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ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

コクジンの夫を持つということ

日本には「彼氏はブラックじゃなきゃイヤ」という人たちがいる。
そういう人たちが付き合っているブラックのオトコというのは、たとえば米軍兵士だったりモデルだったりで、年齢も若くスタイルもよく顔も良いという一種固定されたイメージがある。

だから、私のダンナが黒人だということがバレると、「きゃーかっこいー」と条件反射的に言われることが少なからずあった。
「きゃー、ダンナさんってどんなひとぉー???」と興味津々に聞かれて、

「・・・普通のヒト」

と答えて爆笑されたこともあった(笑)。

本当に普通のヒトなんだもん。

でも、日本で「黒人」というと頭に思い浮かぶのは先に触れた米軍かモデルか歌手かスポーツ選手など限られた職業の人たちで、いわゆるフツーの会社に勤めてフツーの家に住んでフツーに暮らしている「黒人」(の数の方が実際には多いはずなのだが)を目にする機会なんてほとんどないのだから、まあ、こういう反応があっても仕方がなかろう。

私はR&B系の音楽が好きだったけれど、実生活においても「黒人」と付き合おうとかそういうことは全く考えていなかった。
ただ、ダンナの前に付き合っていた彼氏がR&Bが好きで、この人と別れたらもうこういう音楽を共有できる人はいないだろうなあと思っていたのだが、ダンナに出会って「そうか。黒人と付き合うという手があったか」と思ったこと(笑)を覚えている。
でも、音楽の趣味は元彼との方が合っていたかも。余談ですが。

さて、私の最初の「黒人」との出会いは、小学生時代、おふらんすに住んでいた頃の同級生だった。
恐らくフランス語圏のアフリカの国の大使館員の子供たちだったと思うのだが、特に親しくなった子もいなかったし、まあ、私と同じ「ガイジン」という立場にあるのだな、という認識ぐらいであった。
それから日本に帰って来て地方を転々とし、そのほとんどを地元の公立の学校で過ごし、ゴクゴク普通の日本の小中高生生活を送っていた私は「黒人」はおろか、外国との接点もせいぜい土曜日の午後に聴くポップスベストテン(自分で書いてて懐かしいっ)ぐらいのものであった。

でも、少なくとも抵抗はなかったのだと思う。

ダンナと付き合い始めて間もない頃、恐らく人種差別の話になったのだと思うが、私はいつの間にか自分の体験を話していた。
おふらんすに住んでいた時、東洋人ということで馬鹿にされたことが何度かあった。
その頃は日本もあまり知られた存在ではなく、中国とごっちゃにされていて、
大きな目をしたおふらんすの生意気な子供が私の前に来て自分の両目の端っこを横にぴっと引っ張って「シントック!」と一言叫んで逃げ去って行ったりした。
シントックというのは中国人に対する蔑称(日本人に対する「ジャップ」のようなもの)だ。
このアホな子供のこうした言動は日本人に対しても中国人に対しても失礼だと子供心に感じた。
このとき、自分とは外見が違うというだけの理由で見下されたり無視されたりする気分の悪さを私は肌で感じた。
と、同時に私のことを純粋な異国への好奇心を抱きつつ普通の友達として接してくれた友達もたくさんいて、国や肌の色や文化の違いを乗り越えて通じ合える喜びも味わった。
どちらも実際に経験しないとなかなか分からないことだから、貴重な体験だったと思っている。

私はアメリカにおける黒人の歴史について特によく知っているわけではない。
でも、幼い頃に差別された経験は強烈に焼きついている。
今のところ、それで十分だと思っている。

(1/26/2005)


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