ニッポンとアメリカの「隙間」で、もがく。

2009/06/11(木)06:00

「常識」とは、いつ、どこで培われるのか。

生活_ボストン・アメリカそして日本(230)

我が家は4軒入っているコンド(日本で言うマンション)に住んでいるが、 共有スペースの改修についてはコンドのオーナー全員が了解の上、 業者を雇って行なうことになっている。と、規約にも書いてあるし、 最近わざわざそのためのミーティングを開いて全員で確認したにも 関わらず、地下階に住んでる諸悪の根源であるばーさんが 待ちきれなかったのか、勝手に業者に連絡して仕事を始めさせてしまった。 私たち他のコンドのオーナーは、業者が作業をしているのを見かけて 初めて知ってビックリ仰天というありさま。 この週末は法的対策も含めその対応に追われ、 2人の幼い子供の世話でただでさえしっちゃかめっちゃかな上に 私の翻訳の仕事の追い込みも重なって、 夫婦ともども極限のストレスに晒されることになった。 昨日には翻訳も提出できたし、コンド改修の件については今日にも いちおう解決しそうでホッとしているところなのだが、 このばーさん、本当に「常識」が通じなくてホトホト困っている。 このばーさんだけじゃラチがあかないので、コンド・ミーティングの時は ばーさんの息子にも参加してもらっているのだが、これがまた曲者で、 しかもばーさんの庇護をするのでこれまた厄介。 何かを始める時には全員で話し合って、全員の了解を得た上で進める、 という「常識」は、いったいいつ、どこで培われるのだろうか。 学校なのだろうか。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る