『幻想画家の女王レオノール・フィニ/Leonor Fini』■前篇■
『幻想画家の女王レオノール・フィニ/Leonor Fini』(1907~1996年)猫は私の上に乗っかり、私に枕のひとつを取るのを許すと、すかさずこう話かけてきた━━━「私は夢先案内人だ・・・・・」「現代の偉大な画家たちの中で、モダン・アートのいかなるエコールにも運動にも、直接結び付けられない画家が二人だけいる。バルテュスとフィニである。前衛画家の創始者たち自身がこの二人に捧げた尊敬の念(ピカソはバルテュスに、エルンストはフィニーに)は、二人が当代の中心に存在することの、何よりの証であろう。いかなる美術のエコールとも一度として関係を持たなかった孤高の画家。彼らの作品は、同時代の画家たちが大量に”生産”するのに比べ、極めて数が少ない。二人とも多国籍の血筋であり、教養の高い環境に育ち、生まれながらにして国際性を備えていた」(コンスタンタン・ジェレンスキー「フィニ展」カタログより)"LEONOR FINI" Constantin Jelenski 著澁澤龍彦 訳 河出書房新社 刊 1974年 限定1000部(241番)天地310mm x 幅310mm 176頁 ダストジャケット・函・夫婦箱 澁澤龍彦はフィニを古代の女祭司の生まれ変わりと称した。お宝!レオノール・フィニーの豪華な限定版画集です。初期の作品から円熟の幻想絵画まで数多くの作品とコンスタンタン・ジュレンスキの解説を掲載した大変貴重な資料で挿絵は別紙刷り貼り付け、印刷はスイス、ローザンヌのクレールフォンテン社。 「存在しないもの、そして私が見たいものを描く」というフィニ1907年アルゼンチン出身のイタリア人女流画家レオノール・フィニ。父は、イタリアナポリ出身のイタリア人とスペイン人の血が流れるアルゼンチン人。母は、イタリアのトリエステ出身のドイツ人とイタリア人とスロベニア共和国の血が流れる。混血の家系。父は、アルゼンチンの牧場を持つ資産家であったが、フィニの母はその夫のもとから逃げるように母国であるトリエステ(北イタリア)へと去っていった。その後、フィニは父を知ることはなく、母のもと、自由で進歩的で洗練された環境のなかで育ってゆく。黒い瞳に黒い髪、エキゾチックな美貌と強烈な魅力をもつフィニは、異色な女性シュルレアリスム画家としてパリで鮮烈なデビューを果たします。魔女とみまごうばかりの不思議な魅力にあふれるフィニ。ときの詩人や芸術家、バタイユやエルンストらとも親交を結び、1935年以降、パリ、ロンドン、ニューヨークで絵画展、書物の挿絵、パリ・オペラ座「Le Palais de Cristal」などの舞台装置、バレエや映画の衣装、小道具、はては宝石のデザインまで手がけ、幅広い分野でその才能を発揮しました。また、作家としても活躍する傍ら、パリ社交界のカリスマとして、連日連夜、自身がデザインをした衣装や仮面をまとって舞踏会に現れました。フィニの作品世界に登場するのは、ほとんどが優美な肢体を持った女性です。男性が出てきたとしても、眠っていたり、あるいは死んだような男性の姿です。(男性はいつも極めて両性的な受け身の存在として描かれている。)能動的な女性と受動的な男性という構図。あるいは能動的な女性と受動的な女性という構図。少女とも女ともつかない人物たちは、ありとあらゆる神話の魔女や妖精のようであり、どことも知れない夢の風景の中に浮かび上がっています。多くは、ナルシスティックな表情を見せ瞑想的な顔を持つ古代の若い神官たちとして描かれ、古代社会の神秘で華やかな祭儀に参加する巫女たちの聖域のように描かれています。そこには、常に鑑賞者に謎を仕掛けるスフィンクス的な謎を秘めた甘美な幻想性があります。ほのかに神秘的なエロティスム、アンドロギュノス、魔性を秘めた猫、夢幻的景観・・・これらが優美で女性的なイマージュの中に感じられます。こうした点から、レオノールはレスビエンヌとかサディスム、魔女的とか女祭司といった印象を与えるようです。1933年にパリに居を移し、ブルトン(Andre Breton, 1896-1966)と出会います。シュールレアリスムの運動に影響を受けながらも、ブルトンの課したシュルレアリスムの規律を何ひとつ受け入れなかったし、グループに属することも拒否しつづけています。自身はエルンストとレオノーラ・カリントンのカップルと親交を結び、マン・レイ、エリュアールに近いと考えていました。そのため、彼女の画風はいかなる流派にも分類し得ない独自の特徴を示しているのです。それでもやはり、20世紀最大のシュールレアリスム画家マックス・エルンスト(Max Ernst, 1891-1976)やポール・エリュアール(Paul Eluard, 1895-1952)らとの邂逅は、彼女の生涯に多くをもたらしました。 「・・・自ら燃え立つ素材を己れ自身の中から引き出すことが可能な炭火のように煌き燃えつくす明晰な知性と、火花のしぐさで躍り跳ねる敏捷な知性をそなえ、その赴くところ比なく多種多様な分野のすべてにおいて創造的で、とっくの昔に跡を絶った一握りの専制君主だけがかくあり得たように磊落豪放、しかも幼児の純粋な熱狂を存分に発揮して遊び好きで、滑稽味のたいそう肉附きよい意味においてからかい好きで、その炸裂が一部の人間には恐るべきものに映じかねない専制主義に終始取り憑かれ、こうした面にもまたこの女性の深く知れば知るほど敬服の念をかきたてられる本領がうかがえるのである。」(アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ(Andre Pieyre de Mandiargues,1909-1991 )、『レオノール・フィニーの仮面』、生田耕作訳、奢霸都館、1993年、14項。)『幻想画家の女王レオノール・フィニ/Leonor Fini』■後篇■は前の頁11/6です。