうたいろいろ2 いいうたいろいろ3~日本の童謡・唱歌 いいうたいろいろ4 日本の讃美歌 いいうたいろいろ5 英語のいいうた

『いいうたいろいろ 1』 『いいうたいろいろ2』 『いいうたいろいろ 3』 『いいうたいろいろ 4』 『いいうたいろいろ5』

「私はカヴァーも、オリジナルを歌うくらいクリエイティヴなことだと思うんです。世の中って良い歌がいっぱいあって、今さら、新たな歌を作詞作曲しなくてもいいんじゃないかって思うくらい。それでも、生まれてくるから歌うんですけど。カヴァーを数年前から歌ってきて、それがオリジナルな行為だと解って、自信に繋がってきました。だから、カヴァーも私の作品なんです」





『こころ』

わたしのこころは湖水です どうぞ漕いでお出でなさい
あなたの白いかげを抱き 玉と砕けて 船べりへ散りましょう

わたしのこころは灯火です あなたの扉を閉めてください
あなたの綾衣の裾にふるへて こころ静かにもえつきてあげましょう

わたしのこころは旅人です あなたは笛をお吹きなさい
月の下に耳傾けて こころ愉しく 夜を明かしましょう

わたしのこころは落ち葉です しばし お庭にとどめてください
やがて風吹けば さすらひ人 またもや あなたを離れましょう

(作詞:キム・ドンミョン、訳詞:キム・ソウン、作曲:沢知恵 )

 

『こころ』 『小さな恋のうた』

 

『愛してください』 『死ぬか生きるか』

 

『ともえ ミーツ みすヾ』 『死んだ男の残したものは|満月の夕』



『Who am I?』



ekato

「こころ」つながり! いいものいろいろU^ェ^U



クミコ『愛しかないとき』 アン・サリー『デイ・ドリーム』

楽天日記『○o。愛しかないとき☆クミコ☆.....それで、ボクもふるえた。o○』も合わせてご覧ください。

楽天日記:閑話休題!☆安らぎのエロスを持つ女!『Ann Sally』も合わせてご覧ください。



「わたしが一番きれいだったとき」

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった 

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった



わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった



わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年取ってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね










最終更新日  2006年03月25日 14時40分22秒
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2005年09月21日

1/2のマキ...その1 アングラ人形からロック・クイーンへ!カルメン・マキ



さよならだけが 人生ならば
またくる春はなんだろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いてる野の百合何だろう




寺山修司(1935-1983)




1960年代後半から70年にかけての日本は、ベトナム反戦運動や学園紛争、そして安保闘争など、まさに熱い政治の季節の渦中にあった。このような時代背景の中で<アングラ>という言葉が流行語として生まれた。<アングラ>とはアンダーグラウンドの略で、地下運動/反体制活動/前衛運動などを意味したが、この<アングラ>というキーワードの元、多種多様な文化活動が盛んに繰り広げられた。



後の、ヒッピー文化に代表される60年代カウンター・カルチャーの象徴でもあるウッドストック・フェスティバルが開かれたのが、1969・8・15,16,17の三日間。、”愛と平和と音楽の3日間”という名目の元、出演者と観衆がひとつになって、昼夜関係なく続けられ、世界平和の祈りを音楽に託し、ともに歌い、ともに踊るという歴史的フェスティバルです。観客は30万人とも40万人とも言われ、英米からたくさんのミュージシャンがノー・ギャラで集まりました。私はこの映画の封切りを待ちに待ってて、封切り日に国鉄に乗って有楽町は日劇文化まで勇んで観に行きました。「ウッドストック」は日本に多くのロック少年、ロック少女を生み出しましたね!(^-^)ヒッピーとかフラワー・チルドレンとか...そんなムーブメントがどっと流れ込んできました。
”J”国の成立起源もこの辺にありそうです?!。



 日本のフォーク界に多大な影響を与え、日本のロックの源流ともいわれてきた幻のレーベル「URC(アングラ・レコード・クラブ)」の設立も1969年!既成のレコード会社に対してのアンチテーゼとして存在しました。また演劇では状況劇場や天井桟敷、赤テント、黒テント、早稲田小劇場などの小劇場運動があり幾多のアングラ劇団が雨後の筍のように生まれた。....私もその一員でした。そして出版でもミニコミ誌などが自由なメッセージを発信してました。またヒッピー族やフーテン族などが新宿駅東口を舞台に登場しまして、私もフーテン族でした。昔のフリーター?なんていったら殴りますよ。いま、サブカルのはずが、何時の間にかメインに格上げですか?アングラ・オヤジ、サブカル・オヤジと呼ばれてちと嬉しい気がします。



映画では1961年11月に発足した日本アート・シアター・ギルド様!が「日本映画界に、ひとつの冒険と実験が多くの期待を集めて誕生...」勅使河原宏監督「おとし穴」を皮切りに、偉大な足跡を残してくれました。
1966年(昭和41年)
「とべない沈黙」黒木和雄監督 「憂国」三島由紀夫監督
1967年(昭和42年)
「忍者武芸帳」大島渚監督 「人間蒸発」今村昌平監督
1968年(昭和43年)
ATG第1回自主製作映画「絞死刑」大島渚監督
1968年(昭和43年)
「初恋:地獄篇」羽仁進監督 「肉弾」岡本喜八監督
1969年(昭和44年)
「新宿泥棒日記」大島渚監督 「心中天網島」篠田正浩監督 「少年」大島渚監督 「薔薇の葬列」松本俊夫監督
1970年(昭和45年)
「エロス+虐殺」「えん獄エロイカ」吉田喜重監督 「無常」実相寺昭雄監督 「日本の悪霊」黒木和雄監督
1971年(昭和46年)
「書を捨てよ町へ出よう」寺山修司監督 「儀式」大島渚監督 「修羅」松本俊夫監督 「曼陀羅」実相寺昭雄監督 「告白的女優論」吉田喜重 
「あらかじめ失われた恋人たちよ」田原総一郎・清水邦夫監督
マキ出演!
.......以降は、ATGでどうぞ!



「時には母のない子のように」
(1969.02.21発売、作詞:寺山修司 作曲:田中未知 編曲:山屋清)
1969年(昭44)1月19日、全共闘系学生が封鎖する東京大学に入った約8500人の機動隊は、学生たちを排除し封鎖を解除した。重軽傷者多数、逮捕者も600人以上。「東大安田講堂事件」は、60年代末に吹き荒れた学生運動の象徴的事件として記憶されている。
「時には母のない子のように」は、安田講堂事件の約1カ月後の2月21日にリリースされた。60万枚を超えるセールスを記録し、バリケードの中で学生たちが聞く子守唄と言われた。ラジオのリクエストが殺到し、曲が流れない日はなかったほど。



『ちょうど全共闘がね、学生運動がいちばんすごい時だった。ザワザワした、良くも悪くも面白い時代だった。...その年の東大の入試がなくなったでしょ。...バリケード張って、もう学生は引き籠もっちゃって、先生はシャットアウトっていう。安田講堂が封鎖された直後のデビューだったんです。』

さてさて、そんななか、寺山修司が主宰する劇団天井桟敷から一人の歌手カルメン・マキが現われた。カルメン・マキは背中まで伸びた長い髪、破けたジーンズ、そして裸足というスタイルでデビュー曲となった「時には母のない子のように」を無表情に唄った。彼女の存在はまさに時代の鏡であり、またそのスタイルは既成の歌手へのあきらかなアンチテーゼであった。
また、「時には母のない子のように」は60年代の終わりを告げる鎮魂歌のようだった。

 

1951年 5月18日神奈川県鎌倉市生まれ。アイルランドとユダヤの血を引くアメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる。国籍はアメリカ合衆国。本名は MAKI ANNETTE LOVELACE &本名・伊藤牧。
 『天井桟敷』の芝居にショックを受け,1968年 6月,同劇団に入団.同劇団の芝居に出演中, CBS SONY のディレクター・酒井政利にスカウトされ,1969年 2月,『時には母のない子のように』でデビュー。以後個性派シンガーとして6枚のシングル・3枚のアルバムをリリース。
『気がついたら芸能界のど真ん中にいた。』
『もうこの曲歌うの飽きちゃった!』と平気で言い放った。
1970年にロックに転向,カルメン・マキ&タイムマシーンを結成するが,すぐに解散。1971年,アルバム『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』をリリース。 1972年にはカルメン・マキ& OZ を結成し,日本ロック史上に残る女性ヴォーカリストとなるが, ’77年に解散。以後, ’90 年代前半に出産と育児のため一時休止したほかは,活動を続けている。



自らアングラ人形である事をもやめたマキさんは、アメリカの伝説の女性シンガー、ジャニス・ジョプリンの音楽と出会うことでロック・シンガーの道を歩むことになりました。そして1972年に<カルメン・マキ&OZ>は結成されました。とにかく<カルメン・マキ&OZ>でのマキのハイトーンのシャウトは強烈だった。彼女のヴォーカルはそれまで<日本のロック>では聴いたことのないもので、その迫力には壮絶な美しさがあり彼女の内で確実になにかが変わっていたのが切実に感じられて感動的でさえありました。
今でも思い出します、あの「私は風」を聴いた時の驚きと胸の高鳴りを!ドラマチックで美しいメロディ、心を騒がせる歌詞世界。そして何よりも詞の世界に引き込んでくれたのは、カルメン・マキの伸びやかで力強くも情感溢れるVocalでした。OZのサウンドの魅力は春日博文のHeavyなGuitar、川上茂幸の野太く唸るBass、それにからむメロディアスなキーボードを効果的に使ったドラマチックなサウンドにもあります。もちろん、アコースティックな小品やバラードも極上です。圧倒的な存在感とカリスマ性を持ったカルメンマキの歌唱自体もそうですがスピリットにおいても、彼女を超える女性Voはそれ以降出現していない!それにOZを紹介しないで日本のロックを語れないであろう。
本当にスゴい!!今の耳で聴いても驚くことうけあいです。



『 私は風 』
作詞:Maki Annette Lovelace 作曲:春日博文

あまりに悲しいことばかりで どこか遠くへ旅にでようと
ポケットに想いでつめこみ ひとり汽車にのったの

汽車の窓の外を走り抜ける 昨日までの私の苦い人生
もう二度と戻ることのない この町ともさよならね

あぁ もう涙なんか枯れてしまった明日から身軽な私
風のように自由に生きるわ ひとりぼっちも気楽なものさ

あぁ 目を閉じて心も閉じて 開いた本も閉じてしまえ
あぁ私は風私は風 終わりのない旅を続けるの

あぁ 私を抱いて気の済むように 抱いたあとであなたとはお別れよ
どうせ私は気ままな女 気ままな風よ

胸の奥深くうす紫色の 霧が流れる 誰か教えてよ 私の行く先を

見知らぬ町の 街角に立ち

■続きは前ページ9/20をご覧ください。■






最終更新日  2005年09月21日 02時03分42秒
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2005年09月20日

1/2のマキ...その1 アングラ人形からロック・クイーンへ!カルメン・マキ
■9/21からの続きです。■


さよならだけが 人生ならば
またくる春はなんだろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いてる野の百合何だろう




寺山修司(1935-1983)



◇Carmen Maki & 隠者の森@宇都宮◇9/19(月・休)宇都宮 BIGAPPLE◇



『歌と子供を比べたら、絶対に子供の方が大事だし、歌にもう未練はなかったんですよ。と言うか、そうするしかない状況になってしまったということなんですよ。自分がいくら望んでも叶わないことってあるでしょ?自分の力ではどうにもできないことって。気が付いたら、ってそういう意味なんですよね。自分が望むと望まざるとにかかわらず、選ぶと選ばざるとにかかわらず、また歌うしかなかった、ということなんですよ。自分が幸せだと感じられる人生ならば、歌う必要なんかないと思ってますから。
 大人になるって素敵なことですよね。若い頃は大人になんかなりたくなかったけど、今、自分が50を過ぎて、歳をとるのも、悪くないな、なかなかいいもんじゃないか、って思う。若い頃の自分より、今の自分の方が好きですしね。日本は、大人になるってことは、あきらめること、捨てることで、大人になるとつまらなくなるっていうような風潮があるけど、私はそうは思わないなぁ。まぁ、現実に、素敵な大人が少ない、ってこともあるんでしょうけどね。だから大人の文化がない、成熟した文化が育たない、って思うんですよ。それども、あきらめないで、自分の道を歩きつづける・・・勿論、若い時よりはスピードは落ちてくるんだけど・・・とにかく、何かひとつでも目的意識を持ち続けて、やり続けて行くってことが大事なんだし、これには相当のエネルギーが要りますよね。』



『残念なことに、OZ時代からのファンの人の中には、カルメン・マキ=ハード・ロック、シャウトしてこそカルメン・マキの真骨頂がある、と思っている人がいて、『UNISON』ではもの足りなさ、を感じてしまうらしいんですよね。私としては、あれはかなりの自信作なんですけど』
『古くからの固定ファンは別として、初めて私の歌を聴いてもらう人には、カルメン・マキという名前を知らずに聴いてほしい、そして、そこで何を、どう感じたか、これが重要だと思うんです。私とリスナーとの本当の出会いは、そこから始まるような気がするんです。つまり、あらかじめ取り入れた予備知識やレッテルが、リスナーの感性を邪魔してしまうこともあるんじゃないか、って思うんですよね』





もう、30年近くも前にこういう女性ボーカルバンドがいたってこと自体が驚きでしょう!彼女はまだまだ進化し続ける真の不世出天才シンガーであり、紛れもなく本物の歌を聞かせてくれる一人です。
『Sometimes I Feel Like A Motherless Child』




『ROOTS MUSIC DVD COLLECTION VOL.4 カルメン・マキ』
カルメン・マキの「今」をぜひご覧ください!
キャリアの集大成といえるアコースティック・ライヴがDVDで発売されました。封印されていた名曲「時には母のない子のように」も初映像化されました。
ROOTS MUSIC/商品番号: DVDK-004/価格 : 2,000(税抜)


ekato



宇都宮BIGAPPLE

◇Carmen Maki & 隠者の森@宇都宮◇
9/19(月・休)宇都宮 BIGAPPLE
PM7:00~
カルメン・マキ&隠者の森(桜井芳樹(G)、松永孝義(B)
前売:4000当日:4500
-----------------------------------------------


○最新アルバム「Another Way」○


カルメン・マキ・サイト


桜井芳樹(G)、松永孝義(B)の「隠者の森」とのアコースティックLIVE。マキさんとても良く声が出ていて感動的なLIVEを魅せてくれました!1部ではポップスを中心に楽しませてくれ、ビージーズの「ラヴサムバディ」は素晴らしかったァ!2部ではアルバム「Another Way」から、淺川マキヴァージョンの「かもめ/詩:寺山修司」を歌い意表を突かれた選曲でした。そして、二人の物故者、高田渡氏と西岡恭蔵氏との交友を偲ぶMCは感動的でした。西岡恭蔵の名曲「アフリカの月/曲:西岡恭蔵」はとても想いがこもっていて絶品でした!そして、さらに感動的な「戦争は知らない/詩:寺山修司」そして「時には母のない子のように」とロックスピリッツ溢れるハートフルなLIVEでした。
マキさんは決してオールディーズな人ではなく今なお美しいパッションを放つ孤高のロックシンガーです!U^ェ^U



◇1/2のマキ...その2 淋しさには名前が...ある?!浅川マキの世界『Darkness』







最終更新日  2005年09月21日 02時02分35秒
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2004年12月01日



■優しさを砕け、闇に光れ、心の絃が切れるまで・・・・■
━━歌の源流を求めて...”飛びます”山崎ハコ━━


「世界は寒い......。」



「望 郷」作詞作曲:山崎 ハコ 1975

 青い空 白い雲 菜の花の小道を
 かけまわり ちょうちょとり 遊んだふるさと
 真っ白な霧の中 神社の石段を
 かけあがり 手を合わせて 泣いてた 小さな子
 淋しくて 悲しくて 出て来た横浜
 やさしいと思っても みんな他人さ



 いつの間に こうなった 鏡の中には
 知らん人 疲れた顔で 悲しげに 笑ってた
 帰ろうか 帰ろうか 田舎のあの家へ
 青い空 白い雲の 田舎へ 帰ろうか

 あの家へ帰ろうか あの家へ帰ろうか
 あの家はもう ないのに




「この世で最初にできた赤んぼが、はじめて笑った時、その笑いが、
 千ものかけらに割れて、みんなぴょんぴょんとんでったんだ。
 それが妖精のはじまりなんだよ。」

昭和54年(1979年) 5月21日発表の問題作!アルバム「人間まがい」ジャケット写真
噂の名曲「呪い」収録!
そう、山崎ハコの存在は”時代の闇の底”においてキラっと光る”人間まがいの妖精”でした。その光をもう一度確かめたくて、彼女の歌を何度も聴きます。



『飛びます-17才-』
<昭和49年(1974年)に録音されたデモテープからの未発表音源。>

何のために今まで そして今からも
生きているのか 分かったような気がします
いんです報われぬとも 願いは叶わぬとも
この思いは 本当の私だからです

今私は旅立ちます
一つの空に向って
飛び始めるのです

この思いのためなら どんなに苦しいことも
きっとやれるような そんな気がします
そうです歌いたくなくても 言葉に出したくなくても
きっと歌えるのです 心の中で誰かが歌ってるから



今私は旅立ちます
自分の心にに向って
飛び始めるのです

一番大切な かけがえのないものは
おそらく今いきづく この命でしょう
けれどはかない人生 この私の命を
賭けるものがあっても 誰も攻めないで下さい

今私は旅立ちます
信じるために
飛び始めるのです



<山崎 ハコ(やまさき はこ)>

本名(旧姓) 山崎 初子(やまさき はつこ)
昭和32年(1957年)5月18日大分県日田市に生まれる。
昭和50年(1975年)10月1日
ファースト・アルバム「飛・び・ま・す」発売。
衝撃的なレコード デビューを飾る!

山崎ハコ オフィシャルサイト



昭和50年(1975年)11月12日TBSラジオ「水曜パック」(DJ:故 林 美雄)に出演する。


林 美雄(はやし よしお、1943年8月25日生まれ)
2002年7月13日午前5時10分、肝不全のため都内の病院で死去した。58歳だった。慎んでご冥福をお祈りいたします。
「月夜のぶたは恥ずかしい、ぼんやり影が映ってる……」
1970年代にTBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」のパーソナリティとして人気を得る。同番組での愛称は「ミドリ豚」。後年は更新の育成に力を入れ、また新しいパーソナリティの発掘に努めた。



関係者に配られたOPTICAL CARD「林美雄フォエバー」。
パックインミュージック最終回などが収録されている。




昭和50年(1975年)12月14日。TBSラジオ主催「第1回パック祭」に出演する。石川セリ、ユーミンに続いて登場したハコは、まず、「気分を変えて」を唄った。1曲の予定のところ、アンコールに応えて「橋向こうの家」を披露し、さらに「サヨナラの鐘」と合わせて3曲歌う。後半、『さよならの鐘』の時に500人以上の観客の大半が涙を流していたという、伝説の「パック祭」となった。その後『パックインミュージック』の中で、その時の場面のテープがよく流れましたね。



TBS『パック・イン・ミュ-ジック』を中心に、“深夜放送のマドンナ”といわれ始める。1979年4月~80年3月 ニッポン放送『オールナイトニッポン』火曜日のDJを担当した。(火曜日2部。1部は所ジョージ)
「こんばんわ…やまさきはこです」で始まって、ぽつりぽつりを話す。ほんとに朝5:00まで持つのだろうか?毎回そんなことを気にしながらラジオを聴いていましたね。インターネットも無い時代、深夜に一つの仮想の広場が出来ていたんですね。当時は深夜を「解放する」という言い方もよく使われました。今は、NHKの「ラジオ深夜便」でしょうか?ご同輩(爆)



山崎ハコ初エッセイ集『真夜中に太陽が見たい』(1978年)

「飛・び・ま・す」でエレック・レコードから衝撃的なデビューを飾ったハコちゃんは、独自の世界を構築するコンサートが評判を呼び、熱狂的なファンを持っています。
今でも、デビュー時のみずみずしさと頼りなげな繊細さがまったく変わっていないことに驚かされました。25年ぶりの逢瀬でサインをいただきました。本当に小さな小さな手でした。



「気分を変えて」作詞・作曲:山崎 ハコ 1975

ゆううつな毎日をどうしよう 歌を聴いても酒を飲んでも直らない
いつもの彼のぬくみも欲しくない ザーザー雨降る歩道に一人で泣きたいよ

やさしい言葉がほしいわけじゃない どうせ 言葉だけに きまってるもの
今日は一人になりたいの みんなどっかへ行っとくれ バイバイ

満員電車に揺られて何処行くの 虚ろな目をして どうでもいいよな顔をして
昨日一晩遊んでみたけれど ダメだったよとあんたの顔がしゃべってる

みんなそうなんだよあんた一人じゃない うまく気分を晴らした者が勝ちさ
それができないあんたなら それができないあんたなら バイバイ



憂鬱な毎日をどうしよう わかってるけどグズグズしていて直らない
このまま閉じこもっているわけにゃいかないが いくら言葉で言っても ダメなこともあるのさ

なぐさめてもらいたいよな 気もするの グチを こぼしたら笑われるし
そんな弱い私なら そんな弱い私なら バイバイ



「サヨナラの鐘」作詞・作曲:山崎 ハコ 1975

小さな雨がふっている 一人髪をぬらしている
長い坂の上から 鐘がかすかに聞こえる
私の心の中の 貴方が消える
恐かった淋しさが からだを包む

グッバイ貴方 私 先を越されたわ
グッバイ貴方 その顔が目に浮かぶわ

いつだったか笑って 二人別れていった
きれいな思い出にするわ 元気でと別れていった
いつの日か心の中に 貴方が住み込んで
幼い子供のように ひそかにあこがれた

グッバイ貴方 バカね私
グッバイ貴方 小さな声でおめでとう

グッバイ貴方 すてきな鐘の音
グッバイ貴方 サヨナラとなりひびくわ

グッバイ貴方 すてきな鐘の音
グッバイ グッバイ貴方



孤高の女性シンガー・ソングライター、山崎ハコ。
ジーンズ姿にギター1本 長いストレートの髪。Guildのギターに隠れてしまいそうな小柄で華奢なひとが、ギターを弾いて一度唄いはじめるとその力強い歌声に驚かされるかと思います。中島みゆきより、森田童子より暗い...あは!健気にも日本で最も暗い歌をうたい続けるシンガー・ソング・ライターとして知られる山崎ハコちゃん。暗い暗いと馬鹿にされ、頭に来て姿を消したという80年代があり、86年から活動を休止し”伝説のフォーク歌手”でいましたが、90年ロック系のアルバム「SA・SU・GA」で活動を再開しました。
情念の世界ばかりクローズアップされがちな彼女の歌世界ですが、ハコちゃんの歌は深い悲しみの底にありながら、常にかすかな燈りを求め続ける力を持っています。そこには、歌うことへの強い意思が感じられます。その歌は常に、ポジティヴに現実と闘う姿があり、悲しみに甘えないすごさがあります。そこには傷つきやすい魂の持ち主だけが表出でき得る、清廉かつ透明感に満ちた世界が広がっています。
アグレッシヴに自分の生き方をじっと見つめ、詞とメロディで表現しようという姿勢はずっと貫かれ、そこにハコちゃんの個性があり時代を越えて共感を呼ぶものがあると思います。



「どこまでも深い沈黙の中でピン・スポットを当てられた一人の少女が、周囲の闇にうごめく大人たちの心の奥底を見すかしたように歌っている。語り部のように、闇の深い沈黙から心を奪いとっていく。
山崎ハコの歌はいつも、みんな他人さと歌っているのだが。」



「流れ酔い唄」   山崎ハコ作詞・作曲 

うちの目にうつるは あんたの嘘だけ
うまいこと言うて心は 別のことを思いよる

それでも責めることは 一つもありゃせん
誰でも弱い嘘つき 弱いほどに罪深い



それでも 顔を見れば 気にかかることばかり
誰でも 同じ強がり もがくほどに傷深い

それでも夜になると あんたが忘れられん
誰でも 弱いうそつき 責めることなどできゃせん
誰でも 弱いうそつき 責めることなどできゃせん




「白い花」作詞・作曲:山崎 ハコ 1975

わたしの目の前の白い花 人目にもつかず咲いてるけれど
幸せそうにほほえんで 香りを漂わせる
できることなら この指で
お前を摘んでしまいたい
あの人の心に 誇らしく
咲いてるお前を

白い花びら はにかんで とてもきれいに見えるわ
お前のように 咲きたかった あの人の心の中に
ひそかに きれいに 咲くがいい
美しい白い花よ
あの人と いっしょに 生きて行け
あの人をなぐさめながら




お前を見つめて 生きて行く 私の気持ち知らないで
私にやさしいほほえみを かえす 白い花
ひそかに きれいに 咲くがいい
ほほえむ 白い花よ
あの人と いつまでも 生きて行け
あの人をなぐさめながら

ひそかに きれいに 咲くがいい
ほほえむ 白い花よ
あの人と いつまでも 生きて行け
あの人をなぐさめながら



■11/30の後編に続く■






最終更新日  2004年12月01日 00時28分11秒
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2004年11月30日



■優しさを砕け、闇に光れ、心の絃が切れるまで・・・・■
━━歌の源流を求めて...”飛びます”山崎ハコ━━




「世界は寒い......か?」



「ヨコハマ」   山崎ハコ作詞・作曲

雨にぬれただるま船 いつまでたっても動かない
誰かが河に石なげた 淋しい目をしてポチャリ
何もかもビショぬれで とてもきれいだ
雨ふれ 雨ふれ 私のヨコハマ

雨の中を泣きながら ここまで来たことあったね
動かぬ船に話しかけ しゃべらぬお前に叱られた
あの日からこの町に居ようと 決めたよ
雨ふれ 雨ふれ 私のヨコハマ



今は誰も追わないよ 誰にも追われず生きたい
ドブ河低く飛ぶかもめ 雨宿りここにおいで
この町が好きだから 離れはしないよ
雨ふれ 雨ふれ 私のヨコハマ

この町が好きだから 離れはしないよ
雨ふれ 雨ふれ 私のヨコハマ



『“山崎ハコ”が誕生して23年。
昨年末から状況は一変し、もう歌っていけないんじゃないかと思う時もありましたが、応援してくれる人達の間で、元気を取り戻し一つの答えも出しました。
「歌は自由。心は無限。山崎ハコ、心ある限り歌っていくでしょう。」

不器用ですが生きて行きます。歌いながら。だから強くなれる。
真の自由と、楽しみと、愛なんか求めながら、あなたと遠くに近くに共に生きていければと思います。
1998年、一生忘れられない夏。
みんなありがとう! Hako』



 所属事務所とのあれこれを克服し、自分の足で立ち、自分の声で歌い、自分の力で生きていく--本当の意味で出発点になるライブ会場で、ハコは上記の文章を手書きで記したちらしを配った。



ハコさんは、シングル盤なしでアルバムだけで歌っている歌手であり、アルパムでヒットしても、これといったヒット曲っていうものを作らなかった。それは、彼女は非常に体が弱く、歌のヒット曲の世界でテレビ出たり、そういう部分では多分もたないだろうという判断でもあった。しかし、残念ながらやっぱりヒット曲を持たない歌手ということで、アルバムとしてはゴールドディスクを何枚かとったものの、80年入ってからのハコさんはその後、結局暗いというイメージで逆にレコードの売り上げも伸びなくなっていた。それでも『地獄/「心だけ愛して」「きょうだい心中」』『青春の門/「織江の唄」』『愛の新世界/「今夜は踊ろう」(作詞・作曲/荒木一郎)、「私が生まれた日」』『皆月/「早く抱いて」(作詞・作曲/下田逸郎)』などの映画の挿入歌の印象的な楽曲が話題を呼び注目された。事務所閉鎖などによる不遇な時代を得て、フリーで活動を始め”生きた歌”を歌える数少ない歌手として現在にいたっています。



意欲作!「メンフィスまで」(1992)



五木寛之プロデュース『旅の終りに』「こころの花/織江の唄」収録
絵/竹久夢二「青春譜」
「私は日本人の歌う歌謡、日本語で書かれ、日本人の心に触れるメロディーを、なにより愛している。明治以後の日本の歴史は、いつか必ず高く評価され、第二の梁塵秘抄が編まれる日が来るはずだ。
今、歌謡曲の世界に、希望を持とう、元気を出そうと、と、ひそかなエールを込め、このプロデュースシリーズで問いかけたい。(五木寛之)」



「山崎ハコという歌手は、歌の意味や思いを大切にする人なので、アレンジは飾りすぎず、歌の強さを和らげたりと、苦心しました。この2曲も言葉が胸に伝わり、”生きている歌”が出来たと思っています。」
(ハコちゃんの旦那様:安田裕美)



「――どうして一枚目よりいいものが作れないんだといわれつづけてきました。そのたびに悩んできましたが、いまはこう思うことにしているのです。一枚目が二枚目や三枚目よりいいのは当然なのだ。なぜなら、あの一枚目には、自分の二十年間が詰まっているのだから。二枚目や三枚目には、それからの一年か二年しか入っていないのだから。そう思うと少し楽になってきました・・・・。」



多くの”心情三派”をも嗤せ泣かせた”女三羽烏”山崎ハコ、森田童子、浅川マキ!

浅川で、童子ようもなくハコな男より
前妻に捧ぐ!
ひゅうううううう~
やっぱり世界は「寒い!」ぜ!



<森田童子>

1975年(昭和50年)11月21日(金)デビュー・シングル「さよならぼくのともだち」とファーストアルバム「グッド・バイ」をポリドールよりリリースしこれまた衝撃のデビュー!
1983年12月25日(日)<前進座劇場「狼少年」追加公演>新宿ロフトで8年間の活動を終了した森田童子。CAT-Oさんは1977年の豊島公会堂「童子像」コンサートに前妻さんと行きました!近日大公開?たった8年間という短い間に鮮烈なる印象を残した森田童子。



ekato

山崎ハコには少女性を残した透明な視点と絶望の淵に立たされたような孤独感がある。この小さな華奢な体から紡ぎだされる言葉の確かさと、彼女の息づかいの暖かさを...聴いてみてください。そこには歌うことの源流があるはずです。
 (´-`).。oO





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心情三派【しんじょうさんぱ】
心情的に三派全学連を支持すると表明した作家達のこと。野間宏、堀田善衛、野坂昭如ら六十一人の文化人や作家が、1969年、東大全共闘支持の声名を発表した。心情三派の言葉は、野坂昭如の造語。



『皆月』
監督=望月六郎
原作=花村萬月(吉川英治文学新人賞「皆月」講談社・刊)
脚本=荒井晴彦
音楽=山埼ハコ「早く抱いて」
出演=奥田 瑛二、北村 一輝、吉本多香美、荻野目慶子



『愛の新世界』
監督=高橋伴明 原作=島本慶、荒木経惟
脚本=剣山象 撮影=拓野直樹 音楽=山埼ハコ「今夜は踊ろう」
美術=望月正照 編集=菊池純一
出演=鈴木砂羽、片岡礼子、萩原流行、武田真治









最終更新日  2004年12月01日 00時33分21秒
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2004年10月18日

美貌の魂!魂は時に絶叫する!友川かずき



撮影・鈴木真貴氏

「友川かずきのうたが胸にしみいるとしたら、君は幸せだと思え。涙があふれたら、君は選ばれた人間だと思え。君にもまだ無償の愛に感応する心が残っていたのだ。無償の愛がまだ人の世に存在すること、それこそが友川が身をもってあがない、あかしてくれたことなのだ。
 友川よ、久しく会わないが、元気か。
美貌にかげりはないか。酒量は落ちないか。私は君がよき友人たちに恵まれていることを知っている。その数は世の中の人の数よりは少ないが、一人の男が持つ水準をこえることはるかであることを知っている。」(大島渚)



「東北の詩人たちは限りなく世の中に拗ねてみせるが、また時にかぎりなく甘えてみせる。友川にはその両方がない。友川はテレ笑いをするということがない。そのことが世の中をとまどわせる。友川のあの大きな目でみつめられ問いかけられたとき人びとがとまどうように世の中はとまどう。
そうだ、あれは目というべきものではない。目玉なのである。誰しもがとまどう。ルドンの目玉にとまどうように。」(大島渚)

~大島渚監督は友川かずきに映画『戦場のメリークリスマス』への出演を依頼したのですが、あまりにもひどい訛りでボツになったということです。結局その役はご存知のように坂本龍一が努めました。



『やっと一枚目(1975)』

「 青 春 」作詞・作曲:友川かずき

パチンコ店の パチンコ店の前を
ギターをぶらさげて 明日と一緒に歩いているのは
あれは俺じゃないか
何というしけた格好して 何という情無い顔をして
意気地なし! 意気地なし! おいもっと頑張れよ

ツルハシを ツルハシをもって
トラックの荷台で 牛乳呑んでいるのは
あれは俺じゃないか
何という青白い顔をして 何という陰気な顔をして
意気地なし! 意気地なし! おいもっと頑張れよ

苦しいのは みんな苦しいんだぜ
淋しいのは みんな淋しいんだぜ
悲しいのは みんな悲しいんだぜ
おいもっと頑張れよ

川崎の 川崎の四畳半で
包丁を朝から 包丁を朝から研いでいるのは
あれは俺じゃないか
疲れたからって 夢を輪切りにして
口惜しいからって 自分を細切れにして
ああそれでも ゴキブリ一匹殺せないじゃないか
殺せるなら殺してみろ! 殺せるなら殺してみろ!

愛ひとつ 淋しさひとつ 空ひとつ 苦しさひとつ
悲しさひとつ 雪ダルマひとつ 人生ひとつ 夢ひとつ
笹舟ひとつ 勇気ひとつ 八郎潟ひとつ 涙ひとつ 故郷ひとつ
おじっちゃ ひとつ 東京ひとつ 
青春ひとつ



☆友川かずきプロフィール☆
友川かずきは、フォークシンガーであり、詩人であり、画家であり、競輪解説者兼パチスロ評論家であり、日本のオリジナル・パンカーの最重要人物、また単なる酔っ払いでもある。普段の友川かずき氏は、端正な顔立ちで寺山修司以来の東北訛りが色濃く残りトツトツとしゃべる物静かな人物であるが、ひとたび歌いはじめると、人格がまるごと変わってしまう。酒を飲んでいるためだ。酒を飲まなければ人前で歌えない。友川氏のライブでは、たちまちにしてウィスキー一本が空いてしまう。泥臭さい秋田訛りまるだしでギターをかき鳴らしうたう絶叫はまさに咆哮に近い。それは、すごい迫力で、歌うというよりポエトリー・シャウティングする、「吠える詩人」とでもいうべきもの。やがて歌声はヴィブラードしてゆき、その唱法には彼の情念が渦巻き強烈かつ独特で、その与えるインパクトは他に類がない。絶叫なのに表情は少しも変わらず淡々としていて、友川の美貌には遜色がない。友川の叙情的かつ激情的な唱法は音楽的指向はあまり感じさせないが、圧倒的な<声>の存在感、カ強く鋭角的なギターのカッティング、そして文学性の高い歌詩は、誰にも真似ようのない世界であった。ニューミュージック全盛の時代にはあまりにも衝撃的だった。彼の音楽は正に友川以外の何ものでもない、正にワン&オンリーの世界だ。



中原中也『骨』

ホラホラ、これが僕の骨だ、 
生きてゐた時の苦労にみちた 
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ、                 
ヌックと出た、骨の尖。 
 
それは光沢もない、 
ただいたづらにしらじらと、 
雨を吸収する、 
風に吹かれる、 
幾分空を反映する。
  
生きてゐた時に、 
これが食堂の雑踏の中に、 
坐つてゐたこともある、 
みつばのおしたしを食つたこともある、 
と思へばなんとも可笑《をか》しい。
  
ホラホラ、これが僕の骨―― 
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。 
霊魂はあとに残つて、 
また骨の処にやつて来て、 
見てゐるのかしら? 

ふるさと
故郷の小川のへりに、 
半ばは枯れた草に立つて、 
見てゐるのは、――僕?
恰度立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。

       詩集『在りし日の歌』より

本名及位典司(のぞきてんじ)。昭和25年(1950年)2月16日、秋田県山本郡八竜村(現在は八竜町)に農業及位清の次男として生まれる。目立ちたがりやの少年で、仲間の注目を集めるために、毛虫を呑んだり自分の小便を舐めたりしたという。中学校時代は歌手・舟木一夫にあこがれる野球少年。勉強嫌いで文学にも無縁だったが、ある日、図書館で中原中也詩集の「骨」を目にして衝撃を受け、自分でも詩作を始める。どことなく太宰の面影を感じさせる彼は文学的指向が強く、中原中也の詩に曲をつけたアルバムも発表している。能代工業高 校建築科に進学。教科書は開かず、文学書の乱読とバスケットの練習に明け暮れた。太宰治と小林秀雄に激しくひかれた。
彼の詩は時に文学的で、時に自虐的だ。



中原中也『サーカス』

幾時代かがありまして
茶色い戦争がありました

幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
今夜此処でのひと盛り
今夜此処でのひと盛り

サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(さか)さに手を垂れて
汚れた木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外(やがい)は真ッ暗 暗(くら)の暗(くら)
夜は劫々(こうこう)と更けまする
落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

『俺の裡で鳴り止まない詩-中原中也作品集』(1978年)
作詩:中原中也 作曲:友川かずき 編曲:J.A.シーザー

<曲目> サーカス/臨終/湖上/歸郷/桑名の驛/夏の日の歌/汚れちつまった悲しみに /春の日の夕暮/六月の雨/坊や

戦後日本の代表的な作家であり中也と交流があったことでも知られる大岡昇平を「凄い歌手」と驚嘆させたという。



高校卒業後、日本橋の婦人服卸問屋に就職したが、六ヶ月で退社。秋田訛りがひどく気になり、トイレに隠れて「いらしゃいませ」「ありがとうございました」を練習した。自意識過剰の男が接客に向くはずもなかった。その後、友川かずきと名前を偽って練馬の飯場にもぐり込む。及位という本名を笑われるつらさからだ。現在の芸名、ペンネームは、この時初めて使われた。以後、新聞配達、労務者、旋盤工、喫茶店のボーイ、クラブ歌手と、転々とする。



上京後、職を転々とするかたわら、URCレコードでのアルバイトを通し、あがた森魚と知り合い、中津川フォーク・ジャンボリーに参加。その後、故郷に一度帰るも再び上京、そこで恩人・宇崎竜童と出会う。彼の尽力によりシングル「上京の状況」や「生きてるって言ってみろ/人生劇場裏通り」をリリース、これを機に頭脳警察や寺山修二とも親交を深めた。



二十歳のころ、行きつけの赤提灯で岡林信康の歌を聴いた。「山谷ブルース」「チューリップのアップリケ」「手紙」.....何かがグサリと胸に突き刺さって涙が出て止まらなかった。友人からギターを譲り受け、それまで作詞した詩作に曲をつけ、歌うようになった。
1974年3月「上京の状況」でデビュー。続いて「生きているって言ってみろ」を出すが、ニューミュージック全盛の時代、全く、といっていいほど売れなかった。



DVD『ピストル-渋谷アピア・ライヴ 2003』
1. ピストル
2. サーカス
3. 桑名の驛
4. あやかしの月
5. エリセの目
6. 似合った青春
7. 訳のわからん気持
8. メダカざんまい
9. この世を踊れ
10. ジャン・ジュネに訊け
11. シシャモ
12. サトル
13. 夏の日の歌
14. 死にぞこないの唄
15. ワルツ
16. また来ん春
17. デラシネ(新曲)
(ボーナストラック)
18. 生きて死ぬという(新曲)



友川カズキ(vo, g)、石塚俊明(ds, perc)、永畑雅人(p,mandlin, accordion)



3枚目『千羽鶴を口に咬えた日々(1977)』

<飾絵:クマさんこと篠原勝之>

『生きてるって言ってみろ』作詞・作曲:友川かずき 編曲:J・A
・シーザー
ビッショリ汚れた手拭いを
腰に結わえてトボトボと
死人でもあるまいによ

自分の家の前で立ち止まり
覚悟を決めてドアを押す
地獄でもあるまいによ

   生きてるって言ってみろ!
   生きてるって言ってみろ!
   生きてるって言ってみろ!

淋しさ優しさ苦しさは
この世のせつないメロドラマ
屠殺場でもあるまいに

ヒッピーフーテン乞食の子
なげきの喜びいじくって
廃人でもあるまいに

   生きてるって言ってみろ!
   生きてるって言ってみろ!
   生きてるって言ってみろ!

夢と現実ぶらさげて
涙と孤独を相棒に
コケシでもあるまいに
長髪マンネリいさぎ良さ
根っこの太さはどこへやら
墓石でもあるまいに

   生きてるって言ってみろ!
   生きてるって言ってみろ!
   生きてるって言ってみろ!



オープニングテーマ/生きてるって言ってみろ/殺されたくないなら殺せ
記憶 /どうした /なまはげ /俺のふるさとは犬の中にもある /八竜町の少年達
乱れどんぱん節 /家出少年 /死にぞこないの唄



<編曲:J.A.シーザー >

JA(ジュリアス・アーネスト)・シーザー(本名:寺原孝明)
1948年宮崎県に生まれ。 ’69年に寺山修司と出会い、彼の主謀する劇団”天井桟敷”に入団。シーザーの音楽は、独学ながら当時のサイケデリックやプログレの要素含んだ中で、複雑なリズムや転調の多用、和楽器を取り入れてエスニックな要素までも引き出し、すでに独自の音楽を完成、寺山修司の世界を音楽面で構築した。’83年、寺山修司の死によって、天井桟敷は解散。劇団”万有引力”を立ち上げる。

■後編に続く■






最終更新日  2004年10月19日 23時18分54秒
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